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【深淵の顎門と、裏切りの秒針】

【深淵の顎門と、裏切りの秒針】


果てしなく続く暗黒の地下迷宮、その最奥部。


先行していたドローンと、AチームからEチームに至る各先鋒部隊の視覚データが、TIA地下作戦室の巨大なメインモニターに次々と投影されていく。


そこは、これまでの洞窟や古代遺跡のような構造とは明らかに異なっていた。

まるで巨大な生物の内臓、あるいは悪意を持って設計された幾何学的な『罠』そのものだった。


脈打つような赤黒い瘴気が壁面から滲み出し、通路は複雑怪奇に、十数本もの無数のルートへと分岐している。

どの道が正解で、どの道が死地に直結しているのか、外観からは全く判断がつかない。


「……まるで、獲物を待ち構える『罠のあぎと』ですね」


無数の分岐路を映し出すモニターを見上げながら、TIAの参謀・霞涼介が銀縁メガネを中指で冷徹に押し上げた。

手元のタブレットには、即座に計算された各ルートの空間容積と、予測される魔物の密集度がエクセルデータとして弾き出されている。


「各部隊の指揮官へ伝達します。現在の最深部の構造は、侵入者の戦力を分散させることを目的とした多重分岐迷宮と推測されます。この瘴気濃度の中で部隊を細かく分断し、同時制圧を図るのはリスクが大きすぎる」


霞は一切の感情を交えず、淡々と、しかし絶対の確信を持って戦術的判断を下した。


「……故に、当方の推奨する作戦は『戦力集中』です。連合部隊の過剰戦力を束ね、第一通路から順次、確実にローラー作戦で攻略していく方針をとります。時間はかかりますが、各個撃破される危険性はゼロになる。いかがですか」


通信機越しに、各陣営の指揮官たちが次々と同意の意志を示す。


『Aチーム、風間洋助だ。異存はない。この瘴気の中で孤立すれば、いくら猛者でも削り殺される。慎重にいこう』


『Bチーム、天草・クリストファー・流星。武装異端審問傭兵団『銀血の十字架クロワ・ダルジャン』了解した』


『Dチーム、山本だ。了解した。我が「極暑」の重火力を前面に押し出し、通路ごと物理的に更地にして進む』


『Cチーム、オーウェン。合理的だ。アメリカも霞君の判断を支持しよう』


各国の猛者たちを束ねる霞の完璧な戦術眼。

作戦室の空気は、一時的ながらも安定と確信に満ちていた。


……だが、誰も気づいていなかった。


この完璧な布陣と、霞の緻密な計算の『裏側』で、すでに致命的な崩壊の秒針が動き始めていることに。


***


TIA地下施設、セクター4。

一般職員の立ち入りが厳しく制限された旧型の隠しサーバー室の中で、男は脂汗を流しながらコンソールに向かっていた。


「……クソッ、クソッ! なぜ俺が、こんな薄暗い地下室でコソコソと這いつくばらなきゃならないんだ……!」


男の名は、赤城。

TIAの室長という肩書きこそ持っているが、彼の本質はそこにはない。元々は内閣府直属の第七神祇課、通称『彼岸花』に所属していた国家のエリート官僚だったのだ。


だが、『高田馬場囲碁愛好会(TIA)』という、狂人やバケモノばかりが集まる民間組織の監視役(お守り役)として左遷された。


(風間助平……あのエロジジイめ。国家の財産である『八雷神』の技術を不当に独占し、国に小出しにして恩を売るなど、絶対に許されることではない! この国を統治するのは、我々選ばれたエリートでなければならないのだ!)


赤城の胸の奥で煮えたぎるのは、自身を左遷した政府への恨みと、圧倒的な技術力を誇りながら好き勝手に振る舞うTIAへの強烈な憎悪、そして何より、「再び表舞台で権力を握りたい」というドロドロの野心だった。


だからこそ、彼は『エクリプス』の司令官、ヴィンセント・オーウェンからの接触に乗ったのだ。


かつて、東京ダンジョンの『大禍つ炉』が暴走した大規模な霊的災害事件。

あの時も、赤城はオーウェンと共謀し、内部からセーフティを解除して暴走を引き起こした。


目的は、意図的な大災害を引き起こすことでTIAの管理責任を問い、組織を解体させ、政府(ひいてはオーウェンの息がかかった新組織)にすべての技術と権力を掌握させること。


