【影と光の交錯、そしてシャネルの五番】
【影と光の交錯、そしてシャネルの五番】
一月三日、深夜。
都心の夜景を見下ろす超高級マンションの最上階。
本来JK持子が使うはずだった巨大な主寝室で、恐怖に震えながら逃げ帰ったはずの彼女が、なぜか再びドアを開けて姿を現した。
「あの……あなた、私の『影武者』なんでしょ?」
(ひぃぃぃぃぃッ!! このバカ、どうして戻ってきた!?)
机に向かい、全裸で日記を書いていた『影持子(六花)』は、内心で悲鳴を上げ、盛大に毒づいた。
影持子は単なる式神ではない。魔王・董卓の魂を宿した持子の血、そして全下僕、立花雪、天才陰陽師である土御門朔夜の血を混ぜ合わせて創り出された、極めて純度の高い『キメラ』だ。魔王としての擬似的な記憶すら有しているため、彼女の思考や感情は、限りなく人間に近い。
だからこそ、オリジナルとこれ以上関わることは極めて危険だった。ここで「はいそうです」などと肯定し、自分に『明確な自我』があると見なされれば、雪に不良品として即座に『消去(処分)』されてしまう。
この絶体絶命のピンチを乗り切るため、彼女は即座に『本物の魔王・董卓』としてのロールプレイを極限まで引き上げた。
「――図に乗るなよ、小娘ッ!!」
バンッ!と音を立てて立ち上がり、部屋の空気を震わせるような凄まじい怒気を放つ影持子。
「わ、わしは魔王・恋問持子だぞ! 世界の頂点に立つ美の化身を、バカにしておるのか!! このまま、ここで手籠にしてやろうか?」
凄みを利かせた低い声と共に、影持子は怯えるJK持子のパジャマの胸ぐらをガシッと掴み、その白い首筋に顔を寄せてペロリと舐め上げた。
「ひゃうっ!? いやっ、やめてっ!」
恐怖と生理的な嫌悪感から、JK持子は必死に影持子を押し返そうと暴れた。だが、その必死の抵抗の最中、バタバタと振り回されたJK持子の両手が、偶然にも眼前にあった影持子の豊かな胸を、力いっぱい『ムギュッ!!』と揉みしだいてしまった。
「あンっ!?」
「っ!? ――ってか、なんで裸なの!?」
ダイレクトに伝わってきた柔らかい感触に驚き、JK持子は思わず叫んだ。
その素朴すぎるツッコミに対し、影持子は顔色一つ変えず、一切の照れもなく真顔で言い放った。
「……魔王持子は、裸に『シャネルのNo.5』だからな」
「……は?」
「マリリン・モンローと同じだ。トップモデルたる者、寝る時まで己の美しさを纏うのだ」
あまりにも堂々とした、そして絶妙にポンコツな理由。
数秒の沈黙の後、ついに影持子の中で、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れた。
影持子が呆れ果てたように手を離すと、JK持子は勢い余って背後のキングサイズのベッドにドサリと倒れ込んだ。
「いたっ……」
ベッドの上で目を白黒させているJK持子を、全裸のまま見下ろし、影持子は静かに尋ねた。
「……で。わしに何を聞きたい」
***
キングサイズのベッドに倒れ込んだまま、JK持子は少し考えてから聞き方を変えた。
「……じゃあ、あなたが影武者じゃなくて、『本物の魔王様』だとして。私が記憶をなくしているこの二年間……どんな活躍をしたのか、教えてほしいです」
「ふん。よかろう」
影持子は傲岸不遜に腕を組み、自慢げに語り始めた。
JK持子が最後に記憶している「中堅モデルとして燻っていた時代」。そこから魔王が覚醒し、世界への階段を駆け上っていく物語を。
