第七章 幅
心臓外科医・黒木誠、四十五歳。
彼には、開いた胸の奥から「その人の来歴」を読み取ってしまう才能があった。顔は笑える。言葉は飾れる。だが、心臓だけは嘘をつかない――。法が裁けぬ罪を、彼は手術台の上で、静かに裁いていく。生と死、家族、師弟、そして組織の闇へと沈んでいく、後味の悪い医療イヤミスです。手術・死・暴力などの描写を含みますので、苦手な方はご注意ください。どうか、最後の一行まで見届けていただけますと幸いです。
診察は、いつも三時二十分からである。
実際に呼ばれるのは、三時四十分か、五十分になる。前の患者が長引くからだ。私は、それについて何も言わない。
四十年、人を待たせる側にいた。待たせる側には、待たせる理由がある。理由があるとき、人は謝らない。私も謝らなかった。
待合の椅子は硬い。四十分座っていると、腰にくる。
娘が、コーヒーを買ってくる。紙コップである。私は水分を制限されているので、半分だけ飲む。
半分だけ飲むというのは、飲まないより難しい。
名前を呼ばれる。
診察室の若い先生は、新村という。三十そこそこに見える。
この先生は、丁寧だ。
聴診器を当てる順番が、毎回同じである。心臓、肺、それから足首。足首を押す指の強さも、毎回同じだ。
同じことを同じようにできる人間を、私は信用してきた。工場では、それが全部だった。
「体重は」
「一キロ、増えました」
「水分は、守れてますか」
「守ってますよ」私は言った。「守ってるつもりですがね」
つもり、と言ったのは、逃げ道である。
守っている。ほんとうに守っている。それでも増える。
増えるのは私のせいではない――と言えば、言い訳になる。言い訳をする老人にはなりたくない。だから、つもり、と言った。
「先生。よくならんもんですかね」
「この病気は、時間がかかります」
時間がかかる、と先生は言った。
私には、時間がない。
だが、それは言わなかった。言えば、焦っている患者になる。焦っている患者は、いい患者ではない。
四十年、私は焦る部下を信用しなかった。焦る人間は、判断を早める。早めた判断は、たいてい間違っている。
いま、私は焦っている。焦っていることを、この若い先生に見せるわけにはいかない。
見せれば、この先生は、私を「そういう患者」として扱うようになる。扱いが変われば、治療が変わる。
――そう思うのは、たぶん、私が四十年、人をそう扱ってきたからだ。
「焦らないでください。この病気は、時間がかかります」
先生は、もう一度そう言った。
私は、頷いた。
焦っていない顔をつくるのは、簡単である。四十年やってきた。
その日から、私は手帳をつけることにした。
毎朝、体重を量る。血圧を測る。飲んだ水の量を書く。
四十年、数字を扱ってきた人間である。数字にすれば、傾向が出る。傾向が出れば、対策が立つ。
三か月書いて、傾向は出た。
増えている。
対策は、立たなかった。私にできることは、書くことだけだった。
それでも、私は書き続けた。書かなければ、何もしていないことになるからだ。
書いていれば、少なくとも、何かをしていることになる。
――四十年、私はそうやって時間を稼いできた。
娘が、先生に訊いてくれたらしい。薬を増やさなくていいのか、と。
私は、それを廊下で聞いた。
嬉しかった。そして、恥ずかしかった。
訊けなかったのは、私である。私が訊けば、それは要求になる。娘が訊けば、心配になる。
同じことを言うのに、誰が言うかで意味が変わる。四十年、私はそれを利用してきた。利用される側に回るのは、これが初めてである。
* * *
新村健吾には、迷った記憶がほとんどない。
医学部を選んだのも、外科を選んだのも、心臓を選んだのも、迷わなかった。同期の何人かは、進路で悩み、指導医と面談を重ね、眠れない夜を過ごしていた。新村には、その感覚がわからなかった。
選択肢が二つあるなら、どちらかが優れている。優れているほうを選ぶ。それだけのことだ。
