【イギリス編・最終日 断崖の乙女と、業火の覇王】
【イギリス編・最終日 断崖の乙女と、業火の覇王】
バンッ!!
「……いい加減にしてください! 今日は最終ロケです、プロデューサーである私が持子の現場に同行しないなどあり得ません!」
ロンドン市内のホテルの一室。
立花雪は、分厚い契約書の束をデスクに叩きつけ、銀縁眼鏡の奥の瞳を吊り上げた。
だが、目の前に座る恰幅の良いイギリス人のプロデューサーは、悪びれる様子もなく優雅に紅茶を啜る。
「落ち着きたまえ、雪さん。イギリスのスポンサー陣が急遽、契約内容の細部変更を求めてきてね。ここで貴女がサインを渋れば、持子の今後のヨーロッパ展開は白紙だ。……彼女のキャリアを潰す気かな?」
「くっ……!」
雪はギリィッと奥歯を噛み締めた。
正論を盾にした、あからさまな足止め。だが、プロデューサーという立場上、この物理的な『書類の檻』から力業で抜け出すことはできなかった。
一方、ロンドンから遠く離れた別のスタジオ。
『カシャッ! カシャカシャッ!!』
「ワンダフル、アユ! 次はあの黒のゴシックドレスに着替えてくれ! スポンサーが君のピンの写真を100枚要求しているんだ!」
「も、もう十五着目ですわよ!? いい加減にしてくださいませ、ご主人様がコーンウォールでお待ちですの!!」
第一下僕の本多鮎は、フィッティングルームで現地のスタッフたちに何重にも取り囲まれ、脱出不可能な着せ替え人形と化していた。
強行突破しようにも、相手はただの脆弱な人間。力を使えば大惨事になるため、狂犬の武力は完全に封じられていた。
そして、コーンウォール地方へと向かう荒野の道中。
「急々如律令! ……破ァッ!!」
ズガァァァァンッ!!
土御門朔夜の放った呪符が、行く手を阻む巨大な悪魔の幻影を吹き飛ばす。
だが、それは煙のように霧散し、すぐさま別の幻影が立ち塞がる。
「ハァッ……ハァッ……チッ、また幻影か! 一体どこから湧いてきやがる!」
実力上位の大悪魔モリガンによる、殺意すらない純粋な「遅延工作」。
最強の護衛たちは、悪魔たちの盤外戦術によって、最終日の朝から見事に持子の元から引き剥がされていたのである。
イギリス南西部、コーンウォール地方。
ロンドンから遠く離れたこの最果ての地に、アーサー王伝説の舞台とも言われる『ティンタジェル城跡』は存在していた。
荒れ狂う大西洋の波が、何千、何万年と削り出した切り立った断崖絶壁。
その頂にへばりつくように残る中世の廃城は、かつての栄華と滅びの歴史を無言で語りかけてくる。
吹きすさぶ冷たい海風が緑の草を波立たせ、眼下では黒々とした岩肌に打ち付けられた波が真っ白な飛沫を上げて散っていく。
荒々しくも神秘的で、息を呑むほどに美しい絶景。
本日の撮影テーマである「断崖の悲劇と圧倒的な闇」にふさわしい、神と自然が創り出した極上の天然の舞台であった。
少し離れた崖の上では、総監督クリストファーがディレクターズチェアに深く腰掛け、鋭い視線で現場を見つめている。
「……Motiko. Are you cold?(モチコ。寒くないかい?)」
断崖の淵に立つ持子の肩を、背後からふわりと温かな重みが包み込んだ。
相手役のアーサーが、自らの着ていた上質なカシミアのコートを脱ぎ、持子の肩に掛けてくれたのだ。
「あ、うむ……さ、サンキュー、アーサー」
「Just feeling your warmth like this makes me not mind the cold wind of England at all.(君の温もりをこうして感じていれば、イギリスの冷たい風など全く気にならないさ)」
アーサーは、憂いを帯びた美しい瞳で持子を真っ直ぐに見つめ下ろし、そのままコート越しに彼女の華奢な肩を抱き寄せた。
密着する二人の身体。
イギリスのトップ・メンズモデルの完成された美貌が、持子の視界をいっぱいに埋め尽くす。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……!
(な、なまら顔が良い……っ! 英語で何を言っているかさっぱり分からんが、まつ毛が長い! 瞳が綺麗すぎるっ! 胸の奥がキュンキュンして、息ができない……っ!)
