【呪いの七星と、王允の嘲笑】
【呪いの七星と、王允の嘲笑】
大禍つ炉の中層、民間霊的組織【TIA】が総力を挙げて構築した臨時安全圏。
幾重にも張り巡らされた高精細な結界によって、地下深くの重苦しい瘴気と腐臭は辛うじて遮断されている。
しかし、結界の向こう側で蠢く赤黒い闇は、まるで侵入者を飲み込まんと待ち構える獣の喉元のようであった。
その冷たいコンクリートの床に、Eチーム(魔王組)の面々は次々と倒れ込んでいた。
「……はぁ、はぁっ……。無事、ですね。全員……」
合気武道部の一年生、南原紗良が、ひび割れた眼鏡のブリッジを震える指で押し上げながら、膝に手をついて荒い息を吐き出した。
彼女の計算高い脳内ですら、先ほどの呂布の亡霊との死闘は、生存確率数パーセントの絶望的な賭けでしかなかった。
「ああ……っ。マジで死ぬかと思ったっす。持子先輩、あの呂布とかいうバケモノを素手で地面に叩きつけるとか、やっぱりただの人間じゃないっすよ……」
佐藤陽翔が、泥と血に汚れたまま大の字になって天井を仰ぐ。
彼の隣では、主将の千手美貴や副主将の森盛夫、門蒼真といった面々も、限界を超えた疲労でピクリとも動けずに座り込んでいた。
彼ら合気武道部のメンバーは、ダンジョンの瘴気によってS級相当の力を強制的に引き出されたとはいえ、その精神は未だ普通の高校生だ。
神話の時代の英雄たちと、この世の終わりを思わせる穢れを相手にするのは、まさに正気と狂気の狭間を綱渡りするような体験であった。
安堵と疲労、そして微かな高揚感が混ざり合う空気の中。
ただ一人、極黒の魔王・恋問持子だけは、床に座り込むこともなく、幽霊のように力なく立ち尽くしていた。
身長一七五センチ。神が計算し尽くした黄金比のプロポーションを誇る絶世の美少女の白磁の肌は、泥と返り血で無残に汚れ、左の脇腹からは先ほど『貂蝉』の亡霊から受けた傷の血が、じわりと衣服を赤く染めている。
だが、持子の心に最も深い傷を負わせていたのは、物理的な痛みではなかった。
『無事で何よりだ。……じゃあな、魔王』
先ほど、崩壊する深淵から自分の手を強く引き、命を救い出してくれた幼馴染――高倉竜の、あの絶対零度の視線。
そして、安全圏に到達した途端、汚物でも振り払うかのようにスッと離れていった手の感触が、呪いのように持子の心を縛り付け、窒息させていた。
「……竜」
持子は、Cチーム(エクリプス)の待機エリアへと、一度も振り返らずに消えていった彼の背中を思い出し、乾いた声でポツリと呟いた。
(なぜだ。なぜお前は、わしを助けてくれたのに……あんなにも冷たく突き放すのだ。わしの正体が、あの醜悪な『董卓』だと知って、やはり軽蔑しておるのか……?)
