4-1 新年
「ただいまー。」
年明け。
実家から一週間ぶりに帰った部屋はしんと冷えていた。
翔吾が真っ先に出迎えてくれると思っていたので、夕月はちょっとがっかりした。
帰省の荷物を片付けて、お茶をいれていると、
「あれっ、夕月もう帰ってんじゃん。」
そんな声と共に翔吾が帰って来た。
「お帰り、翔吾。」
「おう。夕月も、おかえり。」
笑顔で頷くと、なんだか、いやに翔吾が夕月の顔を見ていることに気がついた。
「……何か、ついてる?」
「いや……、夕月、実家大丈夫だったか? ……親父さんとか。」
翔吾は以前夕月が父に打たれた事を気にしていたのだった。
「大丈夫だよ。最初はちょっと気まずかったけど。……あのね、鮎川くんは今どうしてるんだって、聞かれたよ。」
「……マジで?」
「うん。お母さんも、気にしてた。」
「なんで?」
「さぁ?」
翔吾と共に、夕月も首を捻った。
自分たちに理由がわからなくても、少しだけでも心を開いて貰えたのならそれは喜ばしいことだった。
「俺、名前呼ばれんの初めてなんじゃね。」
「そうかも……? その折は両親が大変失礼しました。」
「ばか、よせよ。」
まさかこの話題で笑いあえると思わなかった。
翔吾も安心したように夕月の頭に手を置いた。
「次は、ちゃんと会って、……せめて喧嘩になんねぇといいよな。」
「ごめんね、変な心配かけて。」
「気にすんなって。そういうのってやっぱスーツ? 俺持ってねぇんだけど。」
「うそ、入学式は?」
「……出てねぇ。」
「そんなことある?」
夕月は翔吾の頭からつま先まで視線を滑らせた。
背が高くてスタイルが良い。ちゃんとした服装をしたら、きっとかっこいいのに。
「うちに行くのに着る必要はないけど……、就活あるし、スーツはあった方がいいと思う。きっと似合うよ。」
「えー、めんどくせぇ。」
「高校までの制服とおんなじだよ。」
「だから、それがめんどくせぇんだよ。」
本当に嫌がっている訳ではないだろうに、これ見よがしに顔を顰める翔吾に、夕月は少しだけ手を広げて見せた。
「ね、翔吾。」
「……しょうがねーな。」
「一週間ぶりだからね。」
照れ臭いのか不本意そうな声を出しながらも、翔吾は相好を崩し距離を詰めた。
その腕の中で、夕月はようやく彼にただいまを言えた。
正月が明けてすぐ、翔吾はまたアルバイトを始めた。
深夜のコンビニでは無く、補講の時にお世話になった教授に推薦された、放課後児童クラブ、要するに「学童」である。
やりたい事が出来たと教授に相談したところ、何故か留年すれすれだった翔吾を「熱意ある優秀な学生」と紹介してくれたおかげで、彼はやたら期待の眼差しに迎えられた。
「おむつの赤ん坊相手じゃないし、見てりゃいいんだから楽勝。」
そう言った彼は半月も経たないに頭を抱えていた。
宿題、おやつ、怪我の応急手当て、保護者対応……。
夕方の受け入れ時間からのバイトなのに、たった2〜3時間の中に気を使うことがてんこ盛りだった。
「えーっと、ぼくらの、なまえは……、このよで、」
「翔吾、えーっと、は駄目だよ。」
「ひらがなって読み辛いんだよ……!」
そして最近の一番の悩みは、低学年向けの読み聞かせの時間だった。
持ち回りで絵本を読むローテーションに当たり前の様に翔吾の名前も組み込まれた。
ただ読めばいいんだから、と肩を叩いた主任は3回目にはおうちでも練習して来てね、と引き攣った笑顔を浮かべた。
かくして、週に一回は夕月を相手に読み聞かせの練習をすることになったのである。
「大体さぁ保育園じゃないんだぜ……!?なんでこんなもん必要なんだよ!」
「でも、小学校にも読書の時間とかあったし、高学年向けの絵本とかもあるし。一年生は去年まで年長さんだったんだし。」
「わーってるよ、そんなこと……!」
夕月の言葉にガリガリと頭を掻いた。
要するに、理屈じゃない。何より苦手なのは、子どもたちに一心に見つめられることだった。
一度夕月にそう言ったら、「カッコつけるのは得意でしょ?」とぐっさり刺された。
女相手に格好付けるのと、子どもの期待に応えるのは違うのだ。
「でも、今の翔吾見てると、私も頑張ろうと思うよ。」
キッチンでココアを作りながら夕月が笑った。
「反面教師ってやつか?」
「違うって、普通に勉強になる。」
夕月は翔吾にマグカップを渡しながら、怒らないでね、と言い置いた。
「翔吾、今までずっと全然勉強してなかったでしょ。でも、今は自分で考えて実践してる。私が3年ぼんやり勉強して来たのと同じ事を。なんか、やっぱり大事なのは向き合いたい気持ちなんだなって。……凄いなって思う。」
自分より余程真面目で一生懸命な夕月にそんな事を言われて、どう怒れと言うのか。
第一、自分は他所様の子どもに触れられるほど大層な人間ではない。
正直、やってみたいとは思ったが、自信は全く無い。
翔吾は意味のない言葉を返すのが精一杯だった。
「べつに、褒めても何も出ねぇぞ。」
「何もいらないよ。でも、言いたかったの。」
よぉし、と冗談めかしてポケットを探っても、本当に煙草とライターとゴミしか出てこなかった。
「……これ飲む?」
ココアを掲げると、同じくマグカップを持った夕月が、それは私があげたやつ、と笑った。




