【本物との邂逅、そして怪物への対峙】
【本物との邂逅、そして怪物への対峙】
重苦しい呪力に満たされた結界を抜け、朔夜と六花は古い一軒家の玄関の前に立った。
息を呑むような緊迫感の中、朔夜が漆黒のコートの下で特級呪霊の札を握り直した、まさにその時だった。
ガチャリ、と。
重々しい空気を拍子抜けするほどあっさりと破り、木製の引き戸が開かれた。
「朔夜君、持子さん、どうぞ!」
そこに立っていたのは、ヨーロッパでの死闘をくぐり抜け、ほんの少しだけ大人びた表情を見せる『本物の恋問持子』だった。
極寒の朝に咲く陽だまりのような、純朴で可愛らしい笑顔。
七星宝刀の呪縛によって魔王としての威厳を失い、16歳の気弱な少女へと戻った彼女が、自分のレプリカである六花に対して『持子さん』とさん付けをして迎え入れる。
朔夜は一瞬、毒気を抜かれたように目を見開いた。
「持子……お前、記憶は戻ったのか?」
朔夜の問いに、持子は「えへへ」と少し照れくさそうに笑い、首を横に振った。
「全部ではないんだけどね。……朔夜君のことは、ごめん、まだボンヤリとだけ。でも、名前とお顔とかは思い出したよ。あと……すっごい山盛りのラーメンを、一緒に食べたのは思い出したの」
持子は自身の頭をコツンと叩き、クスッと笑う。
「私、モデルなのにあんなニンニクとアブラたっぷりのラーメン食べて、大丈夫だったのかなって。でも、すっごく楽しくて、二人で笑い合ってたの……あってる?」
「……あっている」
朔夜は、低く掠れた声で答えるのが精一杯だった。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
ラーメン二郎。それは間違いなく、かつて彼が彼女を連れ回した記憶だ。
目の前にいるのは、彼がかつて強烈に惹かれ、振り回された初恋の相手、本物の持子。
だが、その彼女の記憶の欠片を前にして、今の朔夜の心は致命的なまでに『六花』で満たされていた。
彼の背後では、絶世の美貌を強張らせた六花が、朔夜のコートの裾を震える手でギュッと強く握りしめている。
消滅の恐怖と、本物を前にしたレプリカとしての劣等感。
六花の細い指先から伝わってくるその切実なすがりつきに、朔夜はたまらなく愛おしさを覚えた。
(俺の血と術式で創り上げた、最高傑作。……俺の心に深く刻み込まれたのは、お前だ、六花)
朔夜は背後の六花を庇うように、わずかに立ち位置をずらす。
その朔夜の背中で、六花は必死に震えを抑え込んでいた。
(本物……! 本物の持子……!)
自分はこの少女の身代わりとして造られた、ただのダミー。
本物が帰還した今、自分の存在意義は完全に失われている。
だが、ここで萎縮してしまえば、朔夜の隣に立つ資格すら失ってしまう。
六花はギリッと奥歯を噛み締め、震える足に力を込めると、朔夜の背中からスッと前に進み出た。
「……大儀である」
傲岸不遜な、極黒の魔王の口調。
六花は顎をツンと上げ、腕を組んで上から目線で言い放った。
「パリの空気に当てられたか。以前のひ弱な姿に比べれば、少しはトップモデルらしい姿勢になったではないか。褒めてつかわすぞ」
それは、己の恐怖を覆い隠すための、必死の虚勢だった。
本物に「貴様は偽物だ」と指摘されれば、その瞬間に張り子の魔王の威厳は崩壊してしまう。
六花の心臓は、破裂しそうなほどに早鐘を打っていた。
しかし、持子の反応は、六花の予想をはるかに超えるものだった。
「はいっ!」
持子は、まるで尊敬する先輩に褒められた後輩のように、パァッと顔を輝かせて嬉しそうに微笑んだのだ。
ヨーロッパでロレンツォの過酷な撮影を乗り越え、自己の肉体への誇りを取り戻した持子にとって、自分と同じ姿をした六花からの叱咤激励は、確かな力となっていたのだ。
(…………っ!)
そのあまりにも素直で無垢な笑顔に、六花は思わず息を呑んだ。
(なっ……なんという素直さだ! 可愛い! なまら可愛いではないか、このオリジナル!)
六花の中に芽生えていた、本物に対する「妹のような愛おしさ」が爆発する。
魔王としての威厳を保ちながらも、内心では(頭を撫で回してやりたい……っ!)という衝動に駆られていた。
「さ、二人とも、中に入って。雪さんが待ってるから」
持子に案内され、二人は靴を脱いで廊下を進む。
玄関の和やかな空気は、奥の居間に近づくにつれて、再び肌を刺すような絶対零度の冷気へと変わっていった。
広い居間の奥。
アンティークのテーブルセットに腰を下ろし、優雅にアールグレイの紅茶を啜っているのは、ネイビーのパンツスーツをスタイリッシュに着こなす小柄な女性。
千年以上を生きる不老の怪物であり、日本の裏社会に君臨する最強の大陰陽師、立花雪だった。
カチャリ、と。
ティーカップがソーサーに置かれた音が、不気味なほど大きく室内に響く。
雪の冷徹な双眸が、朔夜を、そして――その隣で魔王の虚勢を張りながらも、微かに肩を震わせている六花を射抜く。
「……どういうつもりかしら、朔夜」
氷のような声が落ちる。
雪は、朔夜が単独で来るものとばかり思っていた。
それゆえに、すでに役目を終え、解呪される運命にあるはずの『影持子』を連れてきたことに、明らかな不快感を示し、細い眉をぴくりと顰めた。
張り詰めた殺気が、居間を支配する。
朔夜は六花を背にかばうように一歩前に出ると、雪の絶対零度の視線を真正面から受け止めた。




