【魔王のパレードと、熱狂の氷川神社】
【魔王のパレードと、熱狂の氷川神社】
「――ええ、洋助さん。準備は整ったわ。今から『魔王』を連れて氷川神社に向かうから」
スノーの社長室から一歩出た廊下で、立花雪はスマートフォンを耳に当て、氷川神社で警備の指揮を執っている風間洋助に連絡を入れていた。
『本当ですか!? いや、助かります。ネットのバズり方が異常で、裏社会の連中も参拝客に紛れて境内の様子を窺っている気配があります。ここで【本物の魔王】が健在だと見せつけられれば、連中も完全に手を引くはずです』
「ええ。最高のダミーを作ったわ。威圧感もオーラも本物と見分けがつかない。……それじゃあ、これから少し派手に『パレード』しながら向かうから、そっちも受け入れの準備をしておいてちょうだい」
『了解しました』
通話を切った雪は、満足げに微笑んで振り返った。
「さあ、二人とも。行くわよ」
雪の後ろには、銀髪の天才陰陽師・土御門朔夜と、完璧なプロポーションをタイトな服に包んだ絶世の美少女――魔王・董卓のダミーである『影持子』が立っていた。
「……フンッ。待たせおって。さっさと行くぞ」
影持子は腕を組み、傲岸不遜な態度で顎をしゃくった。
その黄金の瞳には、世界を統べる王としての絶対的な自信と覇気が満ち溢れている。
(術式の定着は完璧……。朔夜との主従関係のテストもクリアした。これなら、どこに出しても恥ずかしくない『魔王』ね)
雪は内心で小さく頷き、事務所の出口へと向かった。
* * *
正月の昼下がり。
東京の中心部から氷川神社へと続く大通りは、正月気分に浮き立つ人々で賑わっていた。
その人混みの中を、雪、影持子、朔夜の三人が、あえて人目を引くように堂々と歩を進めていく。
「な、なあ……! 今すれ違った子、見たか!?」
「うわっ、めっちゃ美人……! っていうか、オーラやばすぎない!?」
「あれ、世界的トップモデルの恋問持子じゃない!? なんでこんなとこ歩いてるの!?」
すれ違う一般人たちが、次々と足を止め、道を開けていく。
普段の本物の持子(董卓)であれば、この圧倒的な美貌がもたらす騒ぎを嫌い、必ず黒の高級サングラスをかけて顔を隠していた。
しかし今日は、裏社会に向けた「魔王健在」のデモンストレーションである。
朔夜の命令により、影持子はサングラスをかけることを禁じられていた。
隠すものがない絶世の美顔。そして、そこから放たれる禍々しくも神々しい覇王のオーラ。
周囲の空気が、彼女が歩くたびにビリビリと震え、誰もがその姿に魅了され、畏怖の念を抱いていた。
「……チッ。ジロジロと下世話な視線を向けおって。鬱陶しいわい」
影持子は、周囲のざわめきに不快そうに舌打ちをした。
そして、ふと道の脇に目をやった。
「むっ……! 朔夜、見ろ! あそこの角にあるクレープ屋、美味そうな匂いがするぞ! チョコバナナ生クリームマシマシを買ってこい!」
魔王の威厳はどこへやら、食欲センサーも本物の持子と完全に同じように反応し、クレープの甘い匂いに釣られてフラフラと列に並ぼうとする。
「ダメだ。今は真っ直ぐ進むんだ。寄り道は許可しない」
朔夜が、スッと影持子の腕を掴んで引き止めた。
いつもなら「なんだと!? わしが食いたいと言っているのだぞ!」と大暴れして一時間くらい足止めを食らうところだが、今日は違った。
「ぬぅぅぅぅ……ッ! 朔夜、貴様ぁ……ッ!」
影持子は、ギリギリと牙を剥くように朔夜を睨みつけた。
しかし、朔夜の「命令」という絶対的な術式の縛りが発動し、それ以上クレープ屋に向かって足を踏み出すことができない。
