43話
信濃国は小県に存在する砥石城内に存在する透破――いわゆる忍者が使用する一室で二人の男が向かい合っていた。
蝋燭の火が照らす薄暗い室内。向き合う二人はまだまだ若年で、青年と云った風だが黒装束の青年は貫禄が違った。
いやに落ち着いた空気を放っているのだ。その名は出浦昌相。
職業は見た目通りでザ・忍者。史実において真田を支えた燻し銀な男である。
そしてもう一方は、
「……ええい! 遅い、遅い、遅い! あ奴は何をやっておるのか!?」
昌相とは対照的に神経質そうな空気を振り撒き『私、苛々してます!』と全身でアピールしている。
彼の名は室賀正武。
史実において徳川と通じ昌幸を暗殺しようとしたがあっさり返り討ちで殺された語るべきところの無い男。
「何時ものこと」
昌相は言葉少なに正武の苛立ちを一刀両断。
この二人が待っているのは、この砥石城城主たる真田幸隆が長女、真田昌幸である。
彼らは端的に表現するのであれば共犯者。
役に立つと昌幸が目をつけ引き込んだ者達だ。
正武とは同じ国衆で住んでいたところも近く幼少から知っていたので迷うことなく抜擢。
些か以上に神経質で、自分に対するライバル心を燃やしていたのは知っていたが上手く御せれば役に立つ。
そう判断した昌幸は『賭けをしよう。織田より信濃一国を拝領出来たら家臣になれ。え、怖いから逃げるの?』
などと云い対抗心を抱いていることを利用して逃げられないように囲い込んだ。
バラされる――と云う懸念もあるにはあるが、正武の性格を熟知している昌幸は大丈夫だろうと考えている。
織田の武田攻めに際して真田昌幸と云う女の存在を見せ付けるためには手足が必要不可欠。
ゆえに手足を手に入れるためには多少のリスクぐらい覚悟の上。
だからこそ大胆にも自身の腹の裡を正武にぶちまけた。
勿論、先にも云ったように性格を知っているからこそと云う勝算もあるのだが。
「何時ものことではないわ! あ、あの女狐……正体を現した途端に我らを舐め腐りおって!!」
ガーッ! と怒りを露にする正武だが、当然の如く彼も昌幸から引き込みがかかるまで彼女の本性は知らなかった。
それでもライバル心を抱いていたのは女だから。
女の身でありながら自分よりも武士として上の位置に居る。
これは巡り合わせが悪かっただけ、自分だってあの女には負けないと云う向上心に端を発するもの。
まあ、同年代で尚且つ女。
だと云うのに信玄に可愛がられて直弟子のような扱いをされ、次代の武田家当主勝頼からも全幅の信頼を受けている。
男として負けん気を煽られるのも無理からぬことだろう。
「前の方が良かったわ!」
前まではライバル心と同時に敬意も抱いていた。
滅私の心で武田に尽くす義の女、女のくせにと云う想いもあったが女だてらに見事と云う想いもあったのだ。
しかし、昌幸からすれば真面目な忠臣の顔は所詮嘘のもの。
本性は親兄弟ですら知らないが、明かした相手の前でまで取り繕う必要は無い。
信を置いていると云うのもあるが、それ以上に面倒臭いのだ。演技と云うやつは。
だから正武や昌相にも裏では素の性格で接しているのだが……。
このように、一本気な性格をしている正武からは不評極まりない。
「器が小さい」
昌相は無駄口を尊ばない。
簡潔に、誤解なく意思を相手に伝えることを至上としている。
だからこそあまりにもセメントな感じになってしまうのだが本人は気にしていない。
「わしの器量が小さいだとぅ!?」
「ああ」
さて、随分と仲が良さげではあるが昌相の場合は正武や昌幸とそう面識があったわけではない。
二人と同じく信濃の国衆ではあるが小県の国衆ではないからだ。
が、昌幸は使えそうな人間であると随分前から目をつけていた。
何処で能力を見極める場面があったのかと云うと、昌相の職業に答えはある。
彼は甲州透破――砕いて云うと武田忍者軍団の棟梁である。
信玄の信篤い昌幸は当然のことながら忍の使い方、有用性も叩き込まれた。
その際に甲州透破らとも多く関わっていたのだ。
昌相と直接言葉を交わす機会は殆どなかったものの、働きぶりを見る機会は幾度もあった。
だからこそこりゃ使える! と昌幸は速攻で正武を抱きこんだのだ。
忍者軍団のボス、他勢力のみならず後々裏切る自勢力の情報についてもよーく知っている。
頭さえ抑えてしまえばそれらの情報を得るだけでなく、情報操作にだって使える。
