第44話 朝のベッド
深い泥のような眠りから浮上する、その緩やかなまどろみの縁。
鼓膜を打つのは、名も知らぬ小鳥の囀りと、道路を這う原付の排気音。
薄いカーテンの隙間から侵入した朝の光が、埃の粒子を白日の下にさらしている。
シーツの海、その柔らかな波間に沈む私のすぐ隣には、梓さんがいた。
彼女を拘束具のように纏っていた制服は、いまや淫靡に乱れている。
編み込まれることなく解き放たれた黒い髪が、白いシーツの上に幾筋もの黒い河を描いて流れていた。知的さを担保する眼鏡は外され、無防備な横顔がただそこにある。
微かな衣擦れの音。隣で、彼女の双眸がゆっくりと開かれた。
「……ん。来栖さん? ……そっか、お泊まり、でしたもんね」
長い睫毛が、微光を縫うようにしてゆっくりと持ち上がる。
彼女は輪郭の曖昧な朝に溶けたような声で囁き、目を擦った。
「おはようございます」
肺腑の奥から漏れ出たようなその柔らかな吐息は、部屋の空気に熱を孕ませる。
「昨日はすぐに寝てしまって、ごめんなさい」
放たれた謝罪。
とろんとした瞳が、静かな弧を描いて私を見つめる。
だが、その言葉の響きとは裏腹に、はだけた制服から覗く肉体の曲線と、乱れた黒髪の退廃的な匂いが、私に昨夜の記憶を容赦なく突きつけてきた。
そうか。昨日は……昨日は……昨日は……。
「……………………ん?」
昨日の私、梓さんとすごいことしてない?
制服百合えっちの『制服百合え』くらいまでしてない?
ていうか、梓さんとのあれこれの直後にお風呂場で繰り広げられた、雫ちゃんとの全裸密着イベントも普通にやばくない? なんか感覚がマヒしちゃってたけど。
「…………」
そのせいだろうか。
さっきまで私の思考が変だった気がする……!
具体的に言えば、湿度の高いエロい純文学みたいになってた!
目を覚ませ! 私の書く物語は、健全な現代の高校生の百合モノだぞ!
「お、おはよう、梓さん」
私はぶんぶんと頭を振って、横にいる梓さんに向き直った。
「はい。おはようございます、来栖さん」
梓さんはシーツの中で身じろぎして、私に向かって柔らかい微笑みをたたえる。
「昨日は、よく眠れましたか?」
「う、うん。おかげさまでばっちりと……」
「それはよかったです。なんだか私、すごくぐっすり眠ってしまったみたいで……変な寝言とか言ってませんでしたか?」
……言ってた。それも沢山。
やっぱり昨日のは完全に寝ぼけていたらしい。
「寝言、というか……」
私は少しだけ躊躇ったあと、意を決して切り出した。
「ねぇ梓さん。昨日の夜のこと、本当に何も覚えてない?」
言うと、私は自身のパジャマの襟元を引っ張り、肩を露出させる。
そこには昨日、梓さんに付けられたキスマークの痕がばっちり残っていた。
梓さんは、まじまじと見つめた後、痛々しいものでも見たように眉根を下げる。
「痛そうです……。内出血、ですか? どこにぶつけて──」
「これ、梓さんが付けたんだよ。キスマーク」
沈黙。
梓さんは横になったまま、驚いたように目を丸くして、私の肩口と顔を交互に見た。
それから数秒の間を置いて、軽く吹き出すようにくすくすと笑い声を漏らす。
「来栖さんは人をからかうのがお上手ですね。寝起きだからって騙されませんよ?」
梓さんはまるでいたずらっ子をたしなめるような、余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせた。
「いや本当だって。梓さん、えっちなことが好きって言ってたよ」
「ふふ。またまた、私がそんなこと言うはずが──」
「私のためなら、最後までしてもいいって」
「もう。今日は冗談がすぎてますよ? いくら来栖さんのためとはいえ──」
「梓さん、いっぱいえっちな声出してた」
ぴた、と。
にこやかに笑っていた梓さんの顔が、ひきつったように固まった。
そしてその穏やかな表情を保ったまま、顔の血の気が限界までさぁっと引いていく。
視線が虚空を彷徨い、瞳孔が震える。どうやらうっすらと、昨夜の記憶が蘇ってきたらしい。
「……その、昨日のこと、全部忘れませんか?」
顔を覆い、震える声で懇願してくる梓さん。
「でもさ。わざわざお風呂上りに制服を持たせたのって、そういうことをするためだったよね?」
逃がさないように追及すると、梓さんは毛布に顔を半分埋めるようにしてモゴモゴと答えた。
「……学生の物語を書かれる、ということで。そっちの方がリアルじゃないかなって。……でも、そんなことまでするつもりなんてなくて……添い寝だけのつもりで……」
