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【大陰陽師の秘術と、君臨する影の魔王】

【大陰陽師の秘術と、君臨する影の魔王】


 氷川神社から遠く離れた、芸能事務所『スノー』の社長室。

 外部からの干渉を完全に遮断する強固な結界の中で、立花雪は自身の足元に広がる黒い影へと視線を落とした。


「――出なさい」


 ズズズズズ……ッ!

 雪の短い命令とともに、影が沼のように蠢き、中から一人の少女がせり上がってきた。

 エティエンヌから奪い取った『影騎士』である。持子の血を引いているため、その姿は身長175cm、神が計算し尽くしたような「黄金比」のプロポーションと白磁の肌を持つ絶世の美少女、恋問持子そのものだ。その身に纏う魔王としての禍々しいオーラも健在であった。

 だが、その瞳はガラス玉のように虚ろで、魂の不在を示している。


「姿やオーラは完璧ね。けれど、このままじゃただの精巧な人形よ。裏社会の連中を完全に欺くためには、ここに『擬似的な持子の魂』を創り出して定着させる必要があるわ」


 雪がスッと右手をかざすと、社長室の床一面に、目も眩むような光を放つ巨大な『陣(印)』が浮かび上がった。


「なっ……!?」


 背後に控えていた副マネージャー・土御門朔夜が、息を呑んで目を見開いた。

 幾重にも重なる複雑怪奇な幾何学模様と、見たこともない古代の呪符の羅列。

(なんだ、この陣は……!? 土御門家の術式とは根本から違う! なのに、一切の無駄がなく、恐ろしいほどの完成度で魔力が循環している……ッ!)

 天才陰陽師である朔夜の頭脳が、そのオーバーテクノロジーな術式を前に驚愕する。しかし同時に、彼の陰陽師としての貪欲な探求心が、その陣の構造を脳裏に焼き付けようとフル回転を始めた。


「……ふふっ。朔夜、本当にあなたは鍛えがいのある弟子だわ」


 必死に術式を解析しようとする朔夜を見て、雪は満足げに口角を上げた。


「これはね、魂の器に『記憶の残滓』を流し込み、擬似的な人格を形成するための秘術よ。……解説はこれくらい。あとは自分の目で見て盗みなさい。機会は与えたわよ?」


「はいっ! 雪先生!! 瞬き一つせず、すべてこの目に焼き付けてみせます!!」


 朔夜が興奮で打ち震えながら、背筋をピンと伸ばした。


「よろしい。……まずは、ここに私の『血』を入れるわ」


 ――ポタッ。

 雪が自身の指先を小さく切り裂き、血の雫を陣の中心へと落とした。


「私から見た、持子の身と心の記憶……『傲慢で、スケベで、けれどどこか愛おしい可愛くってバカな魔王』の複写よ。さあ朔夜、あなたも血を流し込みなさい」


「承知いたしました!」


 朔夜も迷うことなく自身の指を切り、血を陣へと注ぎ込む。


「僕から見た、持子の身と心の記憶! 『理不尽で、恐ろしくて、可愛くって、僕からの告白を保留中で、副マネージャーとしても支えたくなる魔王(バカ)』の情報を入力します!」


 二人の血が陣に触れた瞬間、カァァァッ! と強烈な光が部屋を包み込んだ。

 そして、影騎士の身体そのものに刻み込まれていた『既存の血』が、陣の力によって内側から共鳴し始める。

「この影騎士の中には既に、あの子に忠誠を誓う下僕たちの血が混ざっているわ。本多鮎、花園美羽、エティエンヌ、アスタルテ、ルージュ、シャーロット(グレモリー)……彼女たちから見た持子の記憶も、すべて擬似魂の素材として統合するわ」

