第20話 新ヒロインの提案
水族館デートを終えてから数時間後の夜。
未だ夢見心地な余韻と『私、普通にフラれたのでは?』というもやもやが抜けきらないまま、担当編集の伊織さんと通話で打ち合わせをしていた……のだけど……。
『──ヒロイン、もう一人増やさない?』
スピーカーから飛び出した言葉に、私は飲んでいたコーヒーを吹き出した。
「げほっ、こほっ。え!? ヒロインを増やす、ですか!? え、別の作品の話ですか? 私がプロットを出した、出版に向けて書いているあの高校生百合モノではないですよね。そうですよね。よかった。私、二人以上のヒロイン書くの苦手なんですよ」
『ちょいちょい、その作品のことだって』
「あ、そうですよね……」
『そうそう。主人公と、クールで近寄りがたいヒロイン。二人の関係性はすごい尊くていいんだけど……ちょっとスパイスが足りないのよね~』
スピーカーから、伊織さんが資料をパラパラとめくる音がする。
コピーしたプロットをめくっているんだろうけど……。
え、ヒロインを増やす? ムリだが?
「そ、その……スパイスならヒロインを増やさずとも何か事件を起こすとかで……」
『んーでも、このままだと作品に幅が生まれなさそうなのよね。それに、ヒロインの心をこじ開けるには、強烈な外圧が必要でしょ? 主人公が大好きで、ヒロインと主人公を取り合うような恋のライバル的な新キャラクター。絶対盛り上がるわよ!』
「恋の、ライバル……」
『わかちゃんの作品、良くも悪くも二人の世界に引きこもりがちだから。ここらで一発、物語をかき乱す嵐みたいな女の子を投入してみましょ! じゃ、次の打ち合わせは一週間後にするから、それまでに設定考えておいてね!』
「一週間後!?」
『大丈夫。出版のことなら全面的に協力するから、安心して色々考えてきて!』
「それは大変ありがたいんですけど、でも──」
『それじゃ! おやすみなさい!』
プツン。
一方的に電話を切られ、私はつーつーという電子音を虚無の顔で聞いていた。
「……新ヒロイン。……恋のライバル」
……無理だ。
だって今のヒロインだって、月江さんがいなければ書けなかった訳だし。
一人のヒロインを作るのに手いっぱいなのに、ここから新ヒロインを追加する?
こんな短期間で伊織さんのお眼鏡にかなう設定を考えつくとは思えない……。
け、けど! 言われたからには考えてこなきゃ!
◆◆◆
翌朝。月曜日の教室。
私は自分の席で、国語の教科書を顔の前に立ててバリケードを築いていた。
「うー……憂鬱……」
昨日の今日である。
水族館のベンチでの『好き、だよ』からの『ごめんなさい」というストレートな玉砕。
そしてその日の夜、伊織さんから突き付けられた新ヒロインの提案と一週間という短すぎる納期。その二つがぐちゃぐちゃになって昨日はよく眠れなかったし──。
「……おはようございます、来栖さん」
────!?
背後からかけられた鈴を転がすような澄んだ声。
私は教科書を落としそうになりながら、ぎぎぎと首を動かした。
「お、おお、おはよう月江ひゃん!」
「ひゃん……?」
そこに立っていたのは、月江梓さん。
いつも通り綺麗に編まれた三つ編みを下げて、私の顔を覗き込んでいた。
「あ、いや! ごめんちょっとびっくりして!」
「そうなんですね。あの……来栖さん……」
「は、はいっ!!」
「昨日は……その、ありがとうございました。とても楽しかったです」
月江さんは少しだけ目を伏せ、耳の先をほんのりと赤く染めた。
なんだろう、その反応。やっぱり昨日のこと、引きずってるのかな?
でも話しかけてくれたってことは、多分月江さんは私の悪く思ってないよね?
まだ不安は残るけど、今は話しかけてくれただけで満足しよう……!
「あ、ううん! 私の方こそ! すっごく参考になった! ありがとう!」
「よかったです。……あの、それで、ですね」
「ん? どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません。今日も一日、頑張りましょうね」
「えっ、あ、うん……?」
言い淀んだ月江さんは、ぱたぱたと逃げるように自分の席へと戻っていった。
残された私は、いつの間にか早くなっていた心臓を動かしながら机に頭を伏せる。
「…………」
今日も月江さん、可愛いな。
やばい。昨日のことがあるから余計にそう思ってしまう。
だめだ。こんなふわふわした状態で新ヒロインなんて考えられるわけがない。
そもそもライバルキャラなんて、どういう作り方をすればいいんだろ……。
私は純愛派なんだ。だから二人以上のヒロインなんてそう作れるわけも──。
「若菜! おはよ!」
ひっ! つ、次は誰だ!
「あ、穂乃果か……。おはよう」
「おはよー! あれ? 若菜、なんか目の下クマできてる? 夜更かし?」
きらきらな笑顔を向けてきたのはクラスメイトの御船穂乃果。
今日もクラスの全員に太陽みたいに微笑みかけていた。
夜更かし後のショボついた目には、彼女の眩しさが目にしみる。
「うーん、ちょっと考え事してて……」
「そっかー、無理しないでね! あ、結衣おはよー!」
穂乃果は私の肩をぽんと叩くと、すぐに別の女子の輪へと混ざっていった。
彼女はいつも嵐みたいにやってきて、嵐みたいに去ってゆく。
クラスメイト全員が友達の彼女の存在は、私みたいな陰キャにはありがたい……。
……でも、私の今の直面している現実は変わらないわけで。
伊織さんに突き付けられた期限は、泣いても笑っても一週間後だ。
今日の放課後は絶対に誰とも関わらず、一人きりでじっくりとプロットを練ろう……!(そもそも関わる人間なんていないというのには目を伏せる)
「……よし」
私は迫り来る締め切りのプレッシャーに耐えるように、ぐっと両手で顔を覆った。