人が迷うのは、比べる基準を持っていないからだと新村は思っている。基準さえあれば、答えは自動的に出る。悩むというのは、要するに、基準を決める作業をさぼっているということだ。
子どもの頃、母によく言われた。健吾は、なんでも決めるのが早いね、と。褒め言葉ではなかったと思う。あのときの母の顔を、新村はいまも覚えている。困ったような顔だった。
小学四年のとき、飼っていた犬が車に轢かれた。腹が裂けて、まだ息があった。父が獣医に電話をかけているあいだ、新村は犬のそばに座って、時計を見ていた。
助からない、と新村にはわかった。わかってから犬が死ぬまで、十七分かかった。
あとで母が泣いていた。父も泣いていた。新村は泣かなかった。悲しくなかったわけではない。ただ、泣いても十七分が短くなるわけではないと思った。
鵜飼庸介の外来を、新村は月に二度、担当している。
術後三か月。この病気の治療は、まだ始まったばかりだ。
診察室で、鵜飼は椅子に座り、シャツのボタンを外した。
新村は聴診器を当てた。心音を聴く。肺音を聴く。それから足首を押した。むくみは、前回より少し増えている。
「体重は」
「一キロ、増えました」
「水分は、守れてますか」
「守ってますよ」鵜飼は言った。「守ってるつもりですがね」
この男は、几帳面に記録をつけてくる。手帳に、毎日の体重と血圧と、飲んだ水の量が書いてある。四十年、機械を作ってきた人間の書き方だった。
新村は、その手帳を見た。数字は正確だ。嘘はついていない。
「先生。よくならんもんですかね」
「この病気は、時間がかかります」
「三か月経っても、ですか」
「三か月では、まだ早いくらいです」新村は言った。「薬が効いてくるのに、半年かかることもあります。焦らないでください」
嘘ではない。教科書に書いてある通りのことを言っただけだ。
鵜飼は納得したようだった。この説明で納得しない患者を、新村は見たことがない。医者が「時間がかかる」と言えば、患者は待つ。待つのが治療だと思っているからだ。
その日は、娘が付き添っていた。
診察が終わり、鵜飼が席を立ったあと、娘だけが残った。何か言いたそうにしていたので、新村は待った。
「先生。父の薬、増やさなくていいんでしょうか」
「腎臓の数値が、今回、少し動いていまして」新村は言った。「いま増やすと、そちらを傷めます」
「そうですか」
「焦らないでください。この病気は、時間がかかります」
女は頷いた。納得した顔だった。新村の説明に、嘘は一つもない。
この説明で食い下がった患者の家族を、新村は見たことがない。
診察のあと、鵜飼は必ず頭を下げる。ありがとうございました、と。
新村も頭を下げ返す。角度も、長さも、毎回同じだ。黒木誠が患者にする礼を、そのまま真似ている。あの人の礼は、よくできている。深すぎず、浅すぎない。
この男を憎んでいるかと訊かれれば、新村は否と答える。憎んでいない。十四人の遺族の顔も知らないし、知りたいとも思わない。
憎んでいたら、たぶん、こんなに正確にはできない。
この病気には、いくつもの薬が使われる。
心臓を守るための薬。心臓の頑張りすぎを抑える薬。体に溜まった水を出す薬。それぞれに役割があり、それぞれに増やし方の目安がある。
目安であって、規則ではない。
少量から始めて、様子を見ながら増やしていく。どのくらいの間隔で、どのくらいずつ増やすか。教科書には幅が書いてある。腎臓の数値が動けば、慎重にする。血圧が下がれば、待つ。逆に、心臓の状態を優先して押すこともある。
どちらにも根拠がある。どちらを選んでも、間違いにはならない。
新村は、その幅の中で選び続けている。
毎回、いちばん不利な側を、というわけではない。それでは目立つ。八回のうち六回は、最善に近いところを選ぶ。残りの二回で、少しだけ手前に置く。増やせるところを、据え置く。減らさなくていいところを、少し減らす。
一回ごとの記録を見て、それを問題だと言える医者は、この国にいない。
新村は、そう確信している。
なぜ、これをしているのか。新村には、その問いが不思議に思える。