「今回も同じだ。あのタヌキ親父オーウェンの思惑通りに動いてやるのは癪だが……この『大禍つ炉』に溜まりに溜まった致死量の穢れを一気に強制排出させれば、東京の半分は人の住めない魔界と化す。そうすれば、無能な政府もTIAも一網打尽にできる……!」


赤城は、オーウェンから裏ルートで提供された漆黒のUSBメモリを、サーバーのメインポートに突き刺した。

彼には、TIA内部のシステム権限の『裏口バックドア』の知識がある。


震える指でパスワードを打ち込み、幾重にも掛けられた強固なプロテクトを、裏口から強引にバイパスしていく。


『システム警告。大禍つ炉・第八隔壁のセーフティロックを解除しますか?』


「……これで、俺は新世界の覇者となる!」


赤城は、狂気に満ちた笑みを浮かべながら、エンターキーを強く叩き込んだ。


『承認されました。穢れの強制排出シーケンスを開始します』


***


『――ウゥゥゥゥォォォォォォンッ!!』


その瞬間、TIAの地下作戦室を、耳をつんざくような甲高い警戒サイレンが切り裂いた。

メインモニターの画面が、安全を示す青色から、致命的な危険を知らせる深紅の点滅へと一気に切り替わる。


「な、なんだ!? どうした!」


土御門朔夜が弾かれたように立ち上がる。


「警報発令! 大禍つ炉の内部圧力が異常上昇しています!」


コンソールにしがみついていた風間高子が、悲鳴のような声を上げた。


「第八隔壁、第九隔壁の物理ロックが強制解除! このままじゃ、炉の内部に溜まった致死量の『穢れ』が、ダンジョン最深部から地上に向かって一気に逆流排出されます! 排出されれば、東京の広範囲が致命的な霊的汚染に見舞われます!」


「馬鹿な……! 排出シーケンスには三重の物理承認が必要なはずだ! 外部からのハッキングか!?」


霞が血相を変えてタブレットを叩く。


「違います! これは外部からの攻撃じゃない……内部ネットワーク由来です!」


高子の小さな手が、目にも留まらぬ速さでキーボードを乱打し、無数のコードの羅列をモニターに展開していく。


「侵入経路の特定完了……! このバイパスの仕方、トラップの抜け方……間違いない、過去の『大禍つ炉暴走事件』の時と全く同じパターンです! 端末の位置は、セクター4の隠しサーバー室! ログインIDは……赤城太郎です!」


「……赤城だと!」


霞の目が、氷のように冷たく、そして鋭く細められた。

あの男の野心と不満は把握していた。だが、まさかこの人類の存亡を賭けた総力戦の最中に、自らの命すら危険に晒すような凶行に及ぶとは。


「保安部隊、直ちにセクター4へ急行しろ! 赤城を拘束し、物理的に端末を破壊してでも排出シーケンスを停止させろ! 殺害しても構わん!」


霞が無線に向かって冷酷な指示を飛ばす。


***


「なっ……馬鹿な! なぜもうバレた!?」


セクター4の隠しサーバー室。

コンソールに『不正アクセス検知。保安部隊出動』の赤いアラートが表示され、赤城は狼狽して後ずさった。


TIAの電脳防壁を甘く見ていた。過去の暴走事件のデータから、風間高子が一瞬で自分のアクセスパターンを特定するとは予測していなかったのだ。


「だが、遅い……! すでに排出の強制バルブは開いた! たとえ俺を殺そうとも、この暴走はもう誰にも止められな……」


『――その通り。もはや誰にも止められない。素晴らしい仕事だったよ、赤城君』


突如、赤城の耳に装着されていたインカムから、優雅で冷酷な声が響いた。


「オ、オーウェン司令官……!?」


『君の政府へのルサンチマンと、ちっぽけな権力欲は、実に扱いやすかった。TIAの内部からロックを外すには、君のような内部権限を持った愚かネズミがどうしても必要だったからね』