 雪の言葉とともに、様々な感情の色が混ざり合い、一つの巨大な情報の渦となって影騎士の虚ろな瞳へと流れ込んでいく。


「……素晴らしい。これだけ多角的な『持子の身と心の記憶』が揃っていれば、完璧な魔王のダミーが完成しますね!」

 朔夜が満足げな顔で頷く。

 しかし、雪はスッと瞳を細め、極めて真剣なトーンで告げた。


「そうね。でも、困るのが……この『影持子』は、支配下に置きすぎても人形だとバレるし、かといって手放しすぎても暴走する危険があるということよ。私と朔夜とで、絶対に手綱をしっかりと握らなきゃダメ」


「もちろんです」


 朔夜が、ゴクリと唾を飲み込んで同意する。


「本物の持子が記憶と力を失っていることは、すでに下僕たちは知っています。もしも、この『魔王としての魂と肉体を持った完璧なダミー』の存在が彼女たちに知れたら……」


「ええ。あいつらがこのダミーの魔王を好き勝手に使って、倫理の底が抜けた『大惨事おままごと』を繰り広げるのはすぐに想像できるわ。絶対に渡すわけにはいかない」


 雪と朔夜は、かつてないほどの固い絆で、深く、深く頷き合った。


「さあ、仕上げよ!」


 雪と朔夜が同時に印を結び、極大の霊力を陣へと注ぎ込む。

 ――バチバチバチッ!!

 空間が歪み、プラズマのような光が弾け飛ぶ。

 陣の光がシュンッ! と影騎士の体内へと完全に吸い込まれ、虚ろだった瞳に強烈な「覇気」と「知性」の光が宿った。

 大陰陽師と天才陰陽師の合作。

 静寂が戻った社長室に立っていたのは、傲岸不遜なオーラを纏い、黄金の瞳で二人を見下ろす、かつての『魔王・董卓』そのものであった。

 スッ……。

 影持子が、ゆっくりと口を開いた。


「――腹が空いた」


 威厳に満ちた、低くドスの効いた魔王の第一声。

 それに安堵しかけた二人だったが、影持子は自身の身体をジッと見下ろした後、少しだけ眉を顰めて言い放った。


「それと、何故わしは全裸なのだ!?」


「「……あっ」」


 エティエンヌの影の中から飛び出してきたばかりの影騎士は、当然ながら「生まれたままの姿(一糸纏わぬ全裸)」であった。

 いくら魂がダミーとはいえ、本人の羞恥心や認識まで完璧にコピーしてしまったがゆえの言葉である。


「す、すみません! すぐに服を……!」


 朔夜が慌てて上着を脱ごうとした、その時だった。


「――ふんっ」


 影持子は、全裸であるにも関わらず、身を隠そうとするどころか堂々と胸を張った。

 神が計算し尽くしたような「黄金比」のプロポーションと白磁の肌。そこから放たれるのは、圧倒的な覇気と、世界を統べる王としての美しさだった。

 全裸ですら一つの『芸術カリスマ』として見せつけるような、魔王としての凄まじい威圧感。


「…………っ」


 朔夜の動きが、ピタリと止まった。

 普段は「俺様」を気取る肉食系の彼も、目の前で堂々と見せつけられる絶世の美少女の完璧な裸体と、それを凌駕する覇王のオーラを前に、男として強烈に意識してしまい、ボッと顔を赤くして思わず視線を逸らしてしまった。


「……朔夜服を持ってこい。控室で待つ」


 朔夜のその反応を見て、影持子は満足げに(あるいは呆れたように)フッと鼻を鳴らすと、一切の羞恥を見せることなく、堂々とした足取りで奥の部屋へと歩いて行ってしまった。