「わしがコツコツと売れ始めた矢先、大手芸能事務所の先輩モデル、本多鮎に目をつけられたのだ。そして、反社会勢力のヤクザどもに、雪ごと攫われるという大事件が起きた。だが、魔王であるわしがあっさりと討伐してやったわ! 鮎を操っていた妖を、わしが直接喰らって解放してやったのだ。そしたらあの女、わしに狂ったように懐いてきよったからな、仕方なく第一下僕にしてやったわ!」
「えっへん!」とばかりに、全裸で胸を張って得意げに笑う影持子。
その言葉を聞いて、JK持子はハッとして身を乗り出した。
「やっぱり……! あの、私、昨日……氷川神社の境内で、鮎先輩のこと思い出したんです……」
「ほう。そうか、思い出したか」
影持子は、鷹揚に頷きながら「答え合わせ」をするように告げた。
「あの女はプライドが高いようでいて、中身は寂しがり屋の駄犬だからな。……そして、修学旅行でわしが下僕にしてやったもう一人の女、花園美羽。あやつもだ」
「美羽ちゃんも……今日の夕方、一緒にすき焼きを食べてる時に思い出しました。あの細い腕で、いっぱいの愛で、いつも後ろからギュって抱きしめてくれてたこと……」
JK持子は、胸の前で両手を組み、少し困ったような、でも愛おしそうな笑顔を浮かべた。
「鮎先輩も、美羽ちゃんも……二人とも、愛情が重たくて、時々すごくめんどくさいんですけど……でも、普段はすっごく綺麗で、可愛くて。私にとって、本当に大切な人たちなんだなって……」
その言葉に、影持子はフッと妖艶な笑みをこぼした。
全裸のままベッドに片膝をつき、JK持子の顔を覗き込むようにして、悪戯っぽく囁く。
「うむ。あやつらは、わしへの依存と執着が強すぎて、本当にめんどくさい女どもだ。……だがな。抱いたら、可愛いぞ?」
「え?」
「あやつらは、わしに愛されるためなら何でもする。ベッドの上でわしが少し可愛がってやるだけで、それはもう、蕩けるような顔をして鳴くからな」
――ドクンッ!!
『抱いたら、可愛いぞ』
その言葉がトリガーとなり、JK持子の脳裏に、かつての『魔王・董卓』が彼女たちと繰り広げていた【R15+】の濃厚な百合シーンの記憶が、鮮烈なフラッシュバックとなって押し寄せてきた。
(なっ……!?)
思い出した。
普段は気高く美しい鮎が、持子の指先一つでビクビクと体を震わせ、よだれを垂らしながら完全に理性を失って、淫らにイク顔。
普段は可愛く献身的な美羽が、持子の愛撫に耐えきれず、獣のようにシーツを掻き毟りながら、甲高い絶頂の声を上げてイキ叫ぶ姿。
そして――彼女たちを悦ばせ、恍惚の表情で支配している『自分自身』の両手の感触。
「あ、あわわわわわわわッ!?」
JK持子の顔が、首の先まで一瞬で茹でダコのように真っ赤に染まった。
ボッ!と頭から湯気が出そうな勢いで、彼女は両手で顔を覆い隠す。
「わ、わ、私、そんなエッチなことしてないっ! いや、体はしてるみたいだけど、今の私の意識はしてないっ! というか、私はそういう行為は結婚してからって決めてて……っ!! うあああっ、鮎先輩たちのあんな顔……あんな声……っ、思い出しただけで恥ずかしくて死にそう……っ!!」
ベッドの上で身悶えし、ジタバタと暴れるJK持子。
その様子を見下ろしながら、影持子もまた、内心で激しく同意していた。
(わ、わ、わ、わしだって恥ずかしいわッ!!)
影持子の脳内にも、朔夜の手によって「完璧な魔王のロールプレイ」として、その百合の記憶がバッチリとインストールされていたのだ。
(わしは朔夜一筋なんじゃ! 女同士で、あんなヌチャヌチャした破廉恥な行為は先日も仕方なくやったが……想像しただけで顔から火が出るわ!! 鮎も美羽も、普段の可愛い顔と、イク時の獣みたいな顔のギャップが激しすぎるんじゃ!!)