持子の魂の奥底で、かつて天下を恐怖で支配した暴君の魂が、情けなくも悲鳴を上げている。
今の自分は、絶世の美少女・貂蝉の肉体を持ちながら、中身はスケベなオッサンの董卓であるという、どうしようもない矛盾の塊だ。
その醜い真実を、最も大切に想っていた幼馴染に拒絶された事実は、地獄の業火に焼かれるよりも辛かった。
思考の泥沼に沈みゆく持子の腕の中には、先ほど貂蝉の亡霊から受け取った――いや、呪いとして押し付けられた『七星宝刀』が、薄気味悪い漆黒の輝きを放ちながら抱き抱えられていた。
その鞘に埋め込まれた七つの宝石は、まるで持子の絶望を糧にするかのように、不気味に明滅している。
「持子様……。お怪我が痛みますか?」
第一下僕の本多鮎が、一六三センチの身体を引きずるようにして持子に歩み寄り、心配そうにその顔を覗き込んだ。
狂戦士として呂布と激突し続けた彼女の身体は、鎧が砕け、衣服はボロ布のようになっていた。
「……いや、鮎。傷は平気だ。アスタルテの回復魔法もある。……それより、お前こそ休んでおれ。わしを護るために、これほど無茶をしおって」
持子は、痛々しいほど震える手で、鮎のピンク色の髪を優しく撫でた。
「ふふっ……ご主人様のためなら、わたくしの命など安いものですわ。それに、持子様の圧倒的な絶望の表情をこれほど近くで拝見できて……わたくしのドM心は、今、宇宙を突き抜けるほど満たされておりますのよ……あぁっ、幸せ……っ!」
鮎が、血の滲む唇で狂気的かつ恍惚とした笑みを浮かべる。
この極限状況においても、彼女の「持子への愛(および変態性)」は一ミリも揺らいでいなかった。
「持子様ぁ! 私も、私も頑張りましたよ! 持子様を脅かすゴミどもを、この短刀でいーっぱい刻んであげました! あ、見てくださいこれ!」
花園美羽が、ヤンデレ特有の淀んだ、しかし愛に飢えた瞳を持子に向けながら、腰にすがりついてきた。
彼女の服には、敵の軍師たちの返り血がべっとりとこびりつき、異様な獣の臭いを放っている。
「うむ、よくやった美羽。お前の神速の暗殺術がなければ、わしらはあのまま軍師の計略に呑み込まれていただろう」
「えへへ……持子様に褒められたぁ……。あ、そうだ! 持子様、今回の戦場で魔石をいっぱい拾えたんです! これをスノーで換金すれば、うちの家庭も豊かになります……! 弟や妹たちに、久しぶりに『和牛』をお腹いっぱい食べさせてあげられますぅ……!」
美羽は、その可憐な顔に涙を浮かべながら、血のついた魔石の袋を大切そうに掲げた。
圧倒的な暗殺者としての力と、切実すぎる家庭の貧しさが同居する彼女の言葉は、持子の荒んだ心に別の意味で刺さった。
「おや、随分と泥臭いロケをしていたようですね、皆さん。視聴率は上々のようですが?」
そこへ、場違いなほど軽薄で、しかし氷のように冷たい響きを持った笑い声が届いた。
TIAの臨時ゲートから現れたのは、銀髪ショートボブに白磁の肌を持つ儚げな美少年――芸能事務所『スノー』の副マネージャーにして、若き天才陰陽師の土御門朔夜であった。
「お迎えにあがりましたよ、我が事務所の稼ぎ頭たち。いやあ、見事にボロボロですね。持子!」
「おのれ朔夜! 笑い事ではないぞ!」
朔夜の憎たらしいほど涼しい顔を見た瞬間、持子の中で張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、途端に「スケベなオッサン」の素の口調が漏れ出した。
「わしゃあねぇ! 泣く子も黙る世界のトップモデルなわけですよ! なんでこんなカビ臭い地下道で、泥水すすって、怨霊どもと取っ組み合いの喧嘩をしなきゃならんのだって話ですよ! ええ!? ぼかぁねぇ、もっとこう、シャンパンタワーが立って、ファンに黄色い声で『持子様ぁー!』って言われる場所でチヤホヤされたいんですよ!」
持子は、まるで北の大地の放送局でディレクター相手に不条理なぼやきを連発する天然パーマの俳優のような、見事なぼやき芸を披露した。
