【創造主の覚悟と、魔王の矜持】
【創造主の覚悟と、魔王の矜持】
白々と夜が明け始めた早朝。スノー本社ビル、副マネージャー室。
昨夜の濃密な熱とカオスな感情の余韻がまだ微かに残る静寂を、無機質で冷徹なスマートフォンの着信音が鋭く切り裂いた。
銀髪のショートボブに白磁の肌を持つ天才陰陽師・土御門朔夜は、浅い眠りから瞬時に覚醒した。
画面に表示された「立花雪」の文字を見た瞬間、彼の背筋に氷のような悪寒が走る。
朔夜は、隣で自身のシャツを握りしめて眠る絶世の美少女――彼自身が血肉と術式を注いで創り上げた最高傑作の式神『六花(影持子)』を起こさないよう、そっとベッドを抜け出した。
「……はい、雪先生」
電話に出た瞬間、彼の口調は普段の傲岸不遜な『俺』から、師匠である雪に絶対服従する『僕』へと自動的に切り替わった。
『おはよう、朔夜。……持子と楓ちゃんが帰還したわ。氷川神社の近くにある、あの古い一軒家へ来なさい』
電話越しからでも伝わってくる、千年を生きる大陰陽師としての絶対零度のプレッシャー。
彼女の言葉の裏にある意味は明確だった。
「オリジナルが帰還した以上、身代わり(デコイ)である影持子の役目は終わった。清算の時間だ」という、冷酷なプロデューサーとしての宣告。
「……はいっ! 直ちに向かいます!」
朔夜は完璧な優等生としての返事を返し、通話を切った。
だが、スマートフォンを握りしめる彼の手は白く血の気が引き、ギリッと奥歯を噛み締める音が室内に響いた。
朔夜は即座にクローゼットの奥を開け、普段の業務では決して持ち出さない『特級呪霊』を使役するための封印札や、最高純度の防衛用呪符を次々と漆黒のコートの内ポケットへとねじ込んでいく。
それは、裏社会の頂点に君臨する自身の絶対的な師匠――立花雪という『怪物』に対する、決死の反逆の準備であった。
「……朔夜?」
不意に、背後から震える声が響いた。
175cmの完成されたトップモデルのプロポーションを朔夜の大きめのシャツで包んだ六花が、ベッドの上で不安そうに身を縮めていた。
彼女は極度の敏感体質であり、他者の魔力や感情の揺らぎに異常なほど鋭い。朔夜から放たれる悲壮なまでの決意と殺気を、六花が感じ取れないはずがなかった。
「お前……どこに行くのだ……? まさか、雪のところへ……?」
「六花、お前はここで待ってろ。俺が全部、片を付けてくる」
朔夜が無理に作った作り笑いを向けた瞬間、六花の張り子の魔王としての虚勢は木端微塵に砕け散った。
「嫌だ……っ! 行かないでくれ、朔夜ぁっ!」
六花は裸足のまま床を蹴り、朔夜の背中にすがりついた。
大粒の涙が黄金色の瞳からボロボロとこぼれ落ち、彼のコートを濡らす。
「わしは……わしは、消されたくない! お前と一緒にいたいのだ……っ! なあ、朔夜……逃げよう! スノーも、魔王の役目も全部捨てて、誰も知らない遠くへ……っ! お願いだから、わしを置いていかないでくれ……っ!」
生まれたての少女のように泣きじゃくり、必死に逃亡を訴える六花。
その悲痛な叫びに、朔夜の胸は引き裂かれそうになった。
彼とて、可能ならば今すぐこの愛する少女を連れて地の果てまで逃げ出したい。だが、天才陰陽師である彼には、それが『絶対に不可能』であることが残酷なまでに理解できていた。
朔夜は六花の震える身体を振り返り、その細い肩を両手でしっかりと掴んだ。
「……逃げられないんだ、六花。お前は、俺の術式だけで創られたわけじゃない。……雪先生の血と、本物の持子の魔力が混ざり合って生まれたキメラの式神なんだ」
朔夜の言葉に、六花はハッと息を呑んだ。
「雪先生は、お前の存在を根源から完全に掌握している。地の果てまで逃げようが、結界の奥底に隠れようが、あの人がその気になれば……一瞬で追跡され、遠隔から強制的に解呪される。逃げることは、お前の死を早めるだけだ」
「あ……あぁ……っ」
「お前の存在をこの世界に繋ぎ止める方法は、一つしかない」
朔夜の瞳に、獰猛なまでの『雄』の光が宿る。
「俺が雪先生の正面に立ち、お前の生存を認めさせる。……説得が不可能なら、あの化け物を倒してでも、俺がお前を護り抜く」
それは、己の命が終わるまで彼女を魂に刻み込むと誓った、天才陰陽師の揺るぎない覚悟だった。
六花はその圧倒的な愛と決意に触れ、嗚咽を漏らしながらも、ギリッと唇を噛み締めた。
自分だけが泣いて怯えているわけにはいかない。愛する彼が命を懸けるというのなら、自分も隣に立ち、運命に抗う義務がある。
「……わしも、行く」
涙を乱暴に拭い去り、六花は背筋をピンと伸ばした。
その顔に、再び傲岸不遜な『極黒の魔王』の仮面が、今度は震えることのない確かな意志と共に貼り付けられる。
「わしはお前の最高傑作なのだろう? ならば、創造主を一人で死地へ向かわせるなど、魔王の矜持が許さぬわ!」
「……っ、はは。そうだな。お前は俺の、世界で一番美しくて残酷な花だ」
朔夜は不敵に笑い、六花の唇に短く、熱いキスを落とした。
*
二人は夜明けの冷たい空気を切り裂き、都内・氷川神社の近くにひっそりと佇む古い一軒家へと降り立った。
一見すればただの古びた家屋だが、朔夜と六花の目には、その異常性がはっきりと視認できていた。
この家全体が幾重にも張り巡らされた高度な呪術的結界によって、外界から完全に切り離されているのだ。
物理法則すらも捻じ曲げるその絶対的な隔離空間は、中でどれほど強大な魔力が衝突し、地形が変わるほどの死闘が繰り広げられようとも、外の世界には音一つ、光の瞬き一つ漏らすことはない。
(……ここを、俺と六花の『墓場』にするつもりか、雪先生)
朔夜は漆黒のコートの下で特級呪霊の札を握りしめ、極限まで練り上げた魔力を静かに循環させた。
隣を歩く六花も、極黒の魔力を纏い、毅然とした足取りで門をくぐる。
大陰陽師と天才陰陽師。そして、儚くも気高き張り子の魔王。
彼らの命と存在意義を懸けた、残酷で哀しい反逆の幕が、今、静かに開かれようとしていた。




