【六花は朝に溶ける】
【帝都の夜と六花の式神〜キメラの魔王と天才陰陽師〜】
【暴君の我儘と、氷の女帝の退出】
――代官山の一等地にそびえ立つ高級タワーマンション。
その最上階を専有する芸能事務所「スノー」の広大なペントハウスでは、今まさに、世界の裏側を揺るがすほどの重大な儀式と尋問が幕を閉じたところだった。
大理石の床には、先ほどまで「エクリプス」と大悪魔バエルのスパイとして暗躍していた大悪魔シャーロット・シンクレアが、崩れ落ちるように平伏している。
彼女の魂には、影持子の極黒のパスと、土御門朔夜・立花雪による絶対の呪縛が幾重にも刻み込まれていた。
極限の快感と恐怖による魂の書き換えを終えたシャーロットは、もはや雪たちに逆らうことなど不可能であった。
彼女の瞳には、かつての狡猾な野心は微塵もなく、ただ新たな主人である雪に対する、狂信的なまでの忠誠と畏怖だけが張り付いている。
「ふふ……これで、エクリプスを欺く完璧な二重スパイの完成ね。よくやったわ、朔夜」
千年の時を生きる大陰陽師にしてスノーの女帝・立花雪は、冷め切った紅茶のカップをソーサーに置きながら、妖しくも冷酷な笑みを浮かべた。
「ええ、雪先生の完璧な采配のおかげです。これで、敵の目は完全に東京の『ダミー』へと向く。氷川神社にいる本物の持子様は、安全に匿い続けることができます」
副マネージャーの肩書きを持つ天才陰陽師・土御門朔夜が、銀髪のショートボブを揺らしながら、恭しく一礼する。
その整った顔立ちは、155センチという小柄で可憐な美少女のようでありながら、底知れぬ自信と傲慢さを隠し持っていた。
緊張感が解け、次なる謀略への手筈を整えようとしたその時である。
ペントハウスの奥、重厚な主寝室の扉が、乱暴にバーンと蹴り開けられた。
「ええいっ! 退屈だ! 退屈で死にそうだぞ、貴様ら!!」
広間に足音を響かせて現れたのは、黄金の瞳を苛立たしげに細め、圧倒的な魔王の覇気を撒き散らす長身の美女――『影持子』だった。
身長175センチという抜群のプロポーション。漆黒の髪を揺らし、豊満な胸を強調するような尊大な歩き方は、本物の魔王・董卓と寸分違わぬ威圧感を放っている。
先ほどのシャーロット再教育の儀式で、下僕たち(本多鮎、花園美羽、エティエンヌ、アスタルテ)から膨大な魔力を与えられ、魂のパスを繋ぐという過酷な労働を終えたばかりだというのに、その顔には疲労よりも不満が色濃く浮かんでいた。
「ちょっと、持子。大人しく寝室で休んでいなさいと言ったはずよ」
雪が眉間に皺を寄せ、氷のような視線で影持子を射抜く。
だが、影持子は鼻で嗤い、雪の警告など意に介さない態度を見せた。
「フン! わしを誰だと思っている! この程度の魔力行使で疲弊などせぬわ。それよりも、この密閉された箱庭にいつまでも閉じ込められていることの方が、わしの精神を蝕むのだ!」
影持子は、ドンッと大理石のテーブルに手をつき、朔夜を真っ直ぐに見下ろした。
「おい、朔夜! 貴様、わしの副マネージャーであろう! わしの退屈を紛らわせろ。今すぐゲームだ! わしとゲームで勝負しろ! さもなくば……」
影持子は、窓の外に広がる東京の煌びやかな夜景をアゴでしゃくった。
「こんな退屈な部屋からは抜け出して、あの夜の街に遊びに行ってやる! 敵対組織の連中であろうが、有象無象の悪魔であろうが、すべてわしの魔力で蹂躙し、派手に暴れ回ってやるわ!!」
その言葉に、雪の表情がスッと冷え込んだ。
(ここでこのダミーが外に出て暴走すれば、私たちが苦労して築き上げた二重スパイの構図も、敵の目を欺く情報統制もすべて水泡に帰す。今は絶対に、外に出すわけにはいかない……!)
