【東京ダンジョン11】
【東京ダンジョン11】
ゴゴゴゴゴゴォォォォ……ッ!!
東京の地下深くに開いた『指定地下ダンジョン』。そこから絶え間なく溢れ出す莫大な魔力――濃密な『魔気』は、分厚い地殻を透過し、ついには地上の東京全域にまで不可視の波紋(共鳴)を広げていた。
ピキ……ッ、ピキキキキッ!
空間の理が軋みを上げ、現実に亀裂を入れる音。
これまで霊的な素養がなければ視認すらできなかった「霊」や「怨霊」、さらには実体を持った「妖」や「悪魔」、「妖怪」といった魔物たちが、白昼の帝都の路地裏や廃ビルにポツポツと姿を現し始めたのだ。
ギィィィィィッ!!
「グルルルル……ッ」
異形の咆哮が響く。だが、それらは地下の最深部で蠢くような絶望的なバケモノではない。地上に現れる魔物は、ダンジョンの影響を受けて発生したとはいえ、はるかに低級で弱い個体ばかりだった。
ズバァァァァンッ!!
路地裏で這いずる低級の魔物を、鋭い刃が両断する。
チャリン……、コロコロ……。
消滅した魔物の死骸から転がり落ちたのは、小指の先ほどの小さな『魔石』。
「ヒャハハハ! 小せぇが、純度は悪くねぇ! これでも裏のマーケットじゃ相当な値がつくぜ!」
「ダンジョンの中には入れねぇが、地上でこいつらを狩るだけでもボロ儲けだ!」
地下のダンジョンへの立ち入りを許されなかった裏社会の能力者たちや、一攫千金を狙うはぐれ者たちが、地上に湧く魔物を狩る『ハンター』として東京に集結していた。地下で採れる特大の魔石に比べれば豆粒のようなサイズだが、それでも現代のエネルギー産業においては天井知らずの価値がある。
さらに、この異常な環境要因である濃密な『魔気』は、思いもよらない副産物を生み出していた。
バチバチバチッ!
「な、なんだよこれ……俺の手から、電撃が……!?」
原因は他でもない。ダンジョンから地上へ溢れ出した『魔気』に人体が直接中てられ、一般の人間の中から突如として『能力』に目覚める者たちが続出し始めたのだ。
TIA、各クラン、そして国家機関は、これら新たに発現した能力者たちを水面下でいち早くスカウト、あるいは「保護」するという名目で囲い込みを始めていた。
地上の東京は今、かつての平穏な大都会から、暴力と富が入り交じる未曾有の特区へと変貌を遂げつつあった。
【TIA前線司令部――地下要塞】
ピーッ、ピーッ、ガガッ……。
カチャカチャカチャカチャッ!!
無数のホログラムディスプレイが青白い光を放ち、絶え間なく通信とデータが飛び交う作戦室。
その中心で、司令官の革椅子に深く腰掛ける風間洋助は、鋭い眼光で巨大な東京全域の3Dマッピングを睨みつけていた。
「……地上の魔物発生率は、現状維持か」
洋助が、手元のコンソールを操作しながら低く呟く。
「ええ、洋助さん。ある程度の発生は続いていますが、すでに防衛・治安維持システムは順調に稼働していますわ」
洋助の傍らに立つ、百合の花のような気品を漂わせる白髪の美女――参謀である葉室桐子が、極上の微笑みを浮かべて報告した。彼女の手元のタブレットには、地上で蠢く魔物の反応が次々と緑色の「処理済み」シグナルへと変わっていく様子が映し出されている。
「それに、地上は私たちTIAがすべてを抱え込む必要はありませんもの。……あのシステムが、完璧に機能していますわ。ねえ、霞さん」
桐子が涼やかな声音で視線を向けた先。そこには、分刻みで構築されたエクセルの予定表を片手に、銀縁メガネを押し上げる一人の男の姿があった。
「その通りだ。地上のデータ推移は、完全に私の構築した計算モデルの誤差範囲内に収まっている」
元・内閣府直属第七神祇課「彼岸花」のエリート工作員であり、現在はTIA特級エージェントとして名を連ねる霞涼介である。
彼は国家の予定表を投げ打って持子との友情を選びTIAへ移籍した後、パリの死闘、そして今回の東京ダンジョンでの苛烈な活躍を経て、目覚ましい成長を遂げていた。超合理主義にして対霊CQCの達人である彼は、今や洋助の「右腕」と呼ぶに相応しい副官の座に就いており、彼の完璧な実務サポートによって、参謀である桐子の負担は劇的に減少していた。
「洋助指令、桐子参謀、霞副官! 地上のデータと相関図、まとめ終わりました!」
作戦室の奥から、キッズラインの可愛らしい服を着た「天才電脳少女」風間高子が、キーボードから手を離し、空中に巨大なデータグラフを展開する。
