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【帰還の魔王と純白の契り】

【帰還の魔王と純白の契り】


ヨーロッパでの死闘と狂乱の撮影を終え、極東の島国へと無事に帰還した魔王軍。

東京、氷川神社の広間では、お土産を渡してすぐの賑やかなお茶会が開かれていた。


助平じいさんや風間家の面々に、リジュのブランドの最高級品をこれでもかと貢ぎまくったお土産の山を前に、皆でお茶とお菓子を囲む。

うだるような夏の暑さも、開け放たれた縁側を吹き抜ける風が心地よく和らげ、朝夕の風には微かな秋の気配が混じり始めていた、八月――夏休みの終わり。


その場にいるのは、極黒の魔王・恋問持子、第一下僕の鮎、吸血鬼の元女王ルージュ。

そして風間家の面々である風間洋助、風間楓、風間高子、風間助平。

さらに、この神社の絶対的支配者にして持子に光の神術を授けた恩人、葉室桐子であった。


「いやはや、ヨーロッパでの悪魔どもとの戦いも、撮影もなまら凄まじかったぞ!」


持子が興奮気味に語るヨーロッパでの土産話に花が咲き、美味しいお茶とお菓子を楽しんで、ようやく場が落ち着いた、その時だった。

ふと、桐子が持子を見つめ、静かに口を開いた。


「……ねえ、持子」


透き通るような声が、広間に響く。


「私と、本当の『姉妹の契り』を結ぼうか?」


「……っ」


持子は、驚きに黄金の瞳を見開いた。お茶の入った湯呑みを持つ手がピタリと止まる。

その言葉の意味――それがどれほど重い儀式であるかを察している風間家の面々に、僅かな緊張が走った。

風間助平、洋助、楓の三人は、言葉を発さずともその瞳の奥に深い憂いを帯び、少し渋い顔になる。


一方で、まだ事の重大さを理解していない高子だけは、「お姉ちゃんが増えるの?」とでも言いたげな、無邪気な顔でお菓子を頬張っていた。


持子は、周囲の反応を感じ取りながらも、深く、静かに頷いた。


「……ああ。お願いする、桐子お姉さん」


かつて、彼女に圧倒的な力でねじ伏せられ、屈辱に震えながら「お姉さん」と呼ばされた日々があった。

だが、今の持子の心には、微塵の抵抗も、覇王としての無駄なプライドもない。

光の神術の厳しい稽古を通じて、そして何より東京霊脈戦線での死闘を通じて、持子は桐子の内に秘められた圧倒的な強さと、決して揺らぐことのない深い愛情、そして高潔な人柄に触れ続けてきた。


いつしか持子は、前世の暴君・董卓としての我執を捨て去り、一人の未熟な妹として、葉室桐子という女性を心底慕うようになっていたのだ。


「キリコお姉様! わたくしも! わたくしも本当の妹になりたいですわ!」


「桐子お姉様! 私もぜひ、その契りを……っ!」


ガタッ!と、ルージュと鮎が身を乗り出して懇願してきた。

彼女たちもまた、強大な力と気高さを持つ桐子に(半ばドM的な意味で)心酔しているのだ。


桐子はクスリと優しく微笑み、扇子で口元を隠しながら二人をたしなめた。


「ふふっ。嬉しいけれど、あなたたちはもう少し待ってね。まずは持子とうまく行ったら、考えてあげるわ」


「「はぁーい……」」


シュンと犬のように肩を落とす二人を残し、桐子は持子に向き直った。


「じゃあ、行きましょうか。少し遠出になるわよ」



***



ブゥォォォォン……!


