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【鏡の魔法と、受け継がれる美の系譜】

持子編

【鏡の魔法と、受け継がれる美の系譜】


まだ薄暗い早朝の東京。

指定されたマンションの前に滑り込んだ黒塗りの高級セダンのドアが開き、風間楓が恭しく頭を下げた。


運転席から降りてきたのは、手配されたハイヤーの運転手ではない。

日本の大手芸能事務所『スノー』の社長であり、千年以上を生きる大陰陽師・立花雪、その人であった。


「おはようございます、楓ちゃん。持子も、おはよう」


「おはよう、雪さん! 楓ちゃんも! 今日からよろしくね!」


乗り込んできた女子高生――すべての記憶と魔力を失い、ただの無邪気な16歳の少女に戻ってしまったオリジナル(JK持子)が、えへへと人懐っこい笑顔を向ける。


その瞬間、車内にふわりと、洗練されたフローラルの香りが漂った。

楓は、わずかに目を見開いた。


『シャネルのNo.5』。

それは、かつて絶対的な暴君として君臨し、その圧倒的な力で護り、導いてくれた『魔王持子』が、好んで常に纏っていたのと同じ香りだったからだ。


今の彼女は、中身は普通の少女のはず。

なのに、その香りは不思議なほど彼女の白磁の肌と黄金の瞳に馴染んでいた。


「……持子お姉さんに、ピッタリと合った匂いですね」

楓は少しだけ懐かしそうな、かつての主を想うような優しい微笑みを浮かべて告げた。


「えへへ、本当? よかったぁ!」

楓から褒められ、JK持子はパッと花が咲いたように無邪気に喜ぶ。


「実は昨日、出発前に『もう一人のわたし』……に、この香水を渡されたんだ。『トップモデルたる者、香りの一つも纏えぬでどうする!』って、すっごく怒られちゃって」

JK持子は昨晩の出来事を思い出し、苦笑いしながらも、どこか愛おしそうに目を細めた。


「あのね、もう一人のわたしって、すっんごく綺麗でおっかないんだけど、わたしのこと、しっかりと教えてくれるの。……もう、最初はすっごく怖かったんだよ?」


「と、言いますと?」


「ペントハウスで二人きりになってお話ししていたら、いきなり全裸にさせられるし! 大きな鏡の前に立たされて、わたしが恥ずかしがって縮こまってたら、『恥ずかしがるな。お前の身体は、恥ずかしいものか? 違うだろう!』って怒鳴られてね」


JK持子は自分の膝の上で、ギュッと両手を握りしめた。


「でもね……そうだと思ったの。恥ずかしくない。わたし……えっと、記憶を失う前の自分が、血のにじむような努力で磨き上げたはずの肉体なんだよね。そう思ったら、裸でも恥ずかしくない、誇れる身体なんだって思えたの!」


「……ええ。持子お姉さんのそのお身体は、紛れもなく頂点に立つための極上の武器です」


「楓ちゃんにそう言ってもらえると自信つくよ! 本当はね、もう一人の持子ちゃんと、もっとお話ししたかったな。すっごく怖かったけど、根は良い人だった。……お姉さんがいたら、あんな感じなのかな? 怖いけど優しい?」


