合気武道部 ―裏世界オリエンテーション
【合気武道部2】
「まずは、この世界の『裏側』の話から始めましょう」
重厚な一枚板のテーブルを囲む合気武道部の面々を見渡し、立花雪は静かに、しかしよく通る声で語り始めた。
「あなたたちもテレビや映画で見たことがあるでしょう? 幽霊、怨霊、妖、妖怪……西洋で言えば悪魔、吸血鬼、ワーウルフといった『オカルト』と呼ばれるモノたち。――結論から言うと、これらはすべてこの世に実在します」
「えっ……」
高橋玲央が息を呑み、阿部凛花が「ひっ」と短く悲鳴を上げた。
「じ、実在するって……冗談ですよね?」
佐藤陽翔が引き攣った笑いを浮かべるが、雪の瞳は一切笑っていなかった。
「冗談ではありません。ただ、普通に暮らしていれば遭遇することは稀です。ある種の能力や体質、強い霊感を持つか、特殊な訓練を積んだ者でない限りは、生涯関わることのない別世界の話ですから」
雪はタブレットを操作し、テーブルの中央にホログラムの東京の地図を投影した。その中心部――地下深くが、どす黒い靄のようなもので覆われている。
「ですが、状況は変わりつつあります。現在、東京の地下には『魔気』と呼ばれる、これらの異形のモノたちを活性化させるエネルギーが溢れ出しているの。いわゆる『東京ダンジョン』の発生です」
「東京、ダンジョン……」
南原紗良が、眼鏡を押し上げながらゴクリと喉を鳴らした。
「魔気の濃度が上がったことで、街には低級の霊や妖が溢れ出しました。そしてそれに呼応するように、それらを『狩る人間』や、あなたたちのように未知の能力に『目覚める者』が急増しているの」
雪の表情が、一段と厳しくなる。
「――何の前触れもなく裏の世界に目覚めた者たちの末路は、決して明るいものではありません。裏社会の組織に強制的にスカウトされるか、力を恐れた者に殺されるか……あるいは、強大な霊に喰い殺されるか。そのどれかです」
「くっ……殺される、だと……」
無口な門蒼真が、無意識に拳を強く握りしめた。
主将の千手美貴と副主将の森盛夫も、武術家としての本能からか、背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。未知の脅威が、すでに自分たちのすぐ傍まで迫っているのだと理解したからだ。
雪の言葉の重さに会議室が静まり返る中、雪はフッと表情を緩めた。
「でも、安心しなさい。あなたたちは、持子の魔力にあてられて覚醒してしまったけれど……結果的に見れば、とても『運が良かった』のよ」
「運が良かった……ですか?」
千手が尋ねる。
「ええ。訳も分からず、たった一人で裏の世界に放り込まれるわけではないからです。あなたたちには、私たち『スノー』がついています」
雪は、胸を張ってふんぞり返っている持子を見た。
「ふはははは! その通りだ! わしという最強の魔王が、お前たちを絶望の淵から掬い上げてやったのだ! 感謝するが良い!」
(……本当はわしのせいで巻き込んだからなまら焦っていたのだがな! 雪が上手くまとめてくれて助かったわい!)
