【大禍つ炉編 魔王の懊悩と、夜の狂乱女子会】
【大禍つ炉編 魔王の懊悩と、夜の狂乱女子会】
深夜。東京・表参道の一角にひっそりと佇む、芸能事務所『スノー』のタレント専用高級寮。
その最上階にある、広々とした持子の自室は、分厚い遮光カーテンによって外のネオンや月明かりから完全に遮断されていた。
しんと静まり返った部屋の中で、ただ一つ、不気味な光源が存在している。
キングサイズのベッドの中央。高級なシルクのシーツの上に無造作に置かれた、漆黒の鞘を持つ一振りの剣――『七星宝刀』だ。
鞘に埋め込まれた七つの宝石が、まるで呼吸をするかのように、どす黒い紫色の光を明滅させている。
「……はぁぁぁぁぁぁ……」
その宝刀を前に、ベッドの端で体操座りをしている恋問持子は、この世の終わりでも見たかのような、重く、深い、オッサンくさい特大の溜息を吐き出した。
(やってしまった……。わしは、やってしまったぞ……!)
持子は両手で頭を抱え、自身の美しい金糸の髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。
数時間前の社長室での出来事が、頭の中で無限ループしている。
事務所の社長であり、持子にとって絶対の「推し」であり「母」である立花雪。彼女は、この宝刀が何者かによって仕組まれた罠であり、直ちに封印局へ持ち込むべきだと断言した。
持子も、頭ではそれが正しいと理解していたのだ。雪の言う通り、都合よくダンジョンの最深部に三国志の因縁の呪具が落ちているなど、どう考えても罠だ。
だからこそ、雪には「言う通りに、TIAの封印局の回収BOXに入れてきた」と嘘をついた。
(雪に嘘をついた……。推しを裏切ってしまった……! あぁぁぁ、胃が痛い。わしは地獄に落ちる……いや、もう前世の罪でとっくに地獄行き確定しているんだったわ!)
持子はベッドの上でのたうち回った。雪の悲しげな顔を思い出すだけで、切腹したくなるほどの自己嫌悪が押し寄せる。
それでも。どうしても、この剣を手放すことだけはできなかった。
持子はゆっくりと上体を起こし、再び七星宝刀の禍々しい輝きを見つめた。
大禍つ炉の最深部で、貂蝉の亡霊が消滅する間際に見せたあのヴィジョン。
紅蓮の業火に焼かれ、永遠の苦しみの中で泣き叫ぶ、自分のかつての部下たち。そして、誰よりも愛し、そして自分を庇って死んでいった美しい女――貂蝉の姿。
(もし……雪の言う通り、あれがわしを陥れるための『まやかし』だとしたら?)
そうであれば、どれほど救われるだろうか。
だが、万が一。一万分の一でも、あれが『真実』であったら?
わしの罪の身代わりとなって、貂蝉が今も地獄の底で焼かれ続けているのだとしたら?
「……見捨てられるわけが、なかろうが」
持子は、震える指先で宝刀の鞘にそっと触れた。
瞬間、ビリッと静電気のような魔力が指先を走り、持子の体内から『極黒の魔力』が僅かに吸い上げられる感覚があった。
普段なら無意識のうちに完璧にコントロールできるはずの魔力が、この剣が近くにあるだけで、どうにも不安定に揺らぐのだ。「このままでは仲間を巻き込んでしまうかもしれない」という魔王としての器への不安が、じわりと胸を這い回る。
持子はベッドから立ち上がり、部屋の片隅にある姿見(全身鏡)の前に立った。
鏡の中には、身長一七五センチ、神が計算し尽くしたような黄金比のプロポーションを持つ、絶世の美少女が映っている。透き通るような白磁の肌に、神秘的な黄金の瞳。どんなハイブランドの服も着こなす、世界が羨望する完璧な肉体。
だが、持子の中にある記憶は、今日ダンジョンで見たあの『偽・董卓』の姿を強烈にフラッシュバックさせていた。
「……それにしても。わし、あんなにブサイクでデブだったのか……?」
持子は、鏡に映る自分の顔をペタペタと触りながら、絶望的な声を出した。
権力と欲望に溺れ、贅肉にまみれた巨大な肉塊。下卑た笑い声と、脂肪で埋もれた濁った瞳。
それが、三国志の時代における「真実の自分(董卓)」の姿だった。
「あれはない。マジでないわ。控えめに言ってドン引きだわ……。自分で自分に引いたわ……」
持子は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んだ。
事務所の下僕たち――鮎、美羽、エティエンヌ、ルージュたちには、自分の中身が「三国志の董卓というオッサン」であることは明かしている。皆、それを承知の上で「持子様!」と慕ってくれている……と思っていた。
だが、実際にあの「醜悪極まりない肉塊」の姿を、ダンジョンの最深部で幻影とはいえ見られてしまったのだ。
(あいつら、口では『ご主人様♡』と言ってくれているが、内心では『うわぁ、中身マジでキッツイわ。ゲロ吐きそう』とドン引きしているのではないか……?)