桐子の運転する高級SUVは、東京の喧騒を抜け、西へとひたすらに車を走らせた。

目指すは、日本の神々の息吹が今も色濃く残る古都――京都。

そのさらに奥深く、八咫烏の頂点に君臨する葉室家の本家が管理する、広大な私有の霊山であった。


ザワワ……ザワワ……。


幾星霜もの時を刻んだ巨木たちが、風に揺れて重厚な葉擦れの音を鳴らす。

車を降り、獣道のような山道を登った先にひっそりと佇んでいたのは、鳥居も狛犬もなく、ただ木々の間に溶け込むように建てられた、古く小さな『名もなき神社』であった。


「……ここは?」


持子が周囲の尋常ではない神気に息を呑む。


「葉室家の直系だけが立ち入ることを許された、始まりの場所よ」


桐子の声は、普段の余裕に満ちたものから、一切の不純物を削ぎ落とした神聖な響きへと変わっていた。


二人は社殿の脇に建つ小さな小屋で、真っ白な小袖と袴――純白の『白衣』へと着替えた。

そして、神社のすぐそばにひっそりと湧き出る、苔むした古井戸へと向かう。


ピチョン……トクトクトク……。


大地の奥底から湧き出る冷たい水。

桐子が柄杓でその水を汲み上げ、持子の手に、そして自身の手に静かに注ぐ。


「ヒヤリ……っ」


凍てつくような霊水が肌を伝う。

それはただの冷水ではない。指先から全身の経絡を巡り、下界から持ち込んでしまった僅かな穢れや、ヨーロッパで悪魔たちと交わった情欲の残り香すらも、チリチリと音を立てて洗い流していく『潔斎けっさい』の儀式であった。


「……行くわよ、持子」


「うむ」


身も心も極限まで清められた二人は、軋む木の扉を開け、薄暗い社殿の中へと足を踏み入れた。


シンッ……。


圧倒的な静寂。

ただ、神の息吹だけが満ちる狭い空間。


桐子は、祭壇(神)から見て『右側』の座に、静かに正座した。

持子は促されるまま、その対面――神から見て『左側』の座へと腰を下ろす。


向かい合う、純白の装束を纏った二人の女。


スッ……。


桐子が懐から取り出したのは、一本の真新しい『わら』であった。


「持子、これの端を持ちなさい」


「……こうか」


桐子が藁の右端を握り、持子が左端を握る。

細く、頼りない一本の藁。だが、二人がそれを握り合った瞬間、社殿の空気がピンと張り詰め、息が詰まるほどに圧倒的な重圧を持った結界が展開された。


桐子は静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


『――高天原に神留まり坐す、皇親神漏岐神漏美の命以て……』


朗々と、そして美しく。

桐子の唇から紡がれる、古の祝詞のりと。その言霊が社殿の空気を震わせ、周囲の空間が微かに純白の光を帯び始める。


(……来るッ!)


持子が息を呑んだ、その瞬間。


カッ……!!


桐子の握る手元から、眩いほどの『純白の光の魔力』が溢れ出した。

その光は、二人が握り合う一本の藁を伝い、まるで意志を持った大河のように、持子の手から体内へと凄まじい勢いで流れ込んできたのだ。


「――っ!!」


持子の黄金の瞳が、極限まで見開かれる。


ドクンッ! ドクンッ!


体内に奔流となって流れ込んでくる、圧倒的な熱量と、どこまでも優しく純粋な光の魔力。


(これは……わしが鮎や下僕たちを闇の魔力で支配した時の感覚と、形は似ている……。だが……本質が、全く違う……ッ!)


