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「最強同士なのに不器用で尊い関係」

イタリア編・幕間:暴食の魔王と、氷のプロデューサーの不器用な休日(前半)

〜デートお誘い〜



【狂乱の果ての静寂と、散り散りになった下僕たち】



ローマの空を覆っていた分厚い雨雲はすっかりと姿を消し、洗い流されたような紺碧の青空から、眩いばかりの朝陽が五つ星ホテルのスイートルームへと差し込んでいた。


だが、その広大なリビングのド真ん中では、絶対零度の空気が吹き荒れていた。


「……というわけで。鮎、あんたは本日、一日謹慎処分よ。ロンドンへ出発する時間まで、自室から一歩も出てはダメ」


「ひぎぃっ!? そ、そんなぁ……!」


腕を組んだ立花雪たちばな ゆきの無慈悲な宣告に、筆頭従者の本多鮎ほんだ あゆが涙目で床に崩れ落ちた。


昨夜、極東の魔王・恋問持子こいとい もちこによって執り行われた『愛の魔力供給サバト』により、鮎の腰は完全に砕け、歩行すらおぼつかない状態になっていたのだ。


「ルージュ。あなたは鮎のお世話係として、彼女が部屋から出ないようにしっかり見張っていなさい」


『ふふふ、承知いたしましたわ、雪プロデューサー。わたくしが責任をもって、マスター・鮎を自室のベッドに縛り付けておきますわ』


影から実体化した吸血鬼の元女王ルージュが、優雅にお辞儀をする。


「エティエンヌ、あなたはどうするの?」


雪が視線を向けると、真祖の吸血鬼エティエンヌは、激しすぎる魔力供給で完全に満足しすぎたのか、ぽわわ〜んと頬を染めて胸の前で手を組んだ。


「ふぁあ……わたくしはもう、持子様の愛でお腹いっぱいですわ。自室のベッドでゆっくりおやすみさせていただきます……」


「……そう。じゃあ、さっさと各自の部屋に引っ込みなさい」


雪の『鶴の一声』により、腰をガクガクさせている鮎はルージュに引きずられ、エティエンヌもフラフラと幸せそうな足取りで、それぞれ自分たちに割り当てられた寝室へと消えていった。




【取り残された魔王と、極秘の観光ルート策定】



広大なリビングに残されたのは、バスローブ姿の持子と、ビジネスモードの雪の二人だけになった。


「……ふぅ。まったく、世話の焼ける下僕どもだ」


持子は冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをゴクゴクと煽り、プハァッと息を吐き出した。


「雪よ、あやつらは自室に引っ込んだが……そういえば、朔夜のやつはどうしたのだ?」


持子が尋ねると、雪は手元のタブレットから視線を上げずに、隣のゲストルームを顎でしゃくった。


「新任の『副マネージャー』殿なら、あそこで死にかけているわ。見てみたら?」


「む?」


持子はペットボトルを置き、そっとゲストルームの扉を開けて覗いてみた。


「……ははっ……陰陽五行の相克を用いた結界術の応用……それに加えて、イギリスでの撮影クルーの香盤表の暗記と……現地コーディネーターとの英語での折衝マニュアル……あははははっ、雪師匠、これ人間の処理能力超えてるって……」


土御門朔夜つちみかど さくやが、山のように積まれた分厚い呪術の魔導書と、ビジネス英語の分厚いファイルに埋もれながら、焦点の合わない目でブツブツと呪文を唱えていた。

完全に、鬼の上司にブラック労働を強いられている可哀想な新入社員の姿である。


「……見なかったことにしよう」


持子はそっと扉を閉めた。


「じゃあ、私は午後の出発まで社長室マスター・ベッドルームで手配と仕事があるから。絶対に邪魔しないように」


雪はそれだけ言い残すと、颯爽と一番奥の部屋へと消えていった。


カチャリ、と重厚な扉が閉まる音が響き、リビングに静寂が落ちる。


(……あれ? 今のわし、完全に『フリー』ではないか?)


持子の黄金の瞳が、パチパチと瞬きをする。


楓たち別動隊はすでに早朝の便で発った。鮎とエティエンヌは自室から出てこない。ルージュは監視役。朔夜は使い物にならない。


誰も自分に「ご主人様ぁ!」と群がってこない。

常に騒がしい下僕や戦友たちに囲まれている持子にとって、この異国の地で訪れた完全なる『空白の時間』は、ひどく新鮮なものだった。


そして、持子の脳裏に、先ほど奥の部屋へと消えていった雪の背中が浮かんだ。


(……よくよく考えてみれば)


持子はソファにドスッと座り込み、腕を組んで唸った。


(わしら、最近『仕事』ばかりではないか? 雪のやつ、わしのプロデュースと裏社会のコントロールで、ずっと気を張り詰めておる。二人きりで、何のしがらみもなく『遊び』をしたのは、いつが最後だったか……)


前世の深い絶望の底から、現世で自分を見つけ出し、世間をすべて敵に回してでも「家族」として永遠に傍にいると誓ってくれた雪。

持子にとって彼女は、命よりも重い『たった一人の特別な存在』だ。


(よし! 決めたぞ! 今日の午後のフライトまで、わしが雪を連れ出して、ローマの街を二人きりでデートしてやるのだ! 最高の休日をプレゼントしてやる!)