「…………」


 パタン、とドアが閉まる音が響く。

 社長室に取り残された朔夜は、顔を真っ赤にしたまま硬直していた。


「……あら」


 雪が、面白そうにクスリと笑う。


「一応、朔夜のことは『男』として意識して、あえて見せつけたみたいね。……おめでとう?」


「……微妙なところですけどね」


 朔夜は、熱くなった頬を手のひらで冷まし、深く息を吐き出した。

 その瞳の奥には、陰陽師としての野心と、一人の男としての強い決意が燃え上がっていた。


「ですが……必ず、本当の意味で僕に振り向かせてみせます。まずは、あの圧倒的な存在の隣に立てるだけの……力をつけますよ」


 天才陰陽師の宣戦布告に、雪は「楽しみにしてるわ」と、妖しく微笑み返すのだった。



【大陰陽師の意地悪な実験と、天才陰陽師の支配】


「――はい、朔夜。これ、持子の服よ」


 スノーの社長室。

 先ほど、大陰陽師・立花雪と天才陰陽師・土御門朔夜の合作によって生み出された、完璧な魔王のダミー『影持子』。全裸のまま「腹が空いた。服を持て」と言い放ち、控室へと消えていった彼女を追うため、朔夜が上着を脱ごうとしていた矢先のことだった。


 雪は、どこからともなく取り出した高級ブランドの紙袋を、ポンと朔夜の胸に押し付けた。


「え……? 雪先生、これは?」

「さっきも言ったでしょ。持子の服。それと、もちろん『下着』も一式入っているわ」

「し、下着……ッ!?」


 その単語を聞いた瞬間、朔夜の白磁のような美しい肌が、ボッと音を立てて朱色に染まった。

 彼は陰陽庁執行部『六壬』に所属する天才陰陽師であり、幾度も修羅場を潜り抜けてきた特級の術者である。普段は傲岸不遜な「俺様」キャラを気取っており、中身はゴリゴリの肉食系男子だ。

 だが、中身が肉食系だからこそ、そして先ほど、絶世の美少女である持子と完全に瓜二つの「完璧な全裸」を至近距離で見せつけられた直後だからこそ、その破壊力は凄まじかった。


「ゆ、雪先生! なんで僕が、持子の下着なんて持って行かなきゃいけないんですか!? これは雪先生が行くべきでは!?」


 朔夜は紙袋を持つ手をブルブルと震わせながら、主である雪に必死に抗議した。


「あら、朔夜。あなた、さっき私と一緒に『擬似魂』の陣を構築したわよね?」


 雪は、面白くてたまらないといった様子で、極上のサディスティックな微笑みを浮かべた。


「あの『影持子』は、私とあなたの血、そして持子に対する記憶を元に構成されているの。つまり、あの子の魂の根底には、私と朔夜に対する『絶対的な服従』が刻み込まれているわ」

「そ、それは分かっていますが……っ!」

「いいこと、朔夜。これは意地悪で言っているんじゃないの。とても『大切な実験』なのよ」


 雪はスッと目を細め、大陰陽師としての冷徹な声音に切り替えた。


「あの子は、中身も外見も、あの傲岸不遜な『魔王・董卓』そのものよ。自我が強すぎて、コントロールから外れて暴走する危険性がゼロではないわ。だからこそ、ここで明確な『主従関係のテスト』をする必要があるの」


 雪は、紙袋を持った朔夜の肩をポンと叩き、さらに凄みのある声で言い含めた。


「ただし、条件があるわ。あの子には絶対に『自分がダミーである』とは言わないこと。あくまで本物の持子本人として扱いなさい。そして……『俺の目の前で服を着ろ』と命じるのよ」

「はぁぁぁぁぁっ!?」


 朔夜は、今度こそ目玉が飛び出そうになるほど驚愕した。


「め、目の前で!? 着替えろと!? 僕がですか!?」

「ええ。あのプライドの塊のような魔王が、不平不満を言いながらも、あなたの『命令』に逆らえず、屈辱的な指示にちゃんと従うかどうか。……もし従えば、このダミーのコントロールは完璧ということになるわ。ね? 理にかなった、極めて重要な実験でしょう?」