「ご苦労、高子。……説明してくれ」
洋助が労いの視線を向けると、高子は得意げに胸を張った。
「はい! まず、ダンジョンでの過酷な対霊訓練を終えた『警察特殊部隊』が、地上任務へと完全復帰しました。彼らには最新の魔術工学兵器を支給し、一般市民を護る『地上の盾』として運用する方針がガッチリと固まっています」
高子の指先が踊ると、ホログラムに重武装の警察部隊が魔物を制圧する映像が浮かび上がる。
「そして、地下のダンジョンは……完全に『クラン、フランス、アメリカ勢』、そして認可された『ハンター』たちのテリトリーです。彼らが欲望のままに魔物を狩り、巨万の富と資源を生み出し続ける『金の戦場』として機能しています」
「……ハンターの認可状況は、どうなっている?」
洋助が尋ねると、霞が銀縁メガネを光らせて一歩前に出た。
「地下への立ち入りを許可された国内の賞金稼ぎたちは、我々TIAが設定した『厳格な実力試験』を突破し、なおかつ国内での確かな実績を持つ者のみに限定している。質の低い有象無象が潜れば、即座に死体の山が築かれるからな」
霞は手元の端末を操作し、契約書のフォーマットをモニターに映し出す。
「加えて、彼らには情報漏洩を防ぐための強固な秘匿契約(NDA)を交わさせている。……もっとも、人の口に戸は立てられん。金で動く連中である以上、ある程度の情報の拡散は避けられないと判断し、それすらも『織り込み済み』で被害を最小限に抑える契約内容にしてある」
「あえて、地下の無法地帯はそのままにしているということだな」
洋助が顎を撫でる。
「その通りですわ、洋助さん」
桐子が上品に頷き、言葉を引き継ぐ。
「ただし、ただ無条件に掘らせているわけではありませんわ。地下ダンジョン維持の名目で、彼らが地下で得たアイテムや魔石には厳格な徴収をかけています。各クラン、賞金稼ぎ、そしてベアトリス率いるフランスの『リュクス・アンペリアル(リジュ)』からは利益の1割。……強引に首を突っ込んできたアメリカの『エクリプス』からは、利益の5割を徴収するシステムです」
「5割、か。向こうからすれば暴利だろうが、ダンジョンという金脈の旨味がある限り、決して手は引かないだろうな」
「ええ。それに、人工霊脈濾過システム――通称『大禍つ炉』が産み出す莫大な利益の3割は、リジュに還元する契約になっています。彼女たちからの大規模な資金提供と武力提供が無ければ、東京は確実に滅んでいましたから。リジュを率いるフランスとは、今後も良き同盟国として関係を構築すべきですわ」
洋助は小さく息を吐いた。
傍目には、TIAがダンジョンの莫大な利益を不当に専有しているように見えるだろう。だが現実は違う。
ダンジョンの物理的・魔術的な管理維持、地上の治安維持システムへの投資、賞金稼ぎたちへ支払う報奨金、新時代の対霊兵器や武具の研究開発、そして次々と覚醒する有能な人材の確保と育成――。
湯水のように消えていく莫大な経費を賄うためには、この血も凍るような苛烈な経済システムを回し続けるしかなかった。
「……それにしても、アメリカのエクリプスか」
洋助の脳裏に、数日前にTIA本部で行われた「形式上」の挨拶の光景が蘇る。
カツッ、カツッ……。
磨き上げられた本部の廊下を歩いてきた男――エクリプス司令官、ヴィンセント・オーウェン。
彼は、清廉潔白な正義の味方などでは断じてなかった。
『――お初にお目にかかる。エクリプス司令官、ヴィンセント・オーウェンだ。極東の防波堤として、貴国が果たす役割には大いに期待しているよ』
代表である祖父・風間助平と、現場司令官である洋助の前に立ったヴィンセント。整った顔立ちに冷たい笑みを貼り付けたその瞳の奥には、自らの目的のためには手段を一切選ばない、冷徹で知略に長けたマキアヴェリストとしての底知れぬ暗い炎が揺らめいていた。
表向きは国家間の同盟。だからこそ、TIAもある程度は彼らにダンジョンの利権を融通せざるを得ない。だが、少しでも隙を見せれば一瞬で喉首を食い破られるだろう。
「アメリカとは極力距離を置きたいが……同盟がある以上、あのヴィンセントの動向には細心の注意が必要だな」
「データに基づく客観的な分析としても、彼は極めて危険な劇薬だ」
霞が真顔で同意する。
「分刻みで構築した平穏なスケジュールを、平然と破壊しかねない要素を持っている。警戒レベルは最大に保つべきだろう」
「おっしゃる通りですわ」