思い立ったが吉日。

行動力だけは異常に高い極東の魔王は、すぐさま自分のスマートフォンを手に取り、画面を恐ろしい速度でスワイプし始めた。


「ローマ、観光、おすすめ」「ローマ、美味い飯、肉、炭水化物」などというIQの低い検索ワードで、情報を掻き集める。


「おおっ!? こ、これは……!! サンタンジェロ城!」


持子の黄金の瞳がカッ! と見開かれた。


「これ、わしが日本で腹を抱えて笑った、伝説の番組『水曜どうでしょう』で大泉洋とミスターが出てたあの城ではないか! 聖地巡礼だ! これは絶対に外せん!」


さらに検索を進め、古代ローマ建築の最高峰『パンテオン』の美しい天窓の写真に息を呑み、コースに組み込むことを決意する。

そして、最大の重要課題である『飯』。


「ただのパスタやピザでは面白くない。もっとこう、わしの魂(胃袋)を激しく揺さぶるような、ジャンクで暴力的なカロリーの塊は……」


血眼になってグルメサイトを漁る持子の目に、一つの輝かしい宝石が飛び込んできた。

名物:Pizza Frittaピッツァ・フリッタ――すなわち、『揚げピザ』。


「あ、揚げピザ……だとぉぉぉっ!?」


持子の口から、滝のようなヨダレがジュルリと垂れた。


「ピザ生地の中にチーズと豚の脂身を詰め込み、高温の油で丸ごと揚げる……ッ!? そ、そんな悪魔のようなカロリーの暴力が存在するというのか! よし、決まりだ! 完璧なコースだ!」


持子はスマートフォンを握りしめ、バサァッ! とクローゼットの扉を開け放った。


「そうと決まれば、変装も兼ねて少しお洒落をするぞ! 雪の奴を惚れ直させてやるわい!」




【鉄壁の社長室への潜入と、不器用な魔王】



三十分後。


持子は、鮮やかなレモンイエローのサマードレスに麦わら帽子、そして変装用の大きめのサングラスという完璧な仕上がりで、マスター・ベッドルームの前に立っていた。


(ど、どうやって誘えばいいのだ? 下手に声をかけたら、『タレントが勝手に出歩くんじゃないわよ!』と怒られるやもしれん……)


意を決した持子は、コンコン、と控えめにノックをした。


「……雪。わしだ。入るぞ」


ガチャリと扉を押し開けると、冷房の効いた部屋の中央で、銀縁眼鏡をかけた雪が、恐ろしい速度でキーボードをターンッ! ターンッ! と叩きまくっていた。


「……Le contrat avec l'agence de Londres doit être revu immédiatement.(ロンドンのエージェントとの契約は即座に見直すべきね)」


インカム越しに流暢なフランス語が飛び交い、「今話しかけたら殺す」という絶対零度のオーラが立ち昇っている。


「……あ、あのな、雪」


持子が蚊の鳴くような声で声をかけると、雪のタイピングの手がピタッと止まり、氷点下の視線が持子を射抜いた。


「……何? 持子。何かトラブル? 鮎たちが部屋を抜け出したの? それとも、朔夜が過労で倒れたのかしら」


「ち、違う! あやつらは自室で大人しくしておる! 朔夜は死にかけておるが、まだ息はある!」


持子は慌てて首を横に振る。


「……そう。じゃあ、あなたも午後の出発まで、おとなしく休んでいなさい。私は今、分単位で忙しいの。……見ればわかるでしょ?」


雪が再びモニターに向き直ろうとした瞬間。


「ま、待て! 待つのだ雪!」


持子は、思わず雪のデスクにバンッ! と両手をつき、身を乗り出した。


「わしは……わしは、お前と!」


持子の黄金の瞳が、サングラス越しに真っ直ぐに雪を見据える。


「お前と……その、ローマの街を、歩きたいのだ!」


シンッ……。

部屋の空気が、一瞬だけ停止した。




【プレゼンテーション・ローマ! 魔王の必死の誘い】



雪は、モニターに向かいかけていた顔を再び持子に戻し、目を少しだけ丸くした。


「……は? ローマの街を、歩く? あなたと、私が?」


「そ、そうだ! コースは完璧に決めてあるのだ!」


持子は、ここぞとばかりに準備してきたプレゼンを、噛まないように必死にまくし立て始めた。


「まずは飯だ! 『Antica Friggitoria La Masardona Roma』という店に行く! そこにはな、なまら美味そうな『揚げピザ』というカロリーの暴力のような食い物があるらしいのだ! チーズと肉と油の奇跡のコラボレーションだぞ! わしは……わしはどうしても、お前とそれを半分こして、アツアツのまま食いたいのだ!」


