「この光を、君と見たかった」
【万神殿の奇跡と、降り注ぐ神々の光】
「食った食った! わしの胃袋もなまら大満足だぞ、雪!」
「ふふっ、あれだけカロリーの暴力を摂取すればね。さあ、次はあなたのメインイベントなんでしょ?」
悪魔的な美味さの揚げピザでお腹を満たした二人は、ローマの入り組んだ石畳の路地を、軽やかな足取りで進んでいた。
ザワザワ……ガヤガヤ……。
観光客の熱気と、大道芸人のアコーディオンの音が響くロトンダ広場へと足を踏み入れた、その瞬間。
「おおお……っ!!」
持子の足が、ピタリと止まった。
広場の中央にあるオベリスク付きの噴水の向こう側。周囲の中世の街並みとは明らかに異質な、圧倒的な『質量』と『威厳』を放つ巨大な建造物が、ドォォォンッ! とそびえ立っていたのだ。
「着いたぞ、雪……! これが古代ローマ建築の最高にして最大の傑作、『パンテオン』だ!!」
持子は、黄金の瞳を限界まで見開いて、その壮大な外観を指差した。
正面には、エジプトから運ばれたという、見上げるほど巨大な一本岩の花崗岩でできたコリント式の円柱が、ズラリと16本も並んでいる。
そのペディメント(三角屋根)の下には、「M. AGRIPPA L. F. COS. TERTIUM FECIT(ルキウスの息子、マルクス・アグリッパが、三度目のコンスルに選ばれた年にこれを建造した)」という誇り高きラテン語の碑文が、二千年の時を超えてくっきりと刻まれていた。
「すごい圧巻ね……。写真で見るのとは、全然スケールが違うわ」
雪もまた、その途方もないスケールに思わず息を呑んだ。
「うむ! もともとは紀元前27年に建てられ、その後、ローマ五賢帝の一人であるハドリアヌス帝によって紀元後120年頃に完全に再建されたものだ。パンテオンとはギリシャ語で『すべての神々』を意味する! 二千年間、ほぼ完全な姿で残り続けている奇跡の神殿なのだぞ!」
「ふふっ。観光ガイド顔負けのウンチクね。魔王様は随分と勉強熱心だこと」
「ふははは! 好きなものには一直線なのだ! さあ、中に入るぞ雪!」
持子に手を引かれ、二人は巨大な青銅の扉の向こう側――神殿の内部へと足を踏み入れた。
スゥンッ……。
一歩足を踏み入れた瞬間、外の喧騒が嘘のように消え去った。
分厚いコンクリートと大理石の壁に守られた空間は、ヒンヤリと冷たく、そして……圧倒的に『静謐』だった。
カツーン……カツーン……。
二人の足音が、巨大な空洞の中で神聖な木霊となって響き渡る。
「…………っ」
持子と雪は、同時に言葉を失い、ゆっくりと天を仰ぎ見た。
そこにあったのは、完璧な『球体』の空間。
直径43.3メートル、高さも全く同じ43.3メートルという、古代の建築技術の限界を突破した巨大なクーポラ(円蓋)。
そのドームの頂点には、直径9メートルの『オクルス(天窓)』が、ぽっかりと空に向かって開いていた。
パァァァァァァァァァァッ……!!!