心の中では純情な乙女が絶叫していたが、そこは朔夜の最高傑作である式神。
影持子は表面上は一切の動揺を見せず、傲岸不遜な魔王の仮面を完璧に保ち、フッと鼻で笑った。
「ふん、ウブな奴め。あやつらの普段の取り澄ました顔と、欲望に溺れて獣のようにイク顔。その両方を知り、支配することこそ、魔王たるわしの特権よ。……まあ、お前にはまだ早かったかもしれんな」
「うぅぅ……頭がおかしくなりそう……」
シーツに顔を埋めて悶絶するJK持子を見て、影持子は内心ホッと胸を撫で下ろした。
(よし、これで誤魔化せたな……)
「……こほん。まあ、そんなわけで下僕どもを従えたわしだが、ヤクザ討伐のドサクサでなんだかんだあって……『二億円』の借金を作ってしまい、雪にこってり絞られたのだ」
「……は? に、二億円?」
あまりにも情けないオチに、JK持子がシーツから顔を上げ、目を丸くした。
「じゃあ、その借金を返すために、あなたは地中海に行って、『ルミナスドロップ』っていうすごいブランドの仕事をして……稼いだんですよね?」
「…………」
影持子は、静かに頷いた。
しかし、ここで影持子は口を閉ざす。国内での出来事、下僕たちとの絆についてはある程度語った。だが、この先――海外での死闘や、エレーヌ・リジュとの関わりについては、明日からのヨーロッパ旅行で、JK持子自身が『体感』しなければ意味がないのだ。
「……この先は、己自身の足で、旅の道中に知ることになるであろう。お前は明日から、パリへ飛ぶのだろう?」
「はい……」
「さあ、夜も更けた。明日に備えて、とっとと自分の寝所に帰って寝ろ」
影持子はそう言って、JK持子を追い払うようにシッシッと手を振った。
熱くなった顔をパタパタと仰ぎながら、JK持子はベッドから降り、ドアへと向かう。
だが、部屋を出ようとしたその時。
影持子がドレッサーの上に置かれていた美しいガラスの小瓶を手に取り、JK持子へと軽く投げ渡した。
「わっ!?」
慌てて両手で受け取った小瓶。それは、シャネルのNo.5だった。
「お前は、モデルだろう」
影持子は、全裸のまま、しかし世界を魅了するトップモデルとしての絶対的な覇気を纏い、厳しく言い放った。
「いつでも『見られている』という意識を持て。そんな子供くさいパジャマなど着て寝るな」
そう言うが早いか、影持子は残像すら残さぬ踏み込みでJK持子に接近し、その両手を素早く動かした。
「きゃあっ!?」
スルリ、バサッ。
悲鳴を上げる間もなく、JK持子の毛玉のついた愛用のパジャマは剥ぎ取られ、床に落ちた。一瞬にして、JK持子もまた一糸纏わぬ全裸へとされてしまったのだ。
「な、なななな、何するんですかっ!?」
胸と股間を両手で隠し、顔を真っ赤にしてしゃがみ込もうとするJK持子。だが、影持子はその腕を強引に掴み、部屋の壁一面に据え付けられた巨大な姿見の前へと引きずり出した。
「気が変わった。選別だ教えてやる」
そこには、寸分違わぬ完璧な美貌とプロポーションを持つ、二人の全裸の少女が並んで映し出されていた。
「わしとお前。……どっちが美しい?」
影持子は、背筋をピンと伸ばし、自信に満ちたトップモデルのポージングで鏡の中の自分とJK持子を見比べた。
「そ、それは……っ、魔王持子様です……っ」
身を縮め、恥ずかしそうに視線を泳がせるJK持子。だが、影持子は鼻を鳴らした。
「ふん、当たり前だ! だが、お前も顔や身体、見た目は決して悪く無いぞ。……だが、心が弱すぎる」
「心が……」
「お前はモデルだろう。与えられる服を着こなす。それがどんな服だろうとだ! 服のデザインや思想を感じ、自分の身体でどう表現できるか。デザイナーや監督の意図、目指しているものを感じ、表現する。……そのためにも、まずは『自分』を知れ」
影持子は、隠そうとするJK持子の腕をピシャリと払い除けた。