雪が「揚げピザ……」と呆れたように呟くのを遮り、持子はさらに前のめりになる。


「サンタンジェロ城だ! 水曜どうでしょうの聖地の場所を、お前と一緒に見て爆笑したい! そして……パンテオンだ!」


持子の声のトーンが、少しだけ真剣な、静かなものに変わった。


「写真で見たが、あそこの建築は本当に美しい。神々しい光が差し込むあの丸いドームの下を……お前と一緒に、並んで歩きたいのだ」


一息に喋りきった持子は、ハァハァと息を切らし、顔を真っ赤にして雪を見つめていた。


雪は、沈黙したまま、ただじっと持子の目を見つめ返している。


「……」

「……」


痛いほどの静寂。

持子は、次第に自分がとんでもなくワガママを言っているのではないかと不安になり、シュンと肩を落とし始めた。


「……すまぬ。やはり、わしは我儘であったな」


持子は、デスクから手を離し、麦わら帽子のつばをギュッと握りしめた。


「お前がわしのために、どれだけ裏で身を粉にして働いてくれておるか、分かっておるつもりだ。それなのに、わしは……」


持子は、ぽつり、ぽつりと、心の奥底に沈めていた本音をこぼし始めた。


「最近、わしら、仕事ばかりで……二人きりで、ただ笑って、くだらない話をして、美味い飯を食って……ただの『持子』と『雪』として、時間を過ごしておらんではないか」


前世で、誰も信じられず、暗闇の中で孤独に死んでいった自分。

現世で、その手を強く引き寄せてくれたのは、千年以上をたった一人で生きてきた、孤独な不老の怪物である雪だった。


最強のプロデューサーと、世界一のモデル。

その関係の根底にあるのは、互いの孤独を埋め合わせるようにして結びついた、どうしようもなく不器用で、深く、温かい『家族』としての絆なのだ。


「お前が忙しいのは分かっておる。……だが、わしは、お前と一緒に遊びたかったのだ。……ただ、それだけだ。邪魔をして悪かったな」


持子は、寂しそうに微笑み、くるりと背を向けて部屋を出ようとした。




【氷の融解。親友であり、母なる微笑み】



パタン。


持子の背後で、ノートパソコンが閉じられる音がした。


「……待ちなさい」


ピタリ、と持子の足が止まる。

振り返ると。


デスクから立ち上がった立花雪が、こちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。


その顔からは、いつもの「冷徹なプロデューサー」としての威圧感も、氷点下のビジネスオーラも、すべてがスゥッ……と、春の雪解けのように消え去っていた。


「……雪?」


雪は持子の目の前で立ち止まると、かけていたブルーライトカットの眼鏡を外し、指先でつまんでデスクの上にコトリと置いた。

そして。


「……馬鹿ね」


雪の口元からこぼれたのは。

持子を心から愛おしむ「親友」であり、すべてを包み込む「母」のような、底抜けに優しく、どこまでも温かい微笑みだった。


「そんな、捨てられた子犬みたいな顔で……そんな可愛い誘い方をされたら、断れるわけないじゃない」


スッ……。

雪の白く細い手が伸び、持子の麦わら帽子の上から、その頭を優しく、愛おしむように撫でた。


「ゆ、雪……!」


持子の黄金の瞳から、パァァァッ! と、太陽のような輝きが溢れ出す。


「仕事なんて、いくらでも後回しにしてやるわ。ロンドンの連中には、あとで適当に言い訳をつけて待たせておけばいい」


雪は、ふわりと肩の力を抜き、本当に楽しそうな、ただの一人の女性としての笑顔を見せた。


「揚げピザに、水曜どうでしょうの聖地巡礼、それにパンテオン……。ふふっ、本当にあなたらしい、カロリーとミーハーと美が入り混じった、無茶苦茶な観光コースね。……でも、悪くないわ」


雪は、自分の私服のジャケットをハンガーから手に取ると、スッと袖を通した。

そして、持子に向かって右手を差し出した。


「……行こうか、持子。二人だけの、ローマの休日に」


その言葉と、差し出された手。

持子にとって、それは世界中のどんな宝石よりも、どんな極上の料理よりも、価値のあるものだった。


「うむっ!!」


持子は満面の笑みを咲かせ、雪のその手を、両手でギュッと力強く握りしめた。


「なまら最高の休日にしてやるからな、雪! 覚悟しておれ!」


「ええ、お手並み拝見させてもらうわ。……でも、揚げピザのカロリーは半分あなたが持ちなさいよ?」


「ふははは! 望むところだ! 全部わしが食ってやるわい!」


キャハハハッ、と。

社長室に、ただの女の子同士のような、無邪気で楽しげな笑い声が響き渡る。


二人は手を取り合い、誰にも邪魔されない、水入らずのローマの街へと、足取り軽く駆け出していくのであった。


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