ガラスなど一切ないその天窓から、紺碧のローマの空を背にして、極太の太陽の光が、まるで神の槍のように真っ直ぐに堂内へと降り注いでいる。
薄暗い大理石の空間の中央で、光の柱の中を無数の塵がキラキラと妖精のように舞い踊っていた。
(……なまら、綺麗だ)
持子は、その光の柱のすぐそばに立つ雪の姿を見て、激しく胸を打たれた。
ドクンッ。
ステンドグラスの人工的な光ではない、純粋な『天からの光』。
その淡い光のベールを浴びた雪の姿は、持子の目には、パンテオンに祀られたどの神々よりも神々しく見えた。
透き通るような白い肌、知性を湛えた銀縁の眼鏡、そして千年の時を生き抜いてきた不老の陰陽師としての、静かで圧倒的なオーラ。
二千年という途方もない歴史を持つこの神殿の重みすらも、雪という存在の前では、彼女の美しさを引き立てるための単なる『背景』に過ぎないのではないか。
(わしのプロデューサー。わしの親友。……そして、わしの誇り高き、美しい『母』よ)
持子は、その神々しい美しさに魅了され、ただ静かに、祈るような眼差しで雪の横顔を見つめ続けていた。
一方の雪もまた。
降り注ぐ光の柱の真下で、無邪気に天窓を見上げる持子の姿から、目を離せずにいた。
(……なんて、美しい子なの)
パシャァァッ……と。
レモンイエローのサマードレスを着た持子が光を浴びた瞬間、彼女自身が発光しているかのような錯覚に陥った。
光を反射してキラキラと煌めく黄金の瞳。神が計算し尽くした、黄金比のプロポーションと白磁の肌。
前世では『暴食の魔王』として恐れられ、血塗られた孤独な道を歩んできた魂。
しかし、今この純粋な光の中に立つ彼女は、どんな大天使よりも無垢で、どんな芸術作品よりも圧倒的に美しい。
(世界中を敵に回してでも、私が護り抜くって決めた……私の、たった一人の最高傑作。私のかわいい、子供)
雪の胸の奥が、熱く、甘く締め付けられる。
持子のその絶対的な美しさと、ふとした時に見せる少年のような純粋さのギャップが、雪の千年の孤独を、いともたやすく溶かしていくのだ。
「……雪」
ふいに、持子が振り返り、ふわりと柔らかく微笑んだ。
光を背負ったその笑顔は、雪の心を一瞬で射抜いた。
「どうしたの、持子」
「いや……ただ、な」
持子は、カツッ、カツッ、と雪の隣まで歩み寄ると。
その白く細い手を、自身の両手でそっと、大切に包み込んだ。
「ここに来て、良かった。……お前と一緒に、この光を見ることができて、わしは本当に幸せだ」
「…………っ」
魔王からの、あまりにもストレートで不器用な愛の言葉。
雪は、少しだけ頬を朱に染め、照れ隠しのようにフイッと視線を逸らした。
「……馬鹿ね。こんなところで、そんな顔で言わないでよ。……調子が狂うじゃない」
「ふはは! なんだ雪、照れておるのか? 可愛いところがあるではないか!」
「……うるさい。あんたの顔が、無駄に綺麗すぎるのが悪いのよ」
雪は、包み込まれた持子の手を、ギュッと握り返した。
ヒンヤリとした大理石の神殿の中で、二人の間にだけ、ポカポカとした温かい温度が交歓されている。
パンテオンの天窓から降り注ぐ光は、まるで二人の絆を祝福するかのように、いつまでも優しく、そして神々しく堂内を照らし続けていた。
「さて……そろそろ、時間ね。午後にはロンドンへのフライトが待ってるわ」
「うむ! イギリス編の始まりだな! 鮎たちも、そろそろ謹慎に飽きて部屋で暴れておる頃合いだろう!」
二人は、重厚な青銅の扉へ向かって歩き出す。
「……ありがとう、持子。最高の『ローマの休日』だったわ」
「ふはははは! わしに任せておけば当然だ! 次はロンドンで、美味い飯を探すぞ!」
永遠の都に、二人の楽しげな笑い声が響く。
最強のプロデューサーと極東の魔王の、短くも濃密なオフの時間は終わりを告げ。
物語は次なる舞台――霧の都ロンドンへと、静かに動き出そうとしていた。
【イタリア編・幕間:暴食の魔王と、氷のプロデューサーの不器用な休日 了】
パンテオン観たかった。
恨み言を一つ、私はここが一番観たかった!
でも連れが買い物しまくって時間オーバー。内観どころかパンテオンの外観すら見れなかった(´・Д・)」




