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クラスメイトの箱入りお嬢様が、私の百合ラノベのネタになるまで!  作者: 沢谷 暖日
第2章 御船穂乃果という女の子

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第32話 好き

 月江さんからの不在着信。

 私はほとんど反射的に折り返しの電話をかける。

 連絡する約束をすっぽかした罪悪感で心臓が嫌な音を立てていた。

 もう寝てしまったかなという考えがよぎったが、コール音は二回鳴ったのみですぐ繋がる。


『……もしもし。来栖さん』


 スピーカーから聞こえてきたのは月江さんの声。

 ただ、その声はひんやりとした底知れない静けさを纏っている。


「も、もしもし! 月江さん、夜分遅くにごめんね! あの、連絡に気付くのが遅くなっちゃって……! 話す約束してたのに、ほんとにごめんね!」

『御船さんですか? こんな時間まで一緒にいたのは』

「うっ」


 一切の感情が抜け落ちたような淡々とした問いかけ。

 その少し重い空気に、私は思わず変な声を出してしまった。


『なにしてたんですか?』

「あ、えっと……うん。少し、誘われて」

『誘われて?』

「あ、穂乃果の家に!」

『家に……』

「そ、その。ちょっと相談に乗ってて……!」

『……そうですか』


 改札を抜け、ちょうどホームに入ってきた電車に逃げ込むように乗り込む。

 こんな時間だからか、車両に乗客は私一人しかいなかった。

 私は座席の端に縮こまり、スマホを耳に押し当てて小声で話し始める。


「ほんとにごめん! えっと話すと少し長くなるんだけど──」

『放課後、来栖さん。私に言いましたよね』


 私の必死の弁解を遮るように、月江さんがぽつりと呟いた。


『私のこと一番大切って。……だったら、私のこと一番大切にしてください』

「えっ……あ、うん。もちろん大切だよ……?」


 ──あれ?

 なんだかさっきから声のトーンがおかしい気がする。

 冷ややかな怒りの声だと思っていたけれど、よく聞くと少しろれつが回っていないというか、言葉の端々がふにゃふにゃしている。ただ眠たいだけ、かな?


『それに今日の来栖さんは、私と、デートよりすごいことしたいって言ってました』

「わ、私、そんなこと言ったっけ……?」


 ……いや、言ったかも。


『言いました……!』


 私のすっとぼけに、月江さんは少しだけ目が覚めたような抗議の声を上げた。

 けれど、すぐにまたしゅんとした声色に戻る。


『でも……御船さんの方が魅力的な女性なのも事実です。佐倉先生の作品がいい方向にいくなら、御船さんに乗り換えて頂いて大丈夫です。名前に船って入ってますし……ほんとに、大丈夫です』