「理にはかなってますけど! 理屈は完璧ですけど! 僕の精神的負担がデカすぎませんか!?」

「あら、朔夜。先ほど『あの圧倒的な存在の隣に立てるだけの力をつける』と、男らしく宣言したばかりじゃない。これくらいの試練、乗り越えられないでどうするの?」

「ぐぬぬ……っ!」


 雪の完璧な正論(という名の悪魔の囁き)に、朔夜は完全に退路を断たれてしまった。


「……分かりました。やってみせますよ、ええ! 僕は副マネージャーですからね! 着替えの管理くらい、余裕でやってみせます!!」


 朔夜はヤケクソ気味に紙袋を抱え直すと、ズンズンと足音を立てて控室の方へと向かっていった。


「ふふっ……若いっていいわね。せいぜい、男としての器を見せつけてやりなさい」


 雪は、その後ろ姿を見送りながら、クスクスと悪戯っぽく笑うのだった。


     * * *


 ――ドッドッドッドッ……!


 控室のドアの前に立った朔夜の心臓は、まるで早鐘のように激しく鳴り響いていた。


(落ち着け、土御門朔夜……! 相手はダミーだ! 魂のない精巧な人形だ! ……いや、でも、ベースはエティエンヌの魔法の結晶だし、血は持子本人のものだし……何より、見た目が完全に『恋問持子』そのものじゃないか……っ!)


 身長175cm、神が計算し尽くしたような「黄金比」のプロポーションと白磁の肌。

 普段は傲岸不遜でスケベなオッサン気質の魔王だが、その肉体の美しさは、世界的なトップモデルとして全人類を魅了するほどの芸術品である。

 先ほど、全裸で堂々と胸を張る姿を見た時の、あの脳が焼けるような衝撃。


(あれを……今から目の前で……下着から着させる……? いや、陰陽術の実験だ! 俺は術者として、主として、こいつを完全にコントロールしてみせる!)


 朔夜は「すぅぅぅぅ……、はぁぁぁぁ……」と、陰陽道の呼吸法を用いて必死に精神を統一した。

 そして、決意を込めてドアノブに手をかけた。


 ――ガチャリ。


「……遅いぞ、朔夜」


 部屋に入った瞬間、空気が重くのしかかってきた。

 薄暗い控室。革張りの高級なソファの中心で、影持子は、生まれたままの姿――すなわち一糸纏わぬ全裸の状態で、足を組み、肘掛けに腕を乗せてふんぞり返っていた。


「ひぐっ……!」


 朔夜は、入室早々、そのあまりにも神々しく、そして暴力的なまでの『裸体の覇気』に当てられ、息を呑んだ。

 白磁のように滑らかな肌。引き締まった腹筋のライン。豊かな胸の膨らみ。そして、すらりと伸びた長い足。

 全裸であるにも関わらず、いや、全裸であるからこそ、その「王」としての威厳と美しさが際立っている。隠すものがないという圧倒的な自信が、彼女のオーラをさらに巨大なものにしていた。


「何を突っ立っている。服を持ってきたのであろう? さっさと寄越せ。わしは腹が減っているのだ」


 影持子は、長い黒髪をファサリと揺らし、黄金の瞳で朔夜を見下ろしながら、傲岸不遜な声で言い放った。一人称の「わし」も、朔夜を呼び捨てにするその尊大な態度も、まさしく魔王・董卓そのものである。


「あ、ああ……」


 朔夜は、視線をどこに向けていいのか分からず、宙を泳がせながら紙袋を差し出そうとした。

 しかし、そこで雪の「実験の指示」が脳裏をよぎる。


(――絶対に影だとは言わず、本物の持子として扱いなさい。そして『俺の目の前で着替えろ』と命じるのよ)