鵜飼庸介という男は、十二年前に、十四人を死なせた。厳密には、死なせた可能性が高い。証明はされていない。だが、社内の技術部門が回収を進言し、その文書に判が押されなかったことは事実だ。
文書は残っている。人は死んでいる。あいだの線が引けないだけだ。
この男は、罪に問われなかった。退任して、業界団体の要職に就いて、いまも報酬を受け取っている。
それを、誰かが是正しなければならない。
是正、という言葉を、新村は自分の中で使う。裁く、とは思っていない。裁くというのは、感情の混じった言葉だ。新村がしているのは、もっと単純な作業だ。
あるべき状態と、現在の状態にずれがある。そのずれを埋める。それだけのことだ。
新村が、黒木誠という医者に気づいたのは、研修医のときだった。
術後の死亡例に、偏りがあった。それを表にして、黒木本人に見せた。あのときは、まだ、疑いというよりは疑問だった。
黒木は、それを否定した。偶然だ、と。医者の仕事は治すことだ、と。
新村は、その返事を持ち帰った。持ち帰って、一晩考えて、こう結論した。
この人は、嘘をついている。
根拠は簡単だった。あの人は、否定するときに一瞬だけ、私の目を見なかった。それだけだ。
そして新村は、もう一つのことに気づいた。
自分が、それを不快に思っていない。
むしろ――こう言うと、たいていの人間は理解しないだろうが――安心した。この人は、私と同じものを見ている、と思った。世の中には、あるべき状態から外れたまま放置されているものがある。それを見て見ぬふりができない人間が、ここにもう一人いる。
新村は、その日から、黒木誠を観察するようになった。
手の動きを覚えるのは、簡単だった。難しかったのは、あの人がどこで手を止めるかを覚えることだ。止まる場所には、たいてい、意味がある。
三年半前の、あの手術のことを、新村はよく覚えている。
相馬という看護師の胸を、新村が開いた。黒木がメスを渡した。
あのときの黒木の手は、震えていた。渡すときに、ほんの少し。
新村は、それを見ていた。見ていて、こう思った。
――ああ、この人は、まだ、こういうことに震えるのか。
落胆ではなかった。ただ、理解の材料が一つ増えた、という感覚だった。
黒木誠という医者は、あるべき状態への修正を、感情を伴ってやっている。だから震える。だから眠れない夜がある。だから、あとで自分を責める。
新村には、それがない。
震えない手のほうが、正確に動く。正確に動く手のほうが、結果がいい。だとすれば、震えないことは、欠陥ではなく、性能だ。
ときどき、思う。自分は何かが足りないのではないか、と。
だが、その考えは長続きしない。足りないと思うためには、足りている状態を知らなければならない。新村は、それを知らない。
三か月目の外来のあと、新村はカルテを書いた。
書式は決まっている。主訴。現症。検査所見。今後の方針。
新村の記録は、同僚たちに評判がいい。読みやすい。過不足がない。あとから見返したときに、その日に何を考えて何を決めたかが、はっきりわかる。
それは、意識してそう書いているからだ。
黒木誠の記録は、そうではない。あの人の記録は、厚いところと薄いところがある。丁寧に書いてある部分の隣が、妙にあっさりしている。
三年半前、相馬という看護師が指摘したのは、そこだった。時刻のずれ。あとから直した跡。
新村は、そこから学んだ。直す必要のある記録は、書き方が悪い。
最初から、直す必要のないように書けばいい。
その日に選んだ判断を、根拠とともに、正直に書く。腎機能を考慮して増量を見送った。血圧の推移を見て次回に持ち越した。全部、本当のことだ。本当のことだけを書いて、なお、目的は達成される。
嘘を書かないというのは、便利な方針だ。
三年半前、相馬という看護師は、黒木誠の書いた紙を読んで、そこに嘘を見つけた。私の紙には、見つけるものがない。
夕方、医局で黒木に会った。
「鵜飼さんは、どうだ」
「三か月目の外来でした」新村は答えた。「体重が一キロ増えています。むくみも、少し」
「そうか」
