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3月の第二日曜日がやってきた。
早朝、焔は軽くランニングを行い、軽い朝食を取ってから道場で入念な柔軟体操を行った。
身体が軽く感じ、気力が充実しているのを感じる。
涼は焔がランニング中に朝食を済ませ、焔が朝食中にストレッチを各種行っていた。
その後は道場で目を瞑り、ただ無心になるよう心掛ける。
だが無心になろうとすればするほど様々な懸案事項が浮かんでくるので、なかなか思うようには精神の安定を図れないでいた。
そうして今は二人で道場内には居るものの、会話を交わすことは無くそれぞれの対戦者を静かに待っていた。
道場の扉が開き、しずくに案内された士郎知恵と士郎じょうが現れる。姫もその時、一緒に入室した。
入室前にいつもと同様の礼を行い入室する士郎知恵、士郎じょう、姫、しずく。
士郎知恵がいつもと変わらぬ明るい声色で言う
士郎知恵「羽美ちゃん。門前までは一緒に来たんだけど、あと1時間ほど走ってから来るって」
室内で待っていた焔と涼は頷いて了解の意を示す。
士郎知恵が涼の方に向いて言う
士郎知恵「なので先に私たちが立ち会いましょうか」
“ちゃっちゃとやっちゃいましょう”
士郎知恵がそんなニュアンスを含んだかのように、これも明るく発言した。
涼は頷きつつも一旦目を閉じる。
此方の気を考えて、あえて軽い感じでの発言をしたのか。
それとも“立ち合い”と言うものが、彼女の中で完全に日常に溶け込んでいるのか。
目を開けて、垂れ、胴、面、小手と、いつもと変わらぬ順番で道具を着けていく。
自身の剣道スイッチが入るように感じて不思議な気持ちになる涼。
士郎知恵も、全くいつもと変わらないルーティンで防具を装着していく。
双方の準備が整い、向かい合って構えた。
「始め!」
双方、すぐには動かない。
やがて大きくは動かないが、片や竹刀の切っ先を数ミリ上げれば、片方は数ミリ下げるといった動きが見て取れた。
時間にしては1分も経過していないのだが、大きな疲労を感じる涼。
だが士郎知恵と他稽古を行う際はいつも感じる疲労である。
気を引き締めるべく、軽く息を吐いた瞬間。
士郎知恵の面打ちが決まり、一本となった。
―
立ち合い稽古が終わり、正座で向かいあって座る。
士郎知恵「いつもは息を吸うタイミングを狙ってたからね。本来はそっちの方が狙い易いから。なのでいつもと違うリズムにしてみました。」
さらりと凄い事を言うなと涼は思った。
涼「…残念…ではないですね。残当といった所です」
士郎知恵「あと、…うーん…、おかしな話をするね」
涼「はい?」
士郎知恵「ある程度稽古を重ねてきた最近の涼さんって“本気を出せば竹刀でも相手を殺せる”って雰囲気があるのね。もちろん私が勝手にそう感じているだけなんだけど」
(涼“ほぼ当たり”です。氷の剣をそれなりの強度で顕現できますから、竹刀を捨ててそれを使えば…)
士郎知恵「同時に“ご近所さんの私にそんな事やっちゃいけない”ってのも感じるの。そこの葛藤を突かせてもらいました」
にっこり笑って士郎知恵が言葉を続け
士郎知恵「これで本当に、教える事はもう無いと思います」
そして真剣な表情になり、正座から手をついて頭を下げる士郎知恵。
涼も同じく、真剣な表情で正座から手をついて頭を下げる所作を行った。
顔をあげるといつものにこやかな士郎知恵に戻っていた。
士郎知恵「さて、稽古はともかく、もし帰国出来てお時間取れるならお食事パーティーしましょうよ。美味しいものをいっぱい用意して」
涼「妙案ですね。ぜひ…美味しいものをいっぱい用意して」
二人して“美味しいものをいっぱい”と発言した際に視線を向けたのは、士郎じょうに向かって竹刀を振り回し、先ほどの士郎知恵と涼との真剣勝負に関して熱く語っている姫の方だった。
(いっぱい用意しなきゃ (せねば))