「いいから前を向いて歩け。お前は魔王だろう? 堂々と威厳を振りまいて進むんだ」
「ぐっ……! 忌々しい……! 覚えておれ!」
影持子は、悔しそうに唇を尖らせながらも、大人しく朔夜の指示に従い、再び前を向いて歩き始めた。
雪と朔夜の完璧なコントロールにより、寄り道という最大の難関をクリアし、威厳に満ちたパレードは粛々と進んでいく。
――そして、その圧倒的な存在感を、遠巻きに監視している者たちがいた。
『おい、見ろ……! 魔王だ!』
『バカな! ダークウェイブじゃ、魔王の力は失われたって情報が流れてたはずだぞ!?』
『あの圧倒的な魔力とプレッシャーを感じねぇのか!? あの目に見つめられただけで、魂が消し飛びそうになったぞ……!』
路地裏やビルの屋上に潜んでいた闇の組織の構成員や、悪魔、妖の類が、影持子から放たれる本物と寸分違わぬ『魔王のオーラ』に恐怖し、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
雪の狙い通り、裏社会のハイエナどもは「魔王健在」の事実を骨の髄まで刻み込まれ、手出しを完全に諦めたのだった。
* * *
一方、その頃の氷川神社。
境内は、異常な熱気と大混雑に包まれていた。
「はいっ、交通安全のお守りですね! ありがとうございますわ!」
「破魔矢、お待たせしましたにゃ〜♡」
授与所では、ピンク髪のトップモデル・本多鮎と、アイドル歌手の花園美羽が、紅白の巫女装束を身に纏って接客を行っていた。
テレビでしか見られない超有名芸能人からの手渡し。参拝客たちは完全に度肝を抜かれ、長蛇の列は境内をはみ出す勢いで伸びている。
「Oh! Happy New Year! 甘酒ドウゾ〜♡」
「わたくしのお酌で、身も心も酔いしれてくださいませ♡」
振る舞い酒の屋台では、アスタルテ、エティエンヌ、シャーロット、ルージュといった外国人美女軍団が、神社の法被を着て甘酒を振る舞っていた。
美しすぎる女神たちの降臨に、境内はちょっとした暴動寸前の騒ぎになっている。
「すごい熱気ですね……」
「ええ。ネットの拡散力、恐るべしですわ」
拝殿の前で警備と案内に当たっていた風間洋助と桐子が、冷や汗を流しながらその光景を見守っていた。
SNSのトレンドは『氷川神社』『美しすぎる巫女』といったワードで完全に埋め尽くされている。
「お待たせいたしました。新年の御祈祷をご案内します」
そして拝殿の中では、本物の持子と風間楓が、凛とした巫女姿で祈祷の舞を奉納している。その神々しい姿もまた、参拝客たちの熱狂に拍車をかけていた。
* * *
「なっ……なんだこの人の数は!?」
氷川神社の鳥居の前に到着した影持子は、境内から溢れんばかりの人混みを見て、黄金の瞳を丸くした。
「すごいわね……。うちのタレントたちが大活躍している証拠だわ」
雪が、してやったりの笑みを浮かべる。
「さあ、私たちも目立つように、あの大行列に並ぶわよ」
三人は、一般の参拝客に紛れて、拝殿へと続く長蛇の列の最後尾についた。
当然、世界的トップモデルである「恋問持子」の登場に、周囲の参拝客はざわめき、スマホのカメラが一斉に向けられる。
「うわっ、持子様だ!」
「マジで!? 授与所には本多鮎がいるのに、参拝の列に恋問持子本人が並んでるの!?」
ざわめきとシャッター音の中心で、影持子は腕を組み、不機嫌そうに列が進むのを待っていた。
しかし、五分、十分と時間が経過するにつれ、彼女のイライラは限界に達しつつあった。
「……おい、朔夜」
影持子が、ドスの効いた声で朔夜の袖を引いた。
「なんだ?」
「腹が減った」
