46話
織田信長動く、その報せは即座に甲斐へと届けられた。
乾坤一擲の策を成さんがために、織田家の動向には常に気を配っていたので当然だ。
この日のためだけに、念入りな外交と周到な用意を行っていた。
来るのならば何時でも来い、背水の覚悟を以って織田を迎え打たんとする武田だが攻め入る側は実に対照的。
竹千代とタッキーの二人と合流した信長は実に堂々と、その実のんびりと武田領土を目指していた。
「竹千代、タッキー、気合を入れて甲斐を切り取れよ。
金山は俺の直轄にするがそれ以外はお前達にくれてやる……つっても、タッキーの場合は領土より」
「ええ、以前の御約束を果たして戴ければ幸いですな。無論、私も相応の働きはしてみせましょうとも」
「分かった分かった。しっかり頑張ってくれよ、そしたらまあ……惜しくはあるがくれてやるからさ」
男二人は盛り上がっているものの、傍で聞いていた竹千代には何のことか分からない。
教えてオーラと構ってオーラを醸し出す竹千代に思わず苦笑が浮かんでしまう信長だった。
幾つになっても可愛い妹系であると。
「竹千代」
「はい」
「気になるか? 教えて欲しいか?」
「多少は気になりまする……信長様がどうしてもと云うのであれば御聞きします」
言葉とは裏腹に興味津々な態度で関心を引こうとする竹千代。
かつては天然でやっていたが、今は半分ぐらい意図したものだ。
可愛がってもらえるようにとそう振舞っているのだろうがその努力もまた愛らしいものだ。
信長は分かった上で、可愛いと思っている。
ある種の出来レース染みたやり取りもそれはそれで楽しいものだから。
「タッキーを方面軍司令官に任命した時にな、云われたんだよ。領土よりも茶器が欲しいって。珠光小茄子って知ってるか?」
「珠光小茄子!?」
竹千代自身は茶器と云うものに詳しくないし、あまり価値も見出していない。
それでも茶器自体が馬鹿受けしていることは知っているし、徳川の臣の中にも収集家が居ることは承知している。
実際に褒美として茶器を出すこともある、それゆえ色々と勉強しているので信長の口から出た名に驚きを隠せなかった。
珠光小茄子、豪商なども大金を積んで譲ってはくれぬかと頼みに来る信長秘蔵の茶器の一つである。
目が飛び出るような額で倹約家の竹千代には縁遠いものだ。
「ああ、つっても……おいタッキー。お前の茶の湯好きは知ってるしその道を極めたいって想いも承知してる。
が、珠光小茄子をくれてやったからってとっとと隠居するなよ? まだまだ働いてもらわにゃならんのだから」
「それは無論、乱世を終わらせた後での楽しみゆえ今の内に堪能するつもりはありませぬよ」
好物は最後まで取っておく性質だから、そう云ってタッキーは笑った。
ちなみに茶器ではあるが、タッキーのような趣味人以外にも欲しがる者は多い。
勿論、その値打ちもあるのだが信長から茶器を下賜されると云う事実が重いのだ。
意図を知る僅かな人間以外にとって、信長は大そうな茶の湯好き。
その信長から茶器を与えられると云うことはつまり、それだけ信を得ていると云うことだ。
名が上がる、しかしそれ以外にも良いことがある。
そうなると直接信長にコンタクトを取れないような豪商と呼ぶにはちょと足りない商人ら。
彼らは何とか織田と結びたいと思っている。
だが信長に直接は無理なので、次善としてその家臣に接触を取るのだ。
その際の判断基準としても茶器は多いに役立つ。
ああ、この人は信長の信篤き御方だ。気に入ってもらわねばと何かと融通を利かせてくれる。
そう云う意味でも美味しい思いが出来るので茶器は人気だ。
「ですがまあ、武田を滅ぼした暁にはちと休みが欲しいですな」
「ははぁん……湯治場だな?」
「ええ、信玄の隠し湯。巡ってみたいなぁ……と」
「そりゃ良い。俺も是非に堪能してみたいが……タッキーはともかく俺は未だ無理だなぁ」
「ふむ、ならば私がいずれ来られる信長様のためにしかと検分しておくとしましょう」
「おいおい、そこはなら私も我慢して天下統一の暁にってとこじゃねえのか?」
「ハハハ、いやいや。信長様に得体の知れぬ湯治場など入らせるわけにもいきますまい」
軽妙な語り口で御喋りをする相手としても楽しいタッキーだが、戦となれば一変する。
退くも滝川進むも滝川の勇名通りに獅子奮迅の活躍をしてみせるのだ。
普段が洒落っ気を滲ませた穏やかなオッサンと云った風なだけにそうは見えないが決して侮れない男なのである。
「……御二人共、天下の趨勢に関わる戦の前に不謹慎ではありませぬか?」
