「はじめまして、なのに家族でした」
【家族の温もりと、ドキドキの氷川神社訪問】
サクサク、と玉砂利を踏む音が、静寂に包まれた境内に心地よく響く。
関東一円でも有数の歴史と格式を誇る、氷川神社。その荘厳な空気の中で、恋問持子の心臓はさっきから「ドッキン、ドッキン!」と早鐘を打ちっぱなしだった。
(ど、どうしよう……っ。なまら緊張する……!)
持子は、隣を歩く立花雪のコートの袖をギュッと力強く握りしめながら、もう片方の手で自分のスマートフォンの画面を何度も確認していた。
画面に映っているのは、先日自分のカメラロールで見つけた「結婚式の写真」や「神社での集合写真」だ。
「持子、そんなにガチガチにならなくても大丈夫よ」
雪が、孤児院育ちの持子にとって母親のように温かく、安心できる微笑みを向けてくれた。
「でも……っ! だって、私に『家族』がいるなんて、夢みたいなんだもん……!」
持子は、物心ついた時から孤児院で育った天涯孤独の身である。血の繋がった両親も、兄弟もいない。寂しい思いや、心細い思いをたくさんしてきた。
だからこそ、記憶を失っている間の「空白の二年間」で、自分に親族と呼べる人たちができていたという事実は、持子にとって何よりも――本当に何よりも嬉しくて、信じられないほどの奇跡だったのだ。
「えっと、もう一回確認させてください、雪さん!」
持子はスマホの画面を指差し、目をキラキラと輝かせた。
「この立派なお髭のお爺ちゃんが、風間助平さん。氷川神社の宮司さんで……えっと、私のファンなんですよね?」
「ええ、そうよ。持子のことを『持子様ぁぁっ!』って拝むくらいの熱狂的なファンにして、あなたの義理のお祖父様にあたる人よ。ちょっとテンションが高いけど、根は優しいお爺ちゃんよ」
「お祖父ちゃん……!」
持子の頬がポッと赤く染まる。自分を応援してくれて、しかもお祖父ちゃんと呼べる存在がいるなんて、胸がぽかぽかする。
「それで、この純白のウェディングドレスを着ている、すっごく綺麗な白髪の女の人が……桐子さん」
「そう。葉室桐子……今は結婚して風間桐子ね。彼女と持子は『姉妹の契り』を交わしているの。だから、持子にとっては義理の『お姉さん』になるわ」
「お、お姉ちゃん……っ!」
持子は両手で頬を包み込み、ボフゥッ! と顔から湯気を出しそうになった。
(私に、こんな美人で優しそうなお姉ちゃんが……! 『お姉ちゃん、お買い物行こ!』とか、『お姉ちゃん、これ美味しいね!』とか言えちゃうのかな……!? 妄想が止まらないよぉっ!)
「で、その桐子さんの隣にいる、息が止まるくらいイケメンな男の人が……」
「桐子さんの旦那様の、風間洋助さんね」
「うぅっ……写真で見るだけでもドキドキしちゃう……っ」
持子は純情な乙女らしく、洋助の端正な顔立ちを見るだけで胸を高鳴らせていた。義理の兄がこんな超絶イケメンだなんて、少女漫画のヒロインになった気分だ。
「そして、この人が……」
持子の指が、画面の中の、冷たくも透き通るような美貌を持つ黒髪の少女で止まる。つい先日、ペントハウスにやってきた、あの美しい巫女のエージェント・風間楓である。
「楓さん。あの時お会いした、なまら綺麗な巫女さん……洋助さんの妹さんだったんですね」
「ええ。つまり、楓さんも持子の親族になるわね」
(楓さん……あの時はすごくクールでかっこよかったけど、本当は妹さんなんだよね。もしかして、家族の前では『お姉ちゃん♡』って甘えてくれたりするのかな……!? 私が頭をよしよしって撫でたら、照れながら喜んでくれたり……!)
持子の頭の中で、クールな楓があざとく甘えてくるという、都合の良い(そして絶対にあり得ない)妄想がフル回転で展開されていく。
「それに、もう一人。高子ちゃんっていう、お人形さんみたいに可愛い女の子もいるのよ」
雪が優しく付け加えると、持子のキャパシティは完全に限界を突破した。
「お祖父ちゃんに、綺麗なお姉ちゃん、イケメンなお兄さんに、クールで可愛い妹さんたち……! はわわわ……私、幸せすぎてバチが当たらないかな……っ!」
持子は、期待と緊張と嬉しさで、足元がフワフワと宙に浮いているような感覚だった。
これまで、ドMの吸血鬼や泥棒猫の忍者、愛が重すぎる女神など、カオスすぎる面々(魔法少女たち)に囲まれて胃を痛めてきた持子だが、今日ばかりは純粋な「家族の温もり」に触れられるのだ。
「大丈夫よ。みんな、いい人たちだから」
雪はそう言って、持子の背中をポンと優しく押した。
「さあ、着いたわ。ここが風間家の母屋よ」
目の前に現れた、歴史を感じさせる立派な日本家屋。
持子はゴクリと唾を飲み込み、胸の前で両手をギュッと握りしめた。
(みんな、私は覚えてないけど……でも、私の『家族』なんだ!)