「な、なにを言っている! 早く俺をここから脱出させる手はずを整えろ! 約束が違うぞ!」


赤城がインカムに向かって怒鳴り散らす。

だが、通信の向こう側のヴィンセント・オーウェンは、クスクスと喉の奥で笑った。


『脱出? ……はて、私はいつ、君を助けると約束したかな?』


「……え?」


『君は、私の計画のための素晴らしい「捨て駒」だった。大禍つ炉を暴走させ、東京を混乱の渦に陥れるための、ね。……ああ、そうそう。君に渡したその特製のインカムだがね』


オーウェンの声が、絶対零度の冷酷さに変わった。


『通信機能だけでなく、高性能なマイクロ爆薬が仕込んであることを、言い忘れていたよ』


「な……あっ、待て、オーウェン! 俺はまだ……!」


赤城が震える手で、首元のインカムを引きちぎろうとした、その瞬間。


『God Bless You(神の祝福を)。さらばだ、哀れなピエロよ』


――ピィィィィン。


極小の電子音。


パンッ!!!!


乾いた破裂音と共に、赤城の首の右半分から顎にかけてが、凄まじい衝撃で吹き飛んだ。


「ガ……ァ……ッ……!?」


吹き飛んだ肉片と鮮血が、隠しサーバー室の冷たい壁とモニターを赤く染め上げる。

赤城の身体は痙攣し、そのまま崩れ落ちるように床に倒れ伏した。


(俺は……エリート、だ……新世界の、支配者に……)


薄れゆく意識の中。片方の目玉だけで見上げたモニターには、無情にも『大禍つ炉・穢れ排出カウントダウン開始』の無機質なアラートが点滅し続けている。


自分が何のために生きて、何に利用され、誰に捨てられたのか。

その絶望的な現実と過去の栄光の残滓を思い出しながら、赤城の瞳から光が消えた。


『突入しろ!』


直後、分厚い扉を蹴破ってTIAの保安部隊がサーバー室に雪崩れ込んできた。

だが、彼らの目に飛び込んできたのは、頭部を半分吹き飛ばされた赤城の無惨な死体と、赤く点滅し、もはや誰の手にも負えなくなった暴走シーケンスの画面だけであった。


***


「……赤城の死亡を確認。端末は破壊されましたが、すでに物理バルブのロックが外れ、大禍つ炉は不可逆の暴走段階へ移行しました」


保安部隊からの絶望的な報告を聞き、霞はギリッと奥歯を噛み締めた。


不幸中の幸いなのは、高子の異常なまでの早期発見と、赤城の早期死亡(端末破壊)により、最悪のシナリオである「炉の全開放」だけは防げたことだ。

排出される穢れの量は、当初の予測よりは少ない。


だが、それでも致命的な汚染であることに変わりはない。何より、最深部の魔物たちの討伐はまだ何一つ終わっていないのだ。


「……チッ! どいつもこいつも、使えねえ大人ばっかりだな!」


重苦しい絶望が作戦室を覆い尽くそうとしたその時、土御門朔夜が舌打ちと共に立ち上がった。

彼は着ていた制服のジャケットを乱暴に脱ぎ捨てると、両手に大量の呪符を挟み込み、モニターに向かって鋭い印を結んだ。


「霞! お堅い作戦は中止だ! 俺様が陰陽術のネットワーク干渉で、物理バルブの動きを呪力で強制的に遅延させてやる! これで少しは時間稼ぎができるはずだ!」


「朔夜……! お前、そんな無茶な術式を一人で展開すれば、呪力リソースが焼き切れるぞ!」


「うるせえ! 俺はスノーの副マネージャーだ! うちの可愛いバカ(持子)が暴れるための舞台を整えるのが、俺の仕事だろうが!」


朔夜の全身から、青白い強烈な呪力が立ち昇る。

彼の両目からツーッと一筋の血が流れたが、彼は不敵な『俺様』の笑みを崩さず、全開の術式で大禍つ炉の暴走を必死に抑え込み始めた。


「……朔夜君の言う通りです」


霞は瞬時に思考を切り替え、マイクを握り直した。


「作戦を大幅に変更します。先ほどの『戦力集中』は破棄。大禍つ炉の穢れ排出を止めるためには、各個が最深部のコアに到達し、手動でバルブを遮断するしかありません」


モニターに映る無数の分岐路。


「あの危険な分岐構造にあえて乗ります。AからEの各チームは戦力を分断し、それぞれのルートから一気に最深部を目指し、早期の掃討作戦に移行してください! 掃討できたチームから合流し、無理な場合は一時撤退して他チームと合流後に再突入! スピード最優先です!」


