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【七星宝刀と、業火の門】

【七星宝刀と、業火の門】


大禍つ炉の最深部を覆い尽くしていたドロドロとした漆黒の穢れが、突如として発生した圧倒的なエネルギーの奔流によって、まるで海を割るように左右へと吹き飛ばされた。


その中心に立っていたのは、絶望にへたり込んでいた少女ではない。


「……わしは董卓だ。血に塗れた、醜悪で最悪な暴君だ。……その過去は、決して消えん」


極黒の魔王・恋問持子は、ゆっくりと、だが地を這うような重低音を響かせて立ち上がった。


身長一七五センチ、神が計算し尽くしたような「黄金比」のプロポーションを持つ絶世の美少女。

その白磁の肌から、これまでとは比較にならないほど巨大で、圧倒的な『極黒の魔力』が爆発的に噴出している。


それは単なる闇ではない。

他者の情念や生命力、妖の瘴気を奪い力に変換する極黒の魔力が、大禍つ炉の穢れすらも強制的に従え、飲み込み始めているのだ。


「だがな! 今のわしは、芸能事務所『スノー』に所属するトップモデルにして! 愛する仲間と下僕たちを統べる『真の王』なのだ!!」


持子の黄金の瞳が、爛々と猛禽類のように輝く。

己の背後で限界を超えて戦う仲間たち。彼らが傷つくのを見て、持子の中の「スケベなオッサン」としての俗っぽさや、かつてのトラウマを、仲間への深い慈悲と「真の王の器」が完全に凌駕した瞬間だった。