「……っ!」


 朔夜は、ギュッと拳を握りしめ、自身の内に眠る「俺様」のスイッチを強制的にオンにした。

 陰陽師としての威厳。主としての絶対的な気迫。


「……待て、持子」

「何だ、その態度は。朔夜、わしに向かって――」

「これは、俺からの『命令』だ」


 朔夜は、紙袋を自分の方へ引き寄せ、影持子の黄金の瞳を真っ直ぐに睨み返した。

 顔はまだ少し赤いものの、その声には、特級陰陽師としての強力な「縛り」の呪力と、男としての強烈な支配欲が込められていた。


「今から、この服を渡す。……お前は、ここから一歩も動かず、俺の目の前で、下着から順番に着替えろ」


 ――ピキィッ。


 部屋の空気が、凍りついた。

 影持子の黄金の瞳が、スッと細められる。

 圧倒的な殺気と魔王の威圧感が、嵐のように朔夜へと叩きつけられた。


「……朔夜。今、なんと言った?」


 低く、地鳴りのような声。


「天下を統べるこのわしに……貴様のような若造の目の前で、着替えを見世物にしろと? 痴態を晒せと、そう申すか?」

「そうだ。これは命令だ。お前に拒否権はない」


 朔夜は、冷や汗を流しながらも、一歩も引かずに言い切った。


「フッ……ハハハハハッ!!」


 影持子は、ソファに座ったまま、腹を抱えて大笑いした。


「面白い! 朔夜、少し見ない間に随分と肝が据わったではないか! よかろう、そのふざけた命令、この魔王の力で木っ端微塵に打ち砕いて――」


 影持子が、朔夜を吹き飛ばそうと魔力を練り上げ、立ち上がろうとした。


 ――その瞬間。


「……ぬぅっ!?」


 影持子の身体が、ビクン! と大きく跳ね、ソファに縫い付けられたように動かなくなった。


「な、なんだこれは……!? 身体が……わしの身体が、言うことを聞かん……ッ!」


 影持子が歯を食いしばり、必死に立ち上がろうと足掻くが、まるで透明な鎖で全身を縛り上げられているように、指先一つ動かすことができない。


(何故だ!? 何故、朔夜の言葉にわしの身体が従おうとする!? 魔力が……覇気が、こやつの意志に呑まれているだと!?)


 ダミーとしての自覚がない影持子にとって、己の肉体が他者の命令に縛られるなど、絶対にあり得ない事態だった。


「……言ったはずだ、持子。お前に拒否権はないと」


 朔夜は、内心で(よかったぁぁぁっ! 術式、ちゃんと効いてるぅぅっ!)と滝のような安堵の汗を流しながら、表面上は不敵な笑みを浮かべて、紙袋から衣類を取り出した。


「お前は、俺の言うことを聞くしかないんだよ。……いくら魔王の自我を持っていようと、俺の命令には逆らえない」

「ぐ、ぐぬぬぬぬ……ッ!! 朔夜ぁ……ッ! 貴様、わしに何をしたッ! このわしが、己の身体すら自由に動かせんとは……ッ!」


 影持子は、黄金の瞳に屈辱と怒りの炎を燃やし、ギリギリと奥歯を噛み締めた。

 しかし、どれだけ魔王の自我が抵抗しようとも、肉体はシステムとして組み込まれた「土御門朔夜の命令」に自動的に従ってしまう。


 ――だが、それだけではなかった。


 影持子の胸の奥底で、怒りや屈辱とは全く異なる、奇妙な感情がトクン、と脈打ったのだ。


(なんだ……? この感情は……?)


 己を強引に支配しようとする朔夜の、強く熱を帯びた視線。

 普段は従順な「副マネージャー」であるはずの彼が放つ、抗い難いオスとしての気迫。

 それに縛り付けられ、身動きが取れないこの状況。本来ならばら怒りで周囲の空間ごと消し飛ばして余りあるはずの事態だというのに――。


(……嫌だ。屈辱だ。……だが……悪くはない……? むしろ、胸の奥が妙に熱く……ゾクゾクとするのは、何故だ……!?)


