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【査問会:生存の証明と深淵への恐怖】

【査問会:生存の証明と深淵への恐怖】


冷たい電子音が、無機質な空間に重苦しく響き渡った。


アメリカ合衆国ワシントンD.C.の地下深く、国家超常事態対策局『エクリプス』本部。


その厳重にプロテクトされた最深部の査問室で、金髪の男――オーウェンと、深い疲労と幾多の死線を越えた凄絶な覇気を纏う高倉竜は、ホログラムモニター越しに並ぶ本部の高官たちを見上げていた。


モニターの一つに、エクリプス中央情報分析室が弾き出した最新の『東京ダンジョン深層における戦闘ログ』が映し出される。


そこに示されたデータは、高官たちを底知れぬ恐怖へと突き落とすのに十分すぎるものだった。


『……信じられん。我が局が誇る、最高峰の近代魔術兵装で固めた精鋭部隊が、一瞬にして……全滅したというのか』


最高席の高官が、乾いた声を震わせながら呟いた。


その口調に、いつものような傲慢さは微塵もない。


彼らの顔は一様に青ざめ、人類が触れてはならない「神域の化け物」の生息する暗闇を、恐る恐る覗き込むような怯えに満ちていた。


『高倉竜。お前の提出した生体ログと戦闘データを確認した』


別の高官が、ホログラム越しに竜へと鋭い、しかしどこか縋るような視線を向けた。


『何時間にも及ぶ、あの絶望的な蠱毒の壺からの決死行……。お前のSSSクラスの武力と生存本能がなければ、指揮官であるオーウェンはおろか、お前自身も間違いなくあの暗闇で肉片と化していただろう。よくぞ生還してくれた。お前のその力は、我が局にとってかけがえのない財産だ』


エクリプス本部は、竜の異常なまでの戦闘能力と精神力を高く評価していた。


あの理不尽な魔域から自力で生還したという事実そのものが、彼の絶対的な「価値」を証明していたのだ。


だが、竜の瞳に喜びの色はない。彼は奥歯をギリッと噛み締め、真っ直ぐに高官たちを見据えた。


「……評価には感謝します。ですが、報告すべき重要な真実があります」


竜の低く通る声が、査問室の空気をピンと張り詰めさせた。


「今回の作戦の真の目的は、ダンジョン探索ではありませんでした。作戦の過程において、オーウェン局員から『魔王持子の殺害』を明確に示唆されたのです」


その言葉が落ちた瞬間、査問室は水を打ったように静まり返り、次いで悲鳴のような怒号が爆発した。


『正気か、オーウェン……ッ!!』


一人の高官が椅子から立ち上がり、オーウェンを指差して絶叫した。


『お前は自分が何をしたか分かっているのか!? あのダンジョン深層のデータを見ただろう! あれは人類の科学や魔術で抗える存在ではない! もしあの「魔王」が本気でエクリプスを、いやアメリカ合衆国を敵と見なして報復に動いたら……我々が滅びかねんのだぞ!!』


怒声の裏にあるのは、理解不能な超越種への圧倒的な恐怖。


本部はオーウェンの身の回りを徹底的に調査していた。


莫大な物資の不正流用、不自然な人員配置。


しかし、その背後にいる大悪魔『バエル』の存在までは突き止められなかった。


敵対している悪魔との不穏な繋がりを示唆するデータまでは割り出せたものの、決定的な証拠が出ない。


日本支部におけるオーウェンに不利なログは、彼の卓越したハッキング技術によって徹底的に消去されていた。


さらに、これまでにオーウェンやバエルの『魔王持子計画』に少しでも関わりのあった支部員たちは、この査問会が開かれる前に、すべてオーウェンの手によって「口封じ」のために暗殺されていたからだ。


「心外ですね」


周囲の怒号を浴びながらも、オーウェンは白々しく、完璧な悲哀の表情を作って首を振った。


「極限状況下で高倉局員がパニックを起こし、私の指示を誤認したのでしょう。私はエクリプスのために最善を尽くしました」


(この、外道が……ッ!)