持子は傲岸不遜な態度を崩さないまま、内心で雪に土下座する勢いで感謝していた。
「そういうこと。だから、あなたたちにはこれから、この安全なスノーの庇護下で、裏の世界の常識を『座学』で学んでもらいます」
雪が視線を向けると、銀髪の美少年、土御門朔夜がスッと立ち上がった。
「紹介が遅れました。僕……いや、俺は陰陽庁という国家の裏組織から出向してきている、由緒正しき陰陽道の大家『土御門家』の次期当主にして天才陰陽師です。これからは俺が、オカルトの基礎から対処法まで、きっちり頭に叩き込んでやるから覚悟しろよ?」
朔夜が俺様スマイルを向けると、佐藤が「うげっ、国家の陰陽師ってマジかよ……」と呆然と呟いた。
「それから、私からも一つ言っておきますわ」
ピンク髪のダイナマイトボディ、本多鮎が立ち上がり、インテリジェンスを感じさせる鋭い視線を阿部たち芸能科の三人に向けた。
「阿部さん、高橋さん、南原さん。あなたたちはスノーに移籍しましたが、裏社会の常識や己の身を護る術を身につけるまで、一切の『芸能活動』は控えてもらいますわ。オーディションもレッスンも、当面はすべて休止です」
「そ、そんな……!」
高橋がショックで顔を青ざめさせる。次期エースと期待されていた彼女にとって、活動休止は死活問題だ。
「不安になる気持ちは分かります」
雪が優しくフォローを入れる。
「ですが、テレビ局や撮影スタジオは、人の情念が渦巻く『霊の吹き溜まり』のような場所が多いの。中途半端に覚醒した状態で放り込めば、どんな事故が起きるか分かりません。まずは、突然死なないために勉強してください」
「突然死なないため……」
阿部が震える声で復唱した。
「ええ。命あっての物種です。でも約束するわ。座学と基礎訓練がすべて終わったら、あなたたちの芸能活動は、株式会社スノーが全責任を持って、これまで以上に強力に支援・プロデュースします。表の世界でも、裏の世界でも通用する、一流の人間になるように指導するわ」
雪の、絶対的な自信と包容力に満ちた言葉。
その力強い眼差しに、不安で揺れていた高橋や南原の目にも、次第に強い光が宿り始めた。
「……分かりました。信じます、社長」
高橋が深く頭を下げた。
「よろしい。今後の座学は、陰陽師の朔夜くんと、現役早大生でもあるインテリタレントの本多さんが担当します。技術的なことや実践訓練は、追々持子たちから教えてもらいなさい」
「俺様と鮎さんの最強インテリコンビの授業だ、光栄に思えよ!」
「持子様のためなら、この本多鮎、教育係でも何でもこなしてみせますわ!」
朔夜と鮎が自信満々に胸を張る。
「ワタクシ、オチャ、イレマスワ……」
後ろで控えていたシャーロットが、カタコトでひっそりと自己主張をした。
「では、私は別の仕事があるからこれで失礼するわ。持子、あとは任せたわよ」
「うむ! 任せておけ雪!」
部員たちに今後の明確な道筋を示した立花雪は、ピンと伸びた背筋で優雅に背を向け、会議室から出て行った。
残された七人の合気武道部員たちは、自分たちが足を踏み入れた世界の途方もない広さと深さに、興奮と恐怖の入り混じった熱い息を吐き出すのだった。
社長の立花雪が会議室を出て行き、重厚な扉がカチャリと閉まった瞬間。
「……ふぅ。雪さんが退室したってことは、ここからは俺様のターンだな」
それまで背筋をピンと伸ばし、完璧な「優等生の僕」を演じていた土御門朔夜が、ネクタイを少し緩め、ニヤリと傲岸不遜な笑みを浮かべた。
その一人称は「僕」から「俺」へと完全に切り替わっている。
「えっ……なんか、急に態度デカくなってないですか?」
高橋玲央が目を瞬かせる。
「ふははは! 驚くのも無理はない。こやつは雪の前でだけ猫を被っておるが、本来は自信満々で生意気な『俺様』気質の男なのだ!」
上座にふんぞり返った持子が、面白そうにカラカラと笑った。
「うるせえぞ、持子。……さて、ひよっこ共。ここからは俺と鮎さんで、このイカれた裏世界を生き抜くための基礎知識を頭に叩き込んでやる」
朔夜は持子を呼び捨てにすると、『バサッ!』と分厚い黒革のファイルをテーブルの中央に放り投げた。
横に立つ本多鮎が、その中から数枚のプリントを取り出し、合気武道部の七人に配っていく。
