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『スクリーンの涙と、現実の青春』

『スクリーンの涙と、現実の青春』


都内のシネマコンプレックス。

その日、最大キャパシティを誇るプレミアムシアターは、平日の夜にもかかわらず満席となっていた。


スクリーンに掛かるのは、公開から瞬く間に社会現象を巻き起こし、興行収入の記録を塗り替え続けている話題作――本多鮎と大泉洋がW主演を務める、切なくも美しい転生純愛映画である。


「……ふんっ。あくまでわしは、神(洋様)の演技を刮目するために来ただけだからな。貴様のラブシーンなど興味はないぞ、鮎」

「あらあら、素直じゃありませんわね。ポップコーン、キャラメル味でよろしかったですか? 持子様♡」


変装用の大きなサングラスと帽子を深く被った恋問持子と、その第一下僕である本多鮎は、最後列のプレミアムシートに腰を下ろしていた。当初は持子と鮎の二人きりで観に来る予定だったのだが――。


「持子様ぁっ!!」


『シュタッ!』


「ぬおっ!?」


全く気配を立てず、突如として隣の空席に滑り込んできたのは、ボロボロの野戦服から可愛らしい私服に着替えた花園美羽であった。


「み、美羽!? 貴様、風魔の里での修行はどうしたのだ!?」

「今朝、全カリキュラムをクリアして帰還しました! 持子様がお忍びで映画を観に行くと聞いて、風魔の神速の歩法で駆けつけましたよぉっ♡ さあ、私を思う存分撫でてください!」


風魔新太郎による地獄のサバイバル修行を乗り越え、最強の暗殺者へと昇華したはずの美羽だが、持子へのヤンデレ気質と甘えん坊ぶりは、むしろ悪化(純化)していた。


「遅いですわよ、泥棒猫」

「ふふっ、鮎先輩の主演映画、ちゃんとハンカチ用意して観てあげますからね」


バチバチッと火花を散らす第一下僕と第二下僕。


「おや? 持子様たちも観にいらしていたのですね」

「えっ?」


持子が振り返ると、通路を挟んだ隣のペアシートに、見目麗しい極上のカップルが座っていた。

絶世の金髪美女(元・男)エティエンヌと、真紅の瞳を持つ吸血鬼の元女王ルージュである。


「貴様ら、なぜここに?」

「ふふっ、今日はルージュから『映画デート』に誘われまして。……少し緊張しておりますのよ?」

「まあっ、エティエンヌ様ったら。わたくしの方がドキドキしておりますわ♡」


元夫婦である二人の吸血鬼が、ポップコーンをシェアしながらイチャイチャと甘い空気を漂わせている。


「……なんか、スノーの身内だらけだな」


持子が呆れて劇場内を見渡すと、さらに前方の中央列に、見慣れた集団の姿があった。


「あ、あれ合気武道部のひよっこ共ではないか」


千手、森、門、佐藤、阿部、高橋、南原。合気武道部の一年生と三年生も、全員揃って映画を観に来ていたのだ。チュートリアルを終え、スノーから初任給を貰った彼らにとって、これはちょっとした慰労会のようなものだろう。


――そして、持子たちが全く気づいていない、劇場の最奥のVIP席。


「……」


黒い帽子とストールで完璧に変装した社長・立花雪が、静かにスクリーンを見つめていた。


(あくまで、うちのタレントがどれほどの集客力を持っているか……市場調査よ。ええ、ただの調査……)


雪は心の中でそう言い訳をしていたが、彼女の手元には、すでに『6枚目』となる同じ映画の半券が握られていた。

実は雪は、この映画の「妻が転生して、愛する夫に会いに行く」というストーリーに、どうしようもないほど心を乱されていたのだ。

千年以上という途方もない時間を生き、愛する者たちを何度も見送ってきた雪。


(……転生してくれるなら。かつて私が愛した人たちも、こんな風に私に会いに来てくれないかしら……なんて)


