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「モンマルトルの覚醒と、魔王の黒歴史(カルマ)大爆発」

芸術の丘と、魔王の指先に宿る衝動


午後三時。

パリの喧騒を抜け、極東の魔王一行が辿り着いたのは、市内を一望できる小高い丘――モンマルトルだった。

白亜のサクレ・クール寺院が見下ろすテルトル広場には、無数のイーゼルが立ち並び、ベレー帽を被った画家や似顔絵師たちが、世界中から訪れる観光客を相手にその腕を競い合っている。


「おおおっ! なんとも風情のある場所ではないか!」


持子は目を輝かせ、広場をキョロキョロと見回した。

石畳のあちこちから絵の具やインクの匂いが漂い、アコーディオンの軽快な音色がパリの午後の空気を彩っている。


「……現在時刻、15時05分。この広場での滞在予定時間は45分です。皆様、スリやひったくりには十分に警戒しつつ、自由行動とします」


銀縁眼鏡を押し上げながら、霞涼介がタブレット片手に的確な指示を出す。


「ふははは! スリだと? わしらから財布をすろうなどという命知らずがおるものか! ……よし! せっかくだから、わしらも似顔絵を描いてもらおうではないか!」


持子の提案に、一行は広場の片隅でイーゼルを構えていた、陽気な老画家の前に座ることになった。


「Trés bien(素晴らしい)! なんて美しいマドモアゼルたちだ! 芸術家の血が騒ぐよ!」


老画家はウインクをすると、木炭を手に取り、スラスラとキャンバスに持子たちの顔を描き出していく。

サラサラサラッ……。シュッ、シュッ。

わずか十五分ほどで完成した似顔絵は、持子の黄金比の美しさと魔王としての威厳、そして隣でドヤ顔を決める鮎や、後ろで日傘をさすルージュの特徴を見事に捉えた、見事なデッサンだった。


「おお! すごいです! 私がまるで本物の番犬のように勇ましく描かれていますぅ!」


「ふふっ、わたくしの高貴なオーラもよく表現できておりますわね。まぁ、実物の美しさには到底及びませんけれど」


鮎とルージュが完成した絵を見て歓声を上げる。


「ふははは! なかなか見事な腕前だ! 気に入ったぞ! エティエンヌ、チップをはずんでやれ!」


「はっ! 喜んで!」


エティエンヌが懐からユーロの札束を取り出し、老画家に気前よく握らせる。

その時である。

持子の右手、その指先が――ピクッ、と奇妙な疼きを感じた。


(……む?)


他人の描いた素晴らしい絵を見ているうちに、なぜか無性に『自分でも何かを描いてみたい』という、内側から激しく湧き上がる謎の衝動に駆られたのだ。

それは、前世の暴君・董卓としての闘争心とは全く違う。純粋な『表現欲求』の爆発であった。


「……おい、そこの絵描きよ。少し、わしにもその紙とペンを貸してはくれまいか?」


持子がたまらず声をかけると、札束をもらって上機嫌な老画家は「おや? マドモアゼルも絵を描くのかい? もちろんだとも! ほら、このスケッチブックと鉛筆のセット、丸ごとプレゼントしよう!」と、新しい道具を一式、気前よく持子に手渡してくれた。


「ふはは、大儀である!」


持子は真っ白なスケッチブックを受け取ると、ふむ、と広場を見回した。


「さて、何を描くか……」


スッ、と持子の視線が止まった先。

そこには、片手にタブレットを持ち、広場の構造と脱出ルートを真顔で計算している銀縁眼鏡のエリート、霞涼介が立っていた。


「よし、霞! そこから動くな! 貴様の顔を描いてやる!」


「……私ですか? 構いませんが、あまり非合理な時間は……」


「黙って立っておれ!」


持子はスケッチブックを開き、鉛筆を構えた。

その瞬間。

ピタッ。

持子の身体の芯、脳の奥底に眠っていた『何か』が、完全にカチリと噛み合った。


(……おお? な、なんだこれは?)


自分でも驚くほど、鉛筆を握る手が手に馴染む。まるで、呼吸をするように自然に、手首が勝手に動き始めたのだ。

シャシャシャシャシャッ!!

キュッ、サァァァァッ!!


