第二話 雨
子供たちの一人、ダグが口を開く。
「ララは……死んじゃった」
レオンは呆然とその言葉を聞いていた。
言っている意味が理解できない。
死というものは知っているが、それがつい先日まで一緒に遊んでいたララと結びつけることができなかった。
「なんでっ!」
「ひっ!? ごめんなさい……」
レオンが声を荒げると、ダグは涙目になって謝罪した。
子供とはいえ、レオンはこの地を治める領主の息子、貴族の子息だ。
もし怒りを買ってしまったら、どうなるか分からない。
「いや、ごめん。責めるつもりはないんだ」
ダグは震えている。
「ただ、どうしてそうなったのか知りたくて。教えてくれる?」
レオンがダグの背中をさすり優しく呼びかけると、ダグは袖で涙を拭い、ゆっくりと話し始めた。
レオンは子供たちと共に、ララの住んでいた家へ向かった。
そこで目にしたのは、そこにあったはずの家がなくなっていたり、家が破壊され、崩れていたりする悲惨な光景だった。
「なんで、こんなことに……」
「先々週の大雨で、川が氾濫したって父ちゃんが言ってた」
「ララの家族は、家ごと流されちゃったんだ」
レオンは右手で頭を抱える。
「そんな……まさか、こんなことになっていたなんて」
先々週は、たしかに大雨だった。
レオンは屋敷の窓から外を眺めながら、早く止まないかな、なんて呑気なことを考えていた。
「父上に相談しなくては」
翌日、サンライト邸、執務室。
面会の許可を取り付け、レオンが部屋に入る。
父ザインと長兄ハミルは書類作業をしていた。
「その話なら報告を受けている」
レオンが昨日、街で見たことを父に報告すると、父は眉一つ動かさず書類を書きながら冷静に答えた。
「それでは対策していただけるのですか?」
父は眉をぴくりと動かす。
「洪水は自然災害だ。今回は運が悪かった、どうすることもできん」
レオンは食い下がる。
「しかし、何か方法があるかもしれません」
父は走らせていたペンの手を止め、レオンを見据える。
「方法とは何だ? お前に何か良い案でもあるというのか?」
レオンは言い淀む。
「それは……ありませんが」
父は再び書類にペンを走らせる。
「なら余計な口出しはするな。此度の洪水の事後処理で私は忙しいんだ。手間をかけさせるな」
「……申し訳ありません」
「そう言えば聞いたぞ。領内を視察するとか言って、領民の子供たちと遊んでいるらしいな」
「そ、それは……」
「少し、庶民たちと近づき過ぎたんじゃないか? あまり感情移入しすぎては、大局を見失うぞ」
「……申し訳ありません」
「もうよい。今日は魔法の先生が来ているのだろう? しっかり勉強なさい」
「はい、失礼します」
レオンが一礼し、執務室を出ようとしたとき、ハミルが声をかけた。
「レオン。この屋敷の書庫には、さまざまな文献がある。もし勉強の合間に息抜きが必要なら行ってみなさい」
レオンは笑顔になり、ハミルに頭を下げた。
「はい、ハミル兄様。ありがとうございます」
それからレオンは、勉学と稽古をこなす合間に書庫に籠もるようになった。
領内の記録や地形、災害対策、工事に関する資料など、ありとあらゆる書物を読み漁った。
ある日、次兄マルシスが話しかけてきた。
「よう、レオン。お前、父上の仕事の邪魔をして叱られたそうじゃないか」
ニヤニヤしながら近づいてくる。
「それが何か?」
「ちょっと勉強できるからって調子に乗ってるんじゃないか? 父上の手を煩わせるなよ」
「話はそれだけですか? 私は調べものがあるので失礼します」
立ち去ろうとしたところ、肩を掴まれる。
「おい、待てよ。話は終わってねーぞ」
レオンはその手を振り払った。
「マルシス兄様は、もっと勉学に励んだ方がよろしいのでは? 三つ年下の私よりも勉強が遅れているとお聞きしましたよ」
そう言うと、マルシスは怒りの形相でレオンを睨みつけた。
「いい度胸してるじゃねーか」
そして、庭の方向を指差した。
「表に出ろ! 稽古つけてやる」
レオンは溜め息をつく。
「一回だけですよ」
屋敷の庭。
レオンとマルシスは木剣を構えて向かい合っている。
「いいか、これは稽古だ。もし怪我したとしても、俺がやったとかチクるんじゃねーぞ」
「わかってます。マルシス兄様も、私にやられても内密にお願いします」
「生意気な!」
マルシスが木剣を振るう。
レオンはそれを冷静に受け止めていた。
(なってない……全然駄目だ)
マルシスはただ力まかせに木剣を振り回しているだけ。
技も何もあったものではない。