「ヒャッハッハッハ! いやあ持子さん、その『生き汚いオッサン感』こそが魅力ですよ。雪先生も事務所でお待ちですから、早く帰って熱いシャワーでも浴びましょう。……ん?」
笑っていた朔夜の瞳が、ふと、持子が両腕で大事そうに抱えている『七星宝刀』に注がれた瞬間、ナイフのように鋭く細められた。
「……持子。その、悍ましい霊気を放っている剣は、なんですか?」
朔夜の声音から軽薄さが消え、特級陰陽師としての鋭利な霊気が周囲を圧した。
「これか……? これは、最深部で……いや、わしの過去(因縁)の場所で拾った、ドロップアイテムのようなものだ。わしの……『罰』の重さを思い出させてくれる剣だ」
持子は、七星宝刀をさらに強く抱きしめ、朔夜の鑑定眼から隠すように身体を僅かに捻った。
「……まあいいでしょう。今は、まず事務所へ戻ることです。雪先生をこれ以上待たせると、僕も貴方も『不浄の地(事務所の物置)』送りですからね」
朔夜は意味深な視線を一瞬だけ宝刀に向けたまま、静かに踵を返した。
***
数時間後。
東京・表参道の静かな区画にひっそりと佇む、弱小芸能事務所『スノー』の社長室。
外の喧騒を遮断した最高級のペルシャ絨毯の上に、シャワーを浴びて着替えを済ませた持子が、殊勝な態度で綺麗に正座をしていた。
その眼前には、事務所の社長であり、持子にとって絶対の「推し」であり「母」である、立花雪がデスク越しに静かに座っている。
「……というわけで、雪。わしらは大禍つ炉の最深部を一時的に制圧し、全員無事に帰還したのだ」
持子は、つい数時間前まで地獄の亡霊を薙ぎ倒していた魔王とは思えないほど、小さくなって、おどおどと語った。
「お疲れ様、持子。部活動の子たちも、誰も欠けることなく連れ帰ってくれて安心したわ。……朔夜から聞いたけれど、随分と危ない橋を渡ったようね」
雪がふっと優しく微笑むと、持子の顔は瞬時に限界オタクのように真っ赤に染まった。
「ゆ、雪……! その慈愛に満ちた笑顔のためなら、わしは何度でも地獄の底を這い回って……っ!」
「……で、持子。あなたがさっきから、雛鳥のように大事に抱え込んでいる『それ』は、何かしら?」
雪の視線が、持子の膝の上に置かれた『七星宝刀』に向けられた瞬間。
社長室の空気は、マイナス百度の絶対零度へと急激に冷え込んだ。
「ヒィッ……!」
背後で待機していた朔夜が、雪の放つ圧倒的な威圧感に、反射的に秒速で土下座の姿勢をとる。
「僕は止めたんです! 鑑定もしてない怪しい物は持ち込むなって! 全て持子の独断です! 雪先生!」
「持子。それを、机の上に置きなさい」
「……ゆ、雪。これは……わしの過去の、忘れ形見なのだ」
「置きなさい。三度は言わせないわ」
静かだが、逆らうことを決して許さない、天の裁きのような声。
持子は震える手で、七星宝刀を雪のデスクの上に置いた。
雪は、宝刀に直接触れることはせず、ただその鞘に埋め込まれた七つの宝石と、そこから滲み出すどす黒い魔力(穢れ)を冷徹な瞳で見つめた。
「……朔夜。これを見て、どう思う?」
「は、はいっ! 喜んで鑑定いたしますっ!」
朔夜が、術式を展開した手のひらを宝刀にかざし、その霊的波長を精密に解析し始める。
数秒後、朔夜の額に嫌な汗が滲み、顔から血の気が引いた。
「……雪先生。これ、ただの『呪具』じゃありません。過去数千年の、数えきれないほどの『怨念』と『自責の念』が、幾重にも、それこそ何層にも重ねて編み込まれています。しかも、この呪いの波長は……」
「ええ。完全に『持子』、あるいは『董卓』という魂の周波数に最適化されているわね」
雪の言葉に、持子の肩がビクッと跳ねた。
「持子。この剣が何か、あなたは知っているのでしょう?」
雪の真っ直ぐな問いかけに、持子は目を伏せ、震える唇を噛んで語り始めた。
「……これは、七星宝刀。かつて、三国志の時代……わし(董卓)の暗殺を企てた曹操という男が、献上すると見せかけてわしを刺そうとした因縁の剣だ。……最深部で、この剣がわしの過去の亡霊たちを呼び寄せた。そして……貂蝉が、これでわしを斬ったのだ」
