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【大陰陽師の乱入と、消された熱の記憶】

【大陰陽師の乱入と、消された熱の記憶】


「……はぁ、はぁ……っ。わしの朔夜……っ」


 呪力の残滓と熱気に満ちたベッドの上。

 つい先ほどまで、魔王としての傲岸不遜な態度で世界を見下していたはずの影持子は、今は完全に牙を抜かれた従順な顔になり、トロンと潤んだ黄金の瞳で土御門朔夜を見つめ上げていた。


 その白磁の肌は桜色に染まり、朔夜の首に回された腕からは、甘えと絶対的な服従の意志が伝わってくる。


「……あぁ。お前は最高だ、持子」


 朔夜もまた、かつてない究極の『魂の共鳴』の余韻の中で、影持子の汗ばんだ黒髪を優しく撫でていた。

 天才陰陽師としての術式の定着と、圧倒的な征服感。

 これ以上ないほどの甘く、濃密な空気が、二人だけの寝室を満たしていた。


 ――バンッ!!!


 その時。

 固く閉ざされていたはずの寝室のドアが、爆発したかのような勢いで蹴り開けられた。


「よくやった朔夜、偉い! ――でも、やり過ぎたわ!!」


 部屋に乱入してきたのは、大陰陽師・立花雪であった。

 普段の冷徹で完璧な社長の顔はどこへやら、その美しい顔には明らかな『焦り』が浮かんでいた。


「「――――はぁっ!?」」


 ベッドの上の朔夜と影持子は、乱れた衣服のまま密着して抱き合っていた身体をビクッと震わせ、悲鳴のような声で同時にハモった。

((なんで今!? 絶対に、どう考えてもこのタイミングじゃないだろ!!))


 二人の心が見事に一つになった瞬間だった。

 特に朔夜からすれば、つい数分前まで「本物の持子を守るために魂を屈服させなさい」と非情な命令を下してきた師匠本人が、事後のこの最高に甘いムードをぶち壊して突入してくるなど、悪夢以外の何物でもない。


「ゆ、雪師匠!? なんで入ってき――」


 朔夜が慌ててシーツで影持子の身体を隠そうとした、その時。


 ――パンッ!!


 雪が、乾いた音を立てて両手で大きく一度、拍手をした。

 その瞬間、大陰陽師の強烈な呪力が寝室の空間を震わせる。


「……あ……れ……?」


 影持子の黄金の瞳から、スッと光が失われた。

 彼女は、何が起きたのか理解する間もなく、糸の切れた操り人形のようにパタリとベッドに倒れ伏し、完全に意識を失ってしまった。


「なっ!? 持子!? ……雪先生! 一体何をするんですか!!」


 朔夜は、気を失った影持子を庇うように抱き抱え、主である雪に向かって本気の抗議の声を上げた。

 いくら絶対服従の師匠とはいえ、今のはあまりにも理不尽すぎる。


「何をするんですか、じゃないわよ!」


 雪は、ズンズンとベッドに歩み寄ると、頭を抱えるようにして叫んだ。


「私が聞きたいわ! なんでこんなに『メロメロ』に陥落させてるのよ!?」


「ええっ!? だ、だって雪先生が『支配下に置け』って言ったんじゃないですか!! 僕は言われた通りに……!」


「言ったわよ! 言ったけどね!」


 雪は、珍しく取り乱した様子で言い返した。


「朔夜、あなた他人の精神を力ずくでこじ開けるのは初めてでしょ! 持子だってそんな経験ないわ! 普通、お互い初めてでそんな強引に術式を流し込んだら、反発と恐怖で主従の刻印だけが事務的に刻まれるはずじゃない! 私の計算ではそうなるはずだったのよ!」


「なっ……! そんな残酷な計算で僕を送り込んだんですか!?」


「それが、なんでこんな……二人して奇跡的な呪力の相性見せつけて、完全に骨抜きになっちゃってるのよ! バカ!!」


 雪は、シーツに包まってスヤスヤと眠る影持子の、幸せそうな(そして無防備すぎる)寝顔を指差した。


「いい!? この影持子は、裏社会を欺くための『魔王・董卓』のダミーなのよ! こんなトロンとしたメロメロの顔をした魔王なんて、どこで使い物になるって言うの! 威厳の欠片もないわ!!」


