26
午後になり昼食会が開かれた。
涼「焔は用があり、後で来ます」
部屋へ呼びに行った際に、片目が見えづらくていつもの速度で歩行できないのをすっかり忘れており、現在ゆっくり居間に向かっているのだった。
先に食べ始めましょうの涼の言により食事が開始された。
姫が凄まじい勢いで大きな鉢に盛られた野ざま菜を食べ始める。
姫『うん、やはり野ざま菜は美味しい!』
前田羽美「それだけの勢いで食べてもらえると、渡した方も嬉しいですね」
涼「これも、負けず劣らず、素晴らしい味だな」
しずく「賞味期限の事を考えますと…」
各々が会話をしている所に焔がやっと到着した。
士郎知恵「焔君、大丈夫?」
焔「あ、はい」
席について手を合わせ、いつもの食前の挨拶を行う。
箸を持つ前に、意を決したかのように深呼吸をし、焔がお辞儀をして言った。
焔「ボクシングを…教えてくれ…下さい」
士郎知恵と涼が視線を合わせ、涼が頷いた。
士郎知恵「やったわね。次回もバイト代ゲットよ羽美ちゃん」
前田羽美もお辞儀をして答えた。
前田羽美「よろしくお願いします。」
士郎知恵「ところで、お願いが1つと、確認したい事が1つあるんだけれど」
涼「何ですか?」
士郎知恵が焔の方を見て言う。
士郎知恵「まずはお願いね。涼さんに剣道教える時にも最初に言ったんだけど、武道の有段者が傷害事件を起こすと、素手でも凶器を持っていると見なされてしまうの。 焔君も身体能力高そうだし、まじめに習い続けるとかなりのレベルになると思うのね」
前田羽美が頷いて同意した。
士郎知恵「だから習う以上は暴力厳禁でお願いね」
焔「わかっ…りました」
士郎知恵が満足げに頷いた後、続いて発言した。
士郎知恵「次に確認と言うか、質問と言うか…」
焔と涼を交互に見ながら言葉を続ける
士郎知恵「焔君、旅行じゃなくて引っ越しで日本に来てるの?滞在期間によって教え方が変わるというか…」
…全員がすっかり忘れていた。
日本人の感覚だと16歳なら学校に通わないの?といった所が気になっているのだろう。
出身国とかパーソナルな情報を伝えていない(本当の事はもちろん言えない)ので、“出身国の16歳はそういうもの”で押し通す事もできるのだが…
涼が若干戸惑い、汗をかきながら目を泳がせる。
視界の隅にいる士郎じょう君が若干緊張している気がするが、今はそれどころでは無い。
視界の隅にいる姫が野ざま菜の大鉢に向かってラストスパートをかけているが、こちらもそれどころでは無かった。
前田羽美「え?海外の方なのですか?日本語完璧じゃないですか」
そんな中で焔が考えに考えて絞り出した答えが
焔「…えーと…近日中に高校へ行く予定です…」
急遽、高校編入と通学の準備を急がなくてはならなくなった涼だった。
―
前田羽美「スパーリングは当面しないので、グローブやヘッドギアとかはまだ購入しなくて良いと思います。しばらくは技術のレクチャーと反復になるので…あとは、パンチングミットはあった方が良いのかな?マスキングテープとゴム紐は百円均一で…」
後半は何に使うのか判らないが、レクチャーに必要なのだろう。
涼「素人が購入すると間違いが起きやすくなりますので、購入をお願いできますか?グローブやヘッドギアも購入できそうであれば購入してしまっても構いません。」
そう言って前田羽美に目安の金額を聞き、お金を渡した。
士郎知恵「レシートでも良い?領収書の方が良い?たまにもらい忘れる事あるのよねえ。」
涼「金額が判ればどちらでもOKです。」
士郎知恵が前田羽美を見て言う
「親しい間柄、だからこそ…」
前田羽美「お金のやり取りはきっちりと!」
士郎知恵「私のおばあちゃんから母が聞いて…受け継がれているのよね」
そう言って笑い合う二人だった。
涼は昔、士郎知恵から聞いたことがあるこの言葉のルーツを今知ったのだった。
稽古の話がひと段落し、焔はやっと食事を開始した。
(相変わらず美味いな)
大地の精霊力が傷に染み入り、癒している様に感じる。
“食事ってのは人間にとっての基本なんだろうな”
そう実感する焔だった。
ふと見ると、野ざま菜が盛られていた大きな鉢が空っぽになっていた。
姫は満足そうな表情で机上の空っぽの鉢に向かって手を合わせている。
(焔“…まあ良いか。あれが全てじゃないだろう。結構大きな包みだったし、夜にまた出して貰えるだろう”)
姫の美味しいものへの執着心と自身の見識の甘さ(あれが貰った野ざま菜の全部だった事)を後ほど思い知る事となる焔だった。
―
次回の稽古日を決めて士郎家と前田羽美が帰宅の途についた。
稽古日は次の日曜日、士郎知恵は来られないが前田羽美がボクシングのレクチャーに来ることとなり、士郎じょうも一緒に来訪する事となった。
前田羽美「スパーリングとかは当面しません。しばらくは地味な反復練習になるけどよろしくね」
そう言って帰っていった。