 影持子は、自分自身の内に芽生えたその『感情』に、激しく戸惑った。

 それは、陣の構築の際に混ぜ合わされた「エティエンヌの究極のドM気質」や、「鮎の狂信的な被支配欲」、そして「朔夜自身の肉食系としての情念」が複雑に絡み合った結果生み出された、バグのような感情であった。


「さあ、着替えろ」


 朔夜は、紙袋から取り出した『黒のレースのランジェリー(上下)』を、影持子の膝の上にポンと投げ落とした。


「なっ……! さ、朔夜ぁっ! 何故わしが、このような布地の少ない、ハレンチ極まりない下着をつけねばならんのだッ!?」


 影持子は、膝の上のランジェリーを見て、怒りよりも先に『羞恥心』で顔を真っ赤にした。

 中身はスケベなオッサンである董卓だが、ベースとなっている持子の肉体と記憶には、十六歳の純情な乙女としての羞恥心が完璧にコピーされている。

 見られるのは平気でも、自分から「エロい下着を着る」という行為には、強烈な抵抗があるのだ。


「雪先生の趣味だ。文句は雪先生に言え。……ほら、早く着ろ。俺の目の前でな」


 朔夜は、腕を組んでジッと影持子を見つめた。


(見ないフリをするのは簡単だ……でも、ここで目を逸らしたら、俺がこの圧倒的な存在に『負けた』ことになる! 男として、陰陽師として、最後までこの光景を見届けてやる……!)


 朔夜は、自分の中で変なプライドに火をつけ、瞬きすら惜しむように影持子を直視し続けた。


「ぐっ……うぅぅぅ……ッ! 覚えておれ、朔夜……! いつか必ず、この屈辱の百倍返しにして、貴様を市中引き回しの刑にしてくれるわ……ッ!」


 影持子は、顔を耳の先まで真っ赤に染め、涙目でプルプルと震えながら、ゆっくりと両手を動かし始めた。

 術式の縛りにより、嫌でも「着替える」という行動をとってしまう。そして、その行為を朔夜に見せつけることに、底知れぬ羞恥と……奇妙な昂揚感を覚えてしまっている自分がいた。


 ――カサッ、スルーッ……。


 まずは、黒のレースのショーツに足を通す。

 長い美脚が滑らかに動き、薄い布地が白磁の肌を這い上がっていく。全裸の時よりも、むしろ「下着を身につける過程」の方が、背徳感とエロティシズムが何十倍にも増幅される。


「ひっ……!」


 朔夜の喉から、思わず変な音が漏れた。


(や、ヤバい……! なんだこれ、破壊力が高すぎる……っ! ただ着替えてるだけなのに、なんでこんなにエロいんだよ……っ!)


 目の前で恥じらいながら下着を身につけているのは、間違いなく『恋問持子』という絶世の美少女の肉体なのだ。その視覚情報がもたらす暴力的なまでの魅力は、朔夜の理性をゴリゴリと削り取っていく。


「……くそっ! 見るな! 朔夜、どこを見ているのだ変態めッ! 目を抉り出して、塩漬けにしてやろうかッ!」


 影持子は、朔夜の熱い視線に耐えきれず、片手で胸を隠しながら、もう片方の手でショーツを引き上げた。

 口では悪態をつきながらも、その声はどこか上擦り、甘い熱を帯びていた。


(なぜだ……朔夜に見られているというだけで、身体の奥が熱い……! 悔しい……屈辱なのに……!)


