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【不器用な武術バカ二人の新生活とプロポーズ】

【不器用な武術バカ二人の新生活とプロポーズ】


冬の冷たく澄んだ風が、制服の下に隠された熱を帯びた筋肉を心地よく冷ましていく。


夕暮れ時の東京の街を、千手美貴と森盛夫の二人は肩を並べて歩いていた。


「はぁ〜っ! なんだか、肩の荷が下りてスッキリしたねー、盛夫!」


千手は小柄な体を思い切り伸ばし、童顔に満面の笑みを浮かべた。そのリクルートスーツの下には、体脂肪率5%以下というバキバキに鍛え抜かれた鋼のような肉体が隠されているのだが、見た目からは想像もつかないほど軽やかな足取りだ。


「……ああ。そうだな」


隣を歩く森は、同じくリクルートスーツを着込んだ長身で細身の研ぎ澄まされた肉体を揺らしながら、寡黙に頷いた。ストイックで表情を崩さない彼だが、その声色には確かな安堵が滲んでいた。


高校三年生である彼らにとって、卒業後の進路はこれまでの人生で最も大きな決断だった。


本来、武術バカである二人の目標は一致していた。『自衛隊への入隊』だ。

己の肉体と精神を極限まで鍛え上げ、国の為に働き、理不尽から人々を護り抜く。それは、合気武道に青春のすべてを捧げてきた彼らにとって、最も理にかなった尊い夢のはずだった。


しかし、彼らの運命は『東京大迷宮ダンジョン』の誕生、そして同級生である恋問持子との出会いによって大きく狂ってしまった。


「でもさー、正直、自衛隊の体力測定とか訓練じゃ、もう全然物足りなくなっちゃってたんだよねー」


「……全くだ。今の俺たちの力では、人との訓練は加減が難しすぎる」


持子から与えられた『闇の霧の魔力』を体に纏うことができるようになった今、彼らの身体能力は常人のそれを遥かに凌駕する、いわばチート状態にあった。森の放つ手刀は日本刀のように空気を裂き、千手の『見えない入り身』は水の抵抗すら置き去りにする。


もし一般の隊員相手に本気を出せば、間違いなく相手を破壊してしまう。

それに何より――大禍つ炉での死闘で、仲間と背中を預け合い、巨大な魔物や骸骨軍馬と生死を懸けて戦い抜いたあのヒリヒリとするような高揚感と充実感。


骨の髄まで戦闘狂バトルジャンキーである千手と森にとって、命を燃やして未知の強敵とぶつかり合うその感覚は、もはや何物にも代えがたい麻薬のようなものになっていたのだ。


だからこそ、二人は芸能事務所『スノー』の社長である立花雪に、改めて頭を下げる決意をしたのだった。


数時間前、スノーの社長室。


ネイビーのパンツスーツをスタイリッシュに着こなす立花雪は、冷徹な視線で二人を見据えていた。


『……なるほど。高校卒業後、うちの事務所に就職して、これからも裏社会やダンジョンの案件に関わっていきたい、と』


静かな、だが千年以上を生きる修羅としての重圧を感じさせる声に、千手と森は背筋をピンと伸ばして正座していた。


「はいっ! 私たち、持子や可愛い後輩たちをこれからも護り抜きたいんです! そのためなら、どんな厳しい仕事でもやります!」


「……俺も、同じ覚悟です。千手の背中は、俺が護りますから」


まっすぐに見つめてくる純朴な瞳。雪はふっとため息をつき、手元の書類をデスクにトントンと揃えた。


『いいわ。スノーの正社員として二人を迎え入れましょう』


「ほ、本当ですかっ!?」


『ただし、条件があるわ』


雪の瞳が、スッと鋭く細められた。


『あなたたちはこれまでアルバイトとして扱ってきたけれど、正社員になるなら話は別よ。まずはマネージャー業や事務作業、電話応対から名刺交換まで、社会人としての基礎を死ぬ気で頭に叩き込んでもらうわ』


「じ、事務作業……!?」


『そう。それと、東京ダンジョンの探索は、持子や合気武道部のメンバー、あるいはTIAとの合同作戦の時のみ許可するわ。あなたたち二人だけでの単独探索は絶対に禁止。それに伴い、ダンジョンの検問入りカードは事務所で厳重に預かります』