持子の心臓は、かつてないほどの早鐘を打っていた。
言葉が通じないことなど、今の彼女には関係なかった。
もはや彼女の瞳に、極黒の魔王としての傲岸不遜な光はない。
前日までの悪魔たちの執拗な波状攻撃と、堕天使アスタロトの極上の魅了魔法によって、彼女の精神は最初から完全に『恋する可憐な乙女』へと作り変えられてしまっていたのだ。
暴君・董卓の自我は、溢れ出るロマンチックな感情の海に深く、深く沈み込んでいる。
「Motiko... I don't want to give you to anyone.(モチコ……君を、誰にも渡したくない)」
「ア、アーサー……わ、わし……いや、『わたし』も……」
アーサーの大きな手が、持子の白磁のような頬をそっと包み込む。
(キ、キスされる……っ!? こ、心の準備が……でも、このまま……!)
完全に乙女と化した持子は潤んだ瞳を揺らし、やがて抗うことをやめて、ゆっくりと目を閉じた。
二人の唇が重なり合うまで、あと数センチ。
――だが。その甘い夢が現実のものとなることはなかった。
「……Good night, Demon Lord of the Far East.(お休みなさい、極東の魔王)」
背後から、美しい親友の顔をしたシャーロットが音もなく忍び寄り、無防備な持子の背中に白く細い指先を触れさせたのだ。
「え……?」
持子がわずかに目を開けた瞬間。
視界が大きく歪み、現実の美しい断崖絶壁の風景がぐにゃりと融け落ちた。
持子の意識は、深い闇の底――自身の『精神世界』へと強制的に引きずり込まれた。
持子の精神世界。
そこは今、見渡す限りの満開の薔薇が咲き誇る、お花畑のような甘くロマンチックな空間となっていた。
持子の中に芽生えた『乙女』の心が、完全に表層を支配している証拠である。
だが、その美しい空間を容赦なく蹂驚するように、禍々しい闇の扉が開かれた。
「ふふっ……あっけないものですわね。武力で勝てずとも、心さえ甘く溶かしてしまえば魔王もただの小娘ですわ」
絶世の美女の姿をとった大公爵グレモリーが、空間を引き裂いて現れた。
ここは魂の世界。言語の壁はなく、その意思はダイレクトに空間へ響き渡る。
そして、彼女の背後からは、地獄から直接この精神世界へと引き連れてきた、数千にも及ぶ『地獄の第26軍団』のおぞましい悪魔たちが、飢えた獣のように唸り声を上げて雪崩れ込んでくる。
「さあ、貴女の極上の肉体と強力な下僕たちは、この大悪魔グレモリーがすべて有効活用して差し上げますわ!」
グレモリーが腕を振るうと、巨大で禍々しい魔法陣が展開され、無数の漆黒の鎖が飛び出した。
「きゃあっ!?」
ジャラララッ!!
鎖は、お花畑に座り込んでいた可憐な乙女(持子)の手足に絡みつき、空中に無残に磔にした。
「さあ、泣き叫びなさい! 貴女の『女』としての柔弱な精神を完全に破壊し、この肉体の主導権を戴きますわ!」
グレモリーが冷酷に嗤い、魔力を込める。
鎖がギリギリと軋みを上げ、乙女の魂に火で焼かれるような激痛が走った。
「くっ……うぅっ……! いや……っ!」
乙女は必死に歯を食いしばった。己の魂を引き裂こうとする悪魔の拷問に耐え続けていた。
「あら、意外と頑丈ですのね。ならば、これならどうかしら?」
グレモリーがさらなる瘴気を鎖に流し込む。
それは魂の髄までを侵食する、地獄の猛毒。ついに、乙女の忍耐が限界を突破した。
「あ、あああっ……! いやぁぁっ……!」
絶痛に満ちた乙女の悲鳴が、精神世界に響き渡った。
――だが。
悪魔が知る由もなかったのだ。
『乙女』の魂が表層に浮かび上がっていたということは、かつて天下を恐怖で支配した『暴食の魔王(董卓)』の魂が、そのすぐ真下で、極限まで圧縮されながら眠りについていたという事実に。
乙女の悲鳴が響いた、その瞬間。
精神世界のさらに奥底、光の届かない漆黒の深淵で眠っていた『董卓』の脳裏に、凄まじい閃光と共に『あるビジョン』がフラッシュバックした。
それは、血の池が沸騰し、阿鼻叫喚の亡者たちが蠢く無間地獄の景色。
そして、その地獄の底で燃え盛る『業火』の中で、生きたまま焼かれ、永遠の苦しみの中で泣き叫んでいる、絶世の美女の姿であった。
『――ぁ……あああぁぁぁっ……!ぎゃぁぁぁ……っ!』
その痛ましい悲鳴を聞いた瞬間、董卓の魂は直感した。
今、表層で拷問を受けて悲鳴を上げているのは、ただの「持子の内面に芽生えた乙女の部分」に過ぎない。
しかし、自らの脳裏に焼き付いた地獄の業火で焼かれているあの女は違う。
あれは持子の一部などではない。完全に別の、独立した魂……彼がかつて愛した、本物の『貂蝉』の魂なのだと。
愛する女(貂蝉)が地獄で焼かれているという悍ましいビジョン。
そして現実(精神世界)で、自分の肉体である乙女が下等な悪魔に拷問されているという事実。
その二つが重なり合った瞬間。
董卓の魂の奥底で、世界を滅ぼすほどの凄まじい『怒り』と『殺意』が爆発した。
「――誰が、わしの女に触れることを許した?」
ゴアァァァァァァッ!!!!!
