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歩きながら焔が聞く。
焔「バイトに勉強って言ってたけど、ボクシングは続けてないんすか?」
前田羽美「うん。ボクシングに関わるのは、実は結構久しぶりなの。最後にボクシングに関わったのは受験勉強始める前だから…1年半くらい前かな」
焔「教える方じゃなくて、自分のボクシングは再開しないんすか?」
前田羽美「実は“ボクシングに向いてない”って思っちゃって。好きではあるんだけどね」
焔「ここまで圧倒的な技術があるのに向いてないってのは…」
前田羽美「ありがとう。確かに小さい時からボクシングやってるから、技術はそれなりに自信があるんだけどね」
前田羽美が拳で自身の胸を叩いていう
前田羽美「ハートの問題なの」
前田羽美「お父さんもボクシングが好きで、教えるのも上手で、ずっとお父さんを見て、そして教わってきたのね。物心ついた時からお父さんが教えてくれて、ちゃんと出来たら褒めてくれるのが嬉しくて、それを小学校入る前からずっと続けて来たから技術の蓄積はしっかりされていると思う。自分でやる方も、お父さん流の教え方も」
住宅街の歩道を二人並んで歩きながら、前田羽美が言葉を続ける。
前田羽美「高校2年の時に対戦した相手がね、泣いちゃったの「ずっと私に勝ちたくて、めちゃくちゃ努力してきたのに」って言って…。その少し前から“私と他の子って気の持ち様が違う”とは思っていたんだけど、私は相手に勝ちたいというよりも、覚えた技術を教えられた通りに使えて、それをお父さんに褒められるのがうれしくてボクシングやってたから、ワンワン泣いている子を見たら…なんか悪い事してる気になっちゃって」
やがて商店が並ぶ道の歩道に差し掛かった二人。
店の明かりに照らされて、先ほどの住宅街よりも明るい道となっていた。
前田羽美「一生懸命私なりに考えて、お父さんに相談もして、高校2年の3月で一旦ボクシングはお休みする事にしたの」
焔「お父さんはなんて?」
前田羽美「正直、お父さんも同じように感じてたんだって。“羽美は優しい子だな”って。でもお父さんは“羽美が優しい子に育ってくれて嬉しくも思う“って言ってくれたの。お父さんは「ここまでお父さんと一緒にボクシングやってくれて嬉しいから、やめても良いと思うし、やめるのに戸惑いがあるなら一旦お休みでも良いんじゃないかな。いい機会だから他にやってみたい事にチャレンジするも良いと思うし、またボクシングやりたくなったらその時に出来るボクシングを全力でやればいい」って言ってくれて、気持ちが凄く軽くなったの」
会話しながら歩いていたせいか、気が付けば駅に到着していた。
前田羽美「私ばっかり話しちゃったね。今度は焔君の話も聞かせてね」
(焔“…話せる事がない…”)
苦笑いする焔。
そんな焔に向かって笑顔で手を振りながら、前田羽美は改札の向こうに消えていった。
―
涼「ずいぶん話し込んでいたな」
いつの間にか涼が隣にいた。
焔「うわっ!びっくりさせるな!つけてきていたのかよ」
涼「そういえば、駅までの道は前田さんがご存じだろうが、帰宅の道を教えていないと思ってな。大丈夫かどうかと思ったが…いらぬ心配だったか」
そう言って自宅の方に向かって歩き出す涼。
よくよく考えると焔は先日の買い物以外での外出経験が無く、駅と自宅を行き来した事は無かった。
そして前田羽美との会話に夢中で道を全く覚えていない事に気が付いた焔は、慌て涼の後を追った。
帰宅途中、先日“邪なるもの”と戦ったあの森林公園のそばを通る。
森林公園は広く、先日買い物で通った道は反対側だった。
焔「ここは…」
涼「先日の公園だな。広い公園の反対側だ」
歩きながら涼が話を続ける。
涼「実は先日より、空気中の水分を利用した微弱な結界を広範囲に張る事を試みている。…かなり弱い精霊力だが、少し広い範囲に、網を張るように展開して試しているのだ」
焔「なんでそんな事を」
涼「敵の出現を感知できるかどうかを試している」
焔「!!できるのか?」
涼「…原理はあっているはずだ。江蓮邸の敷地で行っている結界を、空気中の水分のみで行えるほど弱める代わりに範囲を広げている。ただ、やり始めてから実際にやつらが出現していない。実際の検証が出来ていないといったところだ」
焔は先程まで闇夜の中を前田羽美と歩いていたのを思い出す。
これが焔と一緒ではなく彼女が一人で歩いていて、もしやつらと遭遇したらと考えたら…
心の中に言いようのない不安が広がっているのを感じる焔。
そして涼の感知結界が機能すれば邪なるものを排除する事が可能となり、そう考えれば不安が解消されるのだった。
焔「とっととやつらが現れて、感知できるか試してみてえなあ」
涼「そうとも思うが、…まあ現れないに越した事はないだろう。範囲も限られているのだ。ざっと〇〇市内ぐらいだろうな、今展開している範囲は」
焔「範囲は広げられるのか?」
涼「原理上は可能だ。さっきも言ったように空気中の水分を利用して精霊力を極力消耗しないようにしている。水分補充して精霊力を補充しながらなら範囲を広げられるだろうが…良いのか?空気中の水分が増えるのだぞ」
苦笑して涼が言う
ある意味自分が火の精霊王である事を差し置いての発言だった事を自覚し、少し複雑な表情をする焔だった。
涼「こちらとしても、常に水につかりながら展開し続けるわけにも行かないし、近所の人々が困るだろうな。湿気が多くなって“洗濯物が乾かない”と」