持子は大きく深呼吸をすると、期待に満ちた満面の笑みを浮かべ、新しい家族が待つ扉の前に立った。
【風間家の迎撃準備(?)とそれぞれの思惑】
その頃。持子がガチガチに緊張しながら向かっている氷川神社の母屋では、風間家の面々が、神妙な面持ちでリビングのソファや座布団に腰を下ろしていた。
本来ならば、大晦日と初詣を数日後に控えた氷川神社は、目の回るような忙しさである。しかし今日ばかりは、神社の実務を下の者たちに任せ、風間家の主要メンバーは「持子を迎えるため」だけに待機していた。
「――状況は以上です。皆さんに理解していただきたいのは、現在の持子先輩は、魔王としての力も、この二年間の記憶も完全に失っているということです」
年相応の柔らかいアイボリーのニットにロングスカートという清楚な私服姿の風間楓が、淡々と、しかし真剣な声で報告を終えた。
「魔王に覚醒する前の、気弱で、愛に飢えた……少しツンデレな十六歳の女の子。それが今の持子先輩です。ですから皆さん、どうか彼女を怯えさせないよう、優しく『初めまして』の態度で接してください」
「うむっ! 全員、抜かりなく了解したぞ!」
いち早く力強く頷いたのは、持子の限界オタクであり、氷川神社の宮司にして、洋助たちの祖父にあたる風間助平だった。彼も今日は神職の装束ではなく、休日の少し崩したゆったりとした普段着である。
「おお、おお……記憶を失って純真無垢に戻られた持子様……! 素晴らしい! であれば、この助平、義理の『お祖父ちゃん』として、熱烈な歓迎のハグという名のスキンシップでお迎えしても何ら問題はないなっ!?」
「……近付いたら斬りますよ、クソジジイ」
鼻息を荒くする祖父に対し、楓は美しいニット姿のまま、氷点下の視線と冷酷な死の宣告を丁寧な口調で言い放った。
「はっはっは。まあまあ、爺ちゃんも楓も落ち着けよ」
殺伐としそうになった空気を、爽やかな笑い声が中和する。楓の兄であり、長身で息を呑むほどの美貌を持つ美青年――風間洋助である。彼も休日のリラックスした、しかし品の良さが滲み出る上質なタートルネックを着こなしている。
「記憶がないって言っても、持子ちゃんは持子ちゃんだろ? 難しく考えずに、普通に家族として温かく迎えてやればいいさ」
洋助は、どこまでも天然で気さくな好青年であった。持ち前の「天性のタラシ体質」で、裏社会の女たちを無自覚に狂わせてきた彼だが、今回も「妹がまた増えた」くらいにしか捉えておらず、事態の深刻さをそれほど重くは受け止めていない。
「……ええ。洋助さんの仰る通りですわ」
洋助の隣で、百合の花のような気品を漂わせる大和撫子――洋助の妻である風間桐子が、ふわりと優雅に微笑んだ。彼女もまた、淡いラベンダー色の落ち着いたワンピースという、完璧な良家のお嬢様の私服姿である。
「持子の記憶がなくなってしまったのなら、また最初から、新しい『家族の絆』を紡いでいけばいいだけのこと。ええ、私という『桐子お姉さん』との絆を、ね」
桐子は、上品なお嬢様言葉で優しく語る。
だが、その瞳の奥には、決して見逃してはならない漆黒の炎が揺らめいていた。
(……けれど。もしもあの無垢な持子が、私の愛する洋助さんに『女の顔』でときめくようなことがあれば……その時は、『お姉さん』として、根底から厳しく再教育る必要がありますわね……)
洋助を誰よりも深く愛し、彼に近づく女は絶対に許さない「異常な嫉妬心」を隠し持つ桐子。完璧な微笑みの背後から一瞬だけ漏れ出した絶対零度の殺気とプレッシャーに、祖父の助平はヒィッと喉を鳴らした。
「わぁーい! 持子お姉ちゃんが来るの、すっごく楽しみ!」
そんな大人たちのドロドロとした(?)思惑などどこ吹く風で、無邪気な声を上げたのは、風間家の末っ子であり「天才電脳少女」の風間高子だった。