普段の絶対零度の冷徹な社長からは想像もつかない、少女のような、乙女チックな思考。雪は密かに、この映画を観てはポロポロと涙を流すリピーターと化していたのである。


ちなみに、この日のスノーの事務所では。


「……なんで、なんでみんな映画館でポップコーン食ってんのに、俺様とシャーロットだけ徹夜で経費の計算とスケジュールの調整しなきゃなんねえんだよぉぉぉっ!!」

「アゥッ……ワタクシ、スノーノドレイ、デスワ……ッ! サクヤサン、ガンバリマショウ……ッ!」


副マネージャーの朔夜と雑用係のシャーロットが、デスクに山積みになった書類の海で血の涙を流していたが、それはまた別の話である。



***



やがて場内が暗転し、映画が始まった。

物語が中盤から終盤へと差し掛かるにつれ、劇場内の空気は、圧倒的な「悲哀」と「愛」に支配されていった。


スクリーンの中では、大泉洋演じる不治の病に侵された初老の男が、苦しそうに、しかしどこまでも優しく微笑んでいる。

そして、その胸にすがりつき、前世の妻の記憶を取り戻した鮎が、魂を削るような慟哭の演技を見せていた。


『……やっと、会えたのに……っ! あなた、置いていかないで……っ!!』

『……泣かないでくれ。君が、また僕を見つけてくれた。……それだけで、僕の人生は、最高のハッピーエンドだ……』


それは、これでもか、これでもかと観客の心を締め付ける、反則的なまでの悲恋のラストシーンだった。

そして、二人の熱く哀しいキス。ゆっくりと落ちていく男の腕。


「……っ、うぅっ……洋様ぁぁぁっ……!!」


持子は、自分の神(大泉洋)の死に顔と、愛する第一下僕の完璧すぎる演技に情緒をメチャクチャにされ、大粒の涙をボロボロとこぼして号泣していた。


「……持子様……わたくし、頑張りましたわ……っ」


スクリーンで演じている当の鮎でさえ、自分の演技と大泉洋の凄まじい引力に当てられ、ハンカチで目頭を押さえている。


「うぅっ……うわぁぁぁんっ!!」


風魔の里で地獄のサバイバルを生き抜き、心が病んだり研ぎ澄まされたりして情緒不安定になっていた美羽は、声を上げて泣きじゃくっていた。


「……エティエンヌ様。わたくしたちは長い時間を生きてまいりましたが……人の命は、愛は、なんて儚く美しいのでしょう……」

「ええ、ルージュ。五百年という時間すら、この瞬間の輝きには勝てないのかもしれませんわね……」


永遠に近い時を生きる吸血鬼の元夫婦も、銀幕の純愛に心を打たれ、美しい涙を流していた。


VIP席の雪は、声を出さずに、ただ静かに、頬を伝う幾筋もの涙を拭っていた。


(……ええ。どんなに強い力を持っていようと、時間は無限ではないのよ。だからこそ、今隣にいる人を……)


そして、前方席の合気武道部の面々も例外ではなかった。

過酷な東京ダンジョンで「本物の死の恐怖」に直面し、覚醒した彼らだからこそ、この映画の『命の有限さ』というテーマが、痛いほど胸に突き刺さっていたのだ。


「ぐすっ……森……っ」

「……ああ。千手……」

「うおおおおおっ! 泣けるっす! マジで泣けるっす!!」

「佐藤くん、うるさいです……でも、これは……涙が……っ」


映画が終わる。

エンドロールが流れ終わり、場内が明るくなった時、プレミアムシアターはあちこちから聞こえる鼻をすする音と、温かい感動の余韻に包まれていた。


ただ泣かされただけではない。

『大切な人がいるのなら、一緒にいられる時間は決して無限ではない。だからこそ、今この瞬間の想いを大切にしなければならない』。

観客の誰もが、そんな強いメッセージを胸に刻み込んでいた。


『ギュッ……』


通路を挟んだ席で、エティエンヌとルージュの元夫婦は、互いの冷たい手を、温め合うようにしっかりと握り合っていた。


「持子様……っ」

「うむ……! 鮎、美羽……!」


持子は、両隣に座る鮎と美羽の手を、自分から強く、強く握りしめた。極黒の魔王にとって、この騒がしくも愛おしい下僕たちと過ごす日々が、どれほどかけがえのないものか、思い知らされたからだ。


前方席でも、密かに付き合っている副主将の森と主将の千手が、誰にも見えないようにシートの陰でそっと指を絡ませ合っていた。

そんなロマンチックな空気に当てられ、南原紗良の心臓が早鐘のように鳴っていた。


(……時間が有限なら。私だって、いつダンジョンで死ぬか分からないなら……今、ここで……!)