レオンがマルシスの手を打ち据える。
「うっ!」
マルシスは小さく悲鳴を上げ、木剣を落とした。
レオンはすかさず剣先をマルシスの目前に突きつける。
「マルシス兄様、まだやりますか?」
マルシスは涙目になり、首を横に振る。
レオンは無言でマルシスに背を向けると、書庫へと足を運んだ。
数日後、レオンが書庫で文献を読んでいると、ハミルがやってきた。
「やってるね、調子はどうだい?」
「ハミル兄様」
レオンは文献を閉じる。
「お聞きしたいことがあるのですが」
ハミルが笑顔で頷く。
「それなら僕の部屋でお茶でも飲みながら話そうか」
二人はハミルの部屋に移動し、テーブルを挟んで椅子に座る。
ハミルは専属メイドにお茶を持ってくるよう伝えた。
「それで、聞きたいことというのは何だい?」
「兄様は治水工事というものをご存知ですか?」
「川が溢れないよう整備することだろう?」
「ご存知だったのですか」
「今回の洪水で、レオンが執務室に訪れる前には、父と私も対策を考えていたからね」
「そうだったのですね」
レオンは「どうすることもできん」と言い放った父のことを冷たいと感じていたが、きちんと領民のことを考えてくれていたのだと知り、胸が温かくなった。
ハミルのメイドが二人にお茶を差し出す。
レオンとハミルはそれに口をつけ、テーブルに置いた。
「それでは、治水工事を?」
ハミルが少し渋い顔をする。
「レオンが調べた治水工事には、何が書かれていた?」
「えっと……川幅を広くする、川底を掘る、川の側面に土を盛る、この三つです」
ハミルが頷く。
「自分だけでそこまで調べるなんて、すごいじゃないか」
レオンは照れる。
「いえ、そんな」
しかし、ハミルは首を横に振った。
「実は、父が部下も集めて皆で協議した結果、できないという結論になった」
「どうしてですか?」
「土地の問題だよ。川は街の中を通っている。川幅を広げることも、土を盛ることもできない」
「それでは、川底を掘るのは?」
「それこそ無理だ。水深が深いので、川の中に入って底を掘るのは危険だ。それに……」
「それに?」
「今回の洪水では、家屋だけでなく農作物にも影響が出ているので、その損失の埋め合わせをしなくてはならない。いつ起きるか分からない自然災害のために、予算と人員を割くことはできない」
「そんな……」
レオンは肩を落とす。
ハミルは立ち上がり、レオンの肩を軽く叩いた。
「レオンが領民のために何かしたいという気持ちは分かるよ。お前は立派な貴族だ」
「ハミル兄様……」
「また相談があれば、いつでも声をかけてくれ」
「はい……ありがとうございます」
レオンはハミルの部屋を後にした。
その後もレオンは書庫で文献を漁ったが、それ以上の収穫は得られなかった。
座学が終わった後、教育係がレオンに尋ねる。
「最近は、領内を視察に行かれないのですね」
「そうですね、調べものがあって」
「何か悩みでも?」
「はい。解決したいことがあるのですが、その方法が分からなくて」
教育係は少し考え込み、やがて口を開いた。
「それなら、別のことをしてみるのも良いかもしれません」
「別のこと?」
「はい。物事を一方向から見るのではなく、別の方向から見ることで、違う答えが見つかることもあります」
「別の方向から……そうですね。今日はこの後、視察に行ってきます」
教育係は笑顔で頷いた。
「レオン様の悩み、解決すると良いですね」
護衛を一人つけ、街に出る。
護衛がレオンに尋ねる。
「今日はどちらに?」
「先月氾濫した、川の様子を見に行きます」
川に到着すると、倒壊した家屋はあらかた片付いていた。
新しい家屋の建設も進んでいる。
レオンは川を見渡す。
街を横断する大きな川。
水という恵みをもたらし、自分たちの生活を支えてくれている。
しかしその恵みは、時として災害という形で牙を剥くことがある。
(川幅を広げることも、土を盛ることも、川底を掘ることもできない……どうしたら……)
『物事を一方向から見るのではなく、別の方向から……』
先ほどの教育係の言葉を思い返す。
(別の方向から……他に方法は……)
空を見上げると、二羽の鳥が飛んでいる。
番いだろうか……。
そのとき、レオンにひらめきが走る。
(もしかして、この方法なら!)
レオンは護衛を見上げた。
「屋敷に戻りましょう!」
護衛がレオンを見る。
ここ最近レオンの元気がなく、騎士団でも心配する声が上がっていた。
だが、もう大丈夫そうだ。
護衛は笑顔になると、静かに口を開いた。
「ええ、それでは帰りましょう」




