3-6 「惚れました!」
何事もなく過ぎたある日の帰り道。
翔吾とキャンパスの門を出ると、道端に一つの影が這いつくばっていた。
他の学生達にじろじろと見られているその背中に見覚えがあった。白い布で片方の腕を吊っている。
一瞬、あの日がフラッシュバックした。
この場所で車に押し込まれた事、アルコールの臭い、身体の痛み、頬に触れた冷たいナイフ。
警戒心を露わにした翔吾が、一歩夕月の前に出る。
夕月はそっとその背中に手を添えた。
「……てめぇ、何しにきた。二度と近付くなって、言わなかったか。」
そういえばあの夜、我に帰った翔吾は念入りに彼等を脅しつけていた。
土下座したまま、少年が答える。
「夕月さんと、翔吾さんに詫びにきましたっ!」
「いらねぇから、帰れ。二度とツラ見せんな。」
低い声で答える翔吾が、今にも飛びかかりそうに思えて、夕月は背中に添えていた手でその肘を掴んだ。
「翔吾、そんな……。謝りに来てくれたんだから。」
「お前は優しすぎるんだよ。行くぞ。」
とりつく島もなく踵を返した翔吾の背中に向けて、少年の無駄に大きな声が響いた。
「自分! 夕月さんに惚れました……!」
あ、駄目かもしれない。やっぱり止められないかも。
一気に力の籠った腕を両手で必死に掴みながら、夕月は冷や汗が出るのを感じた。
公衆の面前で大騒ぎを起こす訳にもいかず、夕月は2人を引きずるように人気の少ない駐輪場まで移動した。
翔吾は少年に掴みかからんばかりに青筋を立てていたが、なんとか堪えてくれていた。
中嶋と名乗った少年はあの日思った通り高校生だった。
「てめぇが夕月に何したかわかってんのか…?」
「はい! 蹴りました! すんません……!」
「はぁ? 蹴っただぁ……!? なんで早く言わねぇんだよ、夕月!」
黙っていればいいものを、頭を下げながらもハキハキ答えてしまう少年に、夕月は頭を抱えたかった。
この子は自分が殺されかけた事を忘れてしまったのだろうか。
翔吾の利き腕に巻きつけた腕に力を込めていたが、その気になれば夕月を振り解くのが容易な事もわかっていた。
「な、中嶋くんじゃなかったかも……!? いっぱい人がいたし、忘れちゃったなぁ!」
この状況は、おかしい。
夕月だって本当は一言くらい彼を責めたかった。それなのに、乾いた笑い声をあげながら必死に庇っている。
とにかく翔吾をなんとかしなければ。
「いえ、自分っす!」
「あ……!」
とうとう、翔吾が中嶋を蹴り上げてしまった。
一応かなり加減したのか、咽せながらも少年は立っていた。
「翔吾、ちょっと、私に話させて……!」
多少ガス抜き出来たのか、もう一度腕を引くと、苛立った息を吐きながら翔吾が一歩下がる。
夕月は、務めて静かな声で呼びかけた。
「中嶋くん。」
「はい!」
改めて彼に向き直ると、あの日のコンクリートの冷たさや、唇を這った指の感触が思い起こされて、指先が冷たくなっていく気がした。
「中嶋君に蹴られた所、まだ痣が残ってる。それに、蹴っただけじゃなくて、私と翔吾に酷い事言ったよね? そんな人に急に惚れたとか言われても困る。ちっとも嬉しくない。」
それまで元気だった中嶋が黙り込んだ。
「中嶋くんにも事情があったのかもしれないけど、私も痛かったし怖かった。」
「……はい。」
「どうして、今日来てくれたの?」
「……先輩達に脅されても、蹴られても、夕月さん全然泣かなかったし、それに、」
中嶋は夕月の後ろに目をやった。
眉を寄せた翔吾が腕を組んで仁王立ちしている。
「翔吾さんの事、止められんのすげぇって。かっけーって思ったっス。」
「かっこいいって……。」
「あの時、マジ死ぬって思いました。夕月さんが俺の命の恩人っス! あれから、お2人の姿が頭から離れなくて……、ちゃんと話したいって思ったんス!」
中嶋は素直だった。
まだあの日の恐怖は覚えていたけれど、夕月はなんとなく、この少年を恨めなくなってきていた。
「先輩達にももう会うのやめます。俺もお2人みたいに鬼つえー男になるっス!」
「……だって、翔吾。」
振り返ると、翔吾は変わらず苦い顔をしていた。
「……くだらねぇ。夕月も殴ってやれば良いんだよ。」
「うーん…、」
夕月は中嶋に向き直った。
翔吾が代わりに散々怒ってくれているから、殴るのはやめて、言葉を探した。
「私、あの時本当は泣きたかったよ。でも、翔吾の事信じてたから、泣かなかった。翔吾だって確かに喧嘩は強かったけど……、別に私が従えて止めた訳じゃない。自分で考えて選んだんだよ。」
「……はい。」
「だから、強いとかかっこいいとかじゃなくて、ちゃんと自分で考えて、信じられるものを探した方が良いよ。」
「……はい!」
中嶋はもう一度深く頭を下げた。
「感動しました! やっぱり夕月さんについていきます……!」
「え! えぇ……。」
とりあえず、その大きな声をやめて欲しい。
それまで黙っていた翔吾が、狼狽える夕月の肩を掴んで引き寄せた。
「夕月、免疫なさすぎ、年上ぶりすぎ。こんな奴あんまり調子乗せんな。」
「翔吾。」
「俺はコイツの顔は知らねーけど。言っとくけど、夕月が何ともなかったの奇跡だから。」
夕月は翔吾を見上げた。
夕月に言葉を落としながらその目は中嶋を見ていた。
「おい中嶋、あの時いたんだからわかるだろ。会わねぇったって簡単に抜けらんねぇの。」
「……翔吾、もしかして、中嶋くんの事心配してる?」
「俺は! 夕月を、心配、してんだよ!」
翔吾は短く言葉を区切りながら圧を強めたが、その目から僅かに険が抜けていることに夕月は気付いていた。
「でも俺、まだクスリも殺しもやってないっス! それに、翔吾さんから夕月さんを奪おうとか思ってないっス!」
「そんなもん当たり前だろうが!」
本気で夕月を心配しているのはわかっているが、中嶋に怒鳴り返す翔吾から、なんだかちょっと夕月の知らない匂いがした。
彼が夜の街に引き戻されないように、しっかりその手を取っていようと「翔吾の女」は決意を新たにするのだった。
「俺、翔吾さんにも惚れてますから!」
「やめろ! 気色悪ぃ……!」




