3-5 それぞれのお泊まり会
その週末、ピンポンピンポーンと、玄関チャイムが軽やかに続けて鳴った。
「あ、リカ来た。」
よく知っている親友の鳴らし方だった。
「じゃあ、俺も行ってくるわ。」
「うん、行ってらっしゃい。」
リュックを片掛けにして、翔吾が玄関を開ける。
「ちょっと、ホントに翔吾がいるんですけど!」
翔吾と入れ替わりに入ってきたリカは、出て行く彼のリュックを叩いて明るく笑った。
「いや俺、そんな珍獣じゃねーから。……夕月の事よろしく。」
「心配しないで、さっさと行きなって! ね、夕月!」
「うん、大丈夫大丈夫。」
リカに振られて、夕月も笑って手を振ると、翔吾は笑って玄関を閉めた。
リカは我が家の様にポンとソファに座った。
「夕月んち来るの、久しぶり! 相変わらず綺麗で落ち着くー。」
「リカ、その……、この間はありがとう。リカのおかげで助かったって、翔吾も言ってた。」
「それはもうこの前聞いたって!楽しい話はなししよ。」
リカはいつも通りに笑って、勝手に近くにあった雑誌をめくり始めた。
それからは2人でピザを取り、ケーキを食べ、好きなだけゴロゴロした。
「ねー、夕月さぁ。アレ、届いたでしょ?」
すっかり日が落ちて、パジャマパーティーに移行した時、リカがチョコレートを摘みながら含みのある笑顔を浮かべた。
「アレって?」
「またまたぁ! 私とさくらと絵麻からのプレゼント!」
「あ。」
それは翔吾の誕生日に合わせて届いた、真紅のベビードール。
その時は翔吾の事は友達に言っていなくて、犬を飼ったなんて誤魔化していたのに、彼氏がいる事はしっかりバレていた。
「着た?」
「……着た。」
「どうだった!?」
「それ聞く?」
「あったり前じゃーん!」
その夜の事を思い出すと、頬に血が上るのがわかった。
「……喜んでた。」
「やっぱりー!」
きゃあっとリカが手を叩く。
それはほんの少し前のことなのに、ずいぶんと時間が経ってしまった様に感じた。
「夕月みたいな子が着るのがいいんだよねー。相手が翔吾だとは思わなかったけど、……夕月?」
「う、ん……。」
彼の手に、ずっと触れていなかったことも思い出してしまった。
楽しい顔、怒った顔、美味しい顔、照れ隠しの柄の悪い声、いつも不意打ちの低い声、水道で雑に洗ったお弁当箱、初めて見た寝顔……。
彼の手は、一度も夕月を傷つけなかったのに。
一晩の思い出をきっかけに翔吾の記憶が後から後から溢れ出して、止まらなくなった。
「っ、リカぁ……、」
「あー……。よしよし、泣いちゃえ泣いちゃえ。」
くしゃくしゃとリカの柔らかい手が髪を撫でた。
あの頃の翔吾に、また会いたかった。
もう一度彼に触れて、その手が優しい事を確かめたかった。
押しかけた成人男3人に、圭介の母は喜んで山盛りの食事を振る舞ってくれた。
「母ちゃん多いって! 誰がこんなに食うんだよ!」
「翔吾、お前が一番デカいんだから張り切って食えよ。」
「夕月ちゃんの飯とどっちが美味い?」
「ばっか、そんなもん……、比べらんねーよ。」
「素直に言っていいぜ、うちの母ちゃん茶色飯しか作んねーんだから。」
「お前がそれしか食わねーからだろ。」
友達とわいわい食べた食事は普通に美味かった。
揶揄われた通り、やはり夕月の味とは違っていたが、2人で黙り込んで食べるよりも気持ちが楽だった。
──夕月、ちゃんと飯食ったかな。
なんだかんだで空になった食器を見ながら、おかずを箸で細かくし続けていた夕月の姿を思い出した。
「お前の部屋せめぇよ。」
「実家なんだからしょーがねーだろ、廊下で寝ろよ。」
「俺が発案者なのに?」
「恋敵だからな。」
缶ビールを開けた圭介の冗談に、翔吾は黙り込んだ。
何度も頭によぎって、その度打ち消した事。
圭介の方が夕月を幸せに出来る。
圭介じゃなくてもいい、俺以外の誰か。
あんなトラウマを負わせることもなく、家族に反対される事もなく。
「……圭介、お前本当に夕月の事好きか?」
「それ以上言ったら友達辞めんぞ。」
「……だよな。」
圭介は察しのいい男だった。
「夕月ちゃんはお前を選んだんだろうが。お前には選ばれた責任がある。」
「どうしていいかわかんねぇんだよ……。」
翔吾は手の中で温くなっていくビールに目を落とした。
缶の表面に浮いた雫は指を伝って、泣いている様に床を濡らしていた。
「……夕月、いま男が怖いんだよ。俺が近くにいるだけでずっと緊張してる。……でも1人で放って置けねぇだろ。」