「だ、大丈夫ってなにが……!?」

『ただちょっと、私がLINEで送信取消する回数が増えるだけですから……』


 急に彼女みたいなこと言い出した。

 月江さんって、眠い時はこんな感じになっちゃうらしい。

 普段の完璧な優等生の姿からは想像もつかないくらい隙だらけで……少し、重い。

 予想外の角度から飛んでくる言葉の数々に、思考は完全に置いてけぼりをくらっている。


『あ、あと──』


 月江さんの少し拗ねたような声が続く。


『フラれたからって捨てるなんてことはない、みたいなこと言いましたよね?』

「えっ、あ、うん。言ったけど……」

『私、来栖さんをフった覚えなんてないです』

「……え?」


 さらに予想外の言葉に、私はぱちぱちと瞬きをした。


「いや、でも……ほら、水族館のあれ。月江さんの発言的に、あの告白を私の本音だと受け止めて、ごめんなさいって言ったんだよね? だからフラれたのかなって」

『じゃあ、もしあそこで私が告白に頷いていたとしたら、今私と来栖さんは恋人同士だったんですか?』

「それは……」


 多分、月江さんのそれは正論だった。

 あの時、私は自分の感情が抑えきれなくなって一方的に言葉をぶつけただけで『だから恋人として付き合っていく』という具体的な覚悟なんて何一つ持っていなかった。

 もしあの場で『はい』と頷かれていても、恋愛経験ゼロの私はどうしていいか分からず、結局パニックになって逃げだしていたに違いない。


「……そう、だね。ごめん。私、勝手に自己完結しようとしていた」

『はい。だからあれは、振ったうちには入りません。これでいいですか?』

「……うん。ごめんね。私、悪い妄想だけは得意みたいで」

『き、気にしないでください。私にも落ち度はありましたから』


 少しだけ早口になる月江さんの声。

 理路整然とした、でもどこか優しい響きに、私は素直に頷くしかない。

 あんなにいつも完璧な月江さんが、私の勝手な勘違いのせいで一人でぐるぐると悩んだり、焦っていたのだとしたら。と、胸の奥がちくりと痛んで申し訳なくなる。


「ほんとに、ごめん」

『いえ……。では、その勘違いのせいで、少し距離があったのでしょうか?』

「い、いや。私としては距離を置いたつもりはなくて……でもちょっと臆病になってたのかも。ごめんね。不安にさせた、よね」

『……はい。不安になりました』


 ぽつりとこぼれ落ちたその言葉には、嘘偽りのない素直な心細さが滲んでいる。


「そうだよね。……今だって、私の電話を待っててくれてたんだよね?」

『そうです。待ってました。でも、かけてくれたから……嬉しい、です』

「ほ、ほんと? ……次、こういう時あったら、ほんとに。ほんとに気を付けるから」

『……はい』


 私が誓うようにそう言うと、電話の向こうから「ふぁ」と、かすかに気の抜けたような小さなあくびの気配が伝わってきた。どうやら限界が近いらしい。


『……なら、お詫びをしてください』

「えっ、お詫び?」

『不安にしたお詫びに……下の名前で呼んでください。そしたら、安心します』


 さっきまでの大人びた追求から一転。

 急に子供みたいなことを言いだしている。

 なんだか声のトーンも、少しとろんと甘い熱を帯びているような……。


「えっと……」


 いくらなんでも唐突すぎる要求に、私は言葉を詰まらせた。

 誰もいないとはいえ、ここは静まり返った夜の電車の中なのだ。

 なんだか緊張してしまうけど、悪いのは私なのでここは言う通りにするしかない。

 ……よし。


「じゃあ……梓さん」


 割と勇気をもって伝えてみたが──すぐに反応はない。


『……じゃあとか嫌です』


 数秒後。やや不服そうな声が返ってくる。


「……梓さん」

『呼び捨てがいいです』


 不服そうな声、再び。

 私は唾を飲み込み、深く息を吸う。


「……梓」


 吸った息をそのまま吐くように、彼女の名前を口にした。

 その瞬間、顔から火が出そうなくらい熱くなる。

 水族館デートの時は、どうしてあんなにすんなりと名前を呼べたのだろう。

 あの時の自分の図太さが不思議でならない。


「これで、いい……?」


 私は恥ずかしさを誤魔化すように、おずおずと問うた。

 ただ名前を呼んだだけなのに、心臓が爆発しそう。

 ともかく名前を呼ぶことには成功した。これで月江さんも満足だろう。

 そう思って、やり切ったようにふぅっと息を吐く──その時。


 ──ぷしゅー。


 電車が駅に止まり、ドアが開いた。

 ええと、まだ私の目的地ではない。ないが──。

 こつこつと革靴の足音と共に、スーツ姿のサラリーマンが乗ってきた。

 そしてそのサラリーマンは、私の斜め向かいの席に腰を下ろす。


「…………」


 よりにもよってこのタイミングで人が……!

 静寂に包まれた車内。モーターの駆動音だけが響く中、斜めには人がいる。

 しかし、そんな私の状況など知る由もない月江さんは──。


『あの時みたいに、好きって言ってください』


 また、私に要求を投げてくる。


「えと……どうして」


 好き、なんて。

 なんで私に、そんなことを言って欲しいんだろう。

 名前を呼び捨てすることだけですらおこがましいというのに。


『安心するから、です』


 らしい。

 今は、そんな理由で納得することにする。

 多分、深い意味なんてない。


「……わかった」


 ていうか好きって、そんな簡単に言ってもいい言葉なのだろうか。

 私が百合小説を書いているから、必要以上に敏感になっているだけなのか?

 たしかに普通の女子高生同士なら、息をするように好き好き言い合っている気もする……いや、普通の女子高生への知見が浅いので完全に憶測なんだけども……。


『……まだですか?』


 とはいえ、背に腹は代えられない。

 私はサラリーマンに聞こえぬよう、限界まで声を潜めてスマホに囁きかけた。


「……好き、です」


 言ってみるが、またすぐに反応はない。

 聞こえなかったのか、それとも言い方が悪かったのか。

 斜め前の視線を気にしながら、つーと冷たい汗が首筋を流れるのを感じる。

 そして永遠にも思えた静寂の後、ようやくスピーカーから吐息が漏れた。


『名前と一緒がいい』


 うっ……まだ許されないのか。

 これ以上の羞恥プレイは死人が出るぞ……。

 でも今更引き返せない! もうこれは取材! そのつもりで……!