精神世界の甘いお花畑が、一瞬にして極黒の闇に飲み込まれた。
空がひび割れ、大地が砕け、グレモリーが展開していた強固な魔法陣と漆黒の鎖が、まるであめ細工のように粉々に吹き飛ぶ。
「な、何っ!? この圧倒的で禍々しい闇の闘気は……!」
グレモリーが驚愕に目を見開く。
砕け散る空間の中心から、ゆっくりと姿を現したのは、先ほどまでの可憐な乙女ではない。
黄金の瞳に絶対的な暴虐と怒りを宿し、全身から空間をすり潰すほどのカオス魔力を立ち昇らせた、極東の覇王・董卓(持子)であった。
「ば、馬鹿な! 完全に乙女に堕ちていたはず! それに、わたくしの魔法陣を力業で……っ!? ええい、引き裂きなさい!」
パニックに陥ったグレモリーが、引き連れてきた数千の地獄の軍団に一斉攻撃を命じる。
だが、持子はただ一歩、前へ踏み出しただけだった。
「消えろ、羽虫」
ドバァァァァァァァァッ!!!!
その一言と共に放たれた『極黒の魔力』の暴風が、地獄の大軍団を、一瞬にして粉砕し、無に還した。
「あ……、あ、あああぁぁぁっ……」
絶世の美女の姿をした大公爵は、腰を抜かし、ガタガタと震えながら後ずさった。
次元が違いすぎる。生まれて初めて味わう「絶対的な捕食者」に対する本能的な恐怖だった。
持子は、ゆっくりとグレモリーに歩み寄り、その美しい金髪を乱暴に掴み上げて顔を近づけた。
「お、お許しを……っ! どうか命だけはぁぁっ!!」
「貴様を生かしておく理由が、どこにある?」
持子の黄金の瞳が、無慈悲に宣告する。
「あ、ありますわ! お願いです、殺さないで! わたくしは過去・現在・未来のすべてを『視る』能力を持っております!」
死の恐怖に直面したグレモリーは、なりふり構わず自身の能力を絶叫してアピールした。
「わたくしを下僕にすれば、あなた様の力となる隠された財宝や有益な情報、いかなる敵の弱点も確実に見つけ出せますわ! だから、どうか……っ!」
持子は、ふと動きを止めた。
「……ほう。未来を視る能力、か。……チッ。まあよい。少しばかり使い道がありそうだ。今日から貴様も、わしの靴を舐める『下僕』として生きることを許してやろう」
持子は、グレモリーの白く細い首筋に、深々と牙を立てた。
そして、彼女の魂の奥底に、決して逃れられぬ『カオスの隷属契約』を強制的に流し込む。
それは単なる支配ではない。極東の魔王が下僕に刻み込むのは、魂の髄までを蕩かすほどの『強烈な快楽』と、決して逆らえぬ『絶対的な服従感』である。
「あ、あぁっ! ひぎぃぃっ……! あぁぁぁぁぁぁっ!!」
大悪魔の誇りが完全に砕け散り、持子の放つ濃密な闇と快楽の濁流に飲まれ、グレモリーの精神は完全に白濁した。
極上の悦びに打ち震えながら、新たな下僕としての紋章が魂に深く深く焼き付けられた瞬間であった。
その瞬間。
現実世界のティンタジェル城跡――。
少し離れた崖の上で撮影の指揮を執っていた総監督クリストファー(メフィストフェレス)の動きが、ピタリと止まった。
「……おや。これは、最悪の『契約違反』ですね」
彼は、強固な同盟を結んでいたはずのグレモリーの魂が、持子の圧倒的な闇に呑み込まれ、絶対的な『隷属』へと書き換えられた感覚をはっきりと感知していた。
「あの高慢な女公爵が、魂の底から服従した。となれば、彼女が次に取る行動はただ一つ。『新たな主君に害をなす者(私)の排除と密告』です」
「くくっ……極東の魔王、恐るべし。深追いは命取りですね。今回は私の負け(撤退)としましょう」
メフィストフェレスは、持子が現実世界に意識を戻すよりも早く、手元のバインダーを未練なく投げ捨てた。
そして、嵐が吹き荒れるイギリスの濃霧の中へと、一瞬にしてその姿を消した。
時を同じくして、遠く離れた道中で土御門朔夜を妨害し続けていたモリガンもまた、異変を察知し、烏へと変身して空へと逃亡した。
「……ふん。触るな」
バシッ!