「お前何してんだよ。」
圭介は詳しい理由は聞かなかった。そのかわり、そこそこの力で背中を殴られた。
シンヤも高山も、聞こえないふりをしてくれていた。
「絶対泣かすなって言っただろうが。何お前が泣き言言ってんだよ。お前が投げ出したら、夕月ちゃんは一生そのまんまだろうが!」
「そんなことわかってんだよ……!」
「なぁ、翔吾が毎日学校くるようになったの、夕月ちゃんのおかげだろ。今度はお前の番なんじゃないの。」
シンヤがゲーム画面に目を向けたまま言った。
「難しいこと考えないで、普通に側にいてやれよ。」
シンヤの相手をしている高山の言葉は幾分柔らかい響きだった。
「……わかってる。」
夕月が一番苦しんでいる。
もう一度、彼女が笑える様にしてやりたかった。
「普通」に側にいることの難しさを痛感しながら、翔吾は掌を握りしめた。
「番犬にはぴったりなんじゃないの。」
夕月の淹れたお茶を飲みながら、リカは翔吾をそう評した。
2人でたっぷり朝寝坊し、ようやく身支度を終えた所だ。
「夕月の事、すっごく大事にしてくれてるんじゃん。やっぱり噂は噂ってことだよね。」
「番犬だなんて……。」
夕月が言い出したこととはいえ、いつまでも恋人を犬に例えるのは気が引けた。
「まぁ、犬ってよりかはもっと、狼とか、虎とか? そういう感じだったけど。」
「それは、ちょっとわかる……。かっこいいでしょ。」
「言うじゃん、夕月のくせにー!」
笑い合っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、翔吾かな…。」
「私が出るから、夕月座ってなよ。」
夕月が返事をする前に軽やかにリカが立っていく。
夕月は静かに手のひらを握って開いた。
──何も、怖くない。
ドアが開いた音がして目を上げると、長方形の青空を背景に、見慣れたシルエットが佇んでいた。
「夕月、リカちゃん、ただいま。」
一瞬、言葉が出なかった。
「夕月、ほら。」
「……お、かえり、翔吾。」
リカに促されて、どうにか出した声が震えた。
怖かったからじゃない。
溢れ出した思いが喉の奥に詰まっていて、本当はその胸に飛び込んでしまいたかった。
ソファから立ち上がったまま固まった夕月の肩をリカがぽんと叩いた。
「夕月なら大丈夫。」
「リカ……。」
「じゃ、私帰るからね。あとは2人でよろしく。」
颯爽と荷物を持ち上げたリカは、玄関に立ち尽くしていた翔吾を部屋に押し込んだ。
「じゃあまた学校でね。次は翔吾の番だよ。」
「リカちゃん、ありがと。」
軽く手を振ってリカを見送った翔吾がスニーカーを脱ぐ。
部屋の入り口に立ったまま、夕月を見て困ったように眉を下げた。
「……夕月、ただいま。」
「翔吾……っ、」
夕月は手を伸ばした。
まるで初めて歩き出した子どものように。
ほんの数歩の距離を倒れこむように、翔吾の胸に縋りつく。
「夕月……!?」
翔吾が息を呑んだのがわかった。
彼の腕が持ち上がるのを感じて、体を離されないように腕に力を込めた。
「翔吾、翔吾ごめん……っ、怖く、ないから、またぎゅってして…、どこにも行っちゃ嫌だ……!」
「……っ、ばか、行かねぇよ、どこも……!」
翔吾は逃げなかった。一瞬躊躇ってから、そっと夕月の背中に腕を回した。
「怖かったら怖くていいんだよ、そんな我慢すんな。無理して笑うな。……頼むから。」
翔吾は、初めは恐る恐る、夕月の様子を確認するようにゆっくりと腕に力を込めた。
もう言葉が出なくて、夕月は声を上げて泣いた。
風船が弾けるように、ずっと抱えていた蟠りが飛び散って、涙と一緒にほどけていくのがわかった。
部屋の入り口に座り込んで泣き続ける夕月の背中を翔吾の腕が強く抱きしめていた。
「翔吾、煙草吸わないの?」
風呂上がり、泣き腫らして浮腫んだ顔を揉みながら聞くと、翔吾がちょっと目を眇めた。
「……俺一応禁煙中なんだけど。」
低い声で言いながらもポケットからちゃんと煙草が出てくる。
「一応でしょ?」
「だってお前」
翔吾はいつも夕月の側では煙草を吸わなかった。
最初は体を気遣って。
最近は、夕月が煙草の臭いを嫌がったから。
「煙草の煙ならもう吸ったもん。どうせ汚れるなら、翔吾の煙で汚してよ。」
「は……、それ、すげー殺し文句。……じゃあ、一本だけな。」
その夜翔吾は初めて夕月の隣で煙草を吸った。
煙に染まった髪を翔吾の手がゆっくり撫でるのが心地良くて、また泣いてしまいそうだった。