「今配った資料は、国家と裏社会の極秘情報が詰まった超重要機密ですわ」
鮎がインテリジェンスを感じさせる冷たい視線で、一年生たちを見下ろした。
「絶対に『持ち出し不可』。スマホでの撮影も禁止。もし紛失したり外部に漏らしたりすれば、物理的な抹殺の前に、朔夜くんの陰陽術で末代まで呪われますわよ」
「ひぃっ!?」
佐藤陽翔と阿部凛花が、配られた紙をブルブルと震える手で受け取る。
「ビビらせすぎだ、鮎さん。……さて、まずは歴史からだ」
朔夜はホワイトボードの前に立ち、マーカーペンを回しながら話し始めた。
「東京の地下には、『霊脈(龍脈)』と呼ばれるオカルトエネルギーの巨大なパイプラインが張り巡らされている。放っておけば大爆発を起こすこのエネルギーを、江戸時代に徳川家康たちが増上寺などを拠点に封印した。それが『将軍守護結界』だ」
「将軍守護結界……日本史の裏に、そんなオカルトチックな事実が……」
玲央が真剣な表情で、配られた資料の余白に猛スピードでメモを取る。
「だが、時代は進む」
朔夜の目が鋭く光った。
「戦前、富国強兵の裏側で、国家はなんとこの霊脈を軍事転用しようとした。その極秘機関の名が、『大日本帝國 陸軍第九式・霊的國防機関【八雷神】』だ。陰陽道や密教を科学的に解析し、呪術兵器や人造霊能兵士を開発していたイカれた連中さ」
「ぐっ……国家が主導で、人間を兵器に……?」
無口な門蒼真が、眉間を深く寄せて唸る。
「……論理的ですね。目に見えない力を兵器転用できれば、圧倒的な軍事的優位に立てますから」
南原紗良が、眼鏡を押し上げながら冷静に分析した。
「しかし、敗戦と共にGHQによって【八雷神】は解体された。その結果、管理者を失った帝都は、東京大空襲の絶望も相まって史上最悪の『百鬼夜行(霊的パンデミック)』に陥ったんだ」
朔夜はホワイトボードに『百鬼夜行』と大きく書き殴る。
「国に再建の余裕はなかった。そこで、生き残った霊能者たちが自然発生的に『霊的自衛団』を結成し、血みどろの悪霊退治を行った。……それが、現在の裏社会を牛耳る『クラン』のルーツだ」
「へぇー、じゃあ今はその『クラン』ってやつが、東京を守ってるの?」
主将の千手美貴が、興味津々といった様子で身を乗り出す。
「半分正解で、半分間違いですわ」
鮎が補足するように口を開いた。
「かつては内閣府直属の第七神祇課、通称『彼岸花』という国家機関が裏の窓口となり、多種多様な民間クランに『クエスト(依頼)』として指示を出していましたの。ですが……」
「現在は、その『彼岸花』が著しく弱体化している」
朔夜が鮎の言葉を引き継ぎ、真剣な顔で告げた。
「政府の連中は事なかれ主義で現場を理解しちゃいない。その結果、今は俺たちが出向している『TIA(高田馬場囲碁愛好会)』が、彼岸花に代わって裏社会の調整やクエストの割り振りを実質的に担っている状態だ」
「じゃあ、いよいよ現在の東京霊脈防衛戦線を支える『主要七クラン』について説明するぞ。資料の2ページを開け」
朔夜の指示で、部員たちが一斉に紙をめくる。
「1つ目。……『高田馬場囲碁愛好会』」
「……ぶっ!」
張り詰めていた空気の中、陽翔がたまらず吹き出した。
「た、高田馬場囲碁愛好会!? なにその近所のジジイの集まりみたいなダサい名前! 略してTIAって書いてあるけど、絶対無理あるだろ!」
『ガンッ!!』
朔夜がホワイトボードを強く叩き、ドS全開の冷ややかな目で陽翔を睨み下ろした。
「笑うな、三流。……そのクランこそが、彼岸花の役割すら飲み込もうとしている現在東京で最強の武闘派ギルドだ」
「えっ……」
「名前はふざけているが、その実体は、戦前に解体されたあの『八雷神』のデータや研究成果を密かに回収・管理している唯一の組織だ。呪術兵器を現代技術で実用化しており、他組織を圧倒する火力を誇る」
「ふはははは! 陽翔よ、笑うのも無理はないが、朔夜の言う通りだぞ!」
持子が嬉しそうに口を挟んだ。
「そのTIAのトップ、『風間助平』はな、わしのことが大好きでたまらない限界オタクの白髭ジジイなのだ! 頼めばいつでもミサイルを撃ってくれるぞ!」
「……ミ、ミサイル……? 囲碁愛好会が……?」
