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「君の笑顔を、ローマに焼き付けて」

「さあ、行くぞ雪! わしにしっかりつかまっておれ!」


ローマの眩しい陽光の下、五つ星ホテルの車寄せに出るなり、持子は雪の白く細い手をギュッと力強く握りしめた。


普段は「最強のプロデューサー」として持子を導く雪だが、今日ばかりは違う。レモンイエローのサマードレスを翻し、自信満々に前を歩く極東の魔王に、雪は少しだけ目を丸くした後、ふふっと笑って大人しくその手に引かれた。


「タクシー! サンタンジェロ城まで頼むのだ!」


持子が勢いよく手を挙げると、一台の黄色いタクシーがキキィッ! と派手な音を立てて目の前に滑り込んできた。


「Ciao, belle signore!(やあ、美しいお嬢さんたち!)」


陽気なラテン系の運転手がウインクを飛ばす。二人が後部座席に乗り込むや否や、タクシーは「Andiamo!(行くぜ!)」という掛け声とともに、恐ろしい急発進を見せた。


ブゥォォォォンッ!!

ガコンッ、バウンドッ!


「ちょっ……!? 運転、荒すぎない!?」

「ふはははは! なまら速いではないか! まるで前世で乗っていた赤兎馬のような乗り心地だぞ!」


雪が慌てて車内のアシストグリップを両手でがっちりとホールドする横で、持子は窓の外を猛スピードで流れていくローマの景色を見て大はしゃぎだ。


イタリアのタクシー運転手は、狭い石畳の路地裏をミリ単位の隙間で縫うように走り抜け、前の車をクラクションで煽り散らしながら爆走していく。乗車感はまるでジェットコースターのようだが、その分、目的地への到着は圧倒的に早かった。


「Grazie! 釣りはいらん、とっておけ!」

「Grazie mille, principessa!(ありがとう、お姫様!)」


あっという間に目的地に到着し、持子はスマートにユーロ紙幣を渡してタクシーを降りた。

後ろからフラフラと降りてきた雪は、少しだけ青ざめた顔で胸元を押さえている。


「……もう、寿命が縮むかと思ったわ。あんなの、暴走車じゃない……」

「だらしがないぞ、雪! ほれ、顔を上げるのだ。着いたぞ!」


持子が指差した先。

テヴェレ川の穏やかな水面の向こうに、巨大な円筒形の城塞がドォンとそびえ立っていた。


「おおお……! これぞサンタンジェロ城! あそこに架かっているのが、水曜どうでしょう班が歩いたあの橋か!」


持子の黄金の瞳がキラキラと輝く。

二人の目の前にあるのは『サンタンジェロ橋(天使の橋)』。ベルニーニの工房が手がけたという美しい天使の彫刻が両サイドに並ぶ、ローマでも屈指の美しい橋だ。


「ほれ、雪! 行くぞ!」


持子は再び雪の手をギュッと握ると、今度は少しだけ歩調を緩め、彼女を優しくエスコートするように、天使たちに見守られた石橋をゆっくりと歩き始めた。


---


かつては皇帝の霊廟であり、時には教皇の避難所、そして牢獄としても使われたサンタンジェロ城。

二人はチケットを片手に、その重厚な石造りの城内へと足を踏み入れた。


薄暗い螺旋状のスロープや、歴史の重みを感じる回廊を、二人は手を繋いだまま歩き続ける。普段の張り詰めた仕事の空気はどこにもない。時折、持子が「ここで藤村Dが捻挫をだな……」と謎の解説を挟み、雪がクスクスと笑いながらツッコミを入れる。


ただの仲の良い親友同士の、穏やかで満ち足りた時間が流れていた。

そして、長い階段を登りきった先。

大天使ミカエルの巨大なブロンズ像がそびえ立つ、城の屋上テラスへと辿り着いた。


「……おおっ!」


持子の口から、純粋な感嘆の息が漏れた。

視界を遮るものは何もない。

テラスからは、永遠の都・ローマの街並みが360度の大パノラマで広がっていた。


眼下を流れるテヴェレ川の陽光によるきらめき、オレンジ色の瓦屋根がどこまでも連なる中世の街並み、そして遠くにはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の巨大なクーポラが、抜けるような青空に美しく映えている。


「……綺麗ね。本当に」


雪は、手すりに寄りかかりながら、眩しそうにローマの絶景を見渡した。

吹き抜ける心地よい風が、雪の綺麗にまとめられた髪をふわりと揺らす。その横顔には、いつも背負っている重圧など微塵も感じられない、柔らかな微笑みが浮かんでいた。


ゴソゴソッ……スッ!

持子は、自身のショルダーバッグの中に素早く手を突っ込むと、黒い小さな金属の塊を取り出した。


『カシャッ!』

『パシャパシャッ!!』


「……えっ? ちょっと、持子? 何撮ってるのよ」


不意に響いた小気味良いシャッター音に、雪が驚いて振り返る。

そこには、右手に真っ黒で無骨なコンパクトデジタルカメラを構え、ドヤ顔で胸を張る極東の魔王の姿があった。


「ふははははは! 驚いたか雪! 見よ、この一切の無駄を削ぎ落とした漆黒のストイックなボディを!」


持子はカメラを天高く掲げ、黄金の瞳をキラッキラに輝かせた。


「これぞ、現在世界中で予約数年待ちと言われ、プロのカメラマンですら喉から手が出るほど欲しがっている究極のスナップシューター……! RICOHリコーの最新作『GR4(フォー)』なのだ!!」


