表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

408/432

【霧の中の襲撃者】

【霧の中の襲撃者】



霧の都、ロンドン。


持子と楓の二人は、ロンドン最大の名所である『大英博物館』を訪れていた。


「はぁ〜……なまら広かったね、楓ちゃん! 1、2時間しかないからって急いで回ったけど、すっごく大満足だよぉ!」

「ええ。短時間で主要な見どころを押さえる、完璧なルートでしたね」


広大な中庭『グレート・コート』のガラス屋根から差し込む冬の柔らかな光の下、二人は優雅な『グレート・コート・レストラン』のテーブルで向かい合っていた。


持子はホットミルクティーの入ったカップを両手で包み込みながら、とろんとした幸せそうな顔で先ほどの見学コースを振り返る。


「『ロゼッタ・ストーン』の文字、すっごく細かかったし、『ラムセス2世』の胸像は大きくて迫力あったなぁ。それに『パルテノン彫刻』! なんだか神話の世界に入り込んだみたいだったよ」


「持子お姉さんが楽しんでくれたのなら、護衛として同行した甲斐があります」


完璧な黒のパンツスーツ姿の楓は、持子の無邪気な笑顔に優しい微笑みを返した。


だが、次の瞬間。

楓の美しい顔から、年相応の少女の表情がスッと消え去った。



(……おかしい)



特級エージェントとしての研ぎ澄まされた直感が、けたたましい警鐘を鳴らしたのだ。


ガラス屋根越しに見える空。ロンドン名物の霧が、不自然なほどに濃く立ち込めている。

いや、違う。

まるで巨大な悪意ある意志を持っているかのように、この大英博物館の建物だけをすっぽりと包み込むように這い寄っていたのだ。


それは単なる気象現象ではない。

空間ごと精神を侵食し、外界と完全に遮断する高位の結界術の兆候。


そして、その悪意の発生源は――。



(この巨大な結界の中心……明らかに、私たちを、いや『持子お姉さんの魔力』を真っ直ぐに狙って結集してきている……!)



アザゼルは、探していた極上の魔力の持ち主である持子を見つけ出し、彼女を確実に逃がさないため、この大英博物館そのものを巨大な『狩場』として封鎖したのだ。


「……持子お姉さん。カップを置いて、私の後ろへ」


楓の声のトーンが、一瞬で「戦場の特級エージェント」へと切り替わった。

空気がピリッと氷のように張り詰める。


「えっ……楓ちゃん?」


持子が戸惑いながら立ち上がった、その時。


スゥゥゥッ……と、完全に閉まりきっているはずの空間をすり抜けて、レストラン内に真っ黒な羽が数枚、雪のように舞い落ちた。


同時に、大英博物館の照明がジジジッと一斉に明滅し、パチンッという音と共に完全に消灯した。

暖かかったはずの室温が、急激に氷点下まで下がっていく。


「ひぃっ!? な、なに!? 停電……!?」

「キャアアアアッ!?」


突如として薄闇に包まれた館内に、観光客やスタッフたちのパニックに陥った悲鳴が響き渡る。


床から、どす黒いコールタールのような霧がボコボコと湧き出し、近くにいた数人の客の足元から這い上がった。


「あ、ああ、ああああああああっ!?」

「嫌だ、俺の頭の中を覗くなぁぁっ!」


顔のない堕天使の分体たちが、彼らの心の奥底にある『最も恐れるもの』を貪り喰らっていく。

犠牲となった数人が、瞳孔を開いて泡を吹き、バタバタと床に倒れ伏した。


「……来ます!」


楓は持子を背後に庇い、右手を虚空に差し出した。

極大の霊力が渦を巻き、白銀の光が集束する。


神話級の宝具『生太刀いくたち』の顕現だ。



『……恐れよ。絶望せよ……お前たちは……』



「安心してください、持子お姉さん。私が斬り捨てます」


床を蹴り、最前線へ躍り出た楓の生太刀が、白銀の閃光を描く。


シュパァァァンッ!


襲い来るアザゼルの分体たちを、一太刀で数体まとめて両断する。

神術の光に焼かれた黒い霧は、悲鳴を上げて霧散した。


楓の迅速な対応により、被害は最初の数人のみで食い止められていた。


しかし。



(……チッ。実体を持たない霧の分身。この広大な空間に散らばられると、太刀では効率が悪いですね)



斬っても斬っても、別の場所から新たな瘴気が湧き出し、逃げ惑う人々へ向かおうとする。

敵の数が異常に多いと判断した楓は、即座に手元の宝具を切り替えた。


「――面倒です。まとめて消えなさい」


生太刀の光が形を変え、巨大な白銀の弓――神話級の宝具『生弓いくゆみ』へと換装される。

楓が静かに弦を引くと、空気が軋む音と共に、無数の『光の矢』が虚空に顕現した。



シュドォォォォォォォォォォォォォッ!!!



放たれた流星群のような光の矢が、意志を持つかのように広大な館内を駆け巡る。


的確にアザゼルの分体だけを射抜き、黒い霧の群れを次々と消滅の光で吹き飛ばしていった。

たった一撃で、館内に散らばっていた分身の九割が完全に消し飛ばされる。



『……オオォォォォォォォッ!!』



圧倒的な神術の光を前に、残った瘴気が寄り集まり、巨大なアザゼルの本体が姿を現した。

のっぺりとした顔のない闇が、明確な怒りと敵意を持って楓へ向けられる。



(この光の術者……邪魔だ。こいつを先に喰らわねば……!)



アザゼルは、自身の狩りを妨害する楓を最大の脅威と認識し、すべての瘴気を彼女一人へと集中させて襲いかかろうとした。


だが、その時だった。


「や、やめてぇっ! 楓ちゃんに近寄らないでぇぇっ!」


楓の背後から、恐怖でガクガクと震えながらも、親友を案じる持子の悲痛な叫び声が響いた。


その声と共に、極度の緊張と恐怖によって、封印されているはずの持子の『極黒のカオス魔力』が、無意識のうちにほんのわずかに漏れ出したのだ。


ピタリ、と。


楓に襲いかかろうとしていたアザゼルの巨大な瘴気が、不自然に動きを止めた。



『…………アァ……』



顔のない堕天使の意識が、楓越しに、その後ろで震えている華奢な少女――恋問持子へと完全に釘付けになった。



『見つけた……見つけた……!』



アザゼルの思念が、歓喜に打ち震える。


イギリスの裏社会の魔術師どもから集めた矮小な恐怖など、到底比べ物にならない。

この少女から漏れ出す魔力は、アザゼルの不完全な肉体を永遠に定着させ、完全なる堕天使へと至らせるための、まさに『極上の糧』であった。



『極上の恐怖……極上の絶望……!! 我が真なる器よぉぉっ!!』



アザゼルの狂喜の咆哮が、大英博物館のガラス屋根をビリビリと震わせる。


顔のない堕天使は、もはや楓への敵意すら忘れ、ただ己の渇きを満たす至高の獲物――持子を喰らうことだけを目的として、爆発的な瘴気を膨れ上がらせた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