「そうなんだ? でも、キスマークとかも知ってたよね?」
「それは……ネットで勉強したので。されたら嬉しいこと、みたいなので」
「じゃあ私と、そういうことするかもしれないって、勉強してたの?」
「……えっと。あの。……私、来栖さんのこと、好きなので」
なんかしれっと、心臓が跳ねるようなこと言ってくる。
いや分かってる。これは佐倉わかに向けた言葉なのだ。
早くこの勘違いやめたい。でも嬉しいの変わらなくて。
そう言ってくれる梓さんはやっぱり──。
「……可愛い」
「きゅ、急に? あ、ありがとうございます……」
「こんな可愛い子に襲われたの、すごく嬉しいかも」
言葉が口を衝くままに告げると、梓さんは申し訳なさそうな顔になった。
その瞳には、不安と自己嫌悪が入り混じっているように見える。
「……あの。引きました?」
「ううん」
……馬乗りになられた時は、びっくりはしたけど。
なんて言葉は、口には出さず心の中でとどめる。
「嫌じゃなかったですか?」
「嫌じゃないよ」
これは本心だ。
だって梓さん、顔も性格もいいし。
「創作の参考になりそうですか?」
「うーん。ちょっと刺激が強すぎて……どうだろ」
R18になるので書けません。とは言いづらい。
だから代わりの言葉を私は与える。
「でも梓さんのこと、たくさん知ることができた」
「私のこと、ですか? えっと……例えば?」
私は昨夜のここでのことを思い返す。
耳元で熱く吐き出された、あの荒い息遣いとか。
あと他には──。
「耳舐めたら、すごい身体びくんってさせるとことか」
梓さんがぴたりと無言になる。
きりり、と潤んだ瞳で私を軽く睨みつけてきた。
かと思えば、毛布の下でもぞもぞと梓さんの手が動き──。
「えっ──」
そして私の手を、絡めとるようにぎゅっと繋いできた。
そこからは先は流れるように早く、私のパジャマのボタンが器用に外され、シャツの中へと滑り込んできた白い手が、生々しく私の肌をまさぐってくる。
「あ、あの……また寝ぼけてる?」
「……寝ぼけてないです」
這うように動く手は、次第に私の体を熱くさせる。
そんな私の体の状態を見てか、彼女の顔が私の耳元に近付いて。
「ひゃっ!?」
ちろりと、舌先で突くように耳を舐めた。
背筋に電流が走ったように、私の身体がびっくりして大きく跳ねる。
梓さんは、ふふんと勝ち誇ったように鼻を鳴らして、私の上に覆いかぶさってきた。
毛布を邪魔だとばかりにベッドの外へ追い出し、今度は反対の耳にも同じことをする。
「来栖さんも、びくってさせてます」
「……あ、まって。……ねぇ、ちょっと待ってよ。もう着替えの下着ないんだけど」
「私の、貸してあげます」
一切のためらいのない即答。
「ねぇ。……やっぱり変態だよね、梓さん。寝ぼけてるとか関係ないじゃん」
こうなると、私の中のスイッチも入ってしまう。
私は梓さんの身体を押し返し、ベッドの上で立場を入れ替えた。
彼女を押し倒すように馬乗りになり、退路を断つ。
「……ここから、どうしますか?」
「やり返す」
と。私は同じように、耳元に顔を近付けた。
左手で彼女の手を握って、私は軽く息を吹きかける。
「や、やめてください」
「声、我慢しなくていいんだよ。昨日みたいにしてよ」
「……嫌、です。出しません」
強がる言葉とは裏腹に、梓さんの顔はもう耳の先まで真っ赤に染まっていた。
私は彼女の制服の裾を少しだけ捲り、無防備にさらされた白いお腹に手を当てる。
そして柔らかなへその周りを撫でまわすように、意地悪く指を這わせた。
「んっ……ぁ……」
梓さんの口から、甘い吐息が漏れる。
ここからどうしようか。やっぱり昨日よりも先に進んでいいのだろうか。
思考は本来の機能を失って、私の手は自然と彼女の太ももに伸びる。
優しく肌を撫でて、じんわりとした熱を帯びたのを確認して私は──。
──ガチャ。
そこで不意に、部屋のドアが開く音がした。
「お姉様、おはようござ──い、ま……す」
振り向くと、そこに立っていたのは雫ちゃん。
朝の光が爽やかに差し込むベッドの上で。服をはだけさせ、姉の上に馬乗りになって怪しい手つきで覆いかぶさっている私の姿が、バッチリ見られていた。
私たちは完全に、石のように固まる。
「…………」
重く、冷たい静寂。
ぽかんと口を開けた雫ちゃんはやがて──。
「こんな朝から……?」
すっ、とドアを閉じた。