凛花が、あまりのスケールのバグり具合に顔を引き攣らせた。
「2つ目。『古神道結社・八咫烏』。日本の霊脈管理における『正統』を自認するエリート集団だ。軍事色の強いTIAとは激しく対立してきたが、今は政略結婚により休戦状態にある」
「おお! それは葉室桐子と鶴子の実家だな!」
持子がまたしてもドヤ顔で割り込む。
「わしは桐子を『桐子お姉さん』と呼んで慕っておるし、次期トップ候補の風間洋助は、わしを口説いてきたタラシだぞ!」
「……持子先輩の人脈、どうなってるんですか……」
玲央が、メモを取る手を止めて呆然と呟いた。
「次に行くぞ。3つ目『鳳翼山伏衆』。修験道の能力者集団で、強靭な肉体に霊気を纏わせる『金剛法』の使い手だ」
「4つ目『曼荼羅浄土門』。密教系の仏教連合で、強力な浄化結界を張る能力に長けている」
「5つ目『聖三条騎士団』。キリスト教系のクランで、エクソシズム(悪魔祓い)に長けている連中だ」
「そして6つ目。俺の本来の所属でもある、陰陽庁執行部『六壬』だ。伝統的な陰陽道を現代に最適化させた公的な組織であり、各クランが暴走しないよう監視する『監査役』の役割も担っている」
「最後に7つ目、『龍胆組・霊学会』。暴力団から発現した能力者や、クランを追放されたはぐれ者の集まりだ。呪薬などの禁忌を平然と使うため、実力者でも不意を突かれる厄介な連中だ」
流れるような説明を終え、朔夜はふぅと息を吐くと、ホワイトボードにさらに新しいキーワードを書き殴った。
それは『東京ダンジョン』と『魔石』という言葉だった。
「……ここからが、今、一番リアルで危険な話だ」
朔夜の声のトーンが一段と低くなる。
「現在、東京の地下には巨大な『東京ダンジョン』が形成され、そこから濃密な『魔気』が溢れ出している。その影響で、昔は滅多にお目にかかれなかった低級の霊やモンスターが、地上にも頻繁に現れるようになった」
「て、低級のモンスターが、地上に……?」
陽翔が青ざめた顔でゴクリと唾を飲み込む。
「ああ。しかも問題はそれだけじゃない」
朔夜は手に持ったマーカーでホワイトボードをコンコンと叩いた。
「ダンジョンや地上で発生したモンスターを倒すと、『魔石』と呼ばれる高純度のエネルギー結晶がドロップするようになったんだ。……この魔石が、今、裏社会でとんでもない高値で取引されている」
「魔石が、お金になるってことですか……?」
凛花が不安そうに尋ねる。
「そうだ。強力な呪具の素材にも、霊薬の材料にもなる、文字通りの『金塊』さ。……そして、金と力が手に入るとなれば、どうなるか分かるか?」
朔夜は、道場育ちの一年生たちを鋭い目で見回した。
「……世界中から、それを狙うハイエナどもが集まってくる、ですか」
蒼真が低い声で答えた。
「その通りだ。今、東京には世界中の裏社会から、魔石を狙う有象無象のゴロツキ、暗殺者、非合法の傭兵部隊が続々と集結している。霊やモンスターよりも、欲望に駆られた『人間』の方がよっぽどタチが悪いし、危険な状態なんだ」
重苦しい空気が、広い会議室を包み込んだ。
自分たちが足を踏み入れたのは、ただお化けを退治するだけの世界ではない。金と力、そして人間の欲望がドロドロに渦巻く、本物の修羅場なのだと、一年生たちは肌で感じ取っていた。
「……ふははは! なにを震えておる、ひよっこ共!」
持子が、その重い空気を吹き飛ばすように高笑いした。
「ゴロツキが集まろうが関係ない! 邪魔する奴らは、わしの極黒の魔力と合気武道で全員まとめて四方投げにしてくれるわ!」
「持子は相変わらず脳筋だな……」
朔夜がやれやれと肩をすくめながらも、不敵な俺様スマイルを浮かべた。
「いいか、お前たち。魔力で覚醒したとはいえ、お前たちはまだ裏の世界では赤ん坊同然だ。もし外でヤバい連中に目をつけられれば、骨の髄までしゃぶり尽くされて終わる」
朔夜は両手でテーブルにバンッと手を突き、一年生たちの顔を真っ直ぐに睨みつけた。
「今日教えたクランの勢力図、そして魔石を狙うハイエナどもの存在。……死にたくなければ、しっかり覚えておけよ」
その凄みのある言葉に、合気武道部の一年生たちは背筋を凍らせながらも、「はいっ……!」と強く、確かな覚悟を持って頷いたのだった。