持子の闇の魔力は、相手の魂を縛り、力を『奪う』ための鎖だ。

だが、今、桐子から藁を伝って流れ込んでくるこの光は、見返りを一切求めず、己のすべてを『与える』行為であった。

ただ力を渡しているのではない。葉室桐子という人間の魂の欠片、生きた証そのものを、持子の魂の奥底へと刻み込み、絶対的な『繋がり』を構築しているのだ。


「あ……あぁ……っ」


持子は、そのあまりにも大きく、深く、そして自己犠牲すら厭わない無償の愛の奔流の前に、ただただ圧倒されていた。

覇王としての言葉も、魔王としての強がりも、すべてが白紙になり、なんと言っていいのか分からず、ただ両目からポロポロと大粒の涙をこぼすことしかできなかった。


やがて。


祝詞の声が静かに止み、光の奔流がスッと収まった。

二人が握り合っていた藁は、光の熱に当てられたのか、サラサラと光の塵となって空中に溶けて消えていった。


「……はぁっ……はぁっ……」


儀式を終えた桐子は、肩を上下させ、大きく、ひどく苦しそうな息を吐き出した。その真っ白な肌には、滝のような汗が滲んでいる。

しかし。

息を整え、顔を上げた桐子の表情は――かつてないほど美しく、そして『誇らしげ』な笑顔であった。


「……ふふっ。どう、持子。あなたの魔力……感じてみなさい」


「……!」


持子は自身の黒い丹田に意識を向け、驚愕した。

これまでどうしても完全に制御しきれず、時折反発し合っていた光と闇。

それが今、桐子から与えられた光の魂を中核コアとして、完璧な調和を保ち、全く新しい次元へと『進化』を遂げていたのだ。光と闇が完全に融合した、真の「カオス魔力」の完成である。


「桐子、お姉さん……。どうして……なぜ、ここまでするのだ……!」


持子は、ポロポロと涙をこぼしながら、震える声で叫ぶように尋ねた。

持子は知っている。お茶会の席で、風間家の面々がなぜあのような渋い顔をしたのかを。


あの東京霊脈戦線の地下での死闘。桐子が、持子と風間洋助の命を救うため、己の寿命と生命力を限界まで削り取る禁忌の神術を使ったことを。

その代償として、桐子の美しい髪は雪のように真っ白に染まり、彼女の残された時間はもう、決して長くはないという事実を。


「姉さんは……あの戦いで、自分の寿命を大きく差し出したではないか……ッ! 残り少ない命だというのに、どうして……また寿命を減らしてまで、わしに力を与えるのだ! 残りの人生は、愛する洋助と共に穏やかに過ごすべきであろう……っ!」


持子の悲痛な叫びに、桐子は、ふっ、と優しく、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「……ええ。私の残された人生は、愛する洋助と共に、ただ穏やかに過ごせればそれでいいと、そう思っていたわ」


桐子の切れ長な瞳が、一度伏せられ、再び持子を真っ直ぐに射抜いた。


「でもね……あなたが、私に『光の神術を教えてほしい』と真っ直ぐな瞳で言ってきた。最初は、天下の魔王をからかって遊ぶつもりで、『お姉さん』って呼ばせていただけだった。でも……不器用だけど、必死に私の光を学ぼうとするあなたを見ているうちに……いつの間にか、私の持っているこの神術のすべてを、あなたに『教え、与えたい』と……そう思うようになっていたの」


桐子はそっと手を伸ばし、涙で顔をくしゃくしゃにしている持子の頬に触れた。


「今回のこの『姉妹の契り』で……私の命は、また少し減ってしまったでしょうね。でも……私は、自分が生きた証を、私の魂の形を……妹であるあなたの身体の中に、残したかったの」


桐子はそこで一度言葉を切り、自嘲するようにふっと小さく笑った。


「……それにね、持子。私は、恩着せがましくて、嫌な女なのよ」


「え……?」


「私の命は、もう長くはない。だから残りの時間はすべて、ただ洋助さんと共に歩むためだけに使いたい……そう願ってしまった。でも、私がその身勝手な道を選ぶことで……葉室の本家の未来は、すべて鶴子に託されることになる。あの子の細い肩に、八咫烏の頂点という恐ろしいほどの重圧を背負わせてしまうの」


桐子の声に、微かな震えが混じる。彼女の指先が、持子の頬から肩へと滑り、すがるようにきつく握りしめられた。


「だから、あなたを本当の妹に引き入れた。……鶴子を、その重圧から守ってほしかったから。私がいなくなった後、あの子を支えてくれる圧倒的な力が欲しかったの。結果的に、私は自分の勝手な都合とエゴで……あなたを葉室という家に縛り付けたのよ」


懺悔するように語る桐子の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「でも……これだけは信じて。あなたを妹だと感じるこの気持ちに、嘘はないわ。不器用で、一生懸命で……そんなあなたが、本当に可愛くて、愛おしいのよ……っ」