窓の外を見つめながらぽつりと呟いたその横顔は、まぎれもなく優しさに満ちた等身大の少女のものだった。

楓はふふっと柔らかく笑い、真っ直ぐにJK持子を見つめる。


「私も、魔王持子……持子お姉さんは好きですよ。もちろん、今の持子お姉さんも好きですけどね」


「えへへ、楓ちゃんありがとう!」


運転席の雪も、バックミラー越しに二人のやり取りを見守りながら、ふっと口元を和らげていた。



   * * *



数時間後、羽田空港。


「ひぇぇ……なんですかこれぇ……!」

専用のVIPゲートを抜け、滑走路に横付けされた機体を見た瞬間、JK持子はガクガクと膝を震わせて縮み上がった。


彼女を待っていたのは、リュクス・アンペリアルのCEO、エレーヌ・リジュが手配した超豪華なプライベートジェットだった。

広々とした機内には、高級ホテルのような革張りのソファ、バーカウンター、そしてフルフラットになるベッドまで完備されている。


「リジュさんが手配してくださった専用機です。どうぞ、おくつろぎください」


「く、くつろげるわけないよぉ! わたし、一般庶民の女子高生だよ!? 飛行機って、もっとこう、エコノミーでギュウギュウになって乗るものじゃないの!?」

パニックになりながらソファの端っこにちょこんと座るJK持子。


タラップの下では、雪が静かに二人を見送ろうとしていた。


「持子」

雪の透き通るような声に、持子がビクッと肩を揺らして振り返る。


「向こうに着いたら、リジュが待っているわ。不安なこともあるでしょうけど、あなたなら大丈夫。自分と、楓ちゃんを信じて、いってらっしゃい」

まるで母親のような、優しく温かい言葉。


その響きに、持子は強張っていた表情をパッと明るくし、力強く頷いた。

「はいっ! 雪さん、行ってきます!」


持子が機内へと戻った後、雪は傍らに控える楓へと視線を移した。

その瞳は、先ほどの母親のような温かさから一転、組織のトップとしての冷徹な信頼の色を帯びていた。


「楓ちゃん。……持子のこと、頼むわね」


「はい。いかなる脅威が立ち塞がろうとも、私が斬り伏せます」

楓が恭しく一礼し、機内へと姿を消した。


プライベートジェットのドアが閉まり、ゆっくりと滑走路を動き出す。

それを見送る雪の元へ、リュクス・アンペリアルの現地スタッフが音もなく近づき、恭しく黒いアタッシュケースを差し出した。


「雪様。リジュ様より、お預かりしております」

「ご苦労様」


雪は黒いアタッシュケースを受け取ると、その重みと中身の意義を確かめるように、ふっと妖艶で冷徹な微笑みを浮かべた。

千年の魔女の瞳には、これからパリで巻き起こるであろう狂乱と神格化への計算が、すでに組み上がっているようだった。


一方、機内では。

完璧なSPとして控える楓が、タブレットを取り出して淡々とパリでの行程を説明し始めていた。


「到着後は、まずシャルル・ド・ゴール空港から凱旋門を抜け、ルーヴル美術館の周辺を視察。その後、完全会員制の高級レストランへと向かいます」


流れるように観光地と目的地のルートを読み上げる楓だが、その胸中には、立花雪からの『厳命』が深く刻み込まれていた。

(……このルートは、単なる観光ではない。かつて魔王持子が、エティエンヌやルージュといった規格外の化け物たちと死闘を繰り広げ、パリの裏社会を力でねじ伏せた『魔王の軌跡』……。雪さんは、持子お姉さんにその道筋を正確になぞらせることで、何かを呼び覚まそうとしている……?)


だが、当のJK持子は「凱旋門! ルーヴル! わたし、クレープ食べたいな!」と、完全に修学旅行気分の無邪気な声を上げていた。



   * * *



十数時間のフライトを経て、パリ・シャルル・ド・ゴール空港に到着。


そこからの扱いは、プライベートジェットすら霞むほどの『超VIP待遇』だった。

タラップを降りた瞬間に黒塗りの高級リムジンが横付けされ、屈強なフランス人のSPたちがズラリと並んで最敬礼で出迎える。

一般の乗客の視線を一身に浴びながら、そのままパリ市内へと直行させられるのだ。


「ひぃぃぃっ! 刺激が強すぎるよぉ! なんでみんなわたしのこと見てるの!? 怖い! 帰りたい!」

リムジンのふかふかのシートに沈み込みながら、JK持子はアウアウとパニック状態に陥っていた。


そんな彼女を横目に、隙のない『リュクス・アンペリアル』の黒スーツを完璧に着こなしている楓が、ふと冷静なツッコミを入れた。

「持子お姉さん。今からでも遅くないので、到着したらすぐに服を着替えた方がいいですよ」


「えっ? わたしの服、おかしい?」

JK持子は自分の服装を見下ろした。


長時間のフライトでもリラックスできるようにと、彼女が選んだのは『全身ユニク〇』のパーカーとスウェットパンツという、極めて庶民的なファストファッションだった。


「……自社のメインビジュアルを務めるトップモデルが、久々の再会に全身ファストファッションで現れたら。……多分、あの気位の高いCEOのエレーヌ・リジュは、ショックのあまり本気で泣き崩れますよ」