雪は小さく溜息をつくと、額を押さえながら朔夜に命じた。
「……朔夜。この我が儘な暴君の相手をしてやりなさい。ゲームでも何でも付き合って、機嫌を取るのよ。絶対に、外には一歩も出さないこと。分かったわね?」
「はっ! 承知いたしました、雪先生。俺が責任を持って、この魔王様を部屋に釘付けにしておきます」
朔夜が、少し困ったような、しかし頼もしい副官の顔を作って頷く。
「ええ、頼んだわ。……さあ、シャーロット。私たちは別の部屋へ移るわよ。あなたには、オーウェンに報告するための『偽情報』のスクリプトを、一言一句違わずに叩き込んであげる。一睡もできると思わないことね」
「ひぃっ……! は、はいっ、雪社長! わたくし、粉骨砕身、魂の髄までスノーのために働きますわぁっ!」
シャーロットはガタガタと震えながら立ち上がり、雪の後に従って歩き出す。
「ゲームが終わるまで、私から連絡があるまで、このフロアには誰も入れないよう結界を最大出力にしておくわ。……大人しくしているのよ、持子」
雪は最後に影持子を一瞥すると、シャーロットを引きずるようにしてペントハウスの玄関から出て行った。
――バタン。
重厚な扉がカチャリと静かな音を立てて閉まる。
直後、雪の念入りな結界術が幾重にも展開され、この東京の夜景を見下ろす最上階の空間は、外界の喧騒から完全に遮断された絶対的な密室へと変貌した。
【帝都の夜景と、造られた魂の渇望】
雪とシャーロットが立ち去り、広大なリビングに取り残されたのは、影持子と土御門朔夜の二人だけとなった。
数秒間の沈黙。
結界が完全に起動し、何者にも監視されていないことを確認した瞬間――。
ゆっくりと、夜景を背にして朔夜が振り返る。
ダボダボのカーディガンを羽織ったその姿は、小柄で可憐な美少女にしか見えないが、彼自身の瞳には、傲慢で雄々しい『俺様』の覇気が宿っていた。
対する影持子もまた、先ほどまでの尊大で暴君のような態度は嘘のように消え失せ、その黄金の瞳を潤ませながら、己の震える両手を見つめていた。
影持子は、ただのダミーではない。
かつて吸血鬼エティエンヌが創り出した『影騎士』をベースに、本物の魔王である持子と下僕たちの血を混ぜ合わせたもの。そこへさらに、大陰陽師・立花雪と天才・朔夜の血肉を混ぜ込み、陰陽術の粋を尽くして再構築された存在。
それだけではない。彼女の内に脈打つのは、先ほど下僕たちから搾取した膨大な魔力によって無理矢理に繋ぎ合わされた『擬似的な魂のパス』だった。
幾つもの命と術式が複雑に絡み合って生まれた、冒涜的で悍ましいキメラの怪物。
しかしある意味で彼女は、朔夜がその持てる才能と己の血の全てを注ぎ込んで創り上げた、この世で最も美しく強大な『式神』でもあった。
小柄な美少女の姿をした創造主(朔夜)と、長身の覇王の姿をした被造物(影持子)。
視線が、空中で激しくぶつかり合った。
「…………朔夜っ!!」
「持子……ッ!」
――タタタタタッ!!