疑心暗鬼の連鎖が止まらない。
今の自分が許され、愛されているのは、単にこの『貂蝉の絶世の美貌』というガワ(外見)があるからではないのか。もし、魔法が解けてあの醜悪なオッサンの姿に戻ったら、全員蜘蛛の子を散らすように去っていくのではないか?
美貌という仮面がなければ誰からも愛されない。その強烈な恐怖が、持子の精神を蝕んでいく。
「……竜」
暗い部屋の中で、持子はギュッと膝を抱えた。
ダンジョンの最深部。あの穢れの奔流の中で、へたり込んだ自分の腕を強く掴み、引き寄せてくれた感触。
『――走れ、モッチ!!』
作戦室での、あの氷のように冷たい視線と拒絶の言葉は嘘だったのかと思えるほどの、必死で、不器用で、頼もしい横顔。
あの瞬間、確かに竜は、ただの幼馴染の「リュウ」に戻っていた。
(……やはり、竜はわしを完全に見捨てたわけではないのだ)
彼がエクリプスの任務で東京にいる以上、大禍つ炉の討伐作戦で必ずまた会えるはずだ。
次に会ったら、魔王の威厳など全て投げ捨てて、素直に話しかけよう。昔のように、一緒にラーメン二郎を食べて、稽古をしようと笑いかけよう。
失われた絆を取り戻したい。その小さな希望だけが、今の持子を辛うじて現実に繋ぎ止めていた。
コンコンッ。
「……ん?」
不意に、部屋のドアが控えめにノックされた。
持子はビクッと肩を揺らし、慌ててベッドの上の『七星宝刀』を布団の下に隠した。
「持子様ぁ〜? 起きていらっしゃいますかぁ〜?」
「ご主人様。夜分遅くに申し訳ありませんわ」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、花園美羽の甘ったるい声と、本多鮎の恭しい声だった。
持子が「入れ」と声をかけるよりも早く、ガチャリとドアが開き、ゾロゾロと集団が部屋に雪崩れ込んできた。
「お邪魔しますわ、持子様。さあ、今夜は持子様を慰めるための、極上の宴ですわよ!」
先頭に立っていたのは、シルクのネグリジェ姿で、両手に大量の最高級焼き肉弁当(叙々苑)のタワーを抱えた真祖の吸血鬼、エティエンヌであった。
その後ろからは、有名パティスリーの限定ケーキを山ほど抱えた鮎、美羽、そして吸血鬼の元女王ルージュ。さらに、豊穣の女神アスタルテと、元大公爵の悪魔シャーロット(グレモリー)までが、それぞれ高級フルーツやドリンクを抱えて続く。
「お、お前ら……全員パジャマ姿で、一体何の騒ぎだ……?」
持子は、突然の事態に目を丸くした。
「決まっておりますわ! 今日はダンジョンでの過酷な戦闘に加え、持子様が深く心を痛められているご様子でしたから。わたくしたち『下僕一同』で、慰労会兼、パジャマパーティーを企画いたしましたの!」
鮎が、傷だらけの体に包帯を巻いた痛々しい姿でありながら、頬を紅潮させて熱弁する。
「持子様の好きなもの、いーっぱい買ってきましたよ! さあ、食べましょう食べましょう!」
美羽が、ベッドの上の小さなテーブルに次々と焼き肉弁当とケーキを展開していく。
部屋中を満たす、極上のタレの匂いと、甘い生クリームの香り。
さっきまで自己嫌悪で胃が痛かったはずの持子だが、その『茶色と甘味の暴力』を前にして、魔王の胃袋がギュルルルッと正直な音を立てた。
「お、おう……。そ、そこまで言うなら、少しだけご相伴に預かろうかの……」
持子はゴクリと唾を飲み込み、差し出された焼き肉弁当の箸を手にした。
特上の霜降りカルビを口に放り込む。
「……んんぅっ! うまい! 脂の甘みが脳髄に直接響くわい!」
単純なもので、美味いものを食べた瞬間に、持子の顔から悲壮感が半分ほど吹っ飛んだ。
「ふふふ、たくさん召し上がってくださいませ。持子様が美味しそうにお食事をされるお顔を見るだけで、わたくしの子宮が疼……母性が満たされますわ」
エティエンヌが、両手で頬を押さえてクネクネと身悶えする。
「あー! エティエンヌさんずるい! 私も持子様にお肉をあーんしてあげますぅ! はい、持子様、あーん♡」
美羽が対抗して、焼肉を箸で挟んで持子の口にねじ込んでくる。
わちゃわちゃとした騒騒しい時間が過ぎていく。
だが、ふと、持子は箸を止め、全員の顔を真剣な表情で見回した。
「……お前たち」
「はい、ご主人様。何でしょうか?」
鮎が、姿勢を正して首を傾げる。
