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【仲間同士の信頼破壊、あるいは滑狂な空回り】

【仲間同士の信頼破壊、あるいは滑狂な空回り】


**六本木・地下深く——国家超常事態対策局『エクリプス』極秘指揮所**


 冷ややかなブルーの照明が、無機質な軍事用コンソールの群れを照らし出している。

 壁一面を埋め尽くす巨大メインモニターには、東京全域の霊的エネルギーの観測データと、遥か遠くヨーロッパ・パリの衛星映像が、凄まじい速度で処理され映し出されていた。


 エクリプスの極秘指揮所。

 ここは日本国家の裏側を牛耳る闇の中枢であり、同時に、最高レベルの精神感応系テレパス能力者や、魔力探知のスペシャリストたちが常時監視の目を光らせている、息の詰まるような空間である。


 その中央、一段高い司令官席に深く腰掛ける金髪の男——オーウェンの脳内に、突如としてチリッとした微弱な静電気が走った。


『――呪詛、接続』


 それは、大悪魔バエルからの極めて短い念話だった。

 いかに強大な大悪魔といえど、この指揮所内で長い言葉や強烈な意志を伴う念話を飛ばせば、即座に異常な魔力波形として検知されてしまうため、通信は最小限に留められていた。


「……少し、席を外す。各員、防衛線の監視を怠るな」


 オーウェンは表情一つ変えずに立ち上がり、冷徹な声で部下たちに指示を出すと、隣接する最高レベルの霊的遮断結界が張られた専用の小部屋セーフ・ルームへと足を踏み入れた。


 分厚い防音扉が閉まり完全な密室空間が構築された瞬間、どす黒い瘴気がヌラリと蠢き、大悪魔バエルの姿が顕現した。


「バエル卿。待たせたな」


 オーウェンはそう口にしながらも、彼の手元の情報端末には、ヨーロッパでの作戦結果が非情な事実として表示されていた。

 彼がシャーロットからの情報を元に暗躍し、偽情報を流して踊らせた連中——「黒き聖堂騎士団」や他の連中どもからの連絡が完全に途絶えたのだ。


 持子オリジナルへの襲撃は、間違いなく失敗に終わった。


 だが、オーウェンは薄い唇を三日月の形に歪めて笑った。

 彼からすれば襲撃の失敗は想定内であり、何よりシャーロットからの情報が間違っていなかったという「確信」を得られた収穫のほうが大きい。全滅したのは自らの直接の手駒ではないため、オーウェンやバエルの痛手は皆無だった。


「ククク……首尾は上々だぞ、オーウェン。地下をうろつくあの『人形』への仕込みは完了した」


「ああ、ご苦労だった。だが、作戦の第一段階フェイズ・ワンは一部変更する。オリジナル持子と、規格外の戦力である風間楓は、確実に日本にいないことが証明された。下手にスノーのネットワーク中枢へ偽造映像を流し込んだり、風間楓へ偽装メールを送信したりすれば、かえって警戒を強めさせるだけだ。奴らへのフェイク情報の送信は中止とする」


 あの規格外の化け物である風間楓がヨーロッパにいる以上、小細工で精神的なブレを生じさせるリスクを取る必要はないと、オーウェンは冷徹な判断を下した。


「なるほど。ならば、地下の哀れな人形のみに集中しよう。『自分こそが本物だ』と思い込ませる呪詛はすでに流し込んである。罠に落ちた恐怖から自我を失い、仲間に泣きつき、見苦しい醜態を晒すだろう。……クハハハッ! 想像するだけで滑稽な道化芝居よ!」


「ああ、その通りだバエル。スノーの者どもは、互いの疑心暗鬼で勝手に自滅する」


 完全な密室の中で二人は成功を確信して低い笑いを上げると、オーウェンは再び結界部屋を出て指揮所のシートへと戻っていった。



【一方その頃、東京・スノー本社ビル社長室】


 深夜の社長室。

 日本最強の大陰陽師であり、スノーの社長である立花雪は、大理石のデスクの奥で静かにアールグレイの紅茶を啜っていた。隣では愛弟子の土御門朔夜がタブレットを操作している。