「あああっ……! 持子様っ、持子様ぁぁっ!!」


ボロボロになりながらデュラハンの大剣を杖にして立ち上がった第一下僕の本多鮎が、歓喜の涙を流して絶叫した。

持子から極上の魔力を注入(蹂躙)されることに無上の快感を覚える彼女にとって、魔王の完全復活は、いかなる回復魔法よりも劇的な特効薬だった。


「そうですわ! それがわたくしたちの愛するご主人様ですわ!!」


「持子様ぁっ! 私のすべてを捧げますぅっ!!」


エティエンヌが魔殺しの聖剣を天に掲げ、花園美羽が狂信的な執着を帯びたヤンデレの瞳で熱狂する。


「……フッ。少しはマシなツラになったじゃねえか」


持子の傍らでハルバードを下ろした高倉竜は、口角をわずかに上げて微笑んだ。


「行くぞ、魔王。ここからが本番だ」


「うむ! わしの後れを取るなよ、竜!」


持子は力強く頷き、地獄の門の前に立つ醜悪な巨大な肉塊――「偽・董卓」を真っ直ぐに睨み据えた。


『バカな……! お前は俺だ! 誰も愛さず、全てを壊す化け物のはずだァァァッ!』


己の最大のトラウマであり、過去の罪の具現化である偽・董卓が、顔を醜く歪めて絶叫する。

偽物は、周囲に漂う穢れを貪り喰らい、さらなる巨大な肉の怪物へと膨張していく。その手には、禍々しい怨念で編み上げられた巨大な暗黒の剣が握られていた。


「化け物で結構! わしは極黒の魔王! わしを愛する者たちを脅かす過去のカルマなど……わし自身の手で、完膚なきまでに蹂躙してくれるわ!!」


持子が地を蹴った。


その速度は、竜の神速すらも凌駕するほどの爆発的なものだった。

極黒の魔力によって肉体を極限強化した持子は、偽・董卓が振り下ろした巨大な暗黒の剣の軌道へと、真っ向から飛び込んでいく。


「持子先輩っ! 危ないっす!」


後方で陣形を維持していた佐藤陽翔が悲鳴を上げる。


しかし、持子は幼少期に叩き込まれた実戦的な合気武道の達人である。

巨漢や特級呪霊すらも神速の体捌きでねじ伏せるその技術は、絶対的な魔力を纏うことで神域へと達していた。


『死ねェェェッ! 過去の幻影に囚われて死ねェェェッ!』


轟音と共に振り下ろされる巨剣。

持子は一切の恐怖を見せず、その剣の側面に両手をそっと添えた。


「――うるさいぞ、豚。過去に縋っているのは貴様の方であろうが」


合気武道・天地投げの理。

持子は、偽・董卓の放った桁違いの質量と破壊エネルギーを、己の身体の軸を回転させることで完全に吸収し、逆流させた。


『なっ……!? グオォォォォォォッ!?』


偽・董卓の巨体が、己の振るった力によって宙に浮き上がる。


「わしの仲間を、下僕を傷つけた罪……その身で購え!!」


持子は、宙に浮いた肉の塊の胸ぐらを鷲掴みにし、そのまま石の床へ向けて、隕石の如き速度で叩きつけた。


『ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!』


大禍つ炉の最深部全体が、大地震のように激しく揺れ動く。

叩きつけられた衝撃で、偽・董卓の肉体が風船のように破裂し、そこからドロドロとした真っ黒な穢れが四方八方へと飛び散った。


『ガ、アァァァ……! 認めん、俺は、俺はァァ……!』


「消えろ。貴様はもう、わしではない」


持子は無慈悲に見下ろし、右手に極限まで圧縮した『極黒の魔力』を球体にして生み出した。

それに加え、他者を慈しみ護ろうとする心から生まれた純白の「光の魔力」が混ざり合い、光と闇を融合させたカオス魔力(覇王の力)へと昇華する。


「『覇王・極黒崩壊波カオス・パニッシュメント』!!」


光と闇の混ざり合った奔流が、偽・董卓の残骸を完全に飲み込み、消滅させた。

過去の己の罪を、己自身の手で物理的かつ霊的に打ち砕いた瞬間だった。


「……す、すげえ……」


合気武道部の門蒼真が、無表情のまま呆然と呟いた。


「持子先輩、マジでバケモノっすね……」


佐藤陽翔も、あまりの規格外の威力に口をあんぐりと開けている。


偽・董卓が消滅した影響で、最深部に溢れ返っていた西涼の騎馬兵や、李傕、郭汜らの亡霊たちも、糸の切れた操り人形のように次々と崩れ落ち、黒い霧となって消え去っていく。


静寂が、最深部に訪れようとしていた。


だが。

その穢れの海の中心、地獄の門の前に、たった一人だけ――消滅せずに立っている亡霊がいた。


絶世の美女、貂蝉ちょうせんである。

彼女の容姿は、現世の持子の肉体と瓜二つであった。白磁の肌、悲哀に満ちた瞳、そして風に揺れる美しい衣。


彼女は、偽・董卓が消滅した跡地に残された『一本の剣』――七つの宝石が埋め込まれた【七星宝刀】を、ゆっくりと拾い上げた。


「……貂蝉」


持子は、息を呑んで立ち止まった。


自分を裏切り、破滅へと追いやった元凶の一人。だが、同時に、男であった前世の自分が最も愛し、執着した女。

持子の脳裏に、様々な感情が渦巻く。憎しみ、後悔、そして、今の自分の身体が彼女と同じであるという奇妙な同族嫌悪と哀れみ。


『……相国様しょうこくさま


貂蝉の亡霊が、鈴を転がすような、ひどく悲しげな声で持子を呼んだ。

その瞳から、一筋の血の涙がこぼれ落ちる。


『私は……私はただ、恐ろしかったのです。あなたのその、底なしの欲望が……』


「……っ」


持子は、拳を強く握りしめた。


トドメを刺さなければならない。

彼女もまた、大禍つ炉の穢れと七星宝刀の呪いによって生み出された、偽りの概念の影に過ぎないのだから。


しかし、持子はどうしても、その自分と同じ顔をした、悲しげに泣く女に向かって、無慈悲な魔法を放つことができなかった。


(わしが、わしが彼女をあんな風に追い詰めたのだ。わしの罪が……)


一瞬。ほんの一瞬の、魔王の躊躇。

その隙を、呪われた歴史のカルマは見逃さなかった。


『――だから、ここで死んでください』


貂蝉の顔から悲哀がスッと消え失せ、氷のような殺意に切り替わった。

彼女は、拾い上げた『七星宝刀』を両手で構え、神速の踏み込みで持子の懐へと飛び込んできたのだ。


「持子様ッ!!」


後方から、本多鮎と花園美羽の悲鳴が上がる。

高倉竜がハルバードを構えて飛び出そうとするが、距離が遠すぎる。


持子は、迫り来る七星宝刀の切っ先を、スローモーションのように見つめていた。


(避けられる……いや、合気で捌ける……!)