こんな便利な手合いを見逃すなどあり得ない。
「――――やれやれ、やかましい方達ですわねえ」
コミカルな云い争いに終止符を打ったのはようやくやって来た昌幸だった。
その手には書状が握られており、二人は目の色を変える。
「……昌幸殿、その手に握られているのは?」
「ええ、織田様からのものですわ」
云うやそれを二人に投げ渡す受け取った昌相は即座に開封。
正武もまた覗き込むように首を寄せて中身を確認し……。
「ぬう……これは正しく信長の花押。しかし、これが御主の偽造ではないと云う証拠は?」
本性を露にした昌幸ならば書状を偽装するぐらいはやってのける。
そう思ってしまうがゆえに正武は直ぐには信じられなかった。
「だったらこれもどうぞ」
懐から取り出した短刀を投げ渡す。
立派な拵えで一目見ただけでかなりの値打ちものであることが分かる。
「木瓜紋……昌幸殿、これは?」
これはどう云う代物なのか? と聞いているのではない。
家紋の木瓜を見れば織田のものであることぐらいは明白。
そして、このような代物を偽装するリスクが高いことも。
昌相が聞いているのはどうやってこれを拝領されたのか、だ。
昌相は甲州透破の棟梁である。
なので当然の如く、武田領内に居る織田方の間者についても総てではないが把握していた。
把握し、その上で排除したり放置して泳がせたりとしている。
が、知る限りどの間者も昌幸と接触を持ったことがない。
これを受け取る機会が何時あったのか。
織田の総攻撃が近いと噂される最近では、この砥石城も人が多く昌幸も怪しまれぬよう人目につく場所から離れることは少ない。
そんな状況で昌幸に見慣れぬ人間が接触していれば確実に怪しまれてしまう。
自然と短刀を受け取る機会は少なくなる。
以前から所持していたのならば最初の段階で見せない意味もなく……。
「連絡用に使っている鷹の足に文と一緒に括り付けられていたものですわ」
「……鷹?」
短刀は結構な重さで、これを括り付けて飛ぶと云うのは流石にキツイだろう。
「ええ、云ってませんでした? 織田様とのやり取りは総て鷹でやっていますの」
無論、信長の愛鷹カトーである。
カトーは賢く、夜も深まり夜警の者以外は眠っている時間を待って昌幸に接触していた。
厠に行くふりをして受け取るなどと云った方法で昌幸はカトーから書状等を受け取ったり手渡したりしている。
「体毛を黒く染めていて、尚且つ夜闇に紛れて音もなく……下手な忍よりもよっぽど忍らしい鷹ですわ」
「……空は、確かに警戒していなかったな。成るほど、納得した。話の腰を折って悪かったな昌幸殿」
昼間ならまだしも夜だ。
鳥目じゃないのかよなどと云う無粋なツッコミすらカトーの前では虚しい。
「しかしまあ、こう云うのもあれですけどよくもまああの体躯で器用なと毎回毎回感心させられますわね、いや本当に」
高野山麓の宿でエロいことをした後、連絡手段などについても話し合った。
その際に鷹を使うと云われてそれはどうなんだと思った昌幸だがカトーは八面六臂の活躍をしている。
「しかも聞いたところによると連絡用の鷹、信長様が元服を済ませてから二年の間に知り合ったとかで……」
「何だそれは、化け物か何かか?」
正武がドン引くのも無理はない。
人間ならまだしも鷹如きが何十年も生きるとか信じられるわけがない。
しかしそのようなツッコミすらカトーの前では虚しい。
まあ、魔女をカモにするカラスだって存在しているのだからそう不思議なことでもないのだろう。
「ま、それはさておき内容には目を通したでしょう?」
色々と書かれてはあるが、正武や昌相にとって重要な部分を要訳するとこうだ。
『委細、昌幸に任せる。策が成り、その通りにことが運び織田の役に立つのならば信濃一国はくれてやろう』
信長は約定を違えるつもりはない。
昌幸が文で知らせて来た策が成功したのならば随分と面白いことになるし能力も証明される。
功と能力を示したのならば真田昌幸と云う女に一国をくれてやる価値は十二分にあるだろう。
信賞必罰、功ある者には必ず報いると云うスタンスを曲げるつもりはないのだ。
「此処から信濃一国が賜れるかどうかはわたくし達次第。覚悟はよろしくて?」
「ううむ……信長は、約束を護るのであろうか? いや、確かに此処に証拠はある!」
それでも、織田は大国だ。
それこそこんな木っ端な真田家との約束を遵守するだろうか?