竜はオーウェンの胸ぐらを掴みかかりたい衝動を必死に抑え込んだ。


高官たちは、状況証拠が限りなく黒に近いと知りつつも、決定的な証拠がないこと、そして何より「これ以上この事件を深く掘り下げて魔王陣営を刺激したくない」という保身と恐怖から、オーウェンの過去の功績を免罪符にして、トカゲの尻尾切りを行うことを決めた。


『……オーウェン。お前を即刻、日本支部から更迭する』


最高席の高官が、震える声を必死に抑えて告げた。


『中国へ飛べ。あそこには我が局の支部は存在しない。お前はただの駐在員として、生涯、本部の厳重な監視下で大人しく過ごすんだ。二度と、我々の世界に厄災を呼び込むな』


それは事実上の追放であり、エリート街道からの完全な左遷だった。


「寛大なご処置、感謝いたします」


恭しく一礼するオーウェン。


誰もいなくなった尋問室で、彼は一人、不気味な笑みを浮かべていた。


(……中国、か。いいだろう。支部がないということは、本部の目が届きにくい隠れ蓑にはちょうどいい。魔王持子……私はまだ、諦めてはいないよ)


手駒を失い、左遷の憂き目に遭おうとも、彼の瞳の奥の狂気は消えていなかった。



オーウェンが追放された後、ホログラムの高官たちは、縋るような目で高倉竜を見つめた。


『高倉……お前が真実を告発してくれたことに感謝する。今、エクリプスは未曾有の危機にある。魔王陣営、そして日本の各超常組織は、我が局に対して極限の不信感を抱いている』


『もし彼らが報復に動けば、我々に防ぐ術はない。……高倉、お前を次期支部長が決定するまでの仮支部長に任命する。あの魔域から生還したお前の武力と胆力、そして魔王陣営と面識のあるお前だけが頼みの綱だ。直ちにパイプ役となり、エクリプスへの報復を全力で食い止めろ』


ダンジョンでの凄惨な死闘を終え、精神と肉体の限界を迎えていた竜にとって、それはあまりにも重く、過酷な命令だった。


しかし、自分がオーウェンの作戦に加担してしまったという罪悪感と責任感が、竜に首を縦に振らせた。


数日後、竜は日本最強の特務機関『TIA(高田馬場囲碁愛好会)』の代表たちと対面していた。


緊迫した空気が漂う応接室で、不機嫌そうに腕を組んで竜を睨みつけているのは、TIAの次期代表である風間洋助かざまようすけだった。


さらにその後ろには、彼の右腕として知られる霞涼介かすみりょうすけが、氷のように冷徹な視線を竜に向けて静かに立っている。


「……正直に言わせてもらおう。我々は、これまで東京で起きた一連の不可解な事件や、うちの裏切り者である赤城太郎が不自然に殺害された件について、すべてエクリプス――いや、あのオーウェンの仕業だと目星をつけていた」


洋助の低くドスの効いた声に、竜の背中に冷や汗が流れる。


その言葉を引き継ぐように、背後に立つ涼介が淡々とした、しかし刺すような口調で告げた。


「だが、お宅らはログも証拠も綺麗さっぱり消し去りやがった。主犯のオーウェンが中国へ左遷された今、これ以上の追及は事実上不可能だ。……正直、腹立たしいことこの上ないな」


「……エクリプス日本支部を代表し、深くお詫び申し上げます。すべては我が局の歪みが生んだ結果です。申し訳ありませんでした」


竜はかつての傲慢なプライドをすべて捨て去り、テーブルに額がつくほど深く頭を下げた。


その様子をじっと見ていた洋助は、深くため息をつき、背後の涼介と短く視線を交わした。


「頭を上げろ、高倉竜。……あの不気味な金髪野郎が消えたのであれば、我々TIAとしては、これ以上の泥沼化は望まない。今後の対応としては、一旦『中立』を保つ」


洋助の宣言に続き、涼介が眼鏡を押し上げながら竜を見据えて言った。


「協力関係を結ぶかどうかは、今後のエクリプスの……いや、あんた自身の活動や動きを見て決定させてもらう。あんたの人格や人柄は、あのオーウェンよりは遥かに信用できそうだからな」


「……感謝、いたします」


他の国内独立クランたちも同様だった。


オーウェンの排除と、決死の生還を果たした竜の誠実な人柄が考慮され、エクリプスは辛うじて国内での全面戦争という最悪のシナリオを回避することができた。



そして最後にして最大の難関。


竜は、日本の大手芸能事務所であり、魔王陣営の総本山である『スノー』の社長室へと足を踏み入れた。


部屋の奥、高級な革張りソファに優雅に腰掛けているのは、千年以上を生きる大陰陽師・立花雪。


彼女から放たれる、霊的にも精神的にも圧倒的な威圧感に、竜は呼吸をすることすら忘れるほどの恐怖を感じた。


エクリプス本部が心の底から恐れる「触れてはならない存在」の重みが、そこには確かに存在していた。


「単刀直入に言うわ、高倉竜」決定


雪の冷徹な声が、室内の空気をピキリと凍らせる。


「私たちスノー魔王陣営は、エクリプスに対して『中立』の立場を取ってあげるわ。……ただし、それは【あなたという人間が、日本支部のパイプ役としてそこに座っている間だけ】よ」