「梓……好き」


 やばい。顔あっつい……!

 呼吸の感覚も狭くなって、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 ってかなんだよこれ、バカップルみたいじゃないか……!

 青春の一ページっぽくて甘酸っぱいけど、陰キャがやっても見苦しいだけだ!(ここでいう陰キャは、来栖若菜のことのみを指すものとする)


『嬉しい、です』


 電話の向こうで、月江さんが小さく笑う。

 満足してくれたのが分かって、私も「よかった」と頬を掻いた。

 ふっと私たちの間に穏やかな沈黙が降りて、電車の揺れをようやく心地よく感じた。

 これで月江さんに忌憚なくおやすみが言える。そう気を抜いていたのだけど──。


『……わかな』


 不意に、とろりとした甘い声が鼓膜を揺らした。


「…………ぇつ」


 変な声が出た。ちゃんと発音できていたかも怪しい。


『私も、名前で呼んでみた、よ』


 耳が、溶けそうだった。

 動揺のあまり思わずスマホを落としてしまいそうになる。

 なにか返さないと。そう思って、胸の中に生まれた感情を形にしようと試みるが、言葉は一つも綴れなくて、荒い呼吸の一部分だけが断片的にスマホのマイクに飛ばされた。


『ねぇ、若菜』


 また名前を呼ばれる。

 毛布を被ったのか、ノイズが一段階大きくなった。

 呼吸の一つ一つがよく通る。マイクとの距離が近いのが分かった。

 なんとなくパジャマ姿の月江さんが、こそこそと電話をしている姿を想像する。

 それがなんだか愛おしく感じて、でも私の思考はいっぱいいっぱいで。

 だから──。


『……若菜、好き』


 その言葉に。その甘い声に。

 私の心臓はどくん、と。ぎゅっと握られたように大きく鼓動する。

 これは、さっきまでの私の言葉に対するお返しとか、仕返しみたいなもの。

 分かってる。分かってるけど……なんだか……すごく、もやっとする。

 決して悪い意味のもやもやではなくて、なんというか。見えなくて、苦しいみたいな。


「あ、あの……つき──いや、梓……?」


 動揺で頭が真っ白になりながら、恐る恐ると呼びかけてみる。

 しかし、返事はない。


『…………すぅ』


 代わりに聞こえたのは、穏やかな寝息。


「……寝落ち、してる」


 どうやら本当に限界だったらしい。

 私が名前を呼んで、好きだと伝えたことで、ようやく安心できたのだろう。


「おやすみ、梓」


 私はポツリとこぼし、熱を持った頬を片方の手で押さえる。

 耳にこべりついた月江さんの言葉を、反芻するように脳内で再生する。


『……若菜、好き』


 ただそれだけの言葉。

 そういえば、月江さんと初めて話した日にも『好き』と言われたことがある。

 放課後の校舎裏に呼び出されて、私は告白をされたと勘違いしてしまって。

 恋愛に興味の無かった私は、一回勘違いしたままその告白を断ってしまっている。


「…………」


 恋愛をするのは、きっと楽しい。

 でも余計なしがらみも増える。

 だって恋愛は当人だけの問題では無い。

 必ず誰かしらを巻き込むことになるから。


 ──それを私は知っている。それを過去に学んできた。


 だから私はいつまで経っても根暗の陰キャで、だけど別にそれでよかった。

 恋愛をすることになるくらいなら、そのままでいいと。

 そのはずだった。


「…………」


 初めて月江さんに好きと言われた時、嬉しかったのを覚えている。

 でも、嬉しいだけだった。

 けど今は──。


「いや」


 きっと、穂乃果の話を聞いたばかりで、熱に浮かされているんだろう。

 今は、そういう結論に着地することにした。


「…………」


 十数分が経ち、降りる駅がやってくるのと同時、私は通話を切った。

 画面が暗くなり、月江さんとのトーク画面に戻る。

 静寂が戻った車内。いつの間にかサラリーマンはいなかった。


 ──ぷしゅー。


 家路を歩く。

 見上げた月は、一つも欠けることなく丸い。

 肌を撫でる風は、もう六月なのに冷たい。

 さっきから心臓は、やけにうるさい。

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