次々と突きつけられる厳しい条件。戦闘狂である二人が勝手にダンジョンに潜って暴走しないための、完璧な首輪だった。


『……あなたたち、強いのは認めるけれど、常識がなさすぎるのよ。持子からも聞いてるわ。「あの二人、合気武道以外は信じられないくらいポンコツなんです」ってね』


その言葉を聞いた瞬間、千手と森の顔がカアッと赤くなった。


『あの子は普段、他人のことをポンコツなんて言わないわ。その持子にポンコツ扱いされるなんて、よっぽどよ』


「うぐっ……持子めぇ……!」


「……面目ない」


項垂れる二人を見て、雪は不意に、冷徹な社長の仮面を崩し、海のように深い母性を感じさせる柔らかな微笑みを浮かべた。


『でもね、持子はこうも言っていたわ。「すごく気持ちのいい奴らで、わしの大好きな、大切な同志なんです」って。……だから、私が責任を持って、あなたたちがまともな社会人として生きていけるように、徹底的に鍛え上げてあげるわ』


「いやー、でも事務作業かぁ……。私、パソコンのタイピングとか、素振りするより全然自信ないよー……」


千手は頭を抱えながら、大通りを歩く。合気武道以外はからっきしな彼女にとって、社会人としての研修はダンジョンの悪魔よりも恐ろしい壁かもしれない。


「……安心しろ、美貴。俺がお前の分までタイピングの練習をする。お前には無理をさせない」


「もーっ! 森ってば、そういうロマンチストなところ、本当変わんないよねー! でも、自分のことは自分でやるよっ!」


千手は照れ隠しのように、森の分厚い胸板をドンッと小突いた。森は痛がる素振りも見せず、ただ静かに口元を緩めた。


「しかし……雪社長には感謝しかないな。俺たちのような武術しか知らない人間を、見捨てずに導いてくれるのだから」


「うんっ! 本当に器の大きい、お母さんみたいな人だよねー! よーし、期待に応えるために、明日から毎日四股千回追加だーっ!」


「……いや、千手。四股を踏んでもタイピングは速くならないぞ」


「えっ? そうなの!?」


ズレた会話を交わしながら、二人は顔を見合わせて笑い合った。


「でもさー、いくら私たちが合気武道以外ダメだからって……持子にだけは『ポンコツ』って言われたくなかったよねー! あいつの方が、勉強も生活態度も絶対ポンコツなのにー!」


「……全くだ。だが、持子が社長に俺たちのことを話してくれていたから、今がある。あいつには、稽古でたっぷり恩返し(かわいがり)をしてやろう」


沈む夕陽に照らされながら、二人の影が長く伸びていく。


学生としての終わりが近づき、社会人としての、そして裏社会の守護者としての新たな戦いが始まろうとしていた。


「森」


「ん?」


「これからも、私の背中……任せたよっ!」


千手が満面の笑みで見上げると、森は力強く、そして不器用な優しさを込めて頷いた。


「……ああ。俺の命に代えても、お前の背中は必ず護り抜く」


武器も魔力も使わない、ただの高校生たちの帰り道。

だが、その握り合った手の中には、どんな悪魔の力よりも強固な、絶対的な信頼と絆が確かに脈打っていた。


夕闇が少しずつ街を包み込み、ネオンの光が冷たい冬の空気を色鮮やかに染め始めていた。


繋いだ手から伝わる温もりを感じながら、千手美貴と森盛夫の二人は、帰途の道をゆっくりと歩いていた。


「そういえばさー」


千手が弾むような声で、隣を歩く長身の彼氏を見上げた。


「卒業したら、事務所のマンションに部屋を貰えるって、立花雪社長が言ってたよねー」


「……ああ、言っていたな」


森は寡黙に頷き、空いている方の手でスマートフォンを取り出した。


「私、一人暮らしは初めてだねー。引っ越しとかいろいろ大変になるね。でも、普段から合気武道の稽古ばっかりで、道着とちょっとした私服くらいしか荷物少ないし……あとは家具とか日用品を買い足すくらいだねー」


千手は小柄な体を揺らしながら、新生活への期待に目を輝かせた。


「……千手。社長からもらったマンションの資料、データで送られてきていたんだが……」


森はスマートフォンの画面をじっと見つめ、普段は崩さない真面目な顔に、わずかに困惑の色を浮かべた。


「どうしたのー?」


「これ……広すぎないか?」


森が画面を千手の方へ向ける。そこに表示されていたのは、都内の一等地にある高級タワーマンションの中層階、しかも『3LDK』という、一人暮らしの高校卒業生には明らかに不釣り合いな間取り図だった。