「その……今日のダンジョンで、わしの過去の姿……あの『偽・董卓』という肉塊を見たであろう? その……正直に言ってくれ。引いたか? 醜悪なオッサンだと思って、内心ドン引きしたのではないか?」
持子は、恐る恐る、声のトーンを落として尋ねた。
部屋の空気が一瞬だけピタリと止まる。
――そして、次の瞬間。
下僕たちの目つきが、一斉に『ヤバい色』に変わった。
「何をおっしゃいますの持子様!!」
真っ先に立ち上がったのは、鮎だった。
「ドン引き? 冗談ではありませんわ! あの溢れんばかりの肉圧! 権力と欲望にまみれた強欲なオーラ! 見た瞬間に、わたくし『あぁっ、あの巨体に理不尽に踏み潰されたい! 汗臭い足の裏を舐め回したい!』と本気で思いましたわ!!」
「お、おう……?」
持子が若干引き気味に後ずさる。
「わたくしもですわ、持子様!」
エティエンヌが、鼻息を荒くして身を乗り出す。
「持子様の魂の形があの姿だというのなら、わたくしはあの肉塊ごと、全てを愛し尽くしてご覧に入れますわ! 醜さすらも愛おしい! それこそが真の愛! わたくしの母性なめないでいただきたいですわ!」
「持子様がどんな姿でも、私が独り占めできるなら最高ですぅ♡ むしろ、他の女が寄り付かなくなるなら、あのお姿のままでも良いくらいです!」
美羽が、ヤンデレ全開のドス黒い瞳で持子を抱きしめる。
「わたくしは元より、主である鮎様の意志が全てですわ。主が愛する肉塊であるならば、それは至高の芸術品と同義。わたくしも共に讃えましょう」
ルージュが、優雅に紅茶のティーカップを傾けながら、貴族的な肯定の言葉を述べる。
「あ、あの……わたくしは、持子様に触れていただけるなら、どんなお姿でもすぐに感じてしまいますから……問題、ありませんわ……っ」
豊穣の女神アスタルテが、顔を真っ赤にしてモジモジとしながら、とんでもない依存的発言を投下した。
「…………」
持子は、彼女たちの「全く引いていないどころか、愛が重すぎて狂っている」反応を前に、ぽかんと口を開けた。
(お前ら、本当に頭おかしいぞ……。揃いも揃って、全員狂っておる……)
呆れ果てて言葉も出ない。だが、不思議と、胸の中に巣食っていた暗い恐怖は、綺麗に洗い流されていた。
この狂信的な下僕たちは、ガワがどうであれ、間違いなく『自分』という魂を愛してくれているのだと、嫌でも理解させられたからだ。
「……はぁ。お前たちの変態ぶりには、恐れ入ったわい」
持子は苦笑しながら、最後のケーキに手を伸ばした。
その時。
部屋の隅で、一人だけ口数を少なくしてフルーツを啄んでいたプラチナブロンドの美女――シャーロット(中身は大悪魔グレモリー)に、持子の視線が止まった。
「おい、シャーロット。お前はどうなんだ? さっきから一言も喋っておらんが。お前も、あの姿を見て変態的な欲望を抱いたのか?」
持子の軽い冗談交じりの問いかけに、シャーロットはビクッと肩を震わせた。
「え、ええ!? もちろん、もっちろん素晴らしいですわ、持子サマ! あの、威厳に満ちたお姿……最高、ですわ……っ」
シャーロットの声は、不自然なほど上擦り、ガタガタと震えていた。彼女の紫色の瞳が、落ち着きなく左右に泳いでいる。
「……ん? お前、なんか裏表ないか? 目が泳いでおるぞ」
持子が、ジロリと疑いの目を向ける。
「そうですわね。シャーロット、あなた、今日はずっと挙動不審ですわよ? まさか、持子様の過去のお姿にドン引きしたんじゃないでしょうね?」
鮎が、デュラハンの大剣こそ持っていないものの、狂戦士のプレッシャーを放ちながらシャーロットに詰め寄る。
「ヒィッ!?」
シャーロットは、ベッドの端まで後ずさり、壁に背中を押し付けた。
彼女は、11月にエクリプスの司令官オーウェンと悪魔バエルに脅され、すでにスノーを裏切り、情報を流すスパイとなっていた。だが、彼女は持子と『下僕の契約』を結んでいる。持子や鮎に強く念を押されたり、突っ込まれたりすれば、契約の強制力によって『嘘』をつくことが極めて困難になるのだ。
「ち、違いますわ! ドン引きなんて、滅相もありませんわ! ただ、その……」
シャーロットの脳内で、必死の言い訳演算がフル稼働する。
(マズいですわ! ここでこれ以上突っ込まれたら、スパイの件まで全部口を滑らせてしまいますわーッ!)