影持子は、恨めしそうな黄金の瞳で朔夜を睨みつけた。
「この列、一向に進まんではないか。しかも……あそこから、なまらいい匂いがするのだ」
影持子が指差した先には、境内に出店している『お好み焼き』の屋台があった。ソースの焦げる香ばしい匂いと、マヨネーズの濃厚な香りが、冬の冷たい風に乗って漂ってくる。
「わしは……わしは朝も昼も何も食べておらんのだぞ! お好み焼きが食いたい! 豚玉モダン焼きのマヨネーズ増し増しを買ってこい!」
影持子が、子供のようにダダをこね始めた。
彼女が「朝も昼も食べていない」のは当然である。何しろ、つい三時間ほど前に『生まれたばかり』なのだから。
「ダメだ。もう少しの辛抱だ。列から離れるわけにはいかない」
朔夜が、周囲の目を気にしながら小声でなだめる。
「なんだと!? 貴様、わしを餓死させる気か! 魔王を飢えさせるなど、万死に値するぞ! ソースの匂いがわしの胃袋を直撃しているのだ! お好み焼き! たこ焼きでもいい! 今すぐわしの口に炭水化物を放り込めぇぇっ!」
影持子が、朔夜の胸ぐらを掴んでブンブンと揺さぶる。
端から見れば「美少女が彼氏に屋台の食べ物をねだってイチャイチャしている」ようにしか見えないが、朔夜からすれば、魔王のプレッシャーとの死闘である。
「わ、分かった! 分かったから落ち着け! 参拝が終わったら、好きなだけ食わせてやる! だから今は……『待て』だ!」
朔夜が、陰陽師としての呪力を込めて命令を下す。
「ぐっ……! ぬぅぅぅぅぅ……ッ!!」
影持子の身体がビクンと跳ね、お好み焼き屋台へ向かおうとしていた足がピタリと止まる。
「忌々しい……っ! 朔夜め……っ! 参拝が終わったら、絶対に一番高い肉を奢らせてやるからな……っ!」
影持子は、黄金の瞳に涙目を浮かべながら、ギリギリと奥歯を噛み締めて食欲を抑え込んだ。
「ふふっ……本当に、手綱を握るのが上手くなったわね、朔夜」
雪が、クスクスと笑いながらその様子を見守っている。
「笑い事じゃないですよ、雪先生……。こいつの食欲、本物の持子より凶暴化してませんか……?」
朔夜は、ゲッソリと疲れた顔でため息をついた。
そうこうしているうちに、熱狂の列は少しずつ、しかし確実に前へと進んでいく。
周囲からの無数の視線とフラッシュの嵐。ソースの匂いに悶絶する影持子。
そして、ついに三人の順番が、拝殿の正面――巨大な賽銭箱のすぐ手前までやってきた。
「よし、ようやく順番だ。……持子、シャキッと――」
朔夜が影持子に声をかけようとした、その時だった。
「お次の方、どうぞー。……あっ!」
拝殿の奥から、祈祷の舞を終えたばかりの巫女たちが、次の案内をするために姿を現した。
黒髪でクールな特級エージェント、風間楓。
そして、その隣で神楽鈴を手にした、純真無垢なひだまりのような笑顔の少女――記憶を失った、本物の『恋問持子』。
賽銭箱を挟んで、数メートルの距離。
パレードを終えた「傲岸不遜な影の魔王」と、神事に奉仕する「気弱な記憶喪失のオリジナル」。
絶対に遭遇してはならない『二人の恋問持子』が、今まさに、運命の交差点で正面から鉢合わせようとしていた。
* * *
「お次の方、どうぞー。……あっ」
拝殿の奥から、次の祈祷客を案内するために出てきた風間楓の足が、ふと止まった。
大晦日の喧騒に包まれる境内。その遥か向こう、参道の鳥居を潜って歩いてくる三人組の姿に、楓は鋭い視線を向けた。
立花雪と、土御門朔夜。
そしてその中央で、天下を統べる女王の如き覇気を撒き散らしている絶世の美少女。
(……あれが、雪さんから聞いていた『影武者』……!)