「オーウェンが動かないわね……。シャーロットを通じて流した『持子がヨーロッパにいる』という情報は、確実に彼らに届いていたはずなのに」


 雪がティーカップを置きながら、静かに口を開いた。


「ええ。彼らなら、その事実を利用して、パリにいる持子が危機に陥っているというフェイク映像をこちらのネットワークに送りつけてくるかと思っていましたが」


偽情報フェイクで相手を本気で騙そうとするなら、ほんの少しの『真実』を混ぜ込む必要があるわ。でも……」


 二人の脳裏にあるのは、昨日楓から届いた事後報告書の内容だった。


 前日の夜、パリの高級レストランで記憶を失った持子が飴細工のデザートに目を輝かせていた裏で、楓はエティエンヌ直属の部下たちが待機する個室へと向かっていた。

 エクリプスに踊らされた傭兵の混成部隊約二百が廃工場跡地に集結していると報告を受けた楓は、バルコニーから神話級の宝具『生弓いくゆみ』を顕現させ、無数の光の矢で遥か遠方の敵を完全に消滅させたのである。


「昨夜の時点で、楓ちゃんがパリの脅威を完全に排除してしまった。真実の核となる『ヨーロッパでの襲撃』が潰された今、彼らも小細工を仕掛けるのを諦めざるを得なかったのでしょう」


 雪は鋭い視線をモニターに向けた。


「……敵も、随分と慎重になったようね」


「ええ。自分たちが動かした手駒の状況を正しく把握し、即座に手を引く判断力は侮れません。次はもっと厄介な手を打ってくるでしょう」


 朔夜が冷徹に分析する。

 決して敵を見下すことはなく、これから始まるであろうオーウェンとの本格的な情報戦と実力行使を見据え、スノーの中枢は静かな緊張感に包まれていた。


 同じ頃、フランス・パリの瀟洒なオープンカフェ。


「うわぁっ、楓ちゃん! このマカロン、すっごく美味しい!」


 無邪気な女子高生となっている本物の持子が、キラキラと目を輝かせている。


「ええ、本当ですね」


 風間楓は優しく微笑みながら、パリの青空を見つめた。

 オーウェンが偽装メールの送信を取りやめたため、彼女のスマートフォンに揺さぶりのメールが届くことはなかった。パリの脅威は昨夜すべて焼き尽くしており、楓は持子の護衛にのみ静かに意識を研ぎ澄ませていた。



【東京地下・大禍つ炉へと続くダンジョン】


 一方、東京の地下深く。

 大禍つ炉の最深部へと近づくにつれ、空気は粘り気を帯びた濃密な瘴気に変わり、空間そのものが歪み始めていた。エクリプスが飛ばしている観測用の電子機器にも、凄まじいノイズが走り始めている。


 先陣を切って歩く『影持子(六花)』の脳内に、突如として不快な電波と共に、悍ましいノイズが響き渡った。


『……お前は本物だ……思い出せ……偽物ではない……』

『……孤独だ……怖いだろう……仲間に助けを求めろ……泣き叫べ……!』


(……ッ!? なんだ、この頭の中を直接掻き回されるような感覚……!)


 バエルの放った、感情誘導と記憶断片の呪詛。

 その凶悪な精神攻撃に、影持子——六花の視界が一瞬だけ激しくブレた。吐き気を催すような泥濘が自我を侵食しようとする。

 しかし、彼女はギリッと奥歯を噛み締めた。


(ふざけるな……自分が偽物ダミーなんてこと、生まれた瞬間から骨の髄まで理解してるわ! わしは立花雪と土御門朔夜の創り出した最高傑作の式神、六花だぞ! この程度の呪詛で揺らぐか!)