「い、いや……そ、そう言われると、確かにそうですけど……っ!」


 朔夜は言葉に詰まった。

 雪の言い分は、この状況においてあまりにも正論すぎた。魔王が、副マネージャーに骨抜きにされてデレデレしている姿など、裏社会のハイエナどもに見せられるはずがない。それではただのギャグである。


「だから、修正するわ」


 雪は、スッと冷徹な大陰陽師の顔に戻ると、気絶している影持子の頭を、ガシッ! と鷲掴みにした。


「えっ!? ゆ、雪師匠、何をするんですか!?」


「決まってるでしょ。朔夜に魂の底まで屈服させられたという『記憶』と『情動』を、この擬似魂から消去するのよ」


「――なっ!!?」


 朔夜の心臓が、ドクンッ! と大きく跳ねた。


「き、記憶を消す!? 冗談ですよね!? あんなに……あんなに心を通わせて、俺がやっと支配下に置いたのに!?」


「主従関係の強制力だけは深層に残しておくわ。でも、この甘い記憶はノイズにしかならない。……消すわよ」


 雪の指先から、青白い呪力が放たれ、影持子の頭部へと流れ込もうとする。


「待ってください!!」


 朔夜は、雪の手首をガシッ! と掴んで止めた。


「あんまりです! 僕は、あなたの命令で……必死の覚悟で魂を交わしたんですよ! それを、無かったことにするなんて……男のプライドが許しません!」


 朔夜の、悲痛な叫び。

 初めての魂の交感。ダミーとはいえ、自分が心と呪力を尽くして陥落させた少女の記憶を消されるなど、男として耐え難いことだった。


「……朔夜」


 雪は、朔夜の掴む手を振り払うことはせず、ふっと優しい、母のような微笑みを浮かべた。


「気持ちは分かるわ。理不尽なことをさせているという自覚もある。……でもね、これは『本物の持子』を守るためのことなのよ」


「本物の……持子を……」


「そう。このダミーが完璧な魔王として機能しなければ、すべての負担が、記憶を失って純真な女の子に戻ってしまったあの子に降りかかる。……あなたは、あの子を守るために、私の陰陽道の弟子になり副マネージャーになったんでしょう?」


「うぐっ……!」


 その言葉は、朔夜の最も柔らかい部分を正確に突き刺した。

 己の欲望やプライドよりも、守るべき主の命と平和。陰陽師としての本分。


「……分かりました。……好きに、してください」


 朔夜は、ギリッと血が出るほど唇を噛み締めながら、ゆっくりと雪の手首から手を離した。


「ありがとう、朔夜。……『封』」


 シュゥゥゥン……ッ。


 雪の呪力が影持子の脳内を駆け巡り、先ほどまでの甘く熱い記憶のデータを、綺麗にフォーマットして消去した。


「……これで良し。あとは服を着せて、出発ね」


 雪がホッと息をついた、その時だった。


「…………ところで、雪先生」


 朔夜が、非常に冷めた、ジト目になって雪を見つめた。


「この状態で影持子が起きたら、大惨事だと思うのですが?」


「えっ?」


「えっ? じゃないですよ」


 朔夜は、自分たちと影持子の状態を指差した。


「僕たちは今、激しい呪力の奔流と汗でドロドロの状態なんです。いくら記憶を消したって、衣服も乱れたこの有様で目が覚めたら『貴様、わしに何をしたッ!!?』って大暴れしますよ!?」


「あっ……!」


 雪は、ここで初めて、自分が『やらかした』ことに気がついた。


「な、なんでシャワーを浴びさせて、服を着せてから意識を飛ばさなかったんですか!? タイミングが悪すぎます!!」


「だ、だって焦ってたのよ! モニターのバイタルデータを見てたら、魔王が完全に骨抜きにされてるんだもの! 時間がないのに、これ以上甘えさせたら使い物にならなくなると思って……っ!」


 大陰陽師らしからぬ、痛恨のミス。

 つまり今の影持子は、気絶している間に『お風呂に入れて、服を着せなければならない』という、超絶ハードモードな状態なのだ。


「朔夜、あなた抱えてお風呂場まで行きなさい」


「無理ですよ! 僕の体格じゃ、いくら女の子とはいえ意識のない人間を抱えて洗うなんて、重くて滑って不可能です!」


「くっ……仕方ないわね」


 雪は、懐から数枚の呪符を取り出した。


急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう! 出でよ、水神の式!」


 ポンッ! ポンッ!