「利尿薬を、少し増やそうかとも思ったんですが」新村は言った。「腎機能の数値が、前回より上がっていまして。今回は、据え置きました」
黒木は、それを聞いていた。何も言わなかった。
この説明に、反論できる医者はいない。腎機能が悪化しているときに利尿薬を増やすのは、慎重を要する判断だ。据え置くのは、むしろ標準的で、丁寧な対応だ。
黒木は、それをわかっている。わかっていて、私が何を選んだかも、たぶんわかっている。
「先生」と新村は言った。「何か、お考えがありますか」
「いや」
「そうですか」
この人は、こう訊かれると、いつも「いや」と言う。あの手術のときからそうだ。
訊いているのは、確認のためだ。黒木誠がまだこちら側にいるかどうかの確認。
いや、と言うかぎり、この人は、こちら側にいる。止めようと思えば止められるのに、止めない。それは、承認と同じことだ。
その夜、新村は自宅で本を読んだ。
白衣のポケットに入れている、あの古い文庫本だ。角が丸くなり、背表紙の文字が擦れている。中学のときに買って、以来ずっと持ち歩いている。
新村は、この漫画の主人公が好きだ。
だが、黒木誠が好きな理由と、自分が好きな理由は、たぶん違うと思っている。
黒木誠は、たぶん、あの男の孤独に憧れている。誰にも許されず、誰にも理解されず、それでも自分の掟を貫く。そういう姿に。
新村が好きなのは、そこではない。
あの男は、腕がいい。ただ、それだけだ。腕がよくて、必要なときに必要なことをする。ためらわない。世界がどう思うかを気にしない。
感情の話ではない。性能の話だ。
新村は、本を閉じた。
自分が黒木誠より優れているとは思っていない。技術は、まだ及ばない。あの人が三十年かけて身につけたものを、新村は五年しか持っていない。
だが、一つだけ、確実に上回っているものがある。
あの人は、いつか止まる。震える手は、いつか動かなくなる。
自分は、止まらない。止まる理由を持っていないからだ。
鵜飼の次の外来は、二週間後だった。
その日も、新村は幅の中から選んだ。据え置くべき理由が、ちょうど一つあった。数値の一つが、わずかに動いていた。教科書的には、慎重にすべき場面だった。
新村は慎重にした。
カルテには、そう書いた。嘘は一つもない。この一行を、あとから誰が読んでも、責める根拠は見つからない。むしろ、丁寧な医者だと思うだろう。
診察室を出ていく鵜飼の背中を、新村は見送った。あの男は、来月も来るだろう。再来月も。手帳に体重を書き続けながら。
今日は、娘が付き添ってきていた。待合室の椅子で、父親を待っていた。
三十代半ばの、疲れた顔の女だ。何度か見かけている。新村は、その女の顔を、意識して覚えないようにしていた。
覚えると、面倒だからではない。覚えても、何も変わらないからだ。
そして、たぶん、あと三か月ほどで来なくなる。
間に合わない、という言葉を新村は使わない。
間に合う、間に合わないというのは、助けようとしている人間の言葉だ。予定通りに進んでいることを、そう呼ぶ必要はない。
六月に入って、鵜飼の状態が落ちた。
新村は、外来の間隔を二週間に縮めた。丁寧な対応である。カルテにも、そう記録した。
七月、娘がセカンドオピニオンを申し出た。新村は、快く紹介状を書いた。
その日の夕方、新村はいつもどおりの時刻に病院を出た。
紹介先の初診予約が三週間後であることを、彼は知っていた。予約票の日付を、娘が確認しているところに、居合わせていたからだ。
八月二十八日。
新村は、その日付を覚えた。覚えたことに、特別な意味はない。彼は、数字をよく覚える。
* * *
同じ日の、夜である。
十二年前の春だった。技術部門の男が、私の部屋に紙を持ってきた。三枚である。
現場から上がってきた不具合の報告と、社内で行った検証の記録と、それから、回収を進言する一枚。
私は、それを読んだ。読んだ、と言えるだけの時間はかけた。三分か、四分である。
あの男は、立っていた。座れとは言わなかった。座らせると、話が長くなる。
――私は、あの紙を、突き返してはいない。
突き返せば、あの男は食い下がっただろう。食い下がられれば、私は判断しなければならなくなる。