自分のエゴへの罪悪感と、確かな無償の愛。

その狭間で揺れる桐子の涙を見て、持子は――ポロポロと流していた己の涙を乱暴に拭い去り、かつての覇王を思わせる、力強く不敵な笑みを浮かべた。


「……ふはっ。なんだ、そんなことか!」


「え……?」


持子は、自分の肩を握る桐子の冷たい手を、両手でしっかりと、温かく包み込んだ。


「桐子お姉さんが何に後ろめたさを感じておろうと、わしには関係ない! 鶴子を守る? 葉室を支える? 上等ではないか! この極黒の魔王たるわしに任せておけ!」


迷いのない、黄金の瞳。そこにはもう、微塵の曇りもなかった。


「わしにとって、貴女は心から尊敬できる、愛らしくて大好きな『お姉さん』だ。貴女が与えてくれた光の温かさを、わしが一番よく分かっておる! ……それに」


持子は少しだけ照れくさそうに、しかし清々しい満面の笑みで告げた。


「わしの、女としての初恋だった風間洋助……あの男を託せるのは、もはや貴女しかおらん。二人は最高にお似合いの夫婦だ! このわしが全力で推す、究極の『推し』だからな!」


「持子……」


「だから、姉さんは何も気に病むことなどないのだ! わしのカオス魔力で、鶴子も、葉室も、全部まるごと護ってやる! 姉さんはただ、残された時間を愛する洋助とイチャイチャして、最高に幸せに過ごせばよいのだ!」


その真っ直ぐで力強い言葉に、桐子は目を丸くした後……やがて、堪えきれないように吹き出した。


「ふふっ……あはははっ! もう、本当に敵わないわね、あなたには」


「う、うむ! その笑顔が一番だぞ、お姉さん!」


「ええ……ありがとう、私の可愛い妹」


桐子は、今度こそ心からの安堵と喜びに満ちた顔で、持子をきつく抱きしめた。持子もまた、たまらず桐子の胸に顔を埋め、声を上げて泣きじゃくった。


(……誓うぞ、桐子お姉さん。貴女から与えられたこの命の光を、わしは絶対に無駄にはせん。貴女が愛した洋助を、大切な鶴子を、そしてこの世界を、わしのカオス魔力で必ず護り抜いてみせる……!)


名もなき神社の森を吹き抜ける風が、二人の白い装束を静かに揺らす。

極黒の魔王の魂に、決して消えることのない純白の光の刻印が刻まれた、深く、そしてあまりにも美しい、姉妹の誕生の儀式であった。



***



ブゥォォォォン……。


京都から東京へと戻る帰路。

助手席に座る持子は、自身の丹田の奥底で、闇の魔力と光の魔力が完全に融合し、静かに、しかし絶大な熱量を放っているのを感じていた。


ヨーロッパでの戦いを経て、さらにこの儀式を経た今の持子は、間違いなく過去最強の状態へと至っている。


「……なまら、温かいぞ」


持子は下腹部に手を当て、ふっ、と微笑んだ。


数時間後。

キキィィィッ!と、桐子のSUVが夕暮れの氷川神社の敷地内へと滑り込んだ。


「ああっ! 戻られましたわ! 桐子お姉様! ご主人様ぁっ!」


『フフフ……お待ちしておりましたわ、お二人とも』


バンッ!と車のドアが開くより早く、待ち構えていた二つの影が猛烈な勢いで群がってきた。

ピンク色の髪を振り乱し、尻尾を千切れんばかりに振る第一下僕・本多鮎。

そして、鮎の影から優雅に扇子を広げて現れた、吸血鬼の元女王ルージュである。


「おお、鮎! ルージュ! 留守番大儀であった!」


持子が車から降り立つと、鮎が泣きそうな顔で持子の足元にスライディング土下座をキメた。


「ご、ご主人様ぁ……っ! 神聖な儀式、無事に終わられたのですね! ああっ、ご主人様から放たれるオーラが、以前にも増して神々しく、そして……なまらエロティックに輝いておりますわっ!!」


「ふはははは! わかるか、忠犬ども! わしは桐子お姉さんとの契りを経て、さらに完全無欠のスーパーモチコへと進化したのだ!」


持子は高らかに笑い飛ばし、鮎の頭をガシガシと撫で回した。


「ずるいですわっ!!」


ガバァッ!

