【深淵への総力戦、そして武神の帰還】
【深淵への総力戦、そして武神の帰還】
11月――東京の地下深くに口を開けた巨大ダンジョン。
その全容を把握し、戦局をコントロールする中枢、民間霊的組織【TIA】の地下作戦室は、かつてない極度の緊張感に包まれていた。
壁一面を覆う巨大なメインモニターには、ダンジョンの三次元マップが投影されている。
中層までのエリアはすでに「制圧済み」を示す緑色に染まっていたが、その下――最下層へと続く広大な領域は、禍々しい瘴気を思わせる漆黒に塗りつぶされていた。
「中層までの掃討、および安全圏の確保は完了しました。これより、未知の領域である深層への威力調査、およびマッピング作戦のブリーフィングを開始します」
作戦室の中央で、銀縁メガネを指で押し上げながら冷静な声で告げたのは、TIAの参謀・霞涼介である。
手元のタブレットには、彼が一切の無駄を嫌い、分刻みで構築した完璧なエクセルデータが表示されている。
「現在の帝都新システム『大禍つ炉』は、内部に蓄積された莫大な『穢れ』の排出時期が迫っています。最下層の魔物や穢れを除去せぬまま排出プロセスを強行すれば、最悪のパンデミックを引き起こす危険性がある。故に、各勢力の総力を結集したこの連合部隊で、一気に深淵を叩きます」
霞の言葉に、円卓を囲む各陣営の代表者たちが静かに頷いた。
作戦室に集まった面々は、いずれも世界の裏社会や国家権力を動かすトップクラスの怪物たちである。
「God Bless America。……素晴らしい合理性だ、霞君」
最高級のスーツを着こなした50歳の渋いイケオジ――米国プロメテウス財団・国家超常事態対策局『エクリプス』の司令官、ヴィンセント・オーウェンが、優雅に脚を組んで微笑んだ。
「東京の深淵を暴き、資源と脅威を天秤にかける。我々Cチーム(エクリプス)も、この歴史的な大事業に一枚噛めることを光栄に思うよ」
紳士的な口調の裏に、他者をチェスの駒としか見ていない冷徹なフィクサーの素顔が透けて見える。
「フン。綺麗な言葉を並べやがって。どうせ火事場泥棒でおいしいトコだけ持っていく気だろ、アメリカのタヌキ親父」
オーウェンに向かって不敵な笑みを返し、挑発的な言葉を投げたのは、芸能事務所『スノー』の副マネージャーとしてEチーム(魔王組)の代表を務める美少年、土御門朔夜だ。
普段は傲岸不遜な「俺様」キャラを気取っている彼らしい、不敵な態度である。
「俺の可愛い部下の『目』は誤魔化せねえぜ。なぁ、シャーロット?」
「ヒッ!? ワ、ワタクシ、スノーノドレイデスワ……! シャチョーサンノ、メイレイデ……ッ!」
朔夜の背後に隠れるように立っていたのは、プラチナブロンドの優雅なウェーブヘアに、アメジスト(紫)の瞳を持つイギリスのトップモデル、シャーロット(中身は大悪魔グレモリー)である。
彼女はスノーの最下層である『奴隷』へと叩き落とされた身であり、ガタガタと震えながらも、自身の能力で各陣営の腹の底を警戒していた。
「まあまあ、喧嘩はダメだよぉ、朔夜お兄ちゃん、オーウェンおじちゃん!」
ピリつく空気を和ませたのは、作戦室のコンソールで目にも留まらぬ速さでキーボードを叩いているTIAの「天才電脳少女」、風間高子だ。
キッズラインの可愛らしいワンピースを着た彼女は、無邪気な天使のように笑う。
「各チームのドローンと通信のリンク、完璧に繋がったよ! これで最下層でも、マッピングのデータは全部リアルタイムでこの作戦室に入ってくるからね!」
「感謝する、高子嬢」
重厚な声で作戦室の空気を引き締めたのは、迷彩服に身を包んだ屈強な男――自衛隊の対超常特務部隊、通称『極暑』を率いる山本貞二郎一佐であった。
Dチームの代表である彼は、分厚い胸板を張り、鋭い眼光をモニターに向ける。
「我々『極暑』の任務は、国家の脅威たる異常存在の確実なる殲滅。AからEの全5チームが距離を保ちつつマッピングを進め、強敵と遭遇した場合は最も近い部隊が即座に救援に向かう。……この包囲網で、深層の化け物どもを一匹残らず駆逐する」