頭では理解していた。だが、自分の顔をした女が、自分を殺そうと刃を向けてくるその狂気に、持子の身体は呪縛されたように動かなかった。


『ズシャァァァァッ!!』


鈍い音と共に、七星宝刀の刃が、持子の左脇腹を浅く切り裂いた。


「ぐっ……!」


持子が苦痛に顔を歪める。傷自体は浅い。

だが、刃が触れた瞬間、持子の魂の奥底に、氷のように冷たく、ひどくおぞましい『呪いの楔』が打ち込まれるのを感じた。


七星宝刀による董卓の魂のマーキング(封印の準備)。

その恐るべき呪術が、完全に成立した瞬間であった。


『あははははっ! 死ね、死ねェッ、化け物ォォッ!』


貂蝉の亡霊が、狂ったように笑いながら、再び宝刀を振りかぶる。

だが、持子はもう逃げなかった。


反撃の拳を叩き込むことも、魔力で吹き飛ばすこともしなかった。


「……すまなかったな。貂蝉」


持子は、血を流しながら、自らを殺そうとする貂蝉の幻影を――強く、強く抱きしめたのだ。


『な……!?』


貂蝉の亡霊が、驚愕に動きを止める。


「わしが愚かだった。わしの欲望が、お前の人生を狂わせ、こんな地獄の呪いにまで縛り付けてしまった……」


持子は、貂蝉の耳元で優しく囁いた。


それは、三国志の暴君・董卓が、死してなお、そして転生してなお、ずっと心に秘めていた、たった一つの後悔と謝罪だった。


「もう、泣かなくていい。お前はもう、自由だ」


持子は、抱きしめた貂蝉の背中に腕を回し――合気武道の絞めチョークスリーパーの要領で、彼女の頸動脈を優しく、しかし絶対に逃れられない力で締め落とした。


『あ……ぁ……相国、さま……』


貂蝉の幻影の瞳から、狂気が消え去り、最後にふっと安らかな光が宿った。

そして、持子の腕の中で、彼女の身体は光の粒子となってサラサラと崩れ落ち、消滅していった。


カラン……。


主を失った『七星宝刀』が、冷たい石の床に力なく落ちる。


「……終わった、か」


持子が、崩れ落ちた貂蝉の温もりを確かめるように虚空を撫でた、その直後だった。


『ゴアァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!』


「な、なんだッ!?」


持子の脳内に、直接、凄まじい爆音と悲鳴が叩き込まれた。

視界が、ダンジョンの最深部から、真っ赤な業火に包まれた『地獄』へと強制的に切り替わる。


閉ざされた巨大な門。その門の奥深く。

煮えたぎる血の池と、骨を焦がす炎の中で、数え切れないほどの亡者たちが泣き叫んでいた。


そして、その炎の中心で、鎖に繋がれ、生きたまま永遠に焼かれ続けている一人の女がいた。


『……熱い……痛い……! 相国様ぁぁぁっ!!』


貂蝉だ。

先ほど消滅させたはずの貂蝉の魂が、あるいは過去の董卓の罪によって犠牲になった数多の魂たちが、この大禍つ炉の底の底――本当の『地獄』で、今もなお業火に焼かれ続けているという、あまりにもリアルで凄惨なヴィジョン。


「や、やめろ……! 貂蝉ッ!!」


持子は虚空に手を伸ばし、狂乱して叫んだ。


七星宝刀の呪いが、持子の魂に「幻視」を見せているのだ。

『過去の罪を清算するためには、わしがこの剣を持っていなければならない』という、オーウェンの仕掛けた強烈な強迫観念の刷り込み。


「持子様!? どうされましたの!?」


ルージュと鮎が慌てて駆け寄るが、持子には彼女たちの声が届いていなかった。


ヴィジョンは数秒で途切れた。

だが、持子の全身は滝のような冷や汗に塗れ、息を荒くして肩で息をしていた。


「……この、剣……」


持子は、床に落ちている『七星宝刀』を、ふらつく足取りで見下ろした。


先ほどのヴィジョン。あの門の奥で泣き叫ぶ魂たちを解放するためには、あるいはこれ以上の悲劇を食い止めるためには、自分がこの剣を背負わなければならない。

そんな根拠のない、しかし絶対的な確信が、持子の心を支配していた。


持子は、脇腹の血を流しながら、這いつくばるようにして七星宝刀を拾い上げ、その柄を痛いほど強く握りしめた。


「持子様、お怪我を! アスタルテ、早く回復魔法を!」


エティエンヌが叫び、アスタルテが駆け寄って持子の傷口に豊穣の光を当てる。

傷自体はすぐに塞がったが、持子の顔色は青白く、その瞳には深い疲労と、拭いきれない呪いの影が落ちていた。


「皆様! 感傷に浸っている時間はありませんわ!」


後方で戦況を分析していた南原紗良が、悲痛な声で叫んだ。


「亡霊たちは消滅しましたが、大禍つ炉の暴走は止まっていません! 先ほどとは比べ物にならない量の穢れが、上層から滝のように流れ込んできます! このままでは、この最深部全体が穢れの海に水没します!」