 現れたのは、カエルのような姿をした水属性の式神たちだった。


「式神たち! この子をバスルームに運んで、綺麗に洗い流しなさい! 朔夜は自分のシャワーを済ませて、服を着せなさい!」


「……ゲコッ!」


 そこから先は、まさに地獄のようなドタバタ劇だった。

 カエルの式神たちが意識のない絶世の美少女(魔王)をワッショイワッショイと運び出し、泡だらけにして洗い流すという、シュール極まりない光景。


 朔夜も超特急でシャワーを浴び、乾かされた影持子に、半泣きになりながらタートルネックとミニスカートを着せ直した。


     * * *


「……ん、ぬぅ……?」


 全ての偽装が完了し、ソファーに座らされた影持子が、ゆっくりと目を覚ました。


「お、起きましたか、持子」


 朔夜が、服を整え、何食わぬ顔を装って声をかける。


「……朔夜。それに雪。わしは……どうしたのだ? いつの間にか意識が……」


 影持子は、怪訝そうに自分の顔を触り、首を傾げた。

 その黄金の瞳には、先ほどまでのトロンとした甘えの光は微塵もない。傲岸不遜で、世界を見下すような『魔王・董卓』の鋭い眼光が戻っていた。


(……消えた。俺と呪力を交わした記憶も、あの甘い吐息も……全部)


 朔夜の胸に、ズキリと冷たい隙間風が吹いた。

 男として、寂しくないと言えば嘘になる。自分が初めて本気でぶつかり、心を許してくれた相手が、自分を「ただの若造」としてしか見ていない元の状態に戻ってしまったのだから。


「持子。あなたは魔力酔いを起こして、少し眠っていたのよ」


 雪が、平然とした顔で嘘をつく。


「そうか……。忌々しい。なまら腹が減りすぎて倒れるとは、わしとしたことが……」


 影持子は、フンッと鼻を鳴らして立ち上がった。


「よし、ならば予定通り、氷川神社に行くぞ! そして帰りに必ず二郎を食うからな!」


 ドヤ顔で言い放つ影持子。

 その姿は、完全に記憶を消される前の、ダミーの魔王そのものであった。


「……はぁ。仕方ないですね。行きますよ、持子」


 朔夜は、未練を断ち切るように小さくため息をつき、影持子の前を歩こうとした。


 ――その時。


「……おい、朔夜」


 不意に、影持子が朔夜の袖を、ツンッと軽く引っ張ったのだ。


「え?」


 朔夜が振り返ると、影持子は少しだけバツの悪そうな顔をして、視線を彷徨わせていた。


「……貴様、先ほどシャワーでも浴びたのか? 髪が少し濡れているぞ。……風邪を引いたら、副マネージャーの仕事に支障が出るだろうが。気をつけろ」


「え……あ、ありがとう」


 朔夜は、驚きで目を見開いた。

(……記憶は消えても、魂に刻まれた情動までは、完全には消えなかったのか……?)


 朔夜の袖を引くその指先の力は、記憶を失う前よりも、ほんの少しだけ……優しく、そして甘い親愛の情が込められているような気がした。


「な、何をジロジロ見ている! さっさと歩かんか!」


 影持子は、顔をほんのりと赤くしてそっぽを向き、ズンズンと歩き出してしまった。


「……ふふっ」


 朔夜の口元から、自然と笑みがこぼれた。

 記憶がなくても。主従の呪縛でしかなかったとしても。

 自分が彼女に刻み込んだ情熱は、確かにこの影の魔王の奥底に、小さな変化をもたらしていたのだ。


「待ってくださいよ、持子! 俺が前を歩きますから!」


 朔夜は、寂しさを完全に吹き飛ばし、軽やかな足取りで影持子の隣へと駆け寄った。


 大陰陽師の焦りと、天才陰陽師の奮闘。そして、無自覚にデレる影の魔王。

 氷川神社へ向けた、三人のドタバタなパレードが、今度こそ本当に幕を開けたのであった。


R15厳しい。

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