「恥ずかしがるな。お前の身体は、恥ずかしいものか? 違うだろう」
「……っ」
その力強い言葉にハッとし、JK持子は恐る恐る顔を上げた。
鏡の中に映る自分。華奢でありながら豊かな曲線を描く、完璧に完成された『美の結晶』。記憶を失う前の自分が、血のにじむような努力で磨き上げたはずの、誇り高き肉体。
JK持子は、恥ずかしさを飲み込み、真っ直ぐに鏡の前の自分を見つめた。
「……そうだ。それで良い」
影持子は満足げに頷くと、背後からJK持子の身体に触れた。肩甲骨の開き、骨盤の角度、重心の位置。モデルとしてまだ無自覚な部分を、的確なタッチで導いていく。
「わしを観ろ。ほんの少しの立ち方、骨の位置だけでも、与える印象はかなり変わるものだ。……分かるか?」
「…………」
JK持子は、鏡に映る影持子のポーズと自分のポーズを見比べたが、その微妙な身体の使い方の違いが理解できず、フルフルと首を振った。
すると、影持子は意地悪そうに、ニヤリと笑った。
魔王・董卓の魂も、ある意味では理論より直感の『バカ』である。だが、その代わりに『感じる力』や『感性』の解像度が異常に鋭いのだ。
「頭で考えるな。……感じろ!」
その一言に、JK持子は目を閉じ、自身の肉体と精神の奥底へと意識を集中させた。
指先の微かな震え、筋肉の張り、呼吸のリズム。空間に自分がどう存在しているのか。
――見えた。
パッと目を開いた瞬間、JK持子の身体は自然に動き、隣に立つ影持子の洗練されたトップモデルのポージングを、寸分の狂いもなく完璧に『模倣』してみせた。
「……良し。なまら良い」
完璧なシルエットを確認し、影持子は思わず相好を崩した。
その言葉を聞いて、JK持子の顔にパァッと花が咲くような安堵の笑顔が広がる。
影持子は、JK持子へと向き直り、その柔らかい両頬をガシッと両手で掴んだ。
「むぎゅっ」
「忘れるなよ。今後も、己の美しさに精進しろ!」
至近距離で黄金の瞳に見つめられ、JK持子は圧倒されながらも、力強く頷いた。
「はいっ! ありがとうございましたっ!」
JK持子は、拾い上げたパジャマを胸に抱え、右手にはシャネルNo.5の小瓶をしっかりと握りしめると、深く一礼して今度こそ自分の部屋へと駆け出していった。
***
バタン、とドアが閉まる。
静寂が戻った主寝室で、影持子はフゥ……と長く、疲労の入り混じった溜息をついた。
(……ダミー(影)が、オリジナル(本物)にモデルの心得を教えるなんて。とんだコメディだわ)
影持子は、自分の手のひらに残る、JK持子の頬の柔らかい感触を見つめた。
冷徹な魔王の仮面が完全に剥がれ落ち、そこには『六花』としての、年相応の純粋な感情が浮かび上がっていた。
(でも……オリジナル持子は、すごく素直で、可愛い子だったな)
ただの式神である自分。
今の彼女の生きる理由は『愛する創造主である朔夜に褒められること愛される事』だけだったはずだ。だが今、彼女の胸の奥には、全く別の温かい感情が芽生えていた。
(朔夜のためでもあるけど……なんだか、あの子のためにも頑張りたくなっちゃったわ。不思議な子)
全裸のままベッドに腰掛け、影持子はふと、あり得ない未来を想像した。
(もしも……出会う場所が違って、私にもちゃんとした『魂』があったら。……あの子と、普通の友達になれたのかな)
フフッ、と自嘲気味に笑う。
(私の方が生後数日の赤ん坊だけど……もし、私に『可愛い妹』がいたら、きっとあんな感じなのかもしれないわね)
再び机に向かい、日記帳を開く。
その背中は、もはや孤独で痛々しいものではない。愛する主(朔夜)への忠誠と、たった今生まれたばかりの『妹』への愛おしさを胸に秘め、確かな誇りと覚悟に満ちていた。
パリへと旅立つ光(JK持子)と、東京の闇へと身を投じる影(六花)。
二つの運命が、静かに交錯し、それぞれの戦いが幕を開けようとしていた。