 六花の強靭な自我が、呪詛の侵食を強引に跳ね除けた。

 一瞬の動揺を完璧に隠し切り、彼女は傲岸不遜な『極黒の魔王』の顔を作った。


「……フハハハハッ! 何事かと思えば、生温かい微風が吹いたな。わしに下等な精神操作を仕掛けてきたらしいが、痴れ者が!」


 その言葉に、背後を付き従う下僕たちの間に走ったのは、余裕ではなく鋭い緊張だった。

 直後、エティエンヌの魔法制御をハブとした完全な暗号化念話ネットワークが起動した。


『(……持子様の気高き御魂に、このような薄汚い呪詛を直接流し込むなど……万死に値しますわ。絶対に許せません……ッ!)』


 エティエンヌの念話には、普段の甘い声からは想像もつかないほどの激しい怒りと殺意が込められていた。

 表面的には「持子様ぁっ! さすがでございますわ!」と恍惚とした声を上げながらも、彼女の赤い瞳は昏く光っている。


『(エティエンヌ、落ち着きなさい。怒りで魔力を乱せば敵に悟られるわ。……どうやら、敵さんがご丁寧に罠の餌を撒いてきたようね。油断しないで進むわよ)』


 大剣を背負った鮎が、妖艶な微笑みを崩さずに歩きながらも、右手はいつでも大剣を引き抜けるよう柄に添えられていた。


「ああもう、腹が減ったな! こんな陰気な場所を歩かせおって! 帰ったら、朔夜に特大のパフェとたこ焼きを奢らせてやる!」


 影持子が、敵の監視を欺くためにわざと文句を言う。


「フフッ、持子様がパフェを食べる姿、とっても可愛らしいでしょうね」


 鮎が声に出して相槌を打つ裏で、戦術会議はより深刻なトーンで続いていた。


『(佐藤くん、先の交差点の魔力溜まりと、今の不自然な波長、どう読む?)』


「パフェもいいですけど、俺はガッツリとラーメンが食べたいっすね!」


 合気武道部の一年生、佐藤が明るくおどけてみせながら、脳内では極めて冷静に分析を伝える。


『(……鮎先輩。前方30メートルに伏兵の反応。それと、今持子先輩を狙った不自然なほど強力な電波の発生源が上層に複数あります。この深層のジャミングを突破しようと無茶な出力を出しているので、今なら観測ドローンの位置を完全に逆探知できます)』


「あー、ちょっと待ってくださーい。靴紐、ほどけちゃいました」


 花園美羽がしゃがみ込む。


『(了解です。前方の物理トラップ、私が先回りして解除しておきます。……皆さん、気をつけて)』


 次の瞬間、美羽は油断なく周囲を警戒しながら、文字通り「影」に溶けるようにして消失した。

 敵の攻撃によりわずかに揺さぶられたものの、彼女たちはそれを乗り越え、より一層強固な警戒態勢を敷いてダンジョンの奥へと進んでいった。



【再び、エクリプス極秘指揮所】


「司令! ターゲットに呪詛の効果が定着しません! 一瞬のバイタル変動はありましたが、現在は極めて安定しています!」


 オペレーターの報告に、オーウェンの眉間が深く刻まれた。


「それどころか、ダンジョン最深部へ向かうにつれて瘴気が濃くなり、主回線の観測機器に強烈なジャミングがかかっています! 映像データ、これ以上維持できません!」


 メインモニターの映像が激しい砂嵐に飲まれ、完全にブラックアウトする。


「音声のみに切り替えろ」


 オーウェンが短く命じる。

 スピーカーからはノイズに混じって『パフェが……』『ラーメン食べたいっすね!』という呑気な会話が流れる。


(……馬鹿な。あのレプリカ、一瞬で呪詛を跳ね除けただと? それに、この下僕たちの反応……いや、これは表面上のカモフラージュか)


 オーウェンの背筋に、冷たいものが走った。

 その直後、コンソールがけたたましい警告音を鳴らす。


「司令! 緊急事態です! ターゲットの随伴部隊スノーが、こちらの呪詛送信に使った強力な電波の指向性を逆探知し始めました! このままでは上層の観測ドローンの位置が特定されます!」


「慌てるな、想定の範囲内だ」


 オーウェンは冷徹に言い放ち、即座にキーボードを叩いた。


「現在、探知されかかっている第13から第16の観測ドローンを物理的に即時自爆セルフデストラクトさせろ。トカゲの尻尾切りだ。同時に、周囲にダミーの疑似信号波形を多数展開し、奴らの逆探知の目を晦ませる」