雪の瞳が、刃のように鋭く細められた。


「もし、あなたが更迭されたり、あるいは本部がまた馬鹿な欲を出して、うちの持子に少しでもちょっかいをかけてきたら……その時は、アメリカの本部ごと、エクリプスという組織をこの世から跡形もなく『潰す』わ。これは交渉ではなく、決定事項よ。理解できたかしら?」


「……っ、はい。肝に銘じます」


その言葉がブラフではないことを、竜は本能で理解していた。彼は真摯に、深く頷いた。


しかし、交渉が成立した安堵の裏で、竜の胸にはどうしても消えない疑問が残っていた。


彼は意を決して、雪の目を真っ直ぐに見つめた。


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか。なぜ……なぜ、俺なのですか? 俺はかつて、幼馴染だった持子を恐怖から突き放し、酷く傷つけた男だ。今回だって、敵対組織の尖兵として彼女に刃を向けた。……本来なら、真っ先に消されてもおかしくないはずです」


竜の自嘲気味な悲痛な問いかけに、雪は小さく息を吐き、その冷徹な表情をほんの少しだけ和らげた。


「理由は二つあるわ。一つは、あなたの祖父である高倉老人には、昔ちょっとした恩があってね。……その孫を無下には殺せないのよ」


「祖父に……ですか」


「そして、もう一つの理由はね――」


雪は、愛おしい娘の成長を語るような、どこか温かい目を竜に向けた。


「……うちの持子が、今でも、なんだかんだ言って、あなたのことを気に入っているからよ」


「――ッ!!」


その瞬間、竜の身体に強烈な電流が走った。


かつての幼馴染。自分が「化け物」と恐れ、その救いを求める手を無惨に振り払ってしまった少女。


ダンジョンの深層で、自分が命を懸けて殺そうとし、同時に魂だけでも救おうとした彼女は、人類を滅ぼしうる強大な魔王の力を手にした今であっても……まだ、自分のことを「幼馴染の竜ちゃん」として、心の中で大切に想ってくれているというのか。


(俺は……なんて愚かで、残酷なことをしてしまったんだ……!)


己の過去の過ちへの激しい後悔と、持子の底知れぬ純粋な優しさが、竜の胸を強く締め付けた。


目頭が熱くなるのを必死に堪えながら、竜は立ち上がり、雪に向かって、床に額がこすれるほどに深く、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます。このご恩と、持子の気持ちは、一生忘れません。俺の命に代えても、二度と局に暴走はさせません」


「ええ。せいぜい、持子を悲しませないように立ち回りなさい」



この日本国内の全陣営による「高倉竜が担当であること」という絶対条件は、ワシントン本部に凄まじい衝撃を与えた。


本来であれば、東京ダンジョンでの凄絶な死闘により、精神と肉体の限界を迎えている竜をアメリカ本部へ戻し、無期限の長期療養(あるいは事実上の軟禁)にする予定だった。


エクリプスという組織は、使い物にならなくなった人間に居場所を用意するほど甘くはない。


しかし、彼をクビすることも、日本から引き離すこともできなくなったのだ。


竜を失えば、その瞬間に「魔王陣営」という人類滅亡の天災がアメリカに向けて牙をむく。


エクリプスは、竜という存在に組織の命運を人質に取られた形となった。


結果として、竜は【仮支部長】の座に留まり、日本に滞在し続けることが決定した。


彼に下されるはずだった無期限の長期休暇は、各陣営との緊急のパイプ役を務めるため、わずか【一ヶ月】へと短縮された。


「一ヶ月、か……。俺には、それで十分だ」


誰もいない、静まり返った日本支部の支部長室。


竜は一人、大きなデスクに座り、窓の外に広がる東京の夜景を見つめていた。


ダンジョンでの精鋭たちの断末魔、血の匂い、圧倒的な闇の恐怖は、今も彼の心に深くこびりついている。


夜になれば、今でも悪夢に飛び起きるほど、彼の心は傷だらけだった。


しかし、かつてアメリカへ渡った時の、虚栄心に満ちた傲慢な心はもうない。


そして、作戦直後のような、生きる目的を失った虚無感も完全に消え去っていた。


(持子……お前が俺を信じて、居場所をくれたんだな)


竜は、自らの震える両手を強く握りしめた。


ダンジョンの深淵からオーウェンを引き摺り出した、血に塗れたその手を。


かつて振り払ってしまった少女の手を、今度は自分が、組織の盾となって陰から守り抜く。


高倉竜は、少女が生きるこの優しい世界を守るため、傷だらけの身体で、新たな孤独な戦いへと歩み出す決意を静かに固めていた。


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