持子が左の脇腹を抑える。
肉体の傷はアスタルテの治癒魔法で消えているが、霊的な『魂の楔』としての痛みは、今も脈打つように残っていた。
「貂蝉が消えゆく間際、わしはこの剣を通じて見たのだ。地獄の底で、わしの罪のせいで、あいつらが永遠に焼かれ続けている姿を。……この剣をわしが持っていなければ、地獄の門は完全に開き、あいつらの魂は永久に救われない……そんな確信が、わしを離さぬのだ」
持子の声は、絶望的な孤独と悲しみに震えていた。
「だから、雪……わしは、この剣を手放すわけにはいかんのだ。これは、わしの過去の業だ。わしが背負い続けねばならない、罰……宿命なのだ……っ!」
持子が、磁石に引き寄せられるように宝刀に手を伸ばそうとした、その瞬間。
『パシッ!』
雪が、持子の手を強く払い除けた。
「ゆ、雪……?」
「目を覚ましなさい、持子!!」
雪の厳しい一喝が、社長室の重い空気を切り裂いた。
「そんなものは、ただの『罠』よ! 誰かがあなたに、都合よく過去の罪悪感を植え付け、この剣を『強制的に持たせる』ために仕組んだ卑劣なマインドコントロールよ! あなたが見たヴィジョンも、この剣があなたの脳内に直接流し込んだ幻覚に過ぎないわ!」
「罠……? いや、しかし、あの地獄の光景は、あまりにもリアルで……っ!」
「考えてもみなさい。一八〇〇年前の呪具が、なぜこのタイミングで、都合よく東京ダンジョンの底にあるの? なぜ、あなたを狙いすましたように亡霊が現れたの? 全ては、この剣にあなたの魂を縛り付け、あなたの巨大な魔力を『ある目的』のために利用するための、誰かの描いたシナリオなのよ」
雪の完璧な論理に、持子はハッとしたように目を見開いた。
(罠……。あいつらが地獄で苦しんでいる姿も……誰かがわしに見せた、作り物だというのか……?)
「この剣は、今すぐ私が封印局に持ち込んで、次元ごと隔離します。朔夜、準備を――」
雪が宝刀に触れようとした、その刹那。
『――ダメだぁぁぁぁっ!! 触るなッ!!』
持子の瞳が、突如として濁った黄金色に染まり、極黒の魔力が制御を失って爆発した。
持子は雪の手を乱暴に弾き飛ばすと、七星宝刀を己の胸に、狂おしいほど強く抱きしめながら、部屋の隅へと後ずさった。
「持子!?」
朔夜が驚愕の声を上げ、印を結ぶ。
「触るな……触るなっ! 雪だって、わしの本当の醜さを知れば、きっとわしを捨てるのだ! でも、この剣だけはわしを離さない! あいつらが、わしを待っているのだ! 離せ、わしの……わしの救い(のろい)を奪うなぁぁぁっ!!」
持子の口から零れ落ちるのは、覇王の威厳でも、スケベなオッサンのぼやきでもなかった。
七星宝刀に打ち込まれた『呪いの楔』によって、精神の防壁を完全にハッキングされ、孤独な闇へと引きずり込まれつつある、救いようのない少女の絶望の悲鳴だった。
「……持子」
雪は、弾かれた己の手を見つめ、これまでに見たこともないほど痛ましい、悲痛な表情で持子を見つめた。
物理的な戦闘力では世界一を誇る極黒の魔王が、魂の最深部にある『愛されたい』『救いたい』という、皮肉にも彼女の持つ「人間性」という弱点を突かれ、完全に呪いの虜となってしまったのだ。
***
同じ頃。
東京湾上空、高度一万メートルを飛行するエクリプスのステルス輸送機の中。
冷たい金属の壁に背を預け、高倉竜は静かに目を閉じていた。
周囲では、最深部から生還したCチームの精鋭たちが、無言で武装のメンテナンスを行っている。
(……すまない、持子)
竜の胸の奥で、幾度もその後悔の言葉が反芻されていた。
崩落する深淵で、彼女の手を力強く握りしめた時の、あの震える小さな手のぬくもり。
安全圏に着いた途端、その手を無慈悲に振り払った時の、彼女の……持子の、この世の終わりを見たような絶望の顔。
「……高倉エージェント。随分と身勝手な単独行動でしたね。我が局の規律を忘れたわけではないでしょう?」
竜の通信インカムから、エクリプスの極東支部司令官であるヴィンセント・オーウェンの、低く、冷徹な声が響いた。