「アウアウッ!? ど、どうしよう!? わたし、リジュさんって人を泣かせちゃうの!?」

楓の身も蓋もない指摘に、JK持子はさらに慌てふためいた。



   * * *



急遽、リムジンをリュクス・アンペリアルの関係者専用サロンに横付けさせ、楓は手際よく現地スタッフに手配して、最新のコレクション一式を揃えさせた。


「はい、着付け終わりましたよ。鏡を見てください」


サロンの奥にある巨大な姿見かがみの前。

豪華な漆黒のハイブランドドレスに身を包んだJK持子が、そこには立っていた。

神が創り賜うた黄金比のプロポーション。服そのものの美しさは完璧だ。

しかし……。


「……なんだか、服に着られてる気がする……」

オドオドと自信なさげに背中を丸め、肩をすぼめているせいで、せっかくのドレスがまるで「姉の服を勝手に着てきた中学生」のような野暮ったさを醸し出してしまっている。


「たしかに」

楓が即答する。


「ひどいっ! 楓ちゃん、少しはオブラートに包んでよ!」

JK持子が涙目で抗議するが、楓は真剣な表情のまま、スッと距離を詰めた。


「私も昔、言われました。『女はいつでも見られている意識を持て』と」

楓の冷たくも温かい手が、JK持子の背中に触れた。

「よく自分を見てください。観て、どうすれば良いのか。今の自分は美しいですか?」


背骨のラインを指先がスッとなぞる。


「肩甲骨を寄せ、胸を開く」

「ひゃっ!?」

「骨盤を立てて。丹田(お腹の下)に軽く力を入れて。頭のてっぺんから、見えない糸でピンと吊られているように」


それは、風間家で培われた身体操作の極意。

骨格を正しい位置に収め、無駄な力を抜き、最も理にかなった自然体を作る技術が、そのままトップモデルのポージング指導へと転化されていた。


姿勢を正され、顔を上げさせられた瞬間。

「あ……」

鏡の中のJK持子は、ただのオドオドしたファストファッションの小娘から、圧倒的なオーラと気品を纏った「絶世の美女」へと、劇的な変貌を遂げていた。

ほんの少しの骨格の操作と意識の持ち方だけで、これほどまでに服の見え方と、放つ覇気が変わるのか。


「楓ちゃん、すごい……! なんだか、魔法みたい……!」

JK持子は、鏡に映る信じられないほど美しい自分の姿に感嘆の声を漏らした。

しかし、楓は静かに首を振った。


「すごいのは、持子お姉さん自身の身体が持つポテンシャルです。……それに、私はあなたに、これを教えられましたから」


『――わしを観ろ。ほんの少しの立ち方、骨の位置だけでも、与える印象はかなり変わるものだ。頭で考えるな。……感じろ!』


楓の言葉を聞いた瞬間、JK持子の脳裏に、昨晩ペントハウスの鏡の前で、全裸の自分に対して影持子から叩きつけられた言葉と熱が、鮮明なフラッシュバックとなって蘇った。

(ああ……そうか。持子ちゃんが教えてくれたことと、楓ちゃんが教えてくれたこと……全部、繋がってるんだ)


JK持子の黄金の瞳が、見開かれる。

魔王が残した教えの系譜が、時と場所を超えて、今の彼女の中でピタリと交差したのだ。


「……わたしは、こんなにも沢山のものを、みんなから貰っていたんだね」

JK持子は、鏡に映る自分を見据えながら、ギュッと両手を握りしめた。


「記憶を失う前の自分(魔王持子)」という存在の途方もない大きさと、自分がどれだけ深く愛され、期待されているか。

その重みと温かさが、全身の血を巡るようにハッキリと理解できた。


「行きましょう、持子お姉さん。パリの頂点が、あなたをお待ちです」

楓の静かな声に促され、ドレスを完璧に着こなしたJK持子は、力強く頷いた。


いよいよ、パリのファッション界を支配する女帝・エレーヌ・リジュとの再会が迫っていた。


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