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【イギリス編・漆黒の翼と、戦慄の陰陽師】

【イギリス編・漆黒の翼と、戦慄の陰陽師】


ゴォォォォォォォォォンッ!!!


リュクス・アンペリアルが誇るプライベートジェットのVIPルーム。


最高級の革張りシートに深く腰を沈めた持子は、窓の外に広がる雲海を見下ろしながら、優雅にトマトジュースのグラスを傾けていた。


「……ふぅ。やはり、空の旅は良いな。地上での面倒事をすべて忘れられる」


(昨夜はエティエンヌをたっぷりと喜ばせ、今朝方帰ってきた鮎を、エティエンヌと二人掛かりで思う存分可愛がってやったからな……。さらにその後は、雪と二人きりでローマの街を水入らずでデートしたのだ。悪魔的なカロリーの揚げピザを全部わしが食ってやると意気込み、結局二人で半分こしたあの味。そして、アグリッパが建造したというパンテオン で共に浴びた、雪の神々しい姿と光……。心身ともに、わしはすこぶる快調だ)


持子が満足げに黄金の瞳を細める一方で、向かいのシートでは、完全に「事後」の気怠さを引きずった二人が、互いにもたれかかるようにしてスヤスヤと眠っていた。


「すぅ……ご主人、さまぁ……っ、もう、入りませんわぁ……っ」


「んん……持子様……もっと、激しく……っ」


寝言まで完全にピンク色に染まっている忠犬の鮎と、元真祖の吸血鬼・エティエンヌである。


ルージュは少し離れた席で、洋書を読みながらクスクスと笑ってその様子を眺めている。


そして、そのカオスな空間の隅。


最後列のシートで、土御門朔夜は一人、頭を抱えてプルプルと震えていた。


(……なんなんだ、あの異常な魔力の混ざり方は……!)


陰陽師としての優れた霊視能力を持つ朔夜の目には、持子、鮎、エティエンヌの三人から立ち昇るオーラがハッキリと見えていた。持子の圧倒的なカオス魔力と、真祖の吸血鬼の濃密な生命力、そして鮎の気が、ねっとりと、いやらしく絡み合い、一つの巨大な「事後の塊」として具現化しているのだ。


(くそっ! 今回から栄えある『副マネージャー』に昇進したっていうのに! 俺のデートプランは雪さんに潰されたっていうのに……羨ましい、じゃなくて! 俺が死に物狂いでイギリスの香盤表を暗記している裏で、あの二人だけでサンタンジェロ城やパンテオンでイチャイチャと『ローマの休日』を満喫しやがって! 羨ましすぎるだろ!)


朔夜は嫉妬と戦慄でギリィッとハンカチを噛み締めた。


文句の一つも言ってやりたいところだが、彼の視線の先には、パソコンのキーボードを鬼のような形相で叩き続ける立花雪の背中がある。師匠である彼女の前では、朔夜は「俺様」の仮面を被ることすら許されないのだ。




その時である。


パンッ!!!


乾いた、そして耳をつんざくような平手打ちの音が、機内に響き渡った。


「ひぎゃあっ!?」


「ああっ!?」


寝ていた鮎とエティエンヌが、バネ仕掛けのように飛び起きる。


「……おはよう。よく眠れたかしら、発情期のメス猫ども」


そこには、分厚いファイルの束でテーブルを思い切り叩き、絶対零度の視線を放つ雪の姿があった。


「ひぃっ! ゆ、雪さん!」


朔夜も巻き添えを食らったかのようにビクッと背筋を伸ばし、完璧な姿勢で正座(シートの上で)した。


「ゆ、雪……! 脅かすでない、心臓に悪いぞ! 昨日のデートでパンテオンにいた時は、あんなに優しく微笑んでおったではないか!」


持子がジュースを吹き出しそうになりながら抗議するが、雪の眼鏡の奥の瞳は全く笑っていなかった。ただ、ほんのわずかに耳の先が赤くなっているように見えたのは、朔夜の霊視能力をもってしても気のせいだったかもしれない。


「イタリアでの甘ったるい空気と、思い出は、地中海に置いてきなさい。……ここから先は、完全に『戦場』よ」


雪は、手元のプロジェクターを操作し、機内のモニターに数枚の画像を映し出した。


そこに映し出されたのは、鬱蒼とした森の中に佇む、歴史を感じさせる巨大な古城。そして、分厚い霧に包まれたロンドンの石畳の街並みだった。


「リジュからの至急のオーダーよ。次のイギリスでの撮影テーマは――『Noir(黒)』。徹底的なダーク・ゴシックの世界観よ」


「ダーク・ゴシック、だと?」


持子が身を乗り出す。


「ええ。前回のイタリアのような、太陽の下で輝く『女神』の美しさじゃないわ。今回求められているのは、数百年の孤独、血の匂い、狂気、そして……すべてを呑み込む『圧倒的な闇』よ」