紗良の言葉通り、地獄の門の隙間や、壁の亀裂から、ドス黒い泥のような瘴気が、津波のような勢いで最深部を満たし始めていた。


「くそっ! 全滅は免れたってのに、今度は溺れ死ぬってのかよ!」


佐藤陽翔が頭を抱える。


「全軍、撤退だ! 急いでここから脱出するぞ!」


高倉竜が、鋭い声で号令をかけた。


「ひよっこ共、走れ! 振り返るな!」


持子は、七星宝刀をしっかりと抱え込みながら、仲間たちに指示を飛ばした。

Eチームの面々は、押し寄せる穢れの津波から逃れるため、来た道を全力で駆け戻り始めた。


だが、戦闘の疲労と、七星宝刀の呪いによる精神的ダメージを負った持子の足取りは、ひどく重かった。


「はぁっ……はぁっ……!」


足がもつれる。崩落する岩盤の破片が降り注ぎ、背後からは穢れの泥流がすぐそこまで迫っている。


「持子様! わたくしの背中に乗って!」


鮎が手を伸ばすが、大剣を振るい続けた彼女自身も満身創痍であり、走るのが精一杯の状態だった。


(くっ……! わしが、こんなところで……っ!)


持子がバランスを崩し、冷たい石の床に倒れ込みそうになった、その時。


『ガシッ!』


力強く、そして温かい手が、持子の手首をガッチリと掴み上げた。


「――走れ、モッチ!!」


振り返ると、そこには高倉竜の顔があった。

彼は、持子の腕を力強く引き、そのまま彼女の身体を支えるようにして、崩壊するトンネルの中を凄まじい速度で駆け抜けていく。


「竜……っ!」


かつての幼馴染としての呼び名。

そして、その手のひらから伝わってくる、不器用だが確かな温もり。

作戦室での冷たい拒絶は嘘だったのかと思えるほどの、必死な横顔。


持子の胸の奥が、熱く締め付けられた。


(竜……お前は、やはりわしを見捨てたりはしないのだな……っ)


持子は、握られた竜の手を握り返し、必死に彼の背中を追って走った。

背後で、最深部が完全に穢れの海に飲み込まれ、轟音と共に崩落していく。


――数十分後。


大禍つ炉の中層。安全圏として確保されていたTIAの臨時拠点のゲートを潜り抜け、Eチームの面々はついに崩壊する深淵から逃れ切った。


「はぁっ……! はぁっ……! 助かっ、た……っ!」


佐藤陽翔が床に大の字になって倒れ込む。


「……無様ですね、サル。でも、生きて帰れました」


南原紗良が、息を切らしながらも佐藤の隣に座り込み、安堵の息を吐いた。

千手や森、門たち合気武道部の面々も、互いの無事を確認し合い、阿部や高橋もへたり込んで肩で息をしている。


鮎や美羽、エティエンヌら下僕たちも、ボロボロになりながら持子の無事を確認して安堵の表情を浮かべた。


「はぁっ……はぁっ……。竜、助かったぞ。お前がいなければ……」


持子は、息を整えながら、自分を引いてくれた竜に向かって、心からの感謝を込めて微笑みかけた。

その手を、まだ握りしめたままで。


だが。


『スッ……』


高倉竜は、持子の手を、まるで汚れたものに触れていたかのように、冷たく、そして静かに振り払ったのだ。


「……え?」


持子の笑顔が凍りつく。


「無事で何よりだ。……じゃあな、魔王」


竜は、一切の感情を排した冷徹なエージェントの瞳で持子を一瞥すると、それ以上何も語らず、踵を返した。


「ま、待て! 竜!」


持子が手を伸ばすが、竜は振り返ることなく、安全圏に待機していたCチーム(エクリプス)の部隊の方へと歩き去ってしまった。


取り残された持子の手には、空虚な冷たさだけが残った。

助けてくれた手の温もりと、明確な拒絶。


なぜ彼は自分を助けたのか。そして、なぜあんなにも冷たく突き放すのか。

持子の心は、激しい混乱と悲しみでぐちゃぐちゃになっていた。


「持子様……」


鮎が心配そうに声をかけるが、持子はそれに答えることができなかった。


ただ、竜の遠ざかる背中を呆然と見つめながら、自身の胸にしっかりと抱き抱えられた『七星宝刀』の重みだけが、呪いのように持子の心を冷たく縛り付けていた。


大禍つ炉・最深部の死闘は終わった。

だが、それはオーウェン(王允)が仕掛けた、新たなる地獄への扉が開いたに過ぎなかったのである。


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