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翔吾と夕月  作者: 月兎耳
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3-4 トラウマ

 最近減らしていた煙草が自分でもわかる程増えていた。

 火をつけてそのまま深く吸い込むと、軽い酩酊感の後に頭が冴えてくる。


 煙草に逃げているのはわかっていた。


 夕月は一見いつもと変わらずに振る舞っている。いや、振る舞おうとしている。


 しかし翔吾の目にはどう見ても変調を来しているように見えた。

 

 夜になれば夢にうなされ、翔吾が風呂に入れば何かと用を探して脱衣場までついてきて喋り続ける。

 出掛ける時は、袖を掴んで離さない。

 そして翔吾が自分から近づくと、怯える。

 それでも、下手くそに笑おうとする。

 見ていられなかった。

 1人が怖い。男が怖い。

 夕月は口には出さないが、その目を見ていれば明らかだった。

 夕月は何も悪くない。

 わかっていても、自分が身じろぎするたびに跳ねる肩を見るのは堪らなかった。


「……なんもしてやれねぇ。」


 煙草を揉み消して振り向くと、いつかのように夕月がガラスに張り付いてベランダを見つめていた。


「そういや、俺んとこ逃げて来いって言ったっけ……。」


 自分の言葉を思い出して、部屋に続くサッシを開ける。


「夕月、どうした?」

「あ……、」


 また、夕月の目が揺れる。不器用に微笑む。


「……私、翔吾が煙草吸ってるの、好き。」

「そうだったよな。」


 その言葉は、どこか夕月自身に言い聞かせているようだった。


「でも、夕月が怖いなら、止めるよ。」


 煙草以外の逃げ道を作ってやると約束した。そんな自分が夕月を放って煙草に逃げるのは、違う。

 キッチンで口を濯いで振り向くと、夕月がライターをかざすようにして眺めていた。


「……煙草ね、止めて欲しいんじゃないの。翔吾の匂いなら、怖くないって思えるから。」

「……そうか。」

「翔吾のライターって、蓋がついてるんだよね。」


 オイルライターなんて、ずっと側で見てきたはずなのに、今更そんな事を言う。


「壊すなよ。高いんだぜ、それ。」


 わざと軽く言って、夕月の隣に腰を下ろすと、僅かに笑ってライターを渡される。

 指先が僅かに触れて、そのままその手を握り込んでしまいたいのを堪こらえた。




『火ぃ着けんぞ。』


 灯った煙草の先と、咽せ返るアルコールの臭いは、容易に肌を舐める炎を想像させた。


『アイツが悪いんだぜ。』


 何度も殴られ、蹴られ、無理矢理身体を開かれる。


『埋めんの面倒臭ぇなぁ。』


 何もかも終わってしまった後、投げ出された身体を、彼があの色のない目で見下ろす。


 ──見ないで。


 そんな事は、なかった、はずだ。


「おい夕月……! 起きろ!」


 翔吾の声で、目を開けた。


「翔吾……?」


 気がつくと自分のベッドで毛布に包くるまっていた。じっとりと全身が汗をかいている。

 夕月の肩を掴んでいた翔吾が、安心したように息を吐いて手を離す。

 僅かに灯りを落とした部屋。床に落ちた雑誌。


 夢だった。


 あの日は、何もされないうちに翔吾が助けに来てくれたのだ。

 夢に見た事は現実には、起きていない。


「水飲むか?」

「…うん、ありがとう。」


 翔吾が冷たい水を夕月のマグに注いでくれる。


「……ごめんね。うるさかった?」

「そんなの気にすんな。大丈夫だから、もっかい寝ろ。」


 いつも通りのぶっきらぼうな翔吾の声に甘えていた。

 彼の寝顔をあの日からずっと見ていなかった。


「翔吾、一緒に寝ないの……?」

「……今日はここでいい。」


 雑誌を拾って、ソファに足を投げ出した翔吾に声をかけると、あっさり断られてしまった。

 自分が悪いのだ。

 翔吾から離れないくせに、その手を避けるから。


 一番初めは、あの事件があった次の日。

 後ろから手を伸ばした翔吾に驚いて皿を割った。

 次は、干してあった翔吾のシャツを見て吐いた。

 翔吾に助けられた直後は何ともないと思っていたのに、安心したと思っていたのに。

 夕月にも何故かわからなかった。

 翔吾は何も悪くないのに、彼の存在を意識すると身体が勝手に震えた。

 そんな事が何度かある内に、段々翔吾は夕月から距離を取った。

 大学以外では必ず夕月の視界の中にいる。

 ただそれだけ。


 一定以上に距離を詰めない。必要以上に声を上げない。

夕月が触れても、かわしてしまう。

この空気に覚えがあった。

 翔吾がまた、出て行ってしまうかもしれない。

 焦燥を覚えるこの距離の埋め方がわからなかった。




「うなされてごめんとか、言われる筋合いねぇんだよ……!」


 コンビニ袋を投げ出して、学食のテーブルに突っ伏した翔吾を、いつものメンバーが笑う。

 白い天板に、無数の細かい傷が付いているのがよく見えた。


「珍しくご乱心だな。」

「最近コンビニ多くね? 愛妻弁当はどうした?」

「あー、夕月ちょっと……、調子悪いんだよな。」


 まさか、「俺の落とし前の為に拉致されてレイプされかけた」なんて口が裂けても言えない。


「夕月ちゃん講義には普通に出てたけど。喧嘩か? 俺チャンス?」


 圭介がその気もないのに煽ってくるのが、不思議と心地よかった。


「……バーカ、譲んねぇよ。」

「そうだぞ圭介。喧嘩どころか、こいつら行き帰りも益々べったりなんだぞ。」

「うなされるって、どうした? 不眠症?」

「んー……、みたいな感じ。毎日。」


 言いたい事をちゃんと拾ってくれた高山の問いかけに、頷いた。

 支えてやれると思っていたが、夕月の誤魔化しの笑顔を見続けるのは、思った以上に辛かった。


「……正直、キツイ。俺も寝れねぇし。普通に可哀想。」


 吐き出した言葉は思いがけず深刻に響いてしまって、圭介たちが顔を見合わせる。

 その時、スマホが震えた。


『リカとお泊まり会してもいい?』


 翔吾はぱっと顔を上げた。


「圭介、お前んち泊めて。イカのやつやりてぇ。」

「はぁ?何だよ急に、夕月ちゃんはどーすんだよ!?」


 つい先ほどまでと落差があり過ぎる翔吾の言葉に、圭介は目を剥いた。


「夕月んち、友達来るって。」

「あぁ、女の子同士の方が良い時もあるかもな。」

「翔吾、モテるくせに気ぃ利かないもんなぁ。」


 シンヤがうんうんと頷いた。


「よし、俺も行ってやるぞ、圭介。」

「俺も行きたい。圭介の母ちゃんのメシ美味いし。」


 男同士の「お泊まり会」の計画もあっという間にまとまった。

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