現実世界。精神世界から帰還した持子は、目を閉じたままの自分にキスをしようと顔を近づけていたアーサーの腕を無造作に払い除け、マントをバサリと翻した。
その顔には、先ほどまでの儚い乙女の表情など欠片もない。
「M-Master... Ahhh... (ご、ご主人様ぁ……っ!)」
持子が足元を見下ろすと、先ほどまで高慢だったトップモデルのシャーロット(グレモリー)が、頬を紅潮させ、甘い快楽の余韻にガタガタと震えながら完全に平伏していた。
彼女の口から紡がれるのは英語であったが、持子の脳内にはその意味がはっきりと、しかも生々しい感情やニュアンスと共に響き渡っていた。
(……ほう。魂のパスが繋がった下僕の言葉は、英語だろうが何だろうが、言語の壁を越えて直に意思が伝わってくるというわけか)
「Please wait, Master! Director Christopher is the great demon Mephistopheles! And Arthur there is Astaroth, and Morrigan who was interfering behind the scenes is also in on it! Tear them apart right now! (お、お待ちくださいご主人様っ! 監督のクリストファーの正体は大悪魔メフィストフェレスですわ! そして、そこにいるアーサーはアスタロト、裏で妨害していたモリガンもグルです! 今すぐあやつらを八つ裂きに――ッ!)」
流暢な英語でまくし立てるシャーロットの言葉を完璧に理解し、持子は鋭い視線をディレクターズチェアへと向ける。
だが――すでに監督の椅子はもぬけの殻だった。
「……逃げ足の速い羽虫だ。悟って逃げおったか」
残されたのは、持子のすぐ傍で相手役を演じていたため、逃げ遅れたアーサー(アスタロト)ただ一人であった。
「Ah... Ah...」
圧倒的な持子の覇気と、仲間の鮮やかな逃亡劇を前に、アスタロトは完全に戦意を喪失していた。
完全融合による弱体化に加え、相手は精神世界で大公爵を瞬殺し、強制的に屈服させる理外のバケモノである。
アーサーは、ガクリと膝をつき、持子の前にひれ伏した。
「...I surrender. Oh Demon Lord of the Far East, I will also offer my life as your servant.」
「……あ? こやつ、今度は何をゴチャゴチャと言っておるのだ。英語なぞ分からんわ」
魂のパスが繋がっていないアーサーの言葉は、持子にはただの外国語の羅列にしか聞こえない。持子が眉を顰めると、足元で這いつくばっていたシャーロット(グレモリー)が、すぐさま媚びるように顔を上げた。
「ご主人様! こやつ、『私の負けだ。降伏する。極東の魔王よ、私も貴方の下僕として命を捧げよう』と申しておりますわ!」
「ほう。随分と聞き分けが良いではないか。……よかろう、貴様にも極上の契約を刻んでやる。通訳ご苦労だったな、グレモリー」
持子が、アーサーの頭部に手を置き、カオスの魔力を一気に流し込む。
グレモリーと同じ、魂を焼き尽くすほどの強烈な快楽と絶対的な服従の呪縛。
「Ahhh!! Aaaaaahhhh!! (あぁぁぁぁぁぁっ……!! あ、あああっ……!!)」
アーサーの口から、苦悶とも歓喜ともつかない絶叫が上がる。
持子の流し込んだ強大な「光と闇のカオス魔力」が、キリスト教によって『男の悪魔』へと貶められていたアスタロトの、何百年もの長きにわたる呪縛と穢れを、凄まじい快楽と共に焼き払ったのだ。
眩い光と共に、アーサーの肉体から悪魔の魂が分離する。
光が収まった後、そこに跪き、荒い息を吐きながら持子を見上げていたのは、男のモデル(アーサー)ではなかった。
透き通るような肌、豊満な胸、そして神秘的な魅力を放つ、オリエントの美と豊穣の女神『アスタルテ』――その絶世の美女としての本来の姿であった。
「Oh... This is... (おお……これは……)」
自らの真の姿、そして魂の奥底まで満たされる圧倒的な主の愛(魔力)に、アスタルテは涙を流して持子の足にすがりついた。
「Thank you, my Master! Your great power has freed me from the curse of the abominable demon! Ah, I dedicate my body, my soul, everything to you! (感謝いたします、我が主! 貴方様の偉大なる力が、私を忌まわしき悪魔の呪縛から解放してくださった! ああっ、この身も心も、すべてを貴方様に捧げますわ!)」
(ふはは! こやつともパスが繋がったゆえ、言葉の壁など意味を成さぬわ!)