「ただ、なんだ?」
持子が、極黒の魔王としての圧を微かに放ちながら、顔を近づける。
「そ、その! 少し……胸が痛むというか……!」
嘘ではない。裏切っている罪悪感と恐怖で、胸は張り裂けそうだった。
「胸が痛む? なぜだ」
「あ、あああ……っ! それはっ! ……その、持子様がご自身の過去に苦しんでいらっしゃるお姿を見るのが、あまりにも……忍びなくて! 悲しくて! こうして夜中にケーキをヤケ食いする持子様の姿が、不憫で不憫で仕方がないのですわぁぁぁぁっ!!」
シャーロットは、半ばヤケクソで大号泣しながら、持子の足元にすがりついて完璧な土下座を披露した。
「お、おい、泣くことはなかろう……」
持子がドン引きして一歩下がる。
「あら、意外と殊勝なところがあるじゃありませんの、泥棒猫その2。少し見直しましたわ」
鮎がフンと鼻を鳴らして圧を引っ込めた。
「さぁ持子様! 泣き虫の悪魔は放っておいて、次はこの特上ハラミを食べましょう! あーん♡」
美羽が、シャーロットがこれ以上喋る隙を与えまいとするかのように(あるいは単なる独占欲で)、持子の口に強引に肉を突っ込んだ。
「むぐっ……うむ、うまいぞ!」
ギャグのような狂騒に流され、シャーロットへの追及は有耶無耶になった。
シャーロットは床に突っ伏したまま、(助かりましたわ……寿命が十年縮みましたわ……っ)と、冷や汗まみれで安堵の息を吐いた。
だが、持子は気づいていなかった。
彼女が布団の下に隠した『七星宝刀』が、女子会の騒騒しい空気の中で、まるで主の隙を伺うかのように、一層不気味な紫色の魔力を脈動させていたことに。
***
同時刻。
東京湾の地下深くに建造された、エクリプス極東支部の司令室。
壁面を覆う巨大なメインモニターには、数式と魔力波長のグラフが滝のように流れている。
その中心には、スノーのタレント寮から放たれる『極黒の魔力』の数値が、リアルタイムで計測・表示されていた。
「ククク……見事だ。見事なまでに、私の想定通りに動いてくれているよ」
最高級の葉巻をくゆらせながら、ヴィンセント・オーウェンは歓喜に口角を歪めた。
彼は、監視カメラなどという物理的な手段を用いてはいない。
七星宝刀と持子の間に繋がった『呪いのパス(魔力波長)』を通じて、彼女が宝刀を封印局へ渡さず、自室に隠し持っていることを完全に把握していたのだ。
「推しである立花雪への絶対の忠誠よりも、過去の罪への執着と自己嫌悪を選んだか。愚かな……しかし、それこそが人間の弱さだ」
オーウェンの背後には、彼と契約を結んだ絶対的な黒幕――ソロモン七十二柱の第一位、悪魔王バエルの気配が、濃厚な影として揺らめいている。
「『あの方』の言う通りだ。愛や絆、罪悪感などという下らない感情こそが、最も優れた『呪い』となる。……魔王の魔力は、着実にあの宝刀を通じて、『地獄の門』の鍵穴へと注がれている」
オーウェンは、デスクに置かれた一枚の写真――不慮の事故で亡くなった最愛の娘の笑顔――を愛しそうに撫でた。
「さあ、もう少しだ。世界を天秤にかける時が来る。この日本という国を蠱毒の壺へと沈め、代わりに……私の真の願いを取り戻す時が」
夜はまだ明けない。
魔王の懊悩と狂信的な下僕たちの騒騒しい日常の裏側で、世界を破滅へと導くカウントダウンは、確実な秒針を刻み続けていた。




