【東京ダンジョン6】
【東京ダンジョン6】
赤黒い瘴気が渦巻き、どこからともなく亡者のうめき声が響く『指定地下ダンジョン』の深部。
持子たちは、血の匂いと腐臭が立ち込めるグチャグチャとした岩肌の通路を、ピクニックにでも来たかのような余裕の足取りで進んでいた。
スタスタスタ……、ピチャッ、ピチャッ。
先頭を歩く持子は、退屈そうに首をポキポキと鳴らしながら、ふと背後を振り返った。
「なぁ、アスタルテ、シャーロットよ。わしはずっと疑問に思っておったのだが」
「あぁんっ、はいっ! 何でしょう、我が神!」
「ひっ! は、はいっ、ご主人様!」
持子に名前を呼ばれただけで、豊穣の女神は頬を紅潮させ、元大公爵の悪魔はビクッと肩を跳ねさせた。
「お前たち、昔は悪魔やら神やらとしてダンジョンを『作る側(運営)』だったと言っておったな。……そもそも、どうしてわざわざこんな面倒な迷宮など作るのだ? 運営側にとってのメリットは何なのだ?」
持子の素朴な疑問に、アスタルテは胸の前で両手を組み、少し懐かしむようにサファイアブルーの瞳を細めた。
「そうですね……。悪魔や神の陣営であった頃のわたくしたち運営側にとって、最大のメリットは多くの場合『エネルギーの回収』なのですわ」
アスタルテは、艶かしい指先を立てて解説を始める。
「まず一つ目は『感情や魂の搾取』ですわ。人間が未知の迷宮で恐怖を感じたり、絶望したり、あるいは死の間際に放つ強烈な感情……そして『魂』そのものを、ダンジョンの巨大な動力源として吸い上げるのです。極上の恐怖は、悪魔にとって最高の美酒でしたから」
「ふむふむ、なるほど」
「二つ目は『魔力の循環』。ダンジョン内にわざと人間を招き入れ、彼らが生き残るために必死で魔法を使ったり、あるいは無惨に死んだりすることで放出される『魔力』をダンジョンの壁や床が吸収し、ダンジョン自体をさらに巨大に成長・維持させるためのエコシステムですわ」
「三つ目は『資源の生成と管理』です。迷宮の奥深くに希少な宝石や魔法のアイテムを『餌』として配置し、欲深い人間を集めます。そして、罠や魔物でその人間を倒し、彼らが持ち込んだ強力な装備品や所持品をダンジョン側で『リサイクル』して、さらに凶悪な罠やモンスターを配置するための資金や素材にするのですわ」
アスタルテの生々しいダンジョン運営の裏話に、早大生のインテリ頭脳を持つ本多鮎が、眼鏡を押し上げる仕草(伊達だが)をして唸った。
「なるほど……。経済学における『富の再分配』や、自然環境における『循環システム』に極めて近い構造ですわね。人間の欲望を原動力にして、自動で拡大していく恐るべきビジネスモデル……」
「ええ、マスター鮎の仰る通りですわ」
影の中からルージュが顔を出し、腕を組んで頷く。
「だからわざわざ、分かりやすい宝箱なんていう『餌』を用意して、人間が勝手に死にに来るよう誘導するんですのね。三百年の時を生きる吸血鬼のわたくしから見ても、実によくできた搾取のシステムですわ」
エティエンヌも、真祖としての優雅な微笑みを浮かべて考察に加わった。
「ヨーロッパの裏社会を支配していた私から見ても、ダンジョンの役割はそれだけではありませんわ。今回の私たちがいるような突発的なダンジョンは、『世界バランスの調整』としての意味合いが強いはずです」
「世界バランスの調整、だと?」
持子が首を傾げる。
「ええ。いわゆる『安全弁』ですわ。溢れ出そうになった世界の莫大な魔力や穢れを、地上にばら撒くのではなく、一箇所に強制的に集めて中和・消費させるための巨大なゴミ箱……あるいは浄化槽としての機能です」
知的で高度なダンジョンの考察が飛び交う中、美羽は特製の戦闘服の裾を翻し、シャーロットの斜め前で鋭い視線を周囲に配っていた。
「シャーロット、あまり持子さんに近づかないでくださいね。私が護衛してるんですから、変な動きをしたら『七牙の短刀』で切り刻みますよぉ」
「ひぃぃっ! わ、わたくし、何も怪しい動きなどしておりませんわぁっ!」
美羽は怯えるシャーロットを威嚇した後、すぐに持子の方へ振り返り、甘ったるい声を出してすり寄った。
「持子さぁんっ、私、シャーロットの護衛、ちゃんとできてますよね? 泥棒猫の私を、いっぱいいっぱい褒めてくださいっ!」
スリスリスリ……っ
美羽が持子の腕に頬をすり寄せて甘える。
「うむうむ、美羽は良い子だ。よしよし」
持子は美羽のふわふわの茶髪を撫でてやった。
「では、シャーロットよ」
持子が声をかけると、シャーロットはビシッと背筋を伸ばした。
「この『東京大迷宮』も、その『安全弁』として出来たものなのか? 貴様の目で観てみろ」
「は、はいっ! ご主人様!」
シャーロットはアメジストの瞳をカッと見開き、空間の過去と成り立ちを読み取り始めた。
グォォォォォォ……ッ!
シャーロットの視界に、膨大な情報が濁流のように流れ込む。
「……観えましたわ! ご主人様、このダンジョンは、東京に降り積もった数千万の莫大な『穢れ』や『呪詛』が地下に一気に注ぎ込まれた結果、その圧倒的な闇と穢れの重圧によって、この世とあの世(魔界)との境界線が曖昧になって物理的に形成されたもののようですわ!」
シャーロットは額に汗を浮かべながら報告する。
「ふむ……。設定としてはよくある王道だな」
持子は腕を組み、いかにも限界オタクらしい不満げな顔でため息をついた。
「だがなぁ……漫画やアニメの世界だと、こういうダンジョンに入った途端、空中に『ピコーン!』と自分の『ステータス』とか『レベル』、『HP』なんかが見える便利な画面が出るものなのだが……。流石にそこまでの親切機能は無いのだな。なまら残念だ!」
持子のオッサン丸出しのゲーム脳な感想に、ピリッとしていた空気が一気に緩む。
「ふふっ……持子様ったら、可愛らしいですわ!」
「あはははっ! 持子さん、本当にそういうの好きですよねぇ!」
「我が神の無邪気な御姿……尊いですわっ!」
鮎、美羽、アスタルテたちが一斉に笑い声を上げた。
しかし、シャーロットの瞳はまだ怪しく光り続けていた。
「……ご、ご主人様。それだけではございません。わたくしの目には……視界の端に、ノイズのように引っかかるものが……」
「ノイズ?」
「はい。自然発生したように見えて……でも、この空間が形成されるよう、意図的にウイルスを流し込み、画策した者の気配が残っておりますわ! 今のわたくしの力では、まだその正体をハッキリと観ることは出来ませんけれど……!」
かつて『大禍つ炉』を狂わせた、国家レベルのハッキングと呪術複合ウイルスの痕跡。
その重い事実に、インテリの鮎や真祖のエティエンヌの表情がスッと引き締まった。
「ふぁぁ〜あ……」
だが、持子は大きくあくびをした。
「難しいことは分からん!」
持子はバッサリと切り捨てた。世界の危機や裏で糸を引く黒幕の存在など、極黒の魔王でありながら中身はジャンクフード好きのスケベなオッサンである彼女には、ひたすらに面倒くさいだけであった。
「誰が画策しようが知ったことか! わしの庭でコソコソする奴は、後でまとめてぶん殴って魔力ごと食ってやるだけだ!」
持子は豪快に笑い飛ばし、ビシッと指を前に突きつけた。
「ルージュ! シャーロット! 貴様らの探知魔法と観る能力を使え! 御託はいいから、さっさとこのダンジョンの『ボス』がいる場所を教えろ! 極上の魔力を食わせろ!」
「もぉっ! 本当に乱暴で短絡的なんですから!」
ルージュは文句を言いながらも、真紅の瞳を閉じて広範囲の魔力探知(魔眼)を展開した。
ピィンッ……!
同時に、シャーロットも未来の危険を察知するタイムサイトの焦点を絞る。
「……あっ!」
「……見つけましたわ!」
ルージュとシャーロットが目を開き、暗黒の通路のさらに奥、右斜め下の方向を二人同時にビシッと指差した。
「このダンジョンの大元たる『ボス』ではありませんが……その方向に、尋常ではない強大で凶悪な魔力の反応がありますわ!」
「はいっ! わたくしの目にも、空間が歪むほどの圧倒的な暴力の未来が観えますぅっ!」
二人の報告を聞いた瞬間、持子の黄金の瞳がギラリと猛禽類のように輝いた。
「ふははははっ! よし、極上のご馳走が待っておるようだな!」
持子は全速力でその方向へと駆け出した。
「行こう行こう! さっさとその強い奴をぶっ飛ばして、間引きをしてやるのだ!」
「ああっ! 持子様、お待ちくださいませ! この忠犬もすぐにお供いたしますわ!」
鮎がデュラハンの大剣を担いで嬉々として追いかける。
「持子さぁん! 私が先に行って、邪魔な敵は全部刻んでおきますからねぇっ!」
美羽が無足の歩法で風のように駆け抜ける。
「ちょっと! マスター! 持子! もう少し警戒というものをしなさいな!」
ルージュの悲痛なツッコミは、地下迷宮の暗闇に虚しく響き渡るだけであった。




