第37話 ハグ
月江さん──否、梓さんの部屋の中。
私たちはベッドを背にして床に座り込み、他愛もない話を繰り広げていた。
「梓さんって姉妹仲いいの?」
「どうでしょうか。一般的な仲の良さだと思いますよ?」
つんつん。
私の手を甲を、冷たい指先が軽くつつく。
「そっかぁ。私も梓さんみたいなお姉ちゃんがいたらなー」
「ふふ。来栖さんが妹って、なんだか想像つかないです」
にぎにぎ。
今度は指が軽く握られる。
「たしかに……。ってか、やっぱり名前呼び、まだ恥ずかしいんですけど……。二人でいる時は『月江さん』って呼んじゃだめ?」
「いえダメですよ? 名字で呼ばれたら、私と雫のどっちか区別がつきませんので」
つんつん。
「そっかぁ……恥ずかしいのに……」
「では、梓と十回言ってみてください」
にぎにぎ。
「えっと、梓、梓、梓──。梓。はい十回」
「はい。これで慣れましたか?」
つんつん。
「オチなしだった。まぁ確かに慣れたかも?」
「ならよかったです」
うん……ていうか。
「……あのさ。ずっと気になってるんだけど」
さっきから、私の手をしきりに触ってくる梓さんの手をちょんちょんと押し返す。
「これですか?」
梓さんは悪びれる様子も無く、私の手を持ち上げた。
「はい、もちろんそれのことです」
そう。梓さんはなぜかさっきからボディタッチをめっちゃしてきていた。
いやボディタッチというと少し艶めかしいけど、実際のところは、子供が暇を持て余してちょっかいをかけてくるような、そんなどこか可愛らしい触り方だ。
梓さんは、ふふん。となぜか得意げに鼻を鳴らす。
「今日は取材合宿ですので。こうすることで来栖さんの創作意欲が刺激されるかなと!」
なるほど。気合が入っているのはいいことだ。
「刺激されそう! もっと続けて」
つんつん。にぎにぎ。
すぐに再開されたボディタッチに感心をしながらも『取材合宿』という言葉に当初の予定を思い出す。
「そうだ。今日と明日ってどうやって過ごす?」
「どうやって、ですか?」
「うん。せっかくだし、ずっと部屋にいるのももったいないかなぁって。明日、どこか出かけたりする?」
私が提案すると、梓さんは指先で顎を触れながら少し考え込んだ。
「そうですね。来栖さんの執筆の参考になる場所であれば、どこでもいいですよ?」
「ほんと? うーん、そうだなぁ……」
私はポケットからスマホを取り出し、写真フォルダを開いた。
「背景描写に使えそうな画像は、出かけた時に大体写真に撮ってるんだ。だから、まだ撮ったことのないような場所がいいかなーって思ってるんだけどー……」
私が画面を見やすいように傾けると、梓さんは肩をくっつけて画面を覗き込む。
触れ合う肩から、梓さんの柔らかさと体温を感じた。
……距離、近いな。
やっぱり梓さんって天然だよね。
ナチュラルに距離つめてくるもん。
「綺麗な写真、いっぱい撮ってるんですね」
「そうでしょー。でも実際に見た時の感動はもっとすごいんだよ」
近い距離を意識しながらも、私は平静を装って画面を横にスライドしてゆく。
流れてゆく画像は、オシャレなカフェとか、高台から見下ろした街の景色とか。現実のふとした瞬間を切り抜いた、一見なんでもないような画像だ。
古い画像からスライドしていったので、当然段々と最近撮ったものが映ってゆく。
「あ、パンケーキ、美味しそうです」
今、写っているのは数日前に穂乃果と食べたパンケーキの写真。
「あぁこれは火曜? だったかな。その時に食べた──」
写真をスライドしながら説明を──し終える前に。
うっかり滑らせた指先が、次の一枚を呼び出してしまった。
「……あ」
思わず声が漏れる。
画面いっぱいに表示されたのは、色鮮やかな画像。
白い背景に可愛いスタンプや『放課後デート』の華やかな文字。
そして画面中央には、顔を真っ赤にした私に思いっきり抱き着く穂乃果がいて──。
「よし見なかったことにしよう!」
穂乃果から貰った画像を保存したのを忘れていた……!