「えっ!? さ、さんえるでぃーけー!? しかもこの立地……」


千手の童顔が、驚きでまん丸になる。


「社長は『社員寮の扱いだから、家賃は五万円でいいわよ』と言っていたが……」


森はそう呟きながら、素早い指の動きで不動産サイトを開き、そのマンションの家賃相場を検索し始めた。


「……出た。相場は……安くて60万、上層階だと150万以上だそうだ」


「ひゃ、ひゃくごじゅうまんっ!?」


千手は思わず道端で叫び声を上げてしまった。


「な、なんか申し訳なさすぎるよー! 私たち、事務作業もまだ全然できないポンコツで、これからお世話になるっていうのに……何にもできてないのにこんな良いところに住めないよぉ!」


「……同感だ。俺たちの身の丈に合っていない」


「どうしよう森ー!? このままじゃ、家賃のプレッシャーで夜も眠れなくなって、素振りのフォームが崩れちゃうよーっ!」


頭を抱えてパニックになる千手を見て、森は「うーん」と低く唸り、しばらく思考を巡らせた。


「……2人で住めば、一部屋でいいな」


「えっ?」


森の口からポツリとこぼれた提案に、千手はピタッと動きを止めた。


「それ……良いねっ! 二人で一部屋に住めば、立花社長の家賃の負担も少し減るし……無駄がないよ!」


合理的な武術家としての思考で即座に同意した千手だったが、数秒後、その言葉の本当の意味に気づいて、カアッと顔を赤くした。


「……って、それ、同棲ってこと!?」


「……ああ」


森は全く悪びれる様子もなく、ただ真っ直ぐに千手の目を見て頷いた。相変わらずの男前で、ストイックな表情のままだ。


「ど、どどど、同棲かぁ……そっかぁ……」


千手は照れ隠しのように視線を彷徨わせ、それからニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「良いかもねー。そしたら盛夫は、来週にでもうちの両親に挨拶に行かないとねっ!」


「……ああ。そうだな」


森の真面目すぎる即答に、千手はさらに調子に乗って冗談を重ねる。


「玄関を開けたら、こう言うんだよ?『お義父さん、娘さんを僕にください!』ってね!」


「……分かった」


「それから、『一生幸せにします!』って、ビシッと言うんだよー!」


千手が楽しそうにハードルを上げると、森は少しだけ眉を寄せ、真剣な顔で考え込んだ。


「……少し、長いな」


「いや、短いだろうっ!! どこ削る気なのさっ! 『一生』の部分!?」


見事なタイミングでツッコミを入れた千手は、自分がおかしくなってしまい「あはははっ!」と通りに響き渡るような声で大爆笑した。


森も、彼女の明るい笑顔につられて、口元に小さな苦笑を浮かべる。


その時だった。

森は、千手と繋いでいた右手を少しだけ強く握り込んだ。


「えっ?」


そして、ほんのわずかな力――合気武道の『崩し』の理合いを用いて、千手の重心をふわりと浮かせ、自身と正対するようにクルリと向き直らせた。


一切の抵抗を許さない、しかし羽毛のように柔らかく優しい力の誘導。

気がつけば、千手は目の前の森と、至近距離で見つめ合う形になっていた。


街灯の光に照らされた森の瞳は、冗談の欠片もない、真っ直ぐで熱を帯びた光を宿していた。彼は、かつて「お前の背中を、ずっと俺に護らせてくれないか」と告白した時と同じ、不器用で、けれど絶対的な誠実さを持つロマンチストな顔をしていた。


「……二十歳になったら、結婚しよう」


静かな、けれど千手の心臓の奥底まで真っ直ぐに届く、誓いの言葉。


「っ……」


千手の明るい笑顔が、一瞬にして茹でダコのように真っ赤に染まる。


いつもは後輩に地獄のノルマを笑顔で課すバトルジャンキーの主将も、大好きな彼氏からの突然のプロポーズには、ただの恋する乙女になるしかなかった。


彼女は、潤んだ瞳で森の男らしい顔を見上げ、繋がれた手を両手でぎゅっと握り締めた。


「…………はいっ」


小さく、けれど確かな決意を込めた返事。

それを見届けた森は、ふっと表情を和らげ、優しく頷いた。


「……うん。じゃあ、来週ご両親に挨拶だな」


「……うんっ!」


千手は満面の笑みを浮かべ、森の分厚い胸板にぴとっと額を押し当てた。


冬の夜の冷気など、今の二人には全く関係なかった。これから先、どんな過酷な裏社会の戦いや、立花雪の無茶ぶり(事務研修)が待ち受けていようとも。


互いの背中を護り合い、共に同じ道を歩んでいく――その強固な絆の温もりが、二人の間で永遠のように輝いていた。


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