鮎が、今度は桐子の方へと向き直り、涙目で懇願した。


「桐子お姉様! 私も! 私もぜひ、お姉様と姉妹の契りを……っ! ご主人様だけズルいですわ! 私の身体にも、お姉様の神聖な光を注ぎ込んでくださいませぇぇっ!!」


『ええ、ええ! わたくしもですわ、桐子お姉様! 吸血鬼の身でありながら光を求めるこの矛盾! これぞ究極の背徳! わたくしも本当の妹にしてくださぁい!』


ルージュも鮎の影から身を乗り出し、目を輝かせている。


「おい、鮎! ルージュ! 桐子お姉さんを困らせるな!」


持子が止めに入ろうとするが、桐子はクスリと上品に笑い、二人の前にスッと立った。


「ふふっ。あなたたちの気持ちは嬉しいわ。……でもね」


ピカァァァァッ……!


桐子の背後に、後光のような、しかし絶対に逆らえない『絶対的ヒエラルキーの頂点』としての威圧感を伴った光のオーラが立ち昇る。


「ヒッ……!?」


「あ、あら……?」


鮎とルージュが、本能的な恐怖でビクッと肩を震わせた。


「あなたたちは、持子の可愛い『下僕』でしょう? 下僕が主人の姉にまで首輪を求めちゃ、持子が可哀想じゃない」


桐子は、極上の笑みを浮かべたまま、冷酷なまでに完璧な理屈で二人をバッサリと切り捨てた。


「もし、どうしても私と契りを結びたいなら……そうね。持子を本気の手合わせで倒して、持子の『主人』になってから出直してきなさいな。そうしたら、妹として認めてあげるわ」


「「む、無理ですわぁぁぁぁっ!!」」


持子を倒すなど、天地がひっくり返っても不可能である。

鮎とルージュは完全に絶望し、地面に崩れ落ちた。


「ふははははっ! さすがは桐子お姉さんだ! なまら容赦ないな!」


持子は大爆笑し、崩れ落ちた鮎の首根っこを掴んでヒョイッと持ち上げた。


「聞いたか、駄犬ども! お前たちは永遠にわしのモノだ! 浮気など許さんからな!」


「あぁんっ……! ご主人様ぁっ、一生飼いならしてくださいませぇぇっ!!」


鮎は瞬時に立ち直り、恍惚とした顔で持子の腕にすり寄った。


「……おいおい、帰ってきた早々、随分と騒がしいな」


神社の奥から、木刀を肩に担いだ長身の青年が姿を現した。

あらゆる武器を極めた天才にして、TIAの次期トップ。そして、かつて持子や鮎の初恋を無自覚に奪いかけた『天性のタラシ』、風間洋助である。


「洋助さん……!」


先ほどまでの絶対的な威圧感が嘘のように、桐子の表情が一瞬にして、恋する乙女のそれへと溶けた。


「ただいま戻りましたわ。……少し、疲れちゃった」


タタタッ、と小走りで洋助に駆け寄る桐子。


「お疲れ、桐子。……顔色が悪いな。無理したんじゃないか?」


洋助は木刀を放り捨て、倒れ込むように寄りかかってきた桐子の細い身体を、しっかりと力強い腕で受け止めた。


「ええ……。でも、とても良い儀式だったわ。……洋助さん、少しだけ、このまま……」


桐子は洋助の広い胸に顔を埋め、安心しきったように深く息を吐いた。


「おいおい、皆が見てるぞ」


洋助は苦笑いしながらも、桐子の真っ白な髪を優しく撫で、その背中を愛おしそうに抱きしめた。


夕暮れの神社の境内で、周囲の目も憚らずに行われる、完璧な美男美女によるイチャイチャ空間。

かつての持子であれば、この光景を見せつけられれば、嫉妬と絶望で「ぐおおおおっ!」と大号泣し、地面を転げ回って発狂していたことだろう。

だが、今の持子は違う。


「……ふふっ。本当に、絵になる二人だ」


持子は、黄金の瞳を細め、心底愛おしそうに、そして誇らしげに二人を見守っていた。


(……あんなことを言われた後では、なおさら尊いではないか)