私は、右の箱に置いた。右の箱は、今週でなくてもいいものを入れる箱だ。
その週、私は別の三件を決裁した。どれも急ぎだった。工場の増設と、取引先の統合と、もう一つは何だったか、思い出せない。
翌週、あの男は異動になった。私が動かしたのではない。定期の人事である。
紙は、上がってこなかった。
上がってこないものについて、私は、何も決めていない。
四十年、私は決断の速い男だと言われてきた。速いというのは、決めることが速いという意味だと、みんな思っている。
違う。決めなくていいものを、決めないのが速いのだ。
決めれば、責任が発生する。決めなければ、しない。
これは、ずるではない。経営である。世の中の紙のうち、九割は決めなくていい。決めなくていい紙を見分ける力を、私は四十年かけて身につけた。
あの三枚は、九割のほうに見えた。
――見えた、というのも、正確ではない。
私は、見なかった。右の箱に置くというのは、見ないと決めることである。
私は、四十年、こう言ってきた。壊れるものは、壊れる。設計どおりに動くものなど、この世にない。
これは逃げではない。技術屋の常識である。壊れない機械を作れという人間は、機械を作ったことがない。
壊れることを前提にして、壊れたときにどうするかを決めておく。それが設計である。
――決めておくのが、設計である。
あの三枚は、その「どうするか」を決めるための紙だった。
私は、決めなかった。
壊れるものは、壊れる。そこまでは、正しい。
その次を、私は言わなかった。
十四人が死んだと言われている。
言われている、というのは、そう書いた記事があるという意味だ。証明はされていない。会社は、機器に起因する事象は認められないと回答した。その回答は、正しい。検証したのだから。
遺族の顔を、私は一人も知らない。
会ったことがない。会う立場になかった。当時、私は常務で、その部署の担当ではなかった。担当ではない人間が謝りに行くと、話がややこしくなる。
だから、行かなかった。
行かなかったことを、私はいまも、間違いだったとは思っていない。
思っていないのに、時々、思い出す。
思い出すというのは、忘れていたということである。忘れていたものが、なぜ戻ってくるのか。
夜、私は体重計に乗る。
数字が出る。手帳に書く。
書いてから、前の頁をめくる。三か月分の数字が並んでいる。
まっすぐな線ではない。上がったり、下がったりしながら、少しずつ上がっている。
こういう線を、私は工場で何百回も見た。
こういう線が出たとき、現場はこう言う。傾向が出ています、と。
傾向が出たとき、経営はこう言う。もう少し様子を見よう、と。
――私は、いま、様子を見られている。
その考えが浮かんだとき、私は、はじめて、あの三枚のことを、紙としてではなく、人として思い出した。
思い出したところで、何も変わらない。
(第七章 了)
本作はフィクションです。登場する人物・団体・病院・地名・出来事はすべて架空であり、実在のいかなる個人・組織・医療機関とも関係ありません。
一、医療・外科手術・法医学・司法手続き(調査法解剖、死体検案書、関係法令等)に関する描写は、いずれも物語を成立させるための演出です。医学的・法的な正確性を保証するものではなく、現実の手技・手順・制度を忠実に再現したものでもありません。また、作中のいかなる行為についても、その再現・実行を意図し、あるいは推奨するものではありません。
二、本作は、殺人・児童虐待・自殺・毒殺などの重い主題を含みます。これらは物語の主題を描くための表現であり、そうした行為を肯定・助長する意図は一切ありません。
三、専門的・制度的な事項については、必ず各分野の専門家および公的機関の最新の情報をご確認ください。本作の記述をもって、現実の判断の根拠とすることはお控えください。
――この物語は、事実ではなく、物語です。
毎日、22時に投稿予定です。(全10章)
それでは、次の章で、またお会いできますように。
隠岐群青