「……全滅の危機にあった連合軍を救援した。作戦目標の維持には、あの戦力が必要だと判断したまでだ」
竜は、感情を一切排してマシンのように返答する。
「左様ですか。てっきり、あの『極黒の魔王』に情でも移ったのかと思いましたよ。……あまり深入りはしないことです」
「……」
竜の眉間がピクリと動いた。
彼が持子の手を振り払った真の理由。
それは、エクリプスの執拗な監視網の中で、自分が持子に対して「特別な感情」を抱いていることを、オーウェンらに悟らせないためだった。
エクリプスは、目的のためならば他者の愛すら解剖し、利用する組織だ。
もし自分が持子を護りたいと知られれば、彼女は自分を操るための「最高の人質」となり、組織の刃はさらに残酷に彼女に向けられることになる。
(俺が側にいれば、お前をさらに深い地獄へ引きずり込むことになる。……お前を護るために、俺は、お前の『敵』であり続けなければならないんだ)
竜は、漆黒のハルバード『執行者の黒曜石』の柄を、指の骨が白くなるほど強く握りしめた。
それは、武神として生きる道を選び、愛する者を地獄の底から見守り続けると決めた青年の、あまりにも孤独で、狂おしいほど不器用な愛の証明であった。
***
「ククク……ハハハハハハッ!!」
エクリプス極東支部、最深部にある司令室。
青白いモニターの光だけが明滅する薄暗い部屋で、ヴィンセント・オーウェンは歓喜の高笑いを上げていた。
持子が七星宝刀を抱え込み、魔力を吸い上げられる様を感じ取っていた。
「素晴らしい……。実に素晴らしいぞ、董卓よ! 貴様は絶世の美貌を手に入れようと、結局はその魂に刻まれた『自責』という毒から逃れられぬのだな!」
オーウェンの瞳に、かつての英傑としての知略と、現代の狂気が混ざり合った、凄まじい光が宿る。
彼の魂の奥底には、かつて三国志の時代において、董卓を暗殺するための「連環の計」を仕組んだ司徒・『王允』の記憶が、濁流のように渦巻いていた。
「あの宝刀はな、董卓。ただの呪具ではない。貴様の膨大な魔力を吸い上げ、『地獄の門』の封印を裏側から侵食するための、最高級のターミナル(中継器)なのだ」
オーウェンは、愛しそうにデスクの上に置かれた一枚の写真を手に取った。
そこには、かつて不慮の事故で亡くなり、その魂が『地獄の門』の向こう側へと囚われてしまった最愛の娘、ルチアの笑顔があった。
「私は、この腐りきった世界などどうでもいい。……だが、ルチア。パパが、必ずお前を連れ戻してあげるからね」
オーウェンの声は、娘への慈愛に満ちていた。
しかし、その瞳の奥には、バケモノと契約を交わした男の、底知れぬ漆黒の闇が広がっていた。
「世界は秤だ。どこかを救えば、どこかが沈む。娘一人を救うために、この日本という島国を『地獄の門』の生贄として捧げる……実に合理的で、美しい対価だとは思わんか?」
オーウェンは空を仰ぎ、見えない「黒幕」――あの方へと、心の中で語りかけた。
(『あの方』との契約は絶対だ。この恋問持子という、神が創り出した最高のキメラ(鍵)が、その身に秘めた魔力を宝刀に全て吸い取られた時……門は開き、私のルチアは現世に還る。その後に、この国がどれほどの地獄と化そうと、知ったことではない……!)
かつて、国を救うために美少女・貂蝉を利用して魔王を討った男は。
今、娘一人の命のために、一人の美少女・持子を魔王として利用し、国そのものを滅ぼそうとしていた。
「さあ、存分に溺れるが良い、董卓。お前の愛する仲間たちが、お前自身の力によって絶望の淵に立たされるその瞬間までな。……ハァーッハッハッハッハ!!」
王允の嘲笑が、冷たい司令室の空気を震わせる。
東京ダンジョンの暴走、幼馴染との決裂、そして持子を蝕む呪いの七星。
全ては、巨大な地獄の門を開くための、精緻に組み上げられた悪魔の舞台装置に過ぎなかった。
東京を舞台にした神魔と亡霊たちの狂宴は、ここからさらに救いようのない、凄惨な『第二幕』へと加速していくのだった。