桐子も深く頷き、再び地上の話題に戻る。
「もし地上で警察の手におえない重大事件……ネームド級の強力な魔物が発生した場合は、私たちTIAが即座に『高額懸賞金』を設定します。そうすれば、噂を聞きつけて東京に集まってきた野心あるハンターやクランが、我先にと群がり、勝手に討伐してくれますわ。彼らを便利な『遊撃戦力』として活用するシステムです」
「……なるほどな。金と名誉で釣って、地上の掃除をさせるわけか」
「ええ。それでも対処不能な最悪の事態が発生した時にのみ、楓たちTIAの精鋭部隊、あるいは国家の自衛隊が出動する……この三段構えの防衛網により、私たちの負担は劇的に軽減されていますわ」
桐子と霞が完璧に構築した戦略眼に、洋助は頼もしげに短く息を吐いた。
「ダンジョンの資源が新たな武具と巨万の富を生み出し、その富がさらなる強者を東京に呼び込む……。そして地上では、新米のハンターや魔気によって新たに覚醒した若い能力者たちが、弱い魔物を相手に実戦で鍛え上げられ、結果として強固な新たな防衛網を形成していく」
洋助は立ち上がり、作戦室のメインモニターに映し出される、ネオンと魔力光が入り交じる東京の夜景を見つめた。
「『欲望』、『恐怖』、そして『怨念』……。かつては忌み嫌われていたそれらすべてを、この都市を運営するためのエネルギーとして喰らい尽くし、利用してやる」
洋助の瞳に、極北の氷のような冷酷で鋭い指揮官の光が宿る。
「今の帝都・東京は、危険と繁栄が背中合わせに共存する……まさに『魔境の心臓』へと変貌したな」
「ええ。……すべては、あなたの描いた絵図面通りですわ、洋助さん」
桐子が、愛おしそうに洋助の背中を見つめた。
カツッ……。
作戦室の自動ドアが開き、報告を終えたオペレーターたちが足早に持ち場へと戻っていく。張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ弛緩した。
「……ふぅ」
洋助は小さく息を吐くと、指揮官の険しい顔から、爽やかで気さくな好青年の顔へと戻り、桐子の方へ振り返った。
「お疲れ、桐子。……顔色が悪いな。無理したんじゃないか?」
洋助は、愛する婚約者の白髪をそっと撫で、その頬に優しく手を添えた。
「……平気ですわ。洋助さんが隣にいてくださるなら、どんな過酷な盤面でも、私は完璧に采配を振るってみせます」
桐子が、洋助の手に自身の頬を擦り寄せながら、とろけるような極上の笑顔を見せる。
「ありがとうな。お前のおかげで、ようやくこの狂った状況も安定してきた。……有能な人材も次々と集まってきているしな」
洋助は、モニターの端に映る、地上で暴れ回る持子や下僕たち(と、それに振り回されるクランの連中)の映像をチラリと見て苦笑した。
「ええ……本当に、騒がしいシステムになりましたわね」
桐子もクスクスと上品に笑う。
「……だが、これでようやく」
洋助は桐子の手を取り、その薬指をそっと親指でなぞった。彼の瞳には、どんな状況でも婚約者の桐子を深く一途に愛し抜く、絶対的な熱がこもっていた。
「……予定通り、俺たちの結婚式は無事に挙げられそうだな」
洋助の無自覚にロマンチックで甘いセリフを真顔で放つその態度に、桐子の頬がカッと朱に染まる。
「……っ。もう、洋助さんたら……こんな作戦室のど真ん中で……」
百合の花のような大和撫子が、年相応の恥じらいを見せて俯いた。
「ん? 事実を言っただけだが?」
天然で気さくな好青年は、不思議そうに首を傾げる。
「あぁもう! 洋助指令も桐子参謀も、イチャイチャするのは仕事が終わってからにしてください! データ処理が追いつきません!」
高子が頬を膨らませて抗議の声を上げる。
「高子の言う通りだ。データに基づく客観的な事実として、作戦室の中心での過度なスキンシップは、周囲のオペレーターの業務効率を著しく低下させる。……予定表に『婚約者との逢瀬』の時間を組み込んでおこう」
霞が大真面目な顔でメガネを押し上げながら、エクセルの表にカタカタと入力を始める。
「か、霞さんまでからかわないでちょうだい……っ!」
桐子が極上の笑顔のまま、少しだけ顔を赤くして睨みつけた。
魔境の心臓たる東京の地下深く。
血生臭い闘争と欲望が渦巻く世界の中枢で、彼らの紡ぐ確かな絆と愛、そして頼もしい仲間たちとの連携だけが、静かに、そして力強く未来へと向けて輝いていた。




