【学園祭4】
【学園祭4】
「……では、これにて私の『個人的な用件』は終わります」
先ほどまでの部室の空気を凍りつかせていた絶対零度の『修羅モード』から一転。
風間楓は、まるで春の陽だまりのような、いつもの冷徹だが礼儀正しい一般科の女生徒の顔へとスッと戻った。
「私は本来、写真部の活動でこちらに伺ったんです。本番の演武の撮影位置や、照明の打ち合わせですね。……千手先輩、森先輩、よろしいですか?」
「ひっ!? は、はいぃぃぃぃっ!」
「……う、うす……っ!」
普段は合気武道部の頂点に君臨し、地獄の特訓を涼しい顔でこなす主将の千手美貴と副主将の森盛夫。
しかし、今の二人は、まるで蛇に睨まれたカエルのように直立不動となり、その声はガタガタと情けなく震えていた。
それもそのはずである。彼らは合気武道の達人と言っても過言ではない実力者だからこそ、先ほどの楓から放たれた『凄まじい殺気』の底知れなさを、嫌というほど本能で理解させられてしまったのだ。
(((か、勝てない……! 束になってかかっても、コンマ一秒で首を刎ねられる……!)))
達人ゆえの悲しき直感。圧倒的な格上の存在を前に、二人はペコペコと頭を下げながら、楓と演武の打ち合わせを進めることしかできなかった。
一方、その極度の緊張感から解放された持子はといえば。
「よし! ひよっこ共、開店準備の続きだ! 毛氈のシワを伸ばせ! ぜんざいの仕込みはどうなっておる!」
すっかり普段の尊大な『魔王』の態度に戻り、道着の袖を捲り上げて一年生たちをこき使っていた。
(……立ち直りが早すぎる)と、一年生全員が心の中でツッコミを入れたが、誰もそれを口にする余裕はなかった。
やがて。
「……はい。では、明日のカメラの配置はこれでお願いします。打ち合わせは以上です。本番、期待しておりますね。失礼致しました」
ペコリと一礼し、楓が部室から出ていく。
その足音が廊下の奥へと完全に消えた、次の瞬間。
「「「「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………ッッッ」」」」」
部室にいた千手、森、そして一年生全員が、糸が切れた操り人形のように床へと崩れ落ちた。
「し、死んだ……死んだと思ったぁぁぁっ……!」
「あんなの、人間が放っていいオーラじゃないっすよ……寿命が十年縮んだっす……」
千手と佐藤が、青ざめた顔で畳に突っ伏す。
しかし、その極限の恐怖体験は、彼らの中に『ある劇的な変化』をもたらしていた。
「……もう、何も怖くないです」
プライドが高く完璧主義の高橋玲央が、虚ろな瞳で宙を見上げながら呟いた。
「ええ。霊なんて、もうどうでもいいです。あんなおぞましい低級霊が百匹出てこようが、さっきの風間先輩の殺気に比べれば、そよ風のようなものです」
冷静な毒舌家・南原紗良も、深く頷いた。つい数分前まで霊を見て「キャアア!」と悲鳴を上げて逃げ回っていたのが嘘のように、彼女たちの顔には悟りを開いた僧侶のような静けさが漂っている。
門や凛花、そして千手と森も同様だった。
持子の魔力によって霊的素養が『覚醒』した彼らは、今度は特級エージェントのガチの殺気を浴びることで『死の恐怖と克服』を経験し、精神的にさらなる【もう一段階の覚醒】を果たしてしまったのである。
***
一方、その頃。
「待て! 楓!」
部室を飛び出した持子は、廊下を歩く楓の背中を追いかけていた。
「ん? どうしました、持子先輩」
「す、すまなかった! そして……わしを責めぬよう、あやつらに言ってくれて! ありがとう!」
持子は勢いよく頭を下げた。
楓がいなければ、持子は完全に部員たちから怪しまれ、最悪の場合はTIAの監査が入っていたかもしれないのだ。
顔を上げると、楓はふんわりと、それはそれは優しく、にこやかな笑顔を浮かべていた。
(おおっ! 楓が笑っておる! よかった、許されたのだな……!)
持子が安堵の息を漏らそうとした、まさにその時。
「――なら、『お姉さん』と呼びなさい!」
「へ……?」
「へ、じゃありません! お姉さんです!!」
ビシィッ! と楓の細い指が、持子の鼻先を突き刺した。にこやかな笑顔のまま、その瞳の奥にはドス黒いマグマが煮えたぎっている。
「大体、持子先輩はいつもいつも、何度も私に尻拭いさせれば気が済むんですか!? 面倒事を引き起こすわ、敵に攫われるわ、その度に私が命を救いに行ったり……! ほんとにもう!」
「ぐぅっ……!」
「魔王を自称しているくせに、やってることはただの『手のかかるお姫様』じゃないですか! めっ!!」
「め、めっ、て……」
年下の後輩から「めっ!」と本気で説教される極黒の魔王。
そのあまりの情けなさに、持子はシュンと身体を小さくした。
「す、すまぬ……。わしが不甲斐ないばかりに……。だ、だが、お姉さん呼びだけは許してくれ! 絶世の美女たる魔王のプライドが……!」
「なら、TIAにこの件をすべて報告しますよ?」
「ひぃぃっ!? か、楓、いや、楓ちゃんで! 楓ちゃんではだめか!?」
持子は涙目で両手を合わせ、必死に命乞いをした。
楓は腕を組み、「ふむ」と少しだけ考える素振りを見せた後、パチンと指を鳴らした。
「……いいでしょう。では、呼びなさい」
「……え?」
「ほら、『楓ちゃん』です」
廊下の静寂の中、年下の後輩から屈辱の要求。
持子は顔を真っ赤にして、モジモジしながら小声で呟いた。
「……か、楓ちゃん」
「声が小さい!!」
「ビクゥッ!?」
楓の容赦ない檄が飛ぶ。
持子は覚悟を決め、黄金の瞳をギュッと瞑って、廊下に響き渡る大声で叫んだ。
「か、楓ちゃん!!!」
『ポンッ』
「……よし!」
満足げに頷いた楓は、持子の黒髪をまるでよくできた犬を褒めるかのようにポンポンと優しく撫でた。
「わしは犬か! 頭を撫でるな!!」
顔から火が出るほど赤面し、抗議の声を上げる持子。
しかし、楓はクスクスと笑いながら、すでにクルリと背を向けて階段の方へと歩き出していた。
「ふふっ。では、演武の撮影、頑張りますから。持子先輩も、粗相のないように気をつけてくださいね」
「う、うぐぅぅぅ……っ」
圧倒的な実力差と、圧倒的な精神的優位。
合気武道部の出し物の裏側で、極黒の魔王・恋問持子は、最強の後輩の掌の上で完全に転がされ続けるのであった。