「……はぁ。またそんなマニアックなものを。いつの間にそんな入手困難なカメラを手に入れたのよ」


雪は呆れたように小さくため息を吐き、ジト目で持子を見た。


「甘いぞ雪! わしの魔王としてのコネクションと執念を舐めるなよ! いいか、このGRシリーズの歴史というのはな、フィルム時代から脈々と受け継がれる『最強のスナップカメラ』としての確固たる哲学があるのだ!」


持子の『ウンチク・スイッチ』が完全にオンになった。手持ちのGR4を愛おしそうに撫で回しながら、尋常ではない早口でまくし立て始める。


「電源オンからわずかコンマ数秒で起動する圧倒的な速写性! 歴代最高の切れ味と解像度を誇る新設計の単焦点レンズ! そして何より、被写界深度を利用して一瞬のシャッターチャンスを逃さない『フルプレススナップ』機能! 街の空気をそのまま切り取るには、この右に出るカメラは存在せんのだ!」


「はいはい、すごいわねぇ……」


「適当に流すな! 特にこのGR4が吐き出す絵の『エモさ』は異常なのだ! ハイコントラスト白黒のザラッとした質感や、ネガフィルム調のノスタルジックな色合い……ただシャッターを押し込むだけで、そこらのスマホの加工アプリなど足元にも及ばん、魂を揺さぶるような芸術的な写真が生み出されるのだぞ!!」


ズイッ! と鼻息荒くカメラを突き出してくる持子。


(……呆れるわね。本当に、自分が興味を持ったことにはとことん一直線なんだから)


雪は、熱弁を振るう持子を見つめながら、内心でクスッと笑いそうになるのを堪えていた。

『極東の魔王』だの『絶対的な美の化身』だのと恐れられ、崇拝されている持子だが、こういう時の彼女は、まるで新しいオモチャを手に入れてはしゃぎ回る『無邪気な少年』そのものだ。


(……でも、こういう少年みたいに目をキラキラさせて語るところ、嫌いじゃないのよね。むしろ、面白くて……可愛いわ)


雪の胸の奥が、じんわりと温かくなる。

完璧なモデルとしての顔ではなく、ただの『持子』としての素顔。それを自分だけに向けてくれていることが、雪にとってはたまらなく愛おしかった。


「ほれ、雪! そこに立て! ローマの絶景をバックに、わしのGR4で最高のポートレートを撮ってやる!」

「え? ちょ、ちょっと待ちなさいよ、私、今日は完全にオフのメイクで……」


『カシャシャシャシャッ!!』


雪が慌てて手で顔を隠そうとするが、持子は容赦なくシャッターを切りまくる。


「ふははは! どんな姿でも、お前は最高に美しいぞ、雪! ほれ、もっと笑え!」


ファインダー(実際には背面モニターだが、持子はあえて顔を近づけて液晶を覗き込んでいる)越しに見る、立花雪の姿。

風に揺れる髪、少し照れくさそうに、でも嬉しそうに微笑むその表情。

背後に広がる永遠の都の美しい景色すらも、雪の圧倒的で神秘的な美しさの前では、ただの書き割りの背景に過ぎないと思えるほどだった。


(……本当に、綺麗な女だ)


持子は、シャッターを切りながら、胸の奥で熱いものを感じていた。

千年の時を生きる、最強の陰陽師。

孤独だったわしの手を引き、わしを世界一のモデルへと押し上げてくれた、絶対的なプロデューサー。

そして何より――わしの、自慢の『母』。


(お前がわしの傍にいてくれることが、わしは……なまら誇らしいのだ。雪)


持子はモニターに映る雪の極上の笑顔を、一枚、また一枚と、GR4のセンサーに、そして自分自身の魂に、しっかりと焼き付けていった。


「……もう、それくらいでいいでしょ。あんた、撮りすぎよ」


雪が少しだけ頬を赤くして、照れ隠しのように顔を背ける。


「うむ! 完璧だ! わしの腕とGR4の性能、そしてお前の美貌が合わさった、まさに奇跡の一枚だぞ!」


持子は満足げにカメラの電源を切り、サッとカバンにしまった。

そして、二人は再び、ローマの風が吹き抜けるテラスで手すりに寄りかかり、並んで景色を見下ろした。

どちらからともなく、そっと手が重なり合う。


言葉はいらなかった。ただ、互いの温もりを感じながら、この至福の時間を噛み締めていた、その時。


ギュルルルルルルゥゥゥゥゥ〜〜〜ッ!!!!!


「……」

「……持子。あんた、今とんでもない音鳴らしたわね?」


ロマンチックな静寂とエモい雰囲気を完全にぶち壊す、暴食の魔王の腹の虫の盛大なファンファーレ。


「ふ、ふはははは! し、仕方あるまい! わしの胃袋が、そろそろカロリーの暴力を寄越せと限界を超えて叫んでおるのだ!」


持子は顔を真っ赤にして、誤魔化すように高笑いした。


「もう……さっきまでの良い雰囲気、完全に台無しね。少年通り越して、ただの食いしん坊のバカじゃないの」


雪は呆れ果てて肩をすくめたが、その顔には隠しきれない満面の笑みがこぼれていた。


「でも、いいわ。行きましょうか、あなたの言う『悪魔のような揚げピザ』とやらの店へ」

「うむっ! 行くぞ! 覚悟しておれよ雪、なまらデカいからな!」


二人の楽しげな笑い声が、ローマの青空へと吸い込まれていった。


イタリアのタクシーは信じられないくらい運転が荒いです。

高速道路170キロ以下はダメというアホみたいな法案提出した国は頭おかしいと思ったのを思い出した(たしか)

サンタンジェロ城はとても良かったです。

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