【悪魔の策士と、悲痛なる武神】
【悪魔の策士と、悲痛なる武神】
東京ダンジョン、深層へと至る一本の長大な回廊。
太陽の光など永遠に届かないその暗域に、冷たく無機質な軍靴の音が響き渡っていた。
「Target verified. ――目標の魔力波長、深層の大空洞にて確認。これより最終作戦へ移行する」
最新鋭の対超常兵器で武装したアメリカ国家超常事態対策局『エクリプス』の精鋭部隊が、音もなく陣形を展開していく。
彼らを率いる司令官、ヴィンセント・オーウェンは、仕立ての良い高級スーツのポケットに両手を突っ込み、暗闇の奥――ターゲットが待ち受ける大空洞を冷徹な眼差しで見据えていた。
「素晴らしい。日本という国は、本当に素晴らしいよ。地獄の門を開く最終段階の舞台として完璧だ」
その底知れぬ冷酷さとマキアヴェリズムが滲む独白の横で、一人の男がただ黙然と佇んでいた。
鋼のように引き締まった強靭な肉体。
長年の厳しい鍛錬によって練り上げられた、無骨ながらも精悍な顔立ち。
エクリプスのエージェントであり、SSSクラスの戦闘力を持つ武神――高倉竜だ。
彼の手には、身の丈を優に超える長大な愛槍が握られている。
しかし、その手は微かに、だが確かに震えていた。
「……あれが、魔王だ」
オーウェンが、索敵モニターに映る禍々しい極黒の気配を指し、横目で竜を見やりながら静かに告げた。
「……分かっている」
「ならば、やることは一つだ。彼女の魂が完全に魔王に食い殺される前に、君の手で終わらせてやりたまえ。……前世の因縁の通りにな」
オーウェンの言葉は、竜の魂の奥底に刻まれた凄惨なトラウマを容赦なく抉り出した。
目の前にいるのは、愛する彼女の肉体を乗っ取った憎き暴君なのだと、彼は完全に信じ込まされている。
(モッチ……。俺は、なんて馬鹿だったんだ)
竜の胸の奥で、真っ黒な絶望と激しい後悔が渦巻いていた。
世界中が敵に回ろうとも、己の命に代えて彼女を護り抜く覚悟だった。
だが、護るべき対象がすでに化け物に成り果てているのなら。
「……ああ。俺が、やる」
竜はギリッと奥歯を噛み締め、血を吐くような声で答えた。
その瞳から一切の迷いが消え、武神としての極限の『気』が全身から立ち昇る。
「過去も業も関係ない。俺はお前を愛している。だからこそ……俺の命に代えても、お前だけは俺が終わらせる……ッ!」
悲壮なる覚悟を固めた武神の姿に、オーウェンは口角を三日月の形に歪め、満足げに頷いた。
「よく言った。では全隊、突入を開始しろ」
【偽魔王の憂鬱と、迎撃の陣】
一方その頃、大空洞の中心部。
スノー陣営の野営地では、目まぐるしい速度で迎撃の準備が進められていた。
「急ぎなさいな! 前方から凄まじい質量の魔力と熱源が接近してきていますわよ!」
吸血鬼の元女王ルージュが、真紅の瞳を吊り上げて索敵の報告を飛ばす。
「わ、わかってるっスよ! 合気武道部、全員陣形を組め! ここは俺たちで死守するぞ!」
「佐藤くんは全体の指揮を!私がカバーします!」
佐藤と南原の声が響き、千手や森、そして一年生の部員たち阿部と門と高橋が一糸乱れぬ動きで前衛・後衛の布陣を敷く。
その周囲では、本多鮎、花園美羽といった下僕たちが己の武器を限界まで引き絞り、濃密な殺気を放っていた。
「持子様には、指一本触れさせませんわ……!」
鮎が大剣を構え、美羽が二振りの短刀をシャキンと鳴らす。
そんな頼もしい仲間たちの背中を後方から見下ろしながら、傲岸不遜な「魔王の仮面」を被った影持子(六花)は、マントをバサァッと翻した。
「フハハハッ! 良いぞ貴様ら! 飛んで火に入る夏の虫とはこのことよ! どんな愚か者が迷い込んだか知らぬが、この極黒の魔王の力、その身に刻んでくれるわ!」
高らかに笑い声を上げ、堂々たる暴君の振る舞いを見せる六花。
(ふふっ、今のわし、完璧な魔王ムーブ! みんなも頼もしいし、これなら勝てる!)
彼女は内心でドヤ顔をキメていた。
大空洞の入り口から、重装甲のエクリプス部隊が雪崩れ込んできたその瞬間。
「そこをどけェッ!!」
部隊の先頭に立ち、空気を切り裂くような凄まじい気迫と共に飛び出してきた「一人の男」の姿を網膜に捉えた瞬間、六花の思考は完全にフリーズした。
【邂逅、そして開戦】
(……えっ?)
六花の口から、間の抜けた声が漏れそうになる。
彼女の視線の先、自分に向かって一直線に殺意を向けてくるその無骨な男を見た瞬間――六花の脳裏に、自分が体験したわけではない情景が鮮やかにフラッシュバックした。
『雪の降る札幌、冷え切った手を引いてくれた小さな温もり』
『道場で汗だらけになりながら、肩で息をして共に汗を流した日々』
『そして――不器用で真っ直ぐな彼に向けた、ずっと胸の奥に隠し続けていた、淡い恋心』
その記憶の断片が、オリジナル持子の魂の残滓を通じて、六花の胸をキュッと締め付けた。
(あっ、竜だ)
彼女の脳内を、冷静な事実が駆け抜けた直後。
六花の顔面から、サーッと血の気が引いていく。
下僕や合気武道部の仲間たちにはなんとか「本物」だと誤魔化し通してきたが、相手は幼馴染であり、オリジナル持子が長年想いを寄せていた相手、高倉竜である。
純粋で真っ直ぐな、武神としての極限の殺意。
彼が愛する「本物の持子」の肉体ごと、魔王である自分を消し去ろうとする血を吐くような悲壮な覚悟が、六花の究極の敏感体質をビリビリと刺激する。
(怖いっ! なまら怖いっ!!)
心の中では大パニックを起こし、生まれたての少女のように涙目で泣き叫んでいる六花。
しかし、六花は逃げなかった。
震える膝を必死に押さえつけ、顔の筋肉を総動員して、この世で最も傲岸不遜で邪悪な「魔王の笑み」を顔面に貼り付けた。
「……フハ、フハハハハッ! 良い覚悟だ! 貴様らごときが、この天下の魔王を満足させられるとでも思っておるのか!」
六花は両腕を広げ、竜の切っ先を正面から受け入れるように堂々と叫んだ。
「行くぞ貴様ら! 魔王軍、出陣じゃァァァッ!!」
(――内心:なまら怖いいいいいいッ!!)
六花の号令と、竜の悲痛なる咆哮が同時に大空洞に響き渡る。
それを合図とするかのように、大空洞に潜んでいたバエル陣営の悪魔たちが、地獄の底から湧き出すように一斉に左翼へと襲い掛かってきた。
人類の命運と個人の執念、そして異界の悪意が複雑に絡み合う激戦の火蓋が、今ここに切って落とされたのである。