神社での桐子の言葉を思い出し、持子の内にある『桐子の光』が、優しく共鳴する。董卓の嫉妬深い魂すらも、桐子の圧倒的な慈愛の前に完全に浄化され、今や洋助と桐子の関係を「最高に推せるカップル」として全力で後方腕組み支援する境地へと至っていた。


「お帰りなさいませ、桐子さん、そして……持子先輩」


静かな足音と共に、神社の奥から風間楓が出迎えた。

楓はスッと持子の前に立つと、その黄金の瞳をじっと見つめ、持子の内から放たれる魔力を推し量るように確認した。


「……なるほど。私からは、もう神術を教える事はないですね。そのまま精進して下さい。……今の持子先輩なら、私と全力での手合わせが出来そうですね」


「ふっ、言ったな?」


持子はニヤリと不敵に笑い、楓の視線を真正面から受け止めた。

すると楓は、やれやれと小さくため息をついた。


「来月には『持子お姉さん』ですか」


「ん? 何でだ?」


不思議そうに首を傾げる持子に、楓はジト目を向ける。


「自分のポストくらい見て下さい。お兄さんと桐子さんの結婚式の招待状が入っているでしょう。七月の話ですよ」


「なっ……! そ、そうだったのか!? わし、手紙とか全然見てなかったぞ……!」


持子が慌てて目を白黒させると、楓はそっと手を伸ばし、持子の頭をポンポンと撫でた。


「姉ではなく妹ですね。……いえ、弟ですか?」


「なっ、撫でるな! その弟ネタはやめるのだ!」


顔を真っ赤にして抗議する持子だったが、すぐに表情を和らげ、洋助と桐子に向き直った。


「……結婚か。良かったな、二人とも! わしは最前列で全力で祝福するぞ!」


持子の心からの祝福の言葉に、楓はもちろん、鮎やルージュも「おめでとうございますわ!」「めでたいですわぁ!」と口々に歓声を上げ、その場にいる全員が満面の笑みで喜びに包まれた。


「……ご主人様。なんだか、ご主人様がすごく大人に見えますわ」


鮎が、不思議そうに持子を見上げる。


「ふっ。わしは元から精神年齢は千年以上の覇王だからな。だが……そうだな。護るべきものが増えて、少しだけ心が広くなったかもしれん」


持子は、鮎のピンク色の髪をクシャクシャと撫で回した。


「さて! 感傷に浸るのはここまでだ!」


持子はバサァッ!と見えないマントを翻すように、気合を入れて振り返った。


「夏休みももう終わりだ! わしには、スノーでのモデルの仕事、TIAの裏社会の任務、そして……聖ミカエル学園での合気武道部の地獄の特訓が待っておるぞ!」


持子は拳を強く握りしめた。


「ヨーロッパの悪魔どもを平定するのも良いが、まずは極東の足元を固めねばならん! 凛花や蒼真たち一年生の指導もしてやらねばならんしな! これからも、わしの愛と暴力で、この世界を極黒……いや、光と闇で極彩色に染め上げてやるわい!」


「はいっ! ご主人様! どこまでもついて行きますわぁぁっ!」


『フフフ……わたくしも、影の中から特等席で拝見させていただきますわ』


夕陽が完全に沈みかけ、氷川神社の境内が茜色に染まる中。

極東の魔王・恋問持子と、彼女に狂信的な愛を捧げる下僕たちの、騒がしくも愛おしい日常が、新たな光を胸に抱いて、再び力強く幕を開けたのであった。


「ふはははははっ! さあ、帰るぞお前たち! 今夜はわしのマンションで、夏休みの宿題を鮎に徹夜でやらせる罰ゲームの続きだ!」


「ええええっ!? そ、そんなぁぁぁぁっ! パトラッシュ、やっぱり疲れたよぉぉぉっ!!」


魔王の高らかな笑い声と、忠犬の悲鳴が、秋の気配が混じり始めた東京の空に、いつまでも賑やかに響き渡っていた。


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