持子は満足げに頷いた。
「ご主人様!! ご無事ですか!?」
そこへようやく、荒い息をつきながら本多鮎、立花雪、そして土御門朔夜の三人が駆けつけてきた。
悪魔たちの周到な分断工作――終わりの見えない予算会議、終わらない衣装チェンジ、そして見えない敵の陽動。
それらを強引に振り切り、最悪の事態を想定して全力で駆けつけた彼女たちだった。
だが、その目に飛び込んできたのは、無傷で傲然と腕を組む持子と、その足元でだらしなく快楽に酔いしれ、忠誠を誓う二柱の美しい悪魔(美女)の姿であった。
「ま、よいではないか! 罠はすべて破り、この美しい二柱の大悪魔はわしの新たなオモチャ(下僕)になったのだ!」
持子は豪快に笑い飛ばし、シャーロット(グレモリー)とアスタルテの美しい髪を撫で回した。
「ひぎぃっ! は、はいっ! 一生ご主人様の靴を舐めて尽くしますわぁぁっ!」
「ああんっ、マスター! もっと私を可愛がってくださぁい!」
かつての気高い悪魔たちは、完全に持子の覇気に当てられ、忠実なメス犬と化していた。
「……くっ! まんまと騙されて隔離されていたなんて、プロデューサーとして一生の不覚ね!」
雪が地団駄を踏んで悔しがる。
「チッ! あの陰湿な妨害工作、絶対に許さねぇ! 次会ったら完膚なきまでに祓滅してやる……!」
朔夜は、正体不明の敵に完璧に踊らされていたことにギリィッと歯を噛み締めていた。
「あぁん、ご主人様! 私という犬がいながら、こんなメス豚どもを増やしたんですか!? 私も撫でてください!」
鮎が激しく嫉妬しながら持子に飛びつく。
仲間たちのドタバタを笑って眺めながら。
持子は、表面上は勝利に酔いしれつつも、内心で密かに滝のような冷や汗を流していた。
(……全く、肝を冷やしたわい。あの地獄の業火に焼かれる貂蝉のビジョン……あの凄まじい怒りがわしの魂を叩き起こさなければ、間違いなく、わしは完全に肉体を乗っ取られていた)
持子は、自分の胸の奥に、ズキリとした鈍い痛みを感じていた。
グレモリーを圧倒したあの瞬間。脳裏に焼き付いた、『地獄の業火に焼かれ、悲鳴を上げ続ける貂蝉』の痛ましい姿。
(……あの地獄の業火に焼かれていた女は、わしの中に芽生えた『乙女』の部分ではない。完全に別の、独立した魂……。あれこそが、本物の『貂蝉』……!)
それはただの幻覚ではなく、魂に深く刻み込まれた、決して消えない生々しい『傷痕』のように持子の中に残り続けている。
(なぜ、本物の貂蝉が地獄で焼かれている……? あれは、前世の記憶か? それとも……未来の暗示か?)
自分の中にある光と闇のカオス。そして、正体不明の地獄のビジョン。
メフィストフェレスとモリガンという新たな火種を野に放ちながらも、極東の魔王は、嵐が吹き荒れるイギリスの空を、静かに、そして鋭く見上げるのだった。