不機嫌そうな竹千代、自分が蔑ろにされているようで寂しいのだろう。
「そうだな。じゃあ、真面目な話でもするかタッキー」
「ハッ! 件の六文殿ですがぁ……どうにも、毒っ気が御強いようで」
六文殿、とは昌幸のことだ。
間者が居るとは思っていないが、ついぼかしてしまうのは性分ゆえか。
「まだ若年だと云うに恐ろしいことですなぁ。家中の毒とはなりませぬかな?」
「あれは使い方を誤らねば益になる類の毒、害を成す毒以外の何にもなれぬ毒とは違うのだ」
「ははぁん……さしずめ、蛇ですな」
我が意を得たりと云わんばかりの表情で頷く。
「聞くところによると蛇は滋養強壮に良く、しかも美味とかで。
毒を孕んでいようとも、あれやこれやと利用出来て便利。しかし一方で毒蜘蛛はどうしようも御座らん。
煮ても焼いても喰えぬし、害虫駆除のために飼ってみても虫を喰らい尽くせば家人にまで牙を剥き申す」
毒蜘蛛、とは松永弾正久秀のことである。
彼女の一番の宝とも云える茶器、平蜘蛛にかけて揶揄っているのだ。
同じ毒を孕む女でありながら、昌幸は大丈夫で久秀はアウト。
一応今のところ久秀も役には立っているが、それは長く使える類のものではない。
タッキー自身は信長やマーリンが久秀に見出したものを理解していはいない。
いないのだが、信長の態度を見るに久秀は使えない毒なのだろうと云うことは理解出来る。
「手厳しいことだな……ってか、何気に口悪いよなタッキーって」
迂遠な悪口ゆえ、馬鹿には伝わらないが理解出来てしまえば中々に辛辣だ。
しかもそれを平常時と何ら変わらぬ表情で云ってのけるのだから腹黒い。
「はて? 自覚はありませんが殿にだけは云われとう御座いませんな」
心外だ、と云わんばかりの表情だが口元は笑っている。
タッキーもまたこの軽い掛け合いを楽しんでいるようだ。
「ほう……俺が?」
「ええ、面前で天下の征夷大将軍をあそこまで辱めたのは日ノ本の歴史の中でも殿ぐらいのものでしょうよ」
衆目を利用した義昭イジメのことだ。
確かにあんなやり方で将軍を辱めたのは今のところ信長ぐらいものだろう。
未来については分からないが現在過去を見てみればそれは明白である。
「何、先に辱められたのは俺さ。快勝快勝と喜び勇んで進んでたら義弟に裏切られまんまとケツ捲くらされたんだからな。
義弟が裏切ることにさえ気付いていなかった、足下疎かな大馬鹿。天下に間抜けを喧伝しちまったよ」
その仕返しをしただけだと信長は笑うが、その胸中では未だに浅井長政のことを引き摺っていた。
良いなと思う義弟を殺したこともそうだが、それはそこまでのダメージではない。
信勝と違って小さい頃から兄弟だったわけではないのだ。
引き摺っているのは『どうして織田を、信長を裏切ったのか?』その一点である。
浅井攻めの最終局面では降伏勧告を出した。
最終的に腹を切らせるつもりだったが、目の前に引き摺り出すことで見極めようとしたのだ。
長政は今、自分に対してどのような感情を抱いているのか。
負の感情であることは間違いないだろう、でなくば裏切りはしない。
単純な利益のみで裏切るような輩には思えないから。
悪罵の一つでも敢えて浴びることで、その内心を探ろうとしたのだ。
しかし、総て跳ね除けられて小谷城が炎上し、落城する結果となった。
降伏した浅井の家臣が長政の首を持ってやって来てその際に首を見たのだが……。
死した後でも険しい顔つき――いや、言葉を飾らぬのならば憎悪。
憎悪に染まった顔で親の仇でも見るかのように見開かれた瞳で信長を睨みつけていた。
当然のことながら信長に心当たりはない。
あれこれと周りにも相談してみたのだが、主君を気遣ってとかそう云うのではなく純粋に誰も彼もが困惑していた。
他の人間にも見えれば分かるほどなのだ。
長政の首を染め尽くす憎悪が信長に向けられていると。
一応、マーリンにも検分してもらったのだが、
『魔道の気配は無い。人心を操るって云うのはね? 割と難しいものなの。
かつて太原雪斎がやったような負の一面を増幅させるってだけでも残り香がついてしまう』
『……信勝の時にもあったのか?』
『ええ。雪斎が仕掛けるのは分からなかったし、気付きはしなかったわ。
それでも信長様が信勝殿の首を刎ねた後で、遺体の検分をした時にちゃんと確認出来た。
信長様から事前に雪斎だと教えられていたからこそ、気付くことが出来たくらいにほんの些細なものだけどね』
今回は初っ端から何が起きても不思議ではない。