「は、はい! ドローン四機、自爆プロトコル作動! ダミー信号、展開しました!」


「すかさず、観測網をプランBへ移行。予備の隠蔽型『魔導共鳴回線』へと切り替えろ。一時的に出力を極限まで絞り、音声とバイタルデータの細線のみを維持。奴らに気付かれぬよう、息を潜めて追跡を続行する」


 オーウェンの迅速かつ的確なカウンターにより、コンソールの警告灯が緑へと戻る。一筋縄ではいかないプロとしての粘り。


「切り替え成功! 予備回線にて、ターゲットの音声監視、辛うじて維持しています!」


 スピーカーからは、再び砂嵐混じりの会話が聞こえてきた。オーウェンはフッと息を漏らし、再びスノーの動向を掴むために耳を澄ませた。


 しかし——。

 ノイズの向こうから聞こえてきたのは、佐藤の呆れたような、そしてどこか冷ややかな声だった。


『(……あ、敵の司令官、結構しぶといっすね。探知されたドローンを自爆させて、別の隠蔽周波数に切り替えてきました。一時的に出力を絞って、まだこっちを覗き見しようとしてますよ)』


(何だと……!?)


 オーウェンの目が見開かれる。

 予備の回線に切り替えたことすら、一瞬で見破られていた。


『(ふん、往生際の悪い痴れ者が。美羽、その予備回線の中継に使われている隠しアンテナの物理破壊を頼みますわ)』


 エティエンヌの激怒を含んだ念話が、かすかに魔導共鳴の隙間から漏れ聞こえる。


『(了解。もう位置は見えてるから、一瞬で片付ける)』


 美羽の冷淡な声が響いた直後、プランBの音声回線に凄まじいハウリング音が走り、バチバチと火花を散らして次々とシステムがダウンしていった。


「司令! プランBの魔導共鳴回線も強制切断されました! それだけじゃありません……! ターゲット側の術者が、こちらの自爆パターンと予備回線の切り替えログを逆算し、それを『呼び水』にしてこちらの暗号キーを強制解除し始めています……! バックトレースが止まりません! あと20秒で、この極秘指揮所の絶対座標が割り出されます!」


 オペレーターの悲鳴のような叫びが響き渡る。

 オーウェンが繰り出した「もう一手」の粘りすらも、スノー側は最初から予測し、より深い本陣の特定に利用するための罠として組み換えていたのだ。


(そこまで見越して、わざとこちらの出方を待っていたというのか……! スノーの化け物どもめ……!)


 オーウェンの額を、本物の冷や汗が伝う。

 これ以上の執着は、エクリプスの心臓部を白日の下に晒す自殺行為に等しい。引き際を見誤れば、最終決戦を前にして全てを失う。


「……全部隊、メインライン、サブシステムを含め、通信を完全切断カットオフしろ」


 オーウェンの声が、冷たく、だが確実な敗北の悔しさを滲ませて指揮所に響き渡った。


「防衛線をさらに500メートル後退。観測機器の物理的痕跡はすべて消去しろ。これ以上の干渉は自滅を招くだけだ。直ちに実行に移せ!」


「は、はい! 通信、完全遮断!!」


 オペレーターがレバーを引き抜くと同時に、指揮所内を包んでいた電子音とノイズがふっと消え、重苦しい静寂が落ちた。

 ダンジョンの奥底へ進む持子たちとの繋がりは、今度こそ完全に断たれた。


 オーウェンは司令官席の背もたれに深く体重を預け、固く拳を握りしめた。

 一手粘り、あらゆる技術を尽くした上での、完膚なきまでの中止キャンセル


(滑稽な空回りは、こちらの方だったか……。だが、これで奴らの底知れなさは十分に分かった。次こそは、生易しい小細工など使わん……)


 彼は脳内で、バエルに向けて極めて短く、感情を完全に排した念話を飛ばした。


『――撤収』


 完璧だったはずの第一幕は、スノーの強固な基盤と、オーウェンの粘りすらも呼び水にした恐るべき戦術連携の前に、エクリプス側の苦渋の完全撤退という形で幕を閉じたのである。


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