雪の説明を聞き、持子の黄金の瞳が、ギラリと猛禽類のような輝きを帯びた。


「……狂気と悲哀、そして圧倒的な闇。ふはははっ! まさに、魔王たるわしのためのテーマではないか!」


ここで、正座していた朔夜がスッと手を挙げた。


「あ、あの! 雪さん!」


「何かしら、新任副マネージャーの朔夜」


「その、撮影場所の古城って……いわゆる『ゴーストキャッスル』ですよね? イギリスの古城となれば、本物の悪霊や呪いが渦巻いている可能性が高い。霊的なトラブルなら、僕の陰陽術の出番じゃないですか!?」


雪の前で完全に「僕(優等生)」モードになっている朔夜が、ここぞとばかりに自身の有用性をアピールする。昨夜からの情事やデートで一歩出遅れた分、副マネージャーとしてここで挽回したいという下心が見え見えだった。


「……そうね。イギリスの歴史ある古城となれば、何が起きるかわからないわ。霊的な干渉が撮影の邪魔になるようなら、あんたにきっちり祓わせるわよ。それに今回は『副マネージャー』としての初仕事。気位の高い現地スタッフとの折衝や、現場の安全管理もあんたの仕事だからね。気を引き締めてかかりなさい」


「はいっ! 喜んで副マネージャーとして粉骨砕身させていただきます!!」


(((((相変わらずの即落ちだ……)))))


持子たちは心の中で盛大にツッコミを入れた。




雪はタブレットを操作し、さらに詳細なスケジュールをモニターに叩きつけた。


「現地のイギリス人スタッフやモデルたちは、非常にプライドが高いわ。『極東から来たポッと出の素人』が、ヨーロッパの伝統あるゴシックを表現できるわけがないと、完全に舐め腐っているそうよ」


「……あら」


雪の言葉を聞き、それまで静かに洋書を読んでいたルージュが、パタン、と本を閉じた。


「ヨーロッパの伝統あるゴシック、ですって?」


ルージュの真紅の瞳が、三日月のようにつり上がる。


その隣で、先ほどまで蕩けた顔をしていたエティエンヌの纏う空気も、一瞬にして冷ややかな、真祖の吸血鬼としての威厳に満ちたものへと変貌した。


「ふふっ……くくくっ。これは、面白い冗談を聞きましたわ」


エティエンヌが、血のように赤い唇を歪めて笑う。


「古城。狂気。血の匂い。そして、闇。……私たちに『本物』を語ろうだなんて、身の程知らずにもほどがありますわね」


ルージュもまた、優雅に立ち上がり、機内の窓から外の景色を見下ろした。


「中世から三百年間、パリの地下という本物の『闇』を支配してきたわたくしの前で、ゴシックを語るつもりかしら? ……ええ、よろしいですわ。イギリスの誇り高き小娘どもに、本物の『恐怖』というものを、骨の髄まで叩き込んでさしあげましょう」


二人の吸血鬼から放たれる、圧倒的で濃密な「死」のオーラ。


それは、演技などではない、数百年を生き抜いてきた本物のバケモノとしての覇気だった。


「……お、おいおい、頼もしいけど、やりすぎるなよお前ら。ただの撮影なんだからな……?」


霊能力が高いゆえに、二人の本気の殺気をモロに当てられた朔夜が、冷や汗を流しながら副マネージャーらしく牽制を入れる。




「問題は、鮎。あんたよ」


雪の鋭い声が、空気を引き裂いた。


「……えっ、わ、私ですか!?」


「ええ。今回は『闇の中の闇』よ。ただ持子の隣に突っ立っているだけじゃ、イギリスのモデルたちに完全に喰われるわよ」


雪の容赦ない指摘に、鮎は唇を噛み締めた。


(……イタリアでは、ご主人様の『影』として成り立てた。でも、今回ご主人様が『闇』そのものになるなら……私は、どうすれば……?)


「……ふははっ! 心配するな、鮎!」


持子が、不安げな鮎の肩をバンッ! と力強く叩いた。


「貴様はわしの忠犬! 今朝方、わしとエティエンヌの二人がかりで、お前の奥深くまでたっぷりと『カオスの闇』を仕込んでやったではないか! 貴様の身体には、すでに極上の闇が流れておるわ!」


「ご、ご主人様……っ! そう、ですよね……っ。あんなに、あんなに激しく注ぎ込まれたのですから……っ!」


再び二人の間に、ピンク色の情欲のオーラが立ち昇る。


「…………(ギリィッ!)」


副マネージャーである朔夜は最後列で、再びハンカチを噛みちぎりそうになっていた。


「(……だからそのピンク色の空気を出すのをやめなさい!)」


雪は、頭を抱えて深いため息を吐き、鋭い声で締めくくった。


「……とにかく、着陸したらすぐに衣装合わせと顔合わせよ。リュクス・アンペリアルの名に懸けて、ヨーロッパの度肝を抜いてきなさい」


ゴォォォォォォォォォォォッ!!!


ジェット機が高度を下げ始める。


窓の外には、すでに分厚く灰色に濁った雲海が広がり、その下には、冷たい雨と霧に包まれたロンドンの街並みが、不気味に広がっていた。


血と闇、そしてプライドが激突するイギリス・ゴシック編の幕が、今、開こうとしていた――。


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