そう腹に決めて全神経を尖らせて長政の首を検分したマーリン。
その彼女が違和感を見落とすとは思えず、魔道の線は消えた。
いや、何でもかんでも魔道と決め付けること自体おかしいのかもしれない。
義理とは云え弟の謀反ゆえ、過敏になっていたのかもと思ったがじゃあ何が理由だよってことになる。
とは云え、何時までも考えているわけにもいかなかった。
浅井攻めの勢いそのままに朝倉も滅ぼすつもりだったから。
ゆえにとりあえず一旦棚上げにし、侵略を再開。
終わった後、先に美濃へと帰していたお市から事情聴取を行う。
お市が嫁ぐ際に共に近江へ行った侍女が命を賭けてお市を逃がしてくれたお陰で落城前に脱出出来たらしい。
夫の突然の裏切りもあるが、どちらかと云うとかなり仲が良かったらしい侍女の件でお市はかなり凹んでいた。
それでも聞かぬわけにもいかない。
少々の後ろめたさを感じながらも信長はお市に長政について聞いてみたのだが……。
『いえ……私にも分からないのです。お兄様が越前を攻めると云う話を耳に挟んだ後直ぐに……その……』
娘達をあやしていたお市は子供らを別室へと離し語り始めた。
流石に物心もろくについていないとは云え父親の乱心について話したくなかったのだろう。
『その?』
お市はやつれており、かなり憔悴していたが先延ばしにも出来ない。
信長は心を鬼にして更に深く切り込んだ。
『軟禁されてしまって、長政様と顔を合わせる機会もなく……』
『軟禁? 何だってそんな……』
『それも分かりません。ただ、少し前から苛々していると云うか……何処か追い詰められたような……そんな顔をしていた気も』
『話は聞かなかったのか?』
『聞きましたがお前には関係ないとはねつけられて』
『……そうか』
お市の言葉に嘘は無い。
そもそも嘘を吐けるような器用な性質ではないのだ。
『御力になれず申し訳ありません』
『いや、気にするな。お前も辛いだろうに……ああそうだ、お前と俺の姪を逃がしてくれた侍女』
『雪羅ですか?』
『ああ、その子の親類は何処に? 命を以ってお前を助けてくれたんだ、親族ぐらいは保護してやらなきゃな』
侍女のことに触れるのもどうかと思ったのだが、その侍女に報いる気がある。
そう伝えることで元気付けてやろうとしたのだが、
『残念ながらあの子は天涯孤独の身で……だから、主従ではありますが私を姉のように慕ってくれて本当に色々と尽くして……』
とのことで更に凹ませてしまった。
流石の信長も罪悪感が限界突破してしまう結果に。
『そうか、ままならんものだな』
お市の後で捕らえた他の浅井家の家臣に事情聴取を行ってみたが答えは同じ。
浅井軍の動きに精彩がなかったのは叡山焼き討ちだけではなく長政の乱心も原因だったらしい。
結果として近江、越前と大幅に領土を増やした信長ではあったがすっきりしない結末に落ち着いてしまった。
長政の裏切りなど忘れてしまえば楽になれるのだろうが、それも出来ない。
無視をしてしまうにはあまりに異質過ぎて引っ掛かるのだ。
疑わしいのは今回の一件、義昭の裏で糸を引いていた何者かだがそいつについての情報も得られず。
義昭を京からそうとは気付かれぬように追い出す際にも姿を見せないし助言をした様子もない。
藤孝を信じ切って義昭は京を出て行った。
義昭が居なくなった後で、藤孝は彼女の私室を漁ったりと手掛かりを探したけれどそれも徒労に終わる。
今を以ってしても金ヶ崎で信長を追い詰めた者の正体を掴めないまま。
ハッキリ云ってしまえば、これは良くない状況だろう。
信長としても早期に何とかすべきだと考えているのだが何処から手をつけるべきかも分からない。
かつて雪斎に語ったように、過程が重要なのだ。
本懐へと至るために一つ一つ積み上げていき、そうして結果へと繋がる。
だからこそ過程を積み上げる際は慎重に慎重に、磐石に。
しかし今、過程を積み上げて行く中に不安要素が混ざってしまっている。
今のところ不具合や破綻の兆しは見えないものの、だからと云って無視をしてしまえば雪斎の二の舞だ。
彼女に引導を渡したのは信長だが、破滅へと導いたのは自分自身。
ゆえに信長はこの不安要素が消えぬまま進み続けている現状が怖くて怖くてしょうがなかった。
まあ、それを誰かに気取らせるほど若くはないのだが。
「(……どう考えても面倒くせえフラグ立ってるよなコレ)」
察しが良過ぎると云うのも良し悪しと云わざるを得ない。
これまで触れて来なかった対浅井についてようやく出せました。




