第45話 地獄の朝食会
朝日がたっぷりと差し込む、広々とした月江家のリビング。
ダイニングテーブルには、こんがりとキツネ色に焼かれたトーストと、淹れたての紅茶が並べられている。雫ちゃんが用意してくれた朝ごはんだ。
私の分も用意してくれているあたり、根はすごくいい子でしっかり者なのだろう。
「…………」
しかし、そんなのどかな朝の景色とは裏腹に、空気はお通夜のように重かった。
私の正面には、ジャムを塗ったトーストを小さくかじりながら、冷ややかな目を向けてくる雫ちゃん。私の横には、眼鏡をかけた優等生モードの梓さん。
……ただ、梓さんの目はすっごく泳いでいる。
「……あのね、雫。さっきのはね。えっとね。あのね……あの、話聞いてくれる?」
沈黙に耐えきれなくなったのか、梓さんがしどろもどろになりながら口を開いた。
「さっきのは、えっと、来栖さんは私の着替えを手伝っててくれてたの! そう、だからあんな変な恰好でね……。ね、来栖さん。そうですよね!」
「うんそうだね。だからなんでもないよ雫ちゃん」
私も一応、梓さんに乗っかる。
けど、昨日そういうことをしているのはバレている時点で、恐らく言い訳も無意味だ。
私はなんとなくソレを言い出せないまま、目の前のトーストに手を伸ばす。
すると、梓さんがずいっと顔を寄せ、耳打ちをしてきた。
「も、もっと自然な演技をしてください……! 棒読みすぎます……! バレたら私の姉としての立場が危うくなるので、ここはどうかお願いします!」
「……分かった。まかせて」
私は小さく頷き、雫ちゃんへ向き直った。
彼女はいちごジャムの乗ったトーストを、小動物のように小さく咀嚼している。
私は咳払いを一つして、梓さんに言われた通りに自然な演技を目指した。
「いやーまさかあの梓さんがこんなに朝に弱いだなんてね。自分で着替えができないくらい甘えん坊だとは思ってなかったな~。それでも私がいたから上手にお着替えできたね、偉いよ梓さうっ──!」
どすっ。
横から梓さんの肘打ちが飛んで来た。なんで!?
「今のはなんかダメです……!」
そうか。今のダメなのか。
さてどうしようか、と自然な演技の方法を模索していると──。
「……はぁ」
深い溜息が思考を遮った。
見れば、雫ちゃんはトーストを皿に置き、呆れたような視線を向けている。
「さっきからなんですかこの茶番。昨日の夜、二人が破廉恥なことをしてたのは知ってます。まさか朝もしてるとは思わなっただけで」
「昨日の夜……!?」
やはり時間の問題だった。
まさか昨夜の秘密を知られているとは思っていなかった梓さんが、あわあわし始める。
「でも、お姉様が被害者なのは分かっているので、落ち着いてください」
「えっ? え、わ、私は──」
「何も言わなくても大丈夫です。全てそこにいる来栖さんが元凶だと、彼女の口から直接聞いてますから」
「そ、そうなんですか!?」
梓さんが驚いたように私を見る。
私は静かに目を伏せ、全てを背負った十字軍の騎士のような面持ちで頷いた。
「……そういうことになってます」
お姉様の名誉を守るために、私が変態の泥を被ったのだ。
どうか私の屍を超えていって欲しい。覚悟はできてる。
「さっきまでの時間は一体……」
困惑したようにぼやく梓さん。それは本当にごめんなさい。
「……お姉様。悪いことは言わないので、彼女と関わるのはやめた方がいいと思います」
雫ちゃんは冷たい目で私を睨みつけると、梓さんに向かって真剣なトーンで告げた。
「私を一人にしないって、約束してくれたじゃないですか」
「そうだけど……でも……」
姉を真っすぐに見つめる瞳には、微かな不安が揺れていた。
梓さんは、そんな雫ちゃんの言葉に少しだけ困ったように苦笑いを返す。
雫ちゃんにとっては、すごい大切なお姉ちゃんなんだろう。
たしかに私今……泥棒猫のポジションなのか。
「あと、彼女はお姉様に不釣り合いな、ただの変態です」
雫ちゃんはきっぱりと言い放つ。
「だって彼女、昨夜、私とも身体を重ね合ってますから」
「え!?」
梓さんの素っ頓狂な声がリビングに響く。
まって。雫ちゃん今、なんて言った……?
私が耳を疑う暇も無く、雫ちゃんは淡々と続けた。
「しかも全裸で」
「しかも全裸で!?」
バッ! と、すさまじい勢いで梓さんがこちらを振り向いた。
眼鏡の奥の瞳が、これまでにないほどに見開かれている。
やっぱり雫ちゃん、昨日の風呂場でのことチクってる……!
「ち、違う! あれは不可抗力だったから!」
「つまり身体を重ね合わせたのは本当なんですか?!」
「いやそれは身体を重ね合わせた(物理)と言いますか! 私がニュートンなら、雫ちゃんはリンゴだったというか!」(間違った例え)
私が必死で弁解しようとするのに被せるように、雫ちゃんがしれっと補足を入れる。
「私のこと、大切に抱き締めたりしてきました」
「抱き締めてしかいないよ!?」
「抱き締めたんですか!?」
「不可抗力!」
やばい。なんて言えばいいんだこれ。
いやまぁ普通に『お風呂場で滑って転んだ妹を下敷きになって受け止めました』でいいのか。パニックになって弁解を近道しようとしすぎた。
今のところ『姉の目を盗んで全裸の妹を抱き締めたクズ』になっている。
「えっとね、お風呂場で全裸の雫ちゃんとお話をしていたら、倒れかかってきて、私はそれを受け止めたの! だから抱き締める感じになったの!」
「雫の方から来栖さんに……!?」
「うーん違う!」
「じゃあやはり来栖さんが……!?」
梓さんもパニックだった!
キャッチボールをするはずが、お互い変化球を投げて成立していない!(間違った例え2)
「えっとつまり、つまりね……!」
弁明しようとすればするほど、事態が泥沼化していく。
そんな私を尻目に、雫ちゃんは自分の皿を片付け、そそくさリビングを出ていった。
そして去り際、私の方だけをチラリと振り返り、してやったりな顔をしてくる。
……わざと言い回しをややこしくてしたなあの子。
──バタン。
部屋に残されたのは、頭を抱える私と、パニックに陥ってフリーズする梓さん。
静まり返ったダイニングに、カチコチと時計の病身の音だけがやけに大きく響く。
「あ、梓さん……? 今のは本当に誤解だからね。お風呂場で転んだ雫ちゃんを、咄嗟に助けただけで……」
恐る恐ると声をかけると、俯いた梓さんの肩がぴくりと揺れた。
「……全裸で」
「そりゃお風呂だから服は着てなかったけど!」
「抱き締めた……」
「だから受け止めただけだってば!」
梓さんはぶつぶつと反芻するように呟く。
その瞳は、嫉妬と混乱が混ざって、ぐるぐるとハイライトを失っていた。
「来栖さん」
「は、はい」
地を這うような低い声に、私は思わず背筋を伸ばした。
「たしかに妹の雫は、誰もが認めるほどすっごく可愛いです。ですが……」
梓さんはぎゅっと私のパジャマのズボンを握りしめ、潤んだ瞳で見上げてきた。
「私と最後まで出来なかったこと、そんなに恨んでますか……?」
「一つも伝わってない! とりあえず一旦落ち着こう、ほんとに何も無かったから!」
混乱した梓さんの誤解を解くには、まだまだ時間がかかりそうだった。