正武の不安は尤もだ。石橋を叩いて渡る気質の人間にとっては不安で不安でしょうがないだろう。
「だからあなたは駄目なんですのよ、正武。そこそこ優秀な武士にはなれても大名になれる器ではない」
「何だとぅ!?」
「信長様を見てみなさい、あの御方はどうやって今日の地位に辿り着かれたので?」
寡兵で大軍を擁する今川の横っ腹に突撃。
勝算はあったのだろう、しかしじゃあ同じ真似が出来る人間がどれだけ居るか。
そう云われれば躊躇うだろう。
決断力、大名にとって決して欠かせないそれが正武には無い。
「そこがわたくしとの差ではなくて? 何も忠臣ぶってるからと信玄公に重用されていたわけじゃありませんわ」
昌幸を買っていたのは頭の回転が速いとか武勇にも優れるとかそれだけではない。
それだけならば彼女の父や兄と同じように二十四将とかその辺止まりだ。
愛弟子のような扱いを受けていたのはひとえに決断力と度胸があったから。
「ただただ忠義を尽くしているだけで報いてくれるほどに信玄公は、甲斐の虎は決して甘くはない。
可愛がるに相応しいだけのものをわたくしが持っていたからこその現在。
今わたくしが考え、そして信長様より許可を戴いた策とて進言しても受け入れられねば意味はない。
が、受け入れられるだけのものを築いていると云う自負がわたくしにはありますわ」
「う、むぅ……」
悔しくはあるが、説得力に満ちた言葉であった。
何せ昌幸は信濃を手に入れるために親兄弟までをも犠牲にしようとしているのだから。
成功すれば間違いなく父や兄らは死ぬ、死ぬと分かった上でそれでも尚、小揺るぎもしない。
正武とて武士、自分が死ぬ覚悟は出来ている。
しかし、怨んでいるわけでも憎んでいるわけでもない親兄弟を殺せと云われれば躊躇ってしまう。
が、昌幸には逡巡と云うものがない。
自分の中に掲げた至上を決して揺るがせることがない。断固たる決意を以って前を目指せる人間だ。
「昌幸殿――いいや、殿の云う通りだ。だからこそ、俺は真田昌幸と云う人間を仰ぐことに決めたのだ」
確かに非道ではある、非道ではあるが大義がある。
誰もが忸怩たる思いをしていながら、信濃の改革に乗り出せない。
誰もが心の何処かで諦めている。
信濃と云う地に生まれたからには、常に大国に翻弄されるしかないのだと。
その状況を変えるために昌幸は自ら行動し、天下に名高き織田信長から信濃一国を賜る約束を取り付けた。
この女ならば揺るがぬ信濃を作ってくれる、そう信じさせられてしまう。
それゆ出浦昌相は真田昌幸と云う人間に賭けたのだ。
「……ううむ」
「正武、あなたも信濃の現状を快く思っていないのでしょう? だからわたくしの提案に乗った」
大国に翻弄されるしかない信濃を何とかするために信濃一国を手に入れる。
その目的が無ければ正武もこの話には乗らなかったであろうことを昌幸は確信していた。
ただ、自分と違って行動に移す度胸と能力に欠けていただけ。
その欠けた部分を昌幸が補ったからこそ正武は何だかんだ云いながらもこの場に居るのだ。
「腹を括りなさいな。こと此処に至っても尚、愚痴愚痴と云うのも武士として如何なものかしら?」
「……ええい、分かっておるわ! だがしょうがないであろう!?」
不安なのだ。
「成功して武田を滅ぼしたとしても軍神と逃げ弾正の相手をせねばならんかもしれぬのだぞ!?」
軍神とは云わずもがな、上杉謙信。
そして逃げ弾正とは高坂昌信と云う男のことである。
昌信と云う男、これが中々に不幸な男で親父が死去した後、姉夫婦に遺産を奪われ放り出されたりしている。
そんな時に信玄に拾われたのだが昌信はある意味で昌幸の先輩とも云える存在だ。
昌幸にとっては兄弟子のようなもので信玄自ら軍略などを手解きしており武田四天王の一人として数えられるまでに大成。
今では砥石城の北にある海津城の城主を務めている。
海津城が上杉謙信の本拠たる春日山に近いと云えばその信頼されっぷりがよーく分かるだろう。
昌幸の策が成ればその謙信と逃げ弾正のヘイトを一番稼ぐことになる。
ゆえに正武は不安だった、不安を隠し切れずにいた。
「だから、良いんじゃないですか。織田に受け入れられたとしてもいきなり信濃一国ですよ?
妬み嫉み反感が起こって然るべきですわ。だからこそ、謙信と昌信を相手取ることで黙らせるんですもの」
真田昌幸は織田信長が信濃一国を払ってまで買い取るに相応しい者であった。
それを認めさせるためだけに謙信と逃げ弾正を利用しようと云うのだ。
「――――アハ♪ 嗚呼、愉しくなって来ましたわぁ」
これもまた若き力の台頭と云えよう。
綺麗に去らぬ老兵は蹴落とされても仕方が無いのかもしれない。