紗良は、隣で目を真っ赤にして鼻をかんでいる佐藤陽翔の手に、自分の手をそっと伸ばした。


『ツン……』


紗良の細い指先が、陽翔の無骨な手に触れる。


「……ん? なんだ南原?」


陽翔が、全く空気を読まない間の抜けた顔で振り返った。


「っ……!」


紗良は顔を真っ赤にして、バッと手を引っ込めた。


「な、なんでもないです……! 鼻水出てるから、ティッシュ使いなさいって言おうとしただけです!」

「おう! サンキューな!」


(あぁぁぁぁっ……! 私のバカっ! 勇気が、あと一歩勇気が足りませんでした……っ!)


紗良は心の中で絶叫し、己のヘタレ具合にギリギリとハンカチを噛み締めた。

そんな紗良の不発の恋模様を後ろの席から見ていた阿部凛花と高橋玲央は、(あーあ、惜しい! 南原のやつ、いけばよかったのに!)と心の中でツッコミを入れていた。


だが、玲央はふと視線を横に向けた。

そこには、映画の余韻を噛み締めるように、真っ直ぐに前を見据えている無口な門蒼真の横顔があった。

その大きくて、ゴツゴツとした、いつも自分を護ってくれる頼もしい手。


(……私。……門くんの手、握りたい、かも……)


玲央の胸の奥で、トクン、とこれまで感じたことのない甘い痛みが弾けた。


(えっ……嘘。私、門くんのこと……好きだったの……?)


完璧な型を追求する努力家の少女が、初めて自身の明確な『恋心』に気づき、一人で顔から火が出るほど赤面していた。


――と、そんな甘酸っぱい青春の空気が流れる中。


「……へへへへっ♡」


佐藤陽翔がふと隣を見ると、モデル志望の美少女、阿部凛花が、両手で頬を押さえながら、だらしなく口を半開きにしてニヤニヤと『極悪な変態スマイル』を浮かべていた。


「……おい凛花。お前、さっきから何一人で気持ち悪い顔してんだよ」


陽翔がドン引きしながらツッコミを入れる。


「えへへっ……だってぇ! 映画の最後のキスシーン、あの洋さんの役が私で、鮎先輩の役が持子先輩だったらって脳内で変換キャスティングしたら、もうエモすぎて最高すぎて……! あぁっ、あと少しで脳内持子先輩と熱い口付けが……へへへっ♡」


凛花は、感動の映画を完全に『自分と持子の百合キス妄想のオカズ』にして、涎を垂らさんばかりの顔をしていたのである。


「……」


陽翔は、あまりの残念さに深くため息をついた。


「なぁ、凛花」

「なんですか陽翔くん。今、脳内で持子先輩の唇を奪ういいところだったのに、邪魔しないでください!」

「……お前さ。入学したての頃は、本当に文句なしの『美少女』だったよな」


陽翔は、遠い目をして語り始めた。


「スラッとしてて、線が細くて綺麗な体でさ。しかも芸能科なのにツンツンしてなくて、社交性も良くて、俺みたいなバカにも気さくに声かけてくれて……。マジで、完璧な美少女だったんだよ、お前」


陽翔の悲痛な声が、静かな映画館のロビーに響く。


「……それが、なんでこんな『残念な変態』になっちまったんだよ……!!」

「ざっ……! 残念言うな!!」


凛花が顔を真っ赤にして陽翔の腕をバシバシと叩く。


「私は持子先輩の真の美しさに目覚めただけです! 女性としての『極み』を目指しているんです! あんたみたいなおっぱいしか見てない猿と一緒にしないでください!」

「お前は持子先輩のおっぱいを揉み、ゴホン、俺は猿じゃねえ! ロマンを追い求める探求者だ!」

「どっちも一緒です! 変態!」


ギャーギャーと騒ぎ始める一年生二人。


「……お前ら、映画の感動が台無しだぞ」


門がやれやれと二人を諌め、その後ろで玲央が「もう、門くんったらお父さんみたい……♡」と密かにときめきを加速させている。


映画が教えてくれた『有限の命と愛』。

しかし、スノーと合気武道部の面々にとって、その限られた時間は、悲劇ではなく、最高に騒がしく、そして眩しいほどの笑顔で彩られた、最高の青春として刻まれていくのであった。


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