可愛らしいニットワンピースに身を包んだ彼女は、持子たちを純粋に「お姉ちゃん」と呼んで慕う、天使のように可愛い少女である。
「持子お姉ちゃん、記憶がなくなっちゃったんでしょ? じゃあ、高子が本当の妹みたいに、いーっぱい優しくしてあげるんだ! えへへ、お姉ちゃんが増えて嬉しいな!」
事態の重さを理解していない純真な笑顔に、その場にいた全員の心がフワッと浄化される。
(……高子は、本当にいい子ですね)
楓は、無邪気に喜ぶ妹の高子を見つめながら、密かに小さく息を吐いた。
楓の胸中もまた、複雑だった。
魔王(董卓)であった頃の持子は、傲慢で、スケベで、無鉄砲で楓に理不尽な迷惑行為を繰り返す「世話の焼けるバカな先輩」だった。実際に、彼女が引き起こす厄介事のせいで、楓がいなければ物語の序盤で死んでいたか、世界が終わっていたかもしれないほどの迷惑をかけられてきたのだ。
(……本当に、迷惑ばかりかける人でした。でも……)
楓は、スカートの膝の上で、ギュッと拳を握りしめた。
どれだけ迷惑でも、どれだけバカでも……決して、嫌いではなかった。
『バカほど可愛い』とはよく言ったもので、冷徹な修羅と不器用なツンデレの性質を併せ持つ楓にとって、あのどうしようもない先輩は、放っておけない大切な存在になっていたのだ。
(記憶を失った、新しい持子先輩……。あのバカな先輩と同じように、可愛いと思えればいいんですが)
楓は、そんな微かな期待と本音を、完璧なポーカーフェイスの奥底にそっと隠し込んだ。
――ピンポーン。
その時、母屋のインターホンが、静かな室内に響き渡った。
「来たようですね」
楓がスッと立ち上がる。
助平が居住まいを正し、洋助が人の良い笑みを浮かべ、桐子が完璧な「お姉さん」の微笑みを作り、高子がパァッと顔を輝かせる。
記憶を失った少女と、彼女を待ちわびていた「家族」たちの、新しくて少しカオスな対面が、今まさに始まろうとしていた。
【風間家と、記憶喪失の少女のギャップ萌え】
――ガチャリ。
風間家の重厚な玄関の扉が開く。
「雪さん、お待ちしておりました。……と」
三和土で出迎えたのは、清楚な私服姿の風間楓だった。彼女は雪に一礼した後、雪の背後にピタリと隠れている小さな人影に視線を向けた。
「……っ」
持子は、雪のコートの裾をギュッと両手で握りしめ、背中から顔を半分だけ出して、ビクビクと楓を見上げていた。完全に、警戒心の強い小動物のそれである。
(相変わらず、世話の焼ける……)
楓は、いつもの厳しい特級エージェントとしての癖で「持子先輩、隠れてないでさっさと挨拶してください」と強い口調で言い放とうと息を吸い込んだ。
しかし。
「あ、あの……お邪魔、します……」
上目遣いで、ふるふると黄金の瞳を揺らしながら、小さな声で挨拶をしてくる持子。その、あまりにも庇護欲をそそる純真無垢な姿に、楓の言葉はピタリと止まってしまった。
(…………可愛い、かも)
楓の胸の奥で、不器用なツンデレの「デレ」の部分が、思いがけずキュンッと音を立てた。
楓はコホン、と小さく咳払いをして表情を取り繕うと、声音を極力柔らかくして言った。
「……いらっしゃい。みんな、居間で待っています。こちらへどうぞ」
* * *
楓に案内され、雪の後ろをトコトコとついて居間に入った持子は、そこに揃った風間家の面々を見て、息を呑んだ。
「おお! よくいらっしゃいましたな、持子殿!」
上座にドッシリと座る、立派な髭を蓄えた祖父の助平。
(わぁ……お祖父ちゃん。すごく威厳があって、かっこいい……!)
限界オタクであることを必死に隠して居住まいを正している助平を、持子は純粋な尊敬の眼差しで見つめた。
「やあ、持子ちゃん。いらっしゃい」
爽やかな笑顔で手を振る、長身の美青年・洋助。
(ぐふっ……!! なにあの超絶イケメン!? ど直球で私の好みの顔なんだけど!? 心臓が爆発しそう……っ!)