「み、命令だと言ってるだろ! 俺は、お前がちゃんと着替えられるか見届けてるだけだ!」


 朔夜は、顔を茹でダコのように真っ赤にしながら、必死に「俺様」の態度を崩さずに叫んだ。


「言い訳が苦しいわッ! 貴様のその鼻の下が伸び切った顔、董卓様の目は誤魔化せんぞ! あぁもう、屈辱だ……ッ! なんでわしが、こんな……ッ!」


 影持子は、ブツブツと文句を言いながら、次は黒のレースのブラジャーを手に取った。


 ――パチン。


 背中でホックを留める音。

 豊かな胸が、黒のレースに包み込まれ、美しい谷間が形成される。


「…………っ」


 朔夜は、限界だった。

 心臓の音がうるさすぎて、自分の耳が破裂しそうだ。


(これ、本当に実験なのか!? 雪先生、絶対に面白がってるだけだろ! 俺の理性が吹き飛ぶかのチキンレースじゃないか!!)


 続いて、影持子は紙袋から服を取り出した。

 雪が用意していたのは、タイトな黒のタートルネックセーターと、ボルドー色のミニスカート、そして黒のタイツだった。

 魔王の威厳と、モデルとしてのスタイルの良さを限界まで引き出す、絶妙なコーディネートである。


 ――モゾモゾ、スッ。


 影持子は、不満げに顔をしかめながらタイツを履き、ミニスカートに足を通す。

 そして、タイトなセーターを頭から被り、豊かな胸のラインを強調させた。


「……ふぅ。これで満足か、変態男」


 着替えを終えた影持子は、ソファから立ち上がり、腕を組んで朔夜をキッと睨みつけた。

 顔はまだほんのりと赤いものの、服を着たことで少し余裕を取り戻したのか、再び魔王としての圧倒的な威圧感を放ち始めている。

 だが、その黄金の瞳の奥には、朔夜に対する明確な「意識」と、抗えない支配に対する複雑な熱が燻っていた。


「あ、ああ……。確認した。よく似合ってるぞ」


 朔夜は、フラフラと足元をおぼつかせながら、何とか平静を装って頷いた。

 背中は脂汗でびっしょりだ。


(なんとか……なんとか最後まで見届けたぞ……! コントロールも完璧だ。影持子は、不満を持ちながらも、俺の命令に逆らえなかった!)


「全く、世話の焼ける小童よ。わしの着替えを監視するなど、一〇〇万年早いわ」


 影持子は、フンッと鼻を鳴らし、美しい黒髪をかき上げた。


「さあ、着替えは終わった。腹が減ったと言ったはずだ。早く、極上の肉か、ラーメン二郎の『ニンニクアブラカラメ増し増し』を持て。……分かっているな? もしマズいものを食わせたりしたら、ただでは済まさんぞ」


 己がダミーであることに全く気づかず、完全に『恋問持子』として振る舞う彼女は、先ほどの羞恥プレイなど忘れたかのように、堂々たる態度で食事を要求してきた。


「はぁ……。了解した、持子。すぐに手配してやるよ」


 朔夜は、深いため息をついた。

 コントロールの実験は大成功だった。だが、朔夜の精神的疲労は、特級の妖と三日三晩戦い続けた時よりも遥かに大きかった。


(……この魔王の管理、本当に俺と雪先生の二人だけでやっていけるのか……?)


 朔夜は、前途多難すぎる未来を想像し、胃の辺りに重い痛みを感じるのだった。


 ――一方、その頃の社長室。


「ふふふっ……朔夜の心拍数が、とんでもないことになっていたわね」


 雪は、手元のタブレットで朔夜のバイタルデータを監視しながら、悪女のような極上の笑みを浮かべていた。


「まあ、術式の定着と主従関係の確認は完璧だったわ。これで、この『影持子』は完全に私たちの手駒よ」


 大陰陽師の恐るべき企みと、限界まで追い詰められる天才陰陽師。

 そして、己が偽物であることすら知らず、抗えぬ支配に奇妙な悦びを覚えながら君臨する影の魔王。

 裏社会を欺くための前代未聞のオペレーションが、今、ひっそりと幕を開けたのである。


間違えて一話抜かしていました。

二話分です。ちょっと長いです。

ごめんなさい。

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