「ええ。主の御名において、我々もすべての異端を灰に還しましょう」
山本一佐の言葉に賛同したのは、Bチームの代表として作戦室に留まっていた、欧州最強の異端審問官トップである『聖女』ベアトリスだ。
「Bチームの前線指揮は、我が配下の流星に任せてあります。我々の聖なる剣は、いかなる闇にも屈しない」
それぞれの思惑と矜持が交錯する作戦室。
張り詰めていたブリーフィングが終わり、霞涼介が「各員、作戦開始位置へ」と告げたことで、重苦しい空気が僅かに緩んだ。
巨大なモニターを背に、各陣営の代表たちが次々と席を立つ。
Aチームの風間洋助と葉室桐子は、これから始まる死闘を見据えて静かに頷き合い、広範囲殲滅を担う最高戦力である妹の風間楓と共に部屋を後にしようとしていた。
Bチームのベアトリスは主の御名において祈りを捧げながら歩み去り、Dチームの山本一佐は部下たちに鋭い指示を飛ばしながら通路へと消えていく。
そして、Cチーム――米国プロメテウス財団『エクリプス』の司令官ヴィンセント・オーウェンは、優雅な足取りで作戦室の出口へ向かっていた。
その斜め後ろを、影のように付き従う大柄な男がいる。
エクリプスのエージェントであり、SSSクラスの武神――高倉竜である。
「――久しぶりだな、竜」
作戦室の扉に手をかけようとした竜の背中に、高く、よく通る声が投げかけられた。
竜の足が、ピタリと止まる。
声の主は、Eチームの代表として作戦室に残っていた「極黒の魔王」こと、恋問持子だった。
175センチの黄金比のプロポーションを包む衣服からは、神威にも等しい桁外れの魔力が立ち昇っている。
持子は、傍らに控える第一下僕の本多鮎を制し、竜の背中へと歩み寄った。
「大きくなったな。別れた時は、わしよりも小さかったのに」
魔王としての尊大なオーラを纏いながらも、その口調には、かつて道場で共に汗を流した幼馴染への無邪気な親愛が混ざっていた。
「次会った時はわしよりも強くなると言っておったが、どうだ? この戦いが落ち着いたら、また昔のように稽古しないか!」
朗らかな持子の声。
しかし、ゆっくりと振り返った竜の瞳に、再会の喜びは微塵もなかった。
そこにあったのは、冷たい氷のような拒絶と、見知らぬ怪物を見るかのような底知れぬ嫌悪だった。
「……お前、本当にあの持子、モッチなのか?」
絞り出すような、低く掠れた竜の声。
その響きに、持子の笑みが僅かに凍りつく。
竜の胸中には、言葉にできないほどの絶望と怒りが渦巻いていた。
アメリカに渡る前、竜の記憶の中にある持子は――天涯孤独で、純朴で、いつもどこか寂しそうな瞳をしていた。
それでも、悲しみに負けまいと一生懸命に強くなろう、生きようと足掻いていた。
竜は、そんな彼女に強く惹かれていた。淡い恋心を抱いていたのだ。
彼がアメリカへ渡ったのは、武の極致を求めるためだけではない。
男として圧倒的な強さを手に入れ、彼女をこの腕で守って生きていけるようになるためだ。
エクリプスの傭兵となり、血反吐を吐きながら悪魔を殺し続けたのも、金とアメリカでの永住権を勝ち取り、彼女を迎えに行くためだった。
だが、エージェントとして帰国した竜に渡された『魔王・恋問持子の調査資料』は、彼の純粋な思いを根底から打ち砕いた。
そこには、世界的なトップモデルとして君臨し、「下僕」と称して多数の美しい女たち(時には女体化した吸血鬼の真祖まで)を侍らせ、狂信と欲望に塗れた淫靡なハーレムを築き上げている女の姿があった。
「至高の純潔」を掲げ、ただ一人を想い続けてきた竜にとって、それはあまりにも汚らわしく、残酷な現実だった。
資料の情報を、竜はにわかに信じられなかった。何かの間違いだと思いたかった。
しかし今、目の前に立っている女の姿はどうだ。
圧倒的な美貌の奥底に這う、底知れぬ傲慢さと他者を支配する魔の気配。
(こいつは、俺の知っている持子じゃない……)
違和感、強烈な嫌悪感、そして裏切られたという憎しみが、竜の胸の中で泥のように混ざり合う。
冷静であろうと自制しているが、今の持子と同じ空気を吸っているだけで呼吸が浅くなる。
早くここを立ち去り、これから始まる深層の死闘だけに思考を集中させたかった。
一方、持子もまた、竜から放たれる異常な拒絶の気に戸惑っていた。
(……何だ、この感覚は)
持子の魂の最深部で、暴君・董卓の記憶がガンガンと警鐘を鳴らす。
竜から放たれる圧倒的な武気。
それは、前世で自分を裏切り、その首を容赦なく刎ね飛ばした無双の猛将――呂布の気配そのものであった。
『奴は呂布だ! 近づくな、また寝首を掻かれるぞ!』
心の奥底で董卓の魂が、恐怖と激しい憎悪をない交ぜにして叫ぶ。
しかし、現世の持子の記憶と肉体は、頼もしく成長した幼馴染の姿にどうしようもなく惹かれてしまっている。
前世の怨念と現世の好意が激しく衝突し、持子の内面は極度の混乱状態に陥った。
「わ、わしは恋問持子だ……」
持子は、無意識に一歩後ずさりながら口を開いた。
「お前の幼馴染で、兄弟弟子の持子だ。何故……そんな目で、わしを見るのだ……?」
魔王の威厳は剥がれ落ち、そこには少し寂しげで、得体の知れない恐怖に怯える少女の表情があった。
だが、その表情すらも、今の竜の目には「醜悪な魔王の欺瞞」にしか映らなかった。
「……モッチじゃない」
竜は冷たく吐き捨て、背を向けて作戦室から出て行こうとする。
待ってくれ、行かないでくれ。
持子の心が叫び、気がつけば彼女は手を伸ばし、立ち去ろうとする竜の腕を強く掴んでいた。
「竜――!」
その瞬間だった。
竜の身体に染み付いた合気武道の理が、接触という物理的脅威に対して無意識の反射を引き起こした。
あるいは、汚らわしいものに触れられたという本能的な拒絶が、彼の技を凶悪に鋭利化させたのか。
「――ッ!?」
ドンッ!!
竜がわずかに手首を返し、重心を沈めた次の瞬間。
持子の身体は、腕の関節を完全に極められた状態――『内小手』の型で、冷たい作戦室の床に激しく跪かされる。
「がぁぁっ……!?」
肩から手首にかけて走る、骨が軋むほどの凄まじい激痛。
完全に自由を奪われ、床に顔を押し付けられる屈辱。
(貴様ァッ!! よくもわしを……!!)
痛みと屈辱により、持子の内面で董卓の魂が完全に表層に引きずり出された。
黄金の瞳が極限まで見開かれ、殺意に満ちた猛烈な憎悪を込めて、見下ろす竜を激しく睨みつける。
その顔は、かつて天下を恐怖で支配した残虐な暴君の顔、そのものであった。
竜は、底知れぬ悪意を向けてくるその表情を見て、悲しげに、そして冷酷に言い放った。
「……モッチは、そんな顔をしない」
「――あ」
持子の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
しまった。
自分が今、竜に対してどんな悍ましい顔を向けてしまったのか。
それに気づいた瞬間、董卓の覇気は潮が引くように消え失せた。
竜は無言のまま極めていた内小手を解き、今度こそ振り返ることなく、作戦室の扉の向こうへと消えていった。
「あ……ぁ……」
解放された腕を抑えながら、持子は床に跪いたまま動くことができなかった。
引き留めようとしたのに、自分の中から湧き上がった前世の憎悪と殺意が、彼を決定的に遠ざけてしまった。
後悔、悲しみ、自己嫌悪、そして底知れぬ喪失感。
色々な感情が泥のように渦巻き、持子は茫然自失となって床の冷たいタイルの模様を見つめ続けた。
「持子様……ッ!」
「……持子先輩」
重苦しい静寂を破り、痛む腕を庇う持子の傍らに寄り添う影が二つあった。
主の異変に駆け寄った第一下僕の本多鮎と、一部始終を静かに見つめていたTIAの最高戦力、風間楓であった。
冷たい作戦室の床で、かつての幼馴染同士の魂は決定的にすれ違い、これから始まる凄惨なカオス戦争への暗い影を落としていた。