持子の顔が、一瞬で茹でダコのように真っ赤に染まる。
「いらっしゃい、持子。待っていたわよ」
洋助の隣で、百合の花が咲いたように優雅に微笑む桐子。
(桐子お姉さん……っ! 写真で見るよりずっと綺麗! 品が良くて、本物の大和撫子って感じ! 私にこんな素敵なお姉さんがいるなんて、幸せすぎるよぉ……っ!)
そして、案内してくれた楓と、元気いっぱいに「持子お姉ちゃーん!」と手を振る高子。
(楓さんは妹さんなのに、美少女っていうか完全に『美女』って感じのオーラだし! 高子ちゃんはもう、可愛い可愛い可愛い! 天使!!)
持子の脳内は、キャパシティを完全に超えてショート寸前だった。
(やばい、なんなのこの家族。ここの全員、少女漫画に出てくる登場人物みたい! 目の錯覚かもしれないけど、全員の周りにキラキラしたお花とか星の背景が見えるよ! 眼福! 圧倒的眼福……ッ!!)
持子は完全に自分だけの妄想の世界に入り込み、両手を胸の前で組んで、うっとりとした顔でフリーズしてしまった。
「持子ちゃん、こっちに座って――」
「ええ、持子。あなたのお茶も淹れてあるわ――」
洋助や桐子が優しく声をかけているのだが、持子の耳には全く届いていない。
――ペチッ。
「ひゃうっ!?」
その時、隣にいた雪が、持子の頭を軽く平手で叩いた。
「ちょっと、持子。みんながあなたに挨拶してくれているのに、全然聞いてないじゃない。ボーッとして、どうしたの?」
「あ……えっと、ええと……!」
雪にツッコミを入れられ、持子はハッと我に返った。
風間家の全員が、少し不思議そうな顔で自分を見つめている。
「ご、ごめんなさい! 私、聞いてませんでした……っ!」
持子は慌ててペコペコと頭を下げ、顔を真っ赤にしてモジモジと指を絡ませた。
「あの……私、その……舞い上がっちゃってて……。だって、こんなに綺麗な人たちや、素敵な人たちと……私が『親族』になれてたなんて、信じられなくて……嬉しすぎて、頭が真っ白になっちゃってました……ごめんなさい……」
シュン……と、あからさまに肩を落として小さくなる持子。
その、あまりにも素直で、裏表のない純度100%の感情表現。
「「「「「…………ッ!!!」」」」」
その瞬間。風間家の居間にいた全員の心臓が、とてつもない衝撃で撃ち抜かれた。
(な、なんと可愛らしい……! 魔王様としての威厳も最高であったが、この小動物のような愛らしさ! 爺の心臓が止まるかと思ったわ!)
と、助平がヒィヒィと内心で悶え。
(……持子ちゃん、こんなに素直で可愛い子だったのか。これは反則だな)
と、天然タラシの洋助すらも目を細め。
(ああ……なんて純粋で無垢なのかしら。この子、本当に私が守ってあげなきゃダメね……!)
と、桐子の母性(と重い愛)が爆発し。
(ダメです、顔がにやけそう……っ。バカな先輩なのに、ズルいです……)
と、楓が必死にポーカーフェイスを維持しようとプルプル震え。
(持子お姉ちゃん、照れてて可愛い〜!)
と、高子が純粋に喜ぶ。
かつての、尊大でエロくて傍若無人だった『魔王・董卓』としての持子。
その記憶との、あまりにも凄まじいギャップ。
全員が、この「記憶喪失の純真な持子」の底知れぬ魅力(ギャップ萌え)に、完全にノックアウトされていた。
そんな家族たちの内心など知る由もなく、持子は居住まいを正すと、ソファーの前にちょこんと正座をして、深く頭を下げた。
「あの、私……この二年間の記憶を無くしてしまって……本当に、すみません」
顔を上げた持子の黄金の瞳には、ほんの少しの不安と、いっぱいの期待が入り混じっていた。
「皆さんのこと、まだよく分かっていません……。でも、お会いしたばかりなのに……私、皆さんのことが、すごく好きです。だから……私と、仲良くしてください……っ!」
真っ直ぐで、一点の曇りもない乙女の告白。
それは、裏社会の血みどろの駆け引きや、魔王の呪縛といったドロドロしたものをすべて浄化してしまうような、圧倒的な「光」だった。
「――っ!」
風間家の面々は、もはや言葉を発することすらできず、ただただ「ドギャァァァン!」という効果音が聞こえそうなくらいの『特大ギャップ萌え』の直撃を受け、身悶えするのだった。