風間楓は、冷静なポーカーフェイスの裏側で、息を呑むほどの驚愕に打ち震えていた。その身から立ち昇る、周囲の空間を歪めるほどの途方もない『闇の魔力』。
「ん? どうしたの、楓ちゃん?」
隣で不思議そうに首を傾げる、記憶を失ったJK持子。
その顔を見た瞬間、楓はハッとして、素早く持子の腕を掴んだ。
「持子お姉さん、ちょっとこちらへ!」
「ひゃうっ!? な、なに!?」
楓は持子を引っ張り、拝殿の太い柱の陰へと素早く身を隠した。参道からは死角になる位置だ。
「しっ、静かに。……影から見ておきなさい」
楓は柱の陰からそっと顔を出し、まだ遠くにいる影持子を真っ直ぐに指差した。
「あれが持子お姉さんが記憶を失っていた間活躍していた世界的トップモデル恋問持子よ。少し、ご挨拶をしてきます。お姉さんは絶対にここから出ないでくださいね」
言うが早いか、楓はスッと柱の陰から抜け出し、参道を歩いてくる三人組の元へと、極めて自然な足取りで向かっていった。
そして、三人の進路を塞がない絶妙な位置で立ち止まり、深く、美しい一礼をする。
「新年あけましておめでとうございます。雪さん、朔夜さん。……そして、持子先輩。初詣ですか?」
楓の挨拶に対し、中央に立つ影持子は足を止め、腕を組んで傲岸不遜に見下ろしてきた。
「ほう、楓ではないか。神楽舞の奉仕とはご苦労なことだな。人間どもが群れおって、少々辟易していたところだ」
いつもの魔王・董卓と全く同じ、尊大で威圧的な態度。
しかし、その一挙手一投足、声のトーン、纏う空気感のすべてが、かつての『恋問持子』そのものだった。
(……完璧すぎる。本物よりも本物らしいじゃないですか)
楓は一切の表情を崩すことはなかったが、内心では尋常ではない驚きを覚えていた。
同時に、楓の鋭いエージェントとしての視線は、土御門朔夜に向けられていた。
(……驚きましたね。土御門朔夜……これほど短期間で、恐ろしく腕を上げるとは)
夏に初めて彼と遭遇した時、楓の評価は「一瞬で殺せる相手」だった。
だが、今はどうだ。その立ち姿に隙はなく、静かに練り上げられた呪力が、凄まじい密度で身体を覆っている。
(今日、ここで直接会えてよかった。でなければ、彼の『現在の実力』を完全に見誤るところでした)
「どうした、楓。わしの顔に何かついておるか?」
「いえ。相変わらず、お美しいと思いまして。……お参りでしたら、どうぞそのまま奥へ。境内は混み合っておりますので、お気をつけて」
楓は淡々と返し、道を譲る。
影持子は「フン」と鼻を鳴らし、魔王の威厳を振り撒きながら去っていった。
三人の姿が人混みの中に消えたのを見届けた後、楓は再び柱の陰へと戻った。
「あうぅっ……」
「……持子お姉さん?」
柱の陰では、JK持子がへたり込み、完全に腰を抜かしていた。遠くから影持子の放つ暴力的なまでの魅力にあてられ、文字通り『ダウン寸前』に陥ったのだ。
「ふぇ……? 楓ちゃん……。あ、あの人……綺麗すぎるよ……。私、あんな風になれるの……?」
JK持子は、熱に浮かされたような瞳で、三人が消えた方向を呆然と見つめていた。
「はぁぁぁぁ……っ、なに!? 今度は私が分裂したの!? あんな私、反則でしょ! 美しすぎるわよ! 私、遠くから見ただけなのに、自分の顔にときめいちゃったもん!!」
「……落ち着いてください、持子お姉さん」
楓は、パニックと興奮でまくし立てる持子をなだめながら、小さくため息をついた。
「……あの持子先輩も、あなた自身です。あなたも自分を磨けば、あのくらいは美しくなるんじゃないですか?」
「うぅぅ……楓ちゃんは意地悪だ! あんなオーラ、出せるわけないじゃない!」
持子が頬を膨らませて抗議する。
しかし、楓はその言葉を否定しなかった。
「……意地悪じゃありませんよ。私も……持子先輩に影響されて、もっと美しく、強くなろうって、裏で頑張ってるんですから」
「楓ちゃん……うんっ!」
持子は、楓の不器用な励ましにパァッと笑顔を咲かせ、力強く頷いた。
「私も、あんな『もう一人の私』に負けないくらい、素敵な女の子になってみせる! そしていつか、見返してやろうね!」
「ええ。期待していますよ。……さて、感動しているところ悪いんですが」
楓は、スッと冷徹なエージェントの顔に戻り、拝殿の奥を指差した。
「さあ立ってください。サボっている間に、祈祷の待ち列がさらに溜まっていますわ」
「ひゃうっ!? そ、そうだった! 行かなきゃ!」
JK持子は慌てて巫女装束の裾を翻し、「待ってぇぇっ!」と拝殿の奥へと駆け出していった。
そのドタバタとした背中を見送りながら、楓は小さく、けれど確かに、柔らかい笑みをこぼすのだった。