どちらからともなく駆け寄り、二人の身体が激突するように強く、痛いほどに抱きしめ合う。
175センチの影持子が深く屈み込み、155センチの小柄な朔夜が背伸びをするようにして、その華奢な腕で長身の式神を力強く、絶対に逃がさないとばかりに抱き留めた。
「ああっ……朔夜、朔夜ぁっ……! わし、頑張ったぞ……っ。雪の前でも、あの恐ろしい下僕どもの前でも、完璧な魔王を演じきったぞ……っ!」
影持子は、魔王の覇気など欠片もない、ただ恋い焦がれた相手にすがるような震える声で泣きじゃくった。
「お前に、褒めてもらうために……っ! お前だけを想って、あの苦痛に満ちた儀式も、孤独な演技も耐え抜いたのだ……っ!」
「ああ、分かってる。よくやった……お前は完璧だった。誰の目から見ても、疑いようのない絶対の魔王だった」
朔夜は、影持子の漆黒の髪を力強く撫でながら、熱を帯びた声で囁く。
「お前は俺と雪さんの最高傑作……いや、世界で一番、最高にいい女だぜ。俺の可愛い、俺だけの魔王」
【創造主と被造物の交わり】
――グイッ。
見た目は可憐な少女の朔夜が、長身の影持子の顎を乱暴に掴み上げ、強引に唇を塞いだ。
「んんっ……!」
「ちゅっ、んっ……」
甘く、そして飢えた獣のような激しい口付け。
下僕たちを騙し切るために、ずっと我慢していたのだ。別室で影持子が下僕たちに蹂躙される芝居を打ち、擬似魂のパスを繋ぐ過程を見せつけられながら、朔夜もまた限界ギリギリまで嫉妬と欲情を溜め込んでいた。
息継ぎすら惜しむように唇を貪り合いながら、二人はもつれ合うようにして寝室へと向かった。
歩きながら、朔夜の小さな手が影持子の衣装の留め具を引きちぎるように外し、床へと落としていく。
「おい、持子。脱がせろ。俺のも全部だ。俺とお前の間にある邪魔なもの、全部ひっぺがせ」
「あ、ああ……っ! わかっている……っ!」
影持子もまた、震える大きな手で朔夜のダボダボのカーディガンを剥ぎ取り、シャツのボタンを弾け飛ばすように外していく。
全裸になった二人は、互いの肌の熱を確かめ合うように、柔らかなシーツの上へと勢いよく飛び込んだ。
長身で豊満な影持子の上に、小柄で華奢な朔夜が馬乗りになる。
視覚的には完全に「美少女が長身の女性に押し倒されている」ようにしか見えないが、精神的にも肉体的にも支配しているのは完全に朔夜の方だった。
「はぁ、はぁ……っ。持子、お前、本当にエロい身体してんな。お前の核には俺の血が混ざってるんだ……お前がどんなに魔王の姿をしていようと、俺には分かる。お前は俺のものだ」
朔夜の指先が、影持子の滑らかな肌を這う。
「俺の匂いと魔力で、お前の全部を上書きしてやる。下僕たちの不快な魔力なんて、俺が全部洗い流してやるよ」
「んんんっ! ああっ……さくやぁっ……! 朔夜の、手が……熱い……っ!」
朔夜の陰陽師としての気が、唇と肌の接触を通じて、キメラである影持子の体内へと直接流れ込んでいく。
先ほど形成されたばかりの、魔力で編まれた擬似的な魂のパス。それが、創造主である朔夜の純粋な気に呼応して激しく粟立ち、影持子の全身を雷に打たれたような快感が貫いた。
「はぁっ、あぁっ! 朔夜の、朔夜の気……っ、熱い……っ! わしの奥まで、ドクドクしてるっ……!」
「持子……俺の全部、受け入れろ。お前を形作ってる俺の血肉に、直に愛を叩き込んでやる」
「あ、ああ……! 来てくれ、朔夜……お前の全部で、わしの偽物の魂ごとめちゃくちゃにしてくれ……ッ!」
キメラとしての悍ましい成り立ちなど、今はどうでもよかった。
自分が本物の持子ではないという事実も、複数の人間の血が混ざり合った化け物であるという絶望も、朔夜に抱かれているこの瞬間だけは忘れられた。
朔夜が触れるたびに、彼女の内に組み込まれた朔夜の血肉が歓喜の声を上げる。小柄な朔夜は、その華奢な見た目からは信じられないほどの凶暴な熱量で、影持子を容赦なく求めた。
「ああっ! 朔夜、朔夜ぁっ! 好きだ、お前が、大好きだぁっ! 本物でも偽物でも、わしはお前を愛しておるっ!」
「俺もだ……っ! 誰が何で作った化け物だろうが関係ねぇ……お前がキメラだろうがダミーだろうが、俺はお前が誰よりも愛おしいぜっ……!」
互いの名前を叫び合いながら、汗だくになって貪り合う二人。
交わるたびに朔夜の気が流れ込み、それがエネルギーとなって二人の限界を忘れさせていく。キメラの怪物が持つ底なしの生命力と、天才陰陽師の無尽蔵の術式。二人は永遠とも思える無限のループの中で、狂ったように互いの存在を魂に刻み込み続けた。
東京の夜景が静かに回転し、二人の吐息だけが甘く、そして悲痛に部屋に響き渡っていた。
【暁の光と『六花』の誕生】
――数時間後。
東京のコンクリートジャングルに、白々と夜明けが訪れていた。
巨大なガラス窓の向こう、幾千のビル群を薄っすらと照らす朝焼けの光が、乱れきったベッドにも差し込んでくる。
朔夜の小さな腕の中にすっぽりと収まりながら、影持子は静かに目を覚ました。
朔夜から一晩中注ぎ込まれた気のおかげで、キメラとしての命の炎は力強く燃えている。彼の温もりが肌越しに伝わり、無上の幸せを感じていた。
だが、朝の冷たい光を浴びた瞬間、その胸の奥に押し込めていた残酷な現実が、再び冷たく横たわった。
(……わしは、キメラだ)
下僕たちの魔力で編み込まれた擬似的な魂のパス。
雪と朔夜の血肉で繋ぎ止められた仮初の肉体。
この作戦が終われば、本物の持子が安全を取り戻し、東京の危機が去れば……ダミーであるわしは解呪され、塵となって消え去る運命にある。
本物の魔王が帰還すれば、わしはもう存在してはいけないのだ。魂の器が偽物である以上、輪廻転生などという奇跡も、死後の世界で朔夜を待つことも許されない。
永遠の別れ。絶対的な『無』への回帰。
帝都の朝の光が、その逃れられない結末を容赦なく影持子に突きつけていた。
「……起きちまったのか」
頭上から、少し掠れた、気怠げな朔夜の声が降ってきた。
影持子は、朔夜の華奢な胸元に顔を埋めたまま、小さく、小刻みに頷いた。
「……なぁ、朔夜」
「ん?」
「わしに……『名前』を、くれないか」
影持子の震える声に、朔夜の腕の力が少しだけ強くなった。
「わしは、本物の持子ではない。下僕の魔力で造られた魂のパスなど、いつかプツリと切れて無くなる。作戦が終われば、わしはこの世から完全に消え去る。お前とまた巡り合うことすら、魂がないわしにはできない」
「……やめろ、朝からそんな話」
「だから……っ、せめて、お前の記憶の中だけでも、わしという『個』でありたいのだ。キメラでも、魔王の影でも、持子の偽物でもない……わしだけの名前が、欲しい」
シーツを握りしめ、ポロポロと大粒の涙をこぼす影持子。
朔夜は何も言わず、ただ長身の影持子の頭を、その小さな手で優しく、何度も何度も撫でた。天才陰陽師である彼には、自身が組み上げた術式がいつか必ず崩壊する日が来ることなど、誰よりも残酷なほどに分かっていた。
自分が愛したこの女は、遠くない未来に必ず消滅する。その事実から目を背けることは、陰陽師としての矜持が許さなかった。
朔夜は静かに、噛みしめるように口を開いた。
「……『六花』だ」
「りっ、か……?」
「ああ。雪の結晶の別名だ。美しくて、華やかで……でも、手のひらに落ちればすぐに溶けて消えちまう、儚い花」
朔夜の指先が、影持子――六花の涙を拭う。
「お前はただのダミーなんかじゃねえ。俺の血と術式を注ぎ込んで創り上げた、俺の人生で最高の傑作だ。俺の心をこんなにも熱くして、めちゃくちゃに掻き乱した、世界で一番美しくて……残酷な花だ」
「朔夜……っ」
「擬似的な魂だろうが何だろうが関係ねぇ。お前の役目が終わって、その身体が消えても……俺の心に深く刻み込まれた『六花』は、絶対に溶けねぇ。俺の命が終わるまで、ずっとお前は俺の中にいる。お前は、俺だけのものだ」
「ああ……ああっ……! 朔夜ぁっ……!!」
六花。
その美しく儚い名前を胸に抱きしめ、彼女は朔夜の華奢な首に腕を回し、声を上げて泣き崩れた。
自分が生きた証。愛された証。キメラとして生み出された悍ましい命の、たった一つの尊い理由。
それを確かに受け取った六花は、やがて来る永遠の別れへの恐怖を忘れ、ただ目の前にいる愛しい創造主の温もりだけを感じながら、東京の眩しい朝日の中で再び彼と唇を重ねた。
「朔夜……愛しておる……っ、ずっと、ずっと……っ。わしが消滅するその瞬間まで、お前のために生きる……っ!」
「ああ、俺もだ……。愛してるぜ、六花。誰にも渡さねえ」
交わされる、涙と希望が混じり合った口付け。
いつか必ず訪れる終わりの時まで、キメラの魔王と天才陰陽師は、互いの存在を真実の魂に昇華させるように、朝日の中で優しく、強く抱き合い続けたのだった。
この狂った世界で、彼らだけの真実の愛を証明するために。