「……っ!?」


あまりの迷いのない凄まじい筆裁き(ストローク)に、隣で見ていた朔夜が目を見開いた。


「お、おい持子……お前、そんなに絵が上手かったのか……?」


「わ、わからん! わしにもわからんが……手が、勝手に動くのだ!」


持子の右手は、まるで神が憑依したかのようにスケッチブックの上を乱舞していた。迷い線が一つもない。アタリを取るスピードも異常だ。

わずか数分後。


「で、できたぞ……!!」


持子はスケッチブックをバァン! と霞に向けて裏返した。

そこには――。

少しだけ漫画アニメチックなデフォルメが効きつつも、霞涼介のクールな目元や、銀縁眼鏡の奥の理知的な光、そしてスーツ越しの無駄のない筋肉のラインまでが、プロのイラストレーター顔負けの『超絶クオリティ』で描き出されていた。

しかも、なぜか無駄にキラキラとしたトーン(効果)や、背景の謎の薔薇の花までが、鉛筆の濃淡だけで完璧に表現されている。


「「「おおおおおおおっ!!??」」」


仲間たちから、どよめきと歓声が上がった。


「す、すごいです持子先輩! 霞先輩が、まるで少女漫画のイケメンヒーローみたいです!」


普段はクールな楓が、目をキラキラさせてスケッチブックを覗き込む。


「私ですら、自分の顔がここまで美化……いや、完璧に表現されていることに驚きを隠せません。驚異的な空間把握能力とデッサン力です。……しかし、なぜ背景に薔薇が背負われているのでしょうか?」


モデルにされた霞本人も、眼鏡を押し上げてマジマジと絵を見つめている。


「ご主人様、天才です! 天才絵師ですぅっ! 次は私を! 第一下僕である私を、忠実な犬のように描いてくださいっ!」


「持子お姉さま、私も! 私も描いてーっ!」


鮎と鶴子が、キャーキャーと騒ぎながら持子に群がってきた。


「ふははははは! そうかそうか、わしは絵の才能まであったか! 良いぞ! 貴様ら全員、この天才絵師・持子が極上に美しく描いてやるわ!」


完全に調子に乗った持子は、モンマルトルの広場の真ん中のベンチにどっかりと座り込み、次々と仲間たちの似顔絵をスラスラと量産し始めたのである。



止まらない筆と、量産される傑作


シャシャシャシャシャッ!


「はい鮎、完成だ!」


「わぁぁっ! 私、すっごく可愛く描けてる! しかも頭に幻の犬の耳としっぽまで! さすがご主人様、私の本質を完全に理解しておられますぅぅっ!」


「次は鶴子だ! ほら、笑え!」


「えへへ、お姉さまに描いてもらえるなんて嬉しいな!」


シャシャシャシャッ!


「うむ、お前のそのお姫様のような清楚さがよく出たぞ。ほれ!」


「すごい! 私じゃないみたいにキラキラしてる!」


筆が乗りに乗った持子の右手は、もはや残像が見えるほどのスピードで動き続けていた。


「モグモグ……では、次はわたくしを描いてくださる?」


ルージュが、優雅にチョコをつまみながら、持子の前に気取ったポーズで立つ。


「ルージュか。貴様はいつも生意気だからな、少し意地悪な顔に描いてやる!」


「あら。わたくしの高貴なオーラは、意地悪に描こうとも隠しきれませんわよ?」


キュッ、サァァァッ!

出来上がったのは、不敵な笑みを浮かべ、優雅にティーカップを傾ける、まさに『三百年前の吸血鬼の女王』そのものの威厳と美しさを持ったルージュの姿だった。


「……ふふっ。なかなか良い腕ですわね。褒めてさしあげますわ」


「おおおっ! 持子様! 私も! この私めもどうか、持子様の踏み台として描いてくださいませっ!」


エティエンヌが鼻息を荒くして、地面に四つん這いになろうとする。


「バカモノ! 広場の真ん中で四つん這いになるな! 普通に立て!」


持子は呆れながらも、エティエンヌの絶世の金髪美女(中身はドMの元男)の姿をスケッチブックに落とし込んだ。


「……出来たぞ。ほれ」


「ああっ……! なんて神々しく、そして誇り高い私の姿……! 持子様の瞳には、私がこのように美しく映っているのですね! 一生家宝にいたしますぅぅっ!」


エティエンヌが似顔絵を抱きしめて号泣する。


「お、お