私はプリクラ画像から巻き戻るように画像をスライドし誤魔化す。
しかし当然、隣でバッチリ見ていた梓さんを誤魔化しきれる訳もなく──。
「……なんで隠すんですか」
一気に温度が下がった声が響いた。
「い、いや! これはその、見てもそんな楽しいものではなくて!」
「見たいです! 見せてください! ていうか見ます!」
ずいっと。梓さんがすさまじい気迫で距離を詰めてくる。
逃げられそうにもないので、私は観念して先のプリクラ画像を表示させた。
画面を見た途端、梓さんは分かりやすく頬を膨らませて、私に鋭い視線を送ってくる。
……この睨んでくるような視線は、たしかに雫ちゃんと似ているかもしれない。
やはり二人は姉妹なんだなと、変なところで納得させられてしまった。
「なんでこんなにくっついてるんですか!」
「プリクラの指示だったので……つい」
「デレデレしてるのも指示なんですか! 顔真っ赤にしてますし!」
「で、デレデレしてないって! 顔が赤いのは、いきなりくっつかれてパニックになって……!」
私が必死に弁解するも、梓さんは目を潤ませてさらに詰め寄ってくる。
「それデレデレしてます! やっぱり私のことは遊びで本命の取材相手は御船さんなんですね!」
「本命は梓さんだよ!? いや穂乃果が遊びという訳でもなくてね?」
……自分で言いながら、浮気したやつみたいになってきた。これじゃ本当に誤解されかねないので、私はしっかりと事実を伝える。
「そもそも穂乃果は、私が作家してること知らないよ。だから私には最初から梓さんしかいません。し、こんな私の取材相手になってくれる梓さんの存在は本当にありがたいと思ってるよ?」
言うと、梓さんは少しほっとしたように息をついた。
それでもまだ、ちょっと納得していないように口を尖らせている。
「でも。御船さんと、たくさんの初めてを経験してますよね?」
「えっ、と。初めてって?」
「ハグとかです。初めてしたんじゃないですか?」
「ハグは……うん。初めてだね」
視線を泳がせながら頷く。
「……やっぱり」
ぽつりと漏れた梓さんの声は、少し重たい。
空気がスッと冷えたのを感じて、私は咄嗟に弁解の言葉を探す。
しかし、作家のくせにこんな時ばかり気の利いた言い訳の一つも思い浮かばず、口をぱくぱくとさせることしかできない。
そんな私に痺れを切らしたのか。
梓さんが、不意にすっと膝立ちになった。
そして、逃げ場を塞ぐように、じりっと私の正面へと躙り寄ってくる。
「えっ、あ、梓さ──」
そしてそのまま、私に体重を預けるようにして真正面から倒れ込んでくる。
ぎゅっ、と。しなやかな両腕が私の背中に周り、力強く抱き締められる。
背中には、寄りかかっていたベッドの側面の堅い感触。正面には、梓さんの華奢で柔らかい身体の感触と、少し高くなった体温。
「……私だって、ハグくらいできますからね」
耳元で、すねたような声が囁かれる。
ぞくりとした。
「次からハグしたくなったら、私にしてください」
これはプリクラの時のような、そんなノリのハグじゃない。
例えばこれは、好きな人同士がするような、少し甘くて熱いハグだ。
「……梓さんって、独占欲強いの?」
私は心臓のうるささを誤魔化すように問うた。
でも実際、ちょっとそう感じている。梓さんは少し想いが重い節があった。
そんな梓さんは私を抱き締めたまま、むすっとした声で言い返してくる。
「だ、だって、一番好きな作家さんですから。あなたにとっても一番であって欲しくて」
……つまりめちゃくちゃ独占欲が強いらしい。
「……そっか。嬉しい、かも」
私は自身の心を零す。
だけど。来栖若菜は、ちょっと蚊帳の外にいる気がした。
やっぱり梓さんが好きなのは、どこまでいっても作家としての私なのだと。
そんな複雑な心内なんて梓さんは知る由もなく、私の胸にすり寄るように顔を埋めた。
「……だから」
くぐもった声がかかる。
「私も、来栖さんとたくさんの初めてをしたいです」
背中に回された腕の力が強さを増す。
再び梓さんの口が、私の耳元へと運ばれた。
甘い吐息が耳をくすぐって、私は思わず身をよじってしまう。
「このまま、私と初めてのこと……取材しませんか?」
耳元の吐息に意識が奪われて、なんだかそれを夢うつつのように聞いていた。
それでも意味を理解したらしい私の心臓が、これはまずいぞと警鐘を鳴らす。
錆びついた脳の回転にオイルを差されたように、私の意識が活性化した。
「初めての……こと?」
ようやく意味を理解し始める。
手を繋ぐでもない、ハグでもない、デートでもない。
それ以外のことは、きっとそれ以上のことだ。
だからそれはきっと──。
「──例えば、えっちなことの取材とか」