作戦室の空気が、再び極限の戦闘態勢へと張り詰める。

手の空いている予備戦力や、待機していたTIAの戦闘員たちも、次々と武装を手に最深部へと駆け出していく。


そんな喧騒の中。

作戦室の片隅で、ただ一人、ガタガタと震えながら座り込んでいる者がいた。


元大悪魔にして、今は人間と完全に融合してしまったため物理的な戦闘力が皆無のシャーロット(グレモリー)である。

彼女は戦闘の役には立たないため、作戦室での待機を命じられていた。

彼女のアメジストの瞳は、恐怖で大きく見開かれていた。


――その時。


『……怯えることはないよ、愛しき悪魔グレモリー


「ヒッ……!?」


シャーロットの脳内に、直接、甘く冷酷な声が響いた。

誰も口を開いていない。通信機からでもない。それは、高度な魔術による直接の念話テレパシー

声の主は――作戦室を出て行ったはずの、オーウェン。


『君はそこに座って、ただ見ているだけでいい。……私の計画の、素晴らしい「目」としてね』


(アァッ……イヤ、イヤデスワ……ッ! モチコサマ、アユサマ……タスケテ……ッ!)


シャーロットは両腕で自身の身体を抱きしめ、声にならない悲鳴を上げながら、ガチガチと歯の根を鳴らすことしかできなかった。


***


「……持子様!」


「わかっておる!」


作戦室から非常事態のサイレンが鳴り響く中、恋問持子と『魔王組』の面々は、指定された最深部への突入ポイントへと猛スピードで駆け抜けていた。


持子の胸の奥には、まだ、高倉竜から向けられた冷たい拒絶の視線が刺さっている。


『お前は、モッチじゃない』


その言葉が、心臓を鷲掴みにするように痛む。

前世の暴君・董卓の魂すらも、幼馴染からの拒絶に意気消沈し、持子の内面はグチャグチャに乱れていた。


(ああ……なまらラーメン二郎に行きたい。ニンニクアブラマシマシを口いっぱいに頬張って、雪に怒られて、バカみたいに笑って……そんな日常に、逃げ帰りたい……)


だが、持子の横を並走する仲間たちを見る。


大剣を構え、一切の迷いなく己の主を護ろうとする忠犬、本多鮎。

暗殺者の歩法で気配を消し、静かなる殺意を滾らせる泥棒猫、花園美羽。

金髪の髪をなびかせ、圧倒的な母性と包容力で微笑みかけてくる真祖の吸血鬼、エティエンヌ。

そして、その後ろには、恐怖に震えながらも立派に成長し、S級へと覚醒した合気武道部の後輩たちが必死についてきている。


(……わしは、一人ではない)


(雪が、桐子お姉さんが、楓ちゃんが……そして、この愛すべき下僕どもが、わしを『魔王』として、一人の人間として受け入れてくれたのだ)


竜に拒絶された悲しみは消えない。

だが、ここで立ち止まり、逃げ出せば、わしは本当にただの『化け物』になってしまう。


「……ふぅーっ」


持子は深く、長く息を吐き出した。

そして、その黄金の瞳に、極黒の魔王としての圧倒的な覇気と、決意の炎を再び点火させた。


「おい、お前ら! 聞いての通り、状況は最悪だ! チンタラしていれば、この東京はウンコみたいな穢れに沈むぞ!」


持子の腹の底から響く、尊大で傲岸不遜な声。

それに呼応するように、鮎や美羽、エティエンヌたちが力強く頷く。


「わしは腹が減った! こんな薄暗い地下迷宮など一瞬で更地にして、今日こそラーメン二郎を食いに行くぞ! わしの胃袋(魔力)を満たすため、立ちはだかる悪魔どもは一匹残らずミンチにしてやるわ!!」


「「「はいっ!! 持子様!!」」」


心の奥底に深い絶望と悲しみを抱えたまま。

それでも恋問持子は、己の愛する世界と日常を護り抜くため、自ら極黒の魔王の仮面を被り直し、圧倒的な過剰戦力を引き連れて、真の地獄へと続く最深部への跳躍を開始したのだった。


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