『泥棒猫、闇へ――魔王の夜は寂しさと共に』
【合気武道部7】
東京ダンジョンの探索を終え、合気武道部の面々を無事に帰路につかせた後のこと。
すっかり夜の帳が下りた高田馬場の路上で、花園美羽がふと足を止め、持子の袖をキュッと掴んだ。
「持子様。……少しだけ、お話があります」
いつもは「持子様ぁ♡」と甘ったるい声を出す美羽だが、今の彼女の瞳には、一切の甘えがない。刃のように鋭く、そしてどこか切実な光が宿っていた。
エティエンヌとアスタルテは空気を読み、少しだけ離れた場所で静かに待機する。
「む? どうした美羽。腹でも減ったか?」
持子が首を傾げると、美羽は小さくかぶりを振り、思い詰めたように口を開いた。
「……実は以前、風間楓さんに言われていたんです。『あなたは魔力が極端に少ない。だから、人間としての技や技術……特に過酷なサバイバル能力や隠密行動を極めなさい』と」
「楓が?」
「はい。そして、その修行のために、TIAの下部組織である『風魔裏隠衆』へ行けと言われていました。代表の風魔三平という方の元で、諜報や工作、兵器運用の地獄の訓練を受けろ、と……」
風魔裏隠衆。風間家の家臣筋として、裏社会の最も深い闇で暗躍する忍者や工作員の集団だ。
「でも、私はずっと……その言葉から逃げていました」
美羽は、ギュッと自身のスカートの裾を握りしめた。
「だって、鮎先輩やエティエンヌさん、アスタルテちゃんやシャーロットは、元から『規格外の化け物』じゃないですか。だから、私は人間としての限界の中で、自分が弱くてもできる範囲で強くなればいいって……心のどこかで、そう妥協していたんです」
美羽の言葉に、持子は静かに耳を傾ける。
カルトシンガーであり、持子の『第二下僕』たる暗殺者。彼女はずっと、化け物だらけのスノーの中で、人間としての劣等感と戦っていたのだ。
「でも……今日、合気武道部の人たちの魔力を見て、はっきりと分かりました」
美羽が顔を上げる。その瞳には、強烈な焦燥感と、絶対に持子の隣を譲らないというヤンデレ気質特有の執念が燃え上がっていた。
「逃げていたら、ダメなんです。あの子たちのポテンシャルは異常です。このままじゃ、持子様の隣の『特等席』を、あっという間に奪われてしまう……っ!」
「美羽……」
「合気武道部員たちのこれからのチュートリアルは、私がいなくても、エティエンヌさんとアスタルテちゃんがいれば全く問題ありません。だから……」
美羽は持子に向けて、深く、深く頭を下げた。
「私を、風魔裏隠衆へ修行に行かせてください! 必ず、持子様の最強の『泥棒猫』になって帰ってきますから!」
持子の胸の奥が、チクリと痛んだ。
(……なまら寂しいではないか)
美羽は、持子の可愛い「下僕」であり、数々の死線を共に潜り抜けてきた愛しい存在だ。それがまたしばらく手元から離れるというのは、オッサン気質の魔王にとって身を切られるような寂しさだった。
しかし、持子は己の感情をグッと噛み殺し、魔王としての威厳を顔に貼り付けた。
愛する部下の覚悟を、王が笑って送り出さねばならない。
「……ふん。わしの泥棒猫が、さらに爪を研ぎたいと申すか」
持子は腕を組み、わざと尊大な態度で頷いた。
「よかろう。心を鬼にして命ずる! 最高の暗殺者になってこい、美羽!」
「っ……! ありがとうございます、持子様!」
顔を上げた美羽の目には、大粒の涙が光っていた。
彼女はそのままつま先立ちになると、持子の首に腕を回し――。
『チュッ……♡』
持子の唇に、熱く、そして甘いキスを落とした。
「んんっ!?」
「ふふっ。私が帰ってくるまで、無理だとは思いますけど他の女にうつつを抜かしちゃダメですよ? 持子様」
小悪魔のように微笑むと、美羽はクルリと背を向け、風間楓の元へと夜の街を駆けていった。
***
夜の闇へ溶けていく美羽の小さな背中。
それを見送っていた金髪の絶世の美女、エティエンヌ・ド・ロシュフォール=ノクティスが、密かに指先を動かした。
『スゥッ……』
エティエンヌの足元の影が不自然に波打ち、そこから音もなく、漆黒の甲冑に身を包んだ一体の『影の騎士』が這い出した。
フランス裏社会の王にして、五百年の夜を支配した元・真祖の吸血鬼である彼女の、強力な眷属魔法だ。
エティエンヌは、紅く艶やかなルージュを引いた唇を微かに動かし、その影の騎士にのみ届く声で絶対の命令を下した。
「――行きなさい。そして、あの泥棒猫の影に潜み、護り抜くのです。ただし……彼女が『本当に死にそうな時』だけ助けるように。彼女自身の試練と成長を、決して奪ってはなりませんわよ」
『御意』
影の騎士は音のない返事を残し、蛇のようにアスファルトを這って猛スピードで美羽の後を追い、気づかれることなくその影の中へとスッと溶け込んだ。
「ふふっ、エティエンヌさんはお優しいですわね」
隣で見ていた豊穣の女神・アスタルテが、クスクスと微笑んだ。
「勘違いなさらないでちょうだい、アスタルテ」
エティエンヌは優雅に髪をかき上げる。
「持子様が深く愛していらっしゃるものを、万が一にも喪わせるわけにはいきませんから。わたくしなりの、持子様への忠誠ですわ」
「ええ、分かっておりますとも。我が神は、本当に愛されていますわね」
そんな規格外の下僕二人の密かなやり取りなど露知らず。
「……行ってしまったな」
持子は夜空を見上げて、ぽつりと愚痴をこぼし始めていた。
唇に触れると、まだ美羽のリップの甘い香りが残っている。
「……そういえば、鮎もいないんだったな」
『はぁ……』と、絶世の美少女らしからぬ重いため息が漏れる。
「第一下僕の鮎は、主演映画のプロモーションで日本全国を回るからしばらく会えん。ルージュの奴も、一緒に飛び回っておるし。シャーロットも朔夜も、合気武道部のひよっこ共の移籍やらなんやらの手続きで、連日徹夜で事務仕事だ。……雪も、社長としてわしのわがままのために、必死で働いてくれているというのに……」
極黒の魔王は、完全にしゅん……と肩を落とし、迷子になった犬のようにうなだれた。
「なまら寂しいぞ……。結局、今わしの側に残っているのは、エティエンヌとアスタルテだけかー……」
すると。
『スッ……』
持子の両脇から、極上の香水の匂いと共に、二つの豊満で柔らかな感触がピタリと寄り添ってきた。
「あらあら。持子様、わたくしたち『だけ』とは、随分と寂しいことをおっしゃいますのね?」
右腕に抱きついたエティエンヌの妖艶な微笑みは、夜の闇よりも深く甘い。
「そうですわ、我が神。泥棒猫や忠犬がいない今こそ、わたくしたちの真価をお見せする時ですわ♡」
左腕に絡みついたアスタルテの規格外の神乳が、持子の腕を心地よく、そして強烈に圧迫している。
「持子様が少しでも寂しくないように……今夜はわたくしたち二人で、朝までたっぷりと『奉仕』させていただきますわ」
「ええ。持子様のその素晴らしい魔力、わたくしたちの隅々にまで注ぎ込んでくださいませ……♡」
絶世の美女二人から耳元で囁かれ、甘い吐息を吹きかけられた瞬間。
(……おおおっ!? これはこれで、なまら最高ではないか!!)
持子の中のスケベなオッサン(董卓)の血が、大歓声を上げて完全復活を果たした。
寂しさなど一瞬で宇宙の彼方へ吹き飛び、持子は黄金の瞳をギラギラと輝かせた。
「ふ、ふははははっ! うむ! そうだな! 貴様らの忠誠心、しかと受け取ったぞ! さあ、我が城へ帰るぞ!」
「「はいっ、持子様♡」」
秋風が吹き抜ける東京の夜。
有能な下僕や仲間たちがそれぞれの場所で己を磨き、忙しく駆け回る中。
極黒の魔王は、美羽の無事を密かに担保した規格外の美女二人という最強の布陣を引き連れ、鼻の下を限界まで伸ばしながらホクホク顔で帰路につくのであった。




