第28話 知り合い
背後からした声は、えらく低く、そして冷ややかだった。
「え──」
ふっと、周囲の景色が遠のく感覚がした。
心臓がドクンと、嫌な音を立てて跳ねる。
ゆっくりと振り返ると、そこには見慣れない制服を着た女子高生が立っていた。
派手なメイクに、巻かれた長い髪、そして私を見据える値踏みするような瞳。
「えと……」
一瞬、誰だろうと思った。
私の記憶の近いところに、彼女はいない。
それでも探ろうとすれば、案外近いところですぐに見つかる。
……間違いない。中学時代の同級生だ。
名前なんて覚えていない。私はほとんど、中学には通っていないから。
「久しぶりー。元気してた?」
彼女はまるで面白いおもちゃでも見つけたかのように、侮蔑の混じった視線で私を上から下まで舐め回すように見ていた。
「知り合い?」
不穏な空気を察したのか、隣にいた穂乃果が小声で不思議そうに覗きこんでくる。
私は震えそうになる声を押し殺した。それでも絞り出した声は細い。
「……多分、同中の子、かな」
「ふーん。なんか感じわるそー」
穂乃果は私の耳元で、一切の遠慮なくそう呟いた。
同中の彼女は、ぴくりと眉を動かすと、口角を歪めて意地悪な笑みを浮かべる。
「ってかその制服、鶴高? たしかに中学の子は進学しなさそうだよね~。そんな私立でミッションスクールっていうマイナー高校」
嫌味たっぷりに言った。
まるで隣の穂乃果に、私の過去を伝えるように。
「……うん。そうだね」
私の視界には、いつの間にか足元しか映っていない。
「最近はどうしてた? 学校楽しい?」
「うん。そこそこ、かな」
「へぇ、よかった」
彼女は、路傍の虫でも見るような目で──。
「てっきり、中学の時みたいに──」
「あの!」
と。
彼女の粘り気のある言葉を断ち切るように、横から口を挟んだのは穂乃果だった。
「二人がどういう関係か分かんないですけど! 若菜、嫌そうな顔してるからこれくらいにしませんか! どういう関係か分かんないですけど! 二人が!」
それは、陰鬱な空気を一太刀で払うような、底抜けに明るく、けれど確かな拒絶の意志を持った声色だった。いきなり間に入ってきた私とはかけ離れた容姿を持つカースト上位の穂乃果に、目の前の彼女は一瞬怯んだように眉をひそめる。
「……来栖さんの友達ですか? 知ってます? 来栖さんが中学でしたこと──」
「そういうのいいでーす! 誰かの過去とか興味ありませーん! ほらいこ、若菜」
彼女の毒を浴びせるような言葉も、穂乃果の前には無力だったらしい。
穂乃果は俯く私の腕をひったくるように掴むと、そのままプリントアウトされたばかりのプリクラを取り、足早に店の外へと歩き出した。
背後で鋭い舌打ちが鳴る。それでも穂乃果はお構いなしに私を引っ張った。
「ほ、ほのか……」
少し薄暗くなり始めた駅前の喧騒を抜け、駆け足で少し離れた公園へと逃げ込む。
人気の無いベンチに辿り着くと、穂乃果はようやく足を止めた。
「ふぅ……追ってきてないな? 若菜だいじょぶ?」
嫌になるほど早鐘を打つ心臓を胸の奥で押さえつけながら、私はベンチにへたり込むように腰を下ろす。
「うん。ごめんね、穂乃果。せっかく楽しかったのに、迷惑かけて……」
「謝んなくていいって」
穂乃果は私の隣に座ると、足をぶらぶら揺らしながら真っすぐに前を向いて言った。
「過去に何があったとか知らないし、別に話してくれる必要も無いんだけど、まぁ少なくとも公共の場であんなヤな態度とるような人間が正しいとは思えないよね、とは思う」
「……そっか。どうして助けてくれたの? 私、実は酷い人間かもしれないのに」
あの同級生の話しぶりは、私が中学で何か悪いことをしたと誤解されかねない。
だけど穂乃果は『どうして?』とでも言いたげなトーンで続けた。
「いやいや、私は普通のことをしたつもりだったけどな」
そこで一旦区切ると、真剣な眼差しで私を見ると「それに」と続けた。
「若菜、すごくいい子じゃん」
言葉に詰まる。
何も返せないまま、私はこくりと頷く。
「ってか今、高校生活は大丈夫なの? なんか不都合とかない?」
「う、うん……! それは大丈夫。ありがとう」
私がもう一度頷くと、穂乃果は「そっか」と柔らかく微笑んだ。
「ならよかった! 今がいいのが一番だね!」
そして、私の頭にぽんと手を置いて、わしゃわしゃとかき乱した。
手のひらの熱が、言葉の優しさが、強張っていた心の奥の結び目をするりと解く。
不意に目元が熱くなって視界が滲む。このままだと情けない顔を晒してしまいそうで。
だから私は思わず、隣にいる穂乃果の胸元に飛び込んだ。
「わっ、若菜!?」
「ありがとう、好き。大好き。穂乃果」
うずめた顔をぐりぐりと押し付ける。
少しだけ、甘い香りがした。
「おうおうどうした。若菜は素直で可愛いなぁ」
穂乃果は少し驚きながらも、よしよしと優しく私の背中をさすってくれた。
私は顔を胸元にうずめたまま、涙声で宣言する。
「今度は私が、穂乃果を守るからぁ……!」
「うん。じゃあ私がピンチになったら、そうして貰おうかな」
「もし今度穂乃果にこんなことがあった時は、私が証拠の動画を隠し撮りしてツイッターで拡散するからね。絶対そうするからね」
「ちょっとやり方が令和すぎるか」
謎提案に、穂乃果は「あはは!」と今日一番の笑い声を上げた。
その明るさに救われて、私の波立っていた心も完全に穏やかさを取り戻していく。
「ねぇ穂乃果。私になにかお礼させて! なんでもするから!」
顔を上げた私は、真剣な顔で穂乃果に向き直った。
「えー、お礼? そんなの気にしなくていいってば」
「だめ! 私、本当に助かったから! あそこに穂乃果がいなかったら、私このまま不登校になって高校生活が終わってたかもだから! この気持ちが新鮮なままお礼したい!」
食い下がる私を見て、穂乃果は「うーん」と腕を組んで本気で悩み始めた。
やがて、何かを閃いたように顔を上げ、少しいたずらっぽく笑う。
「じゃあ決めた! なら、お礼としてさ──」
「うん!」
「今から、うちきてよ!」
────ん?
「……え? い、今から?」
「そ! 私の家!」
聞き間違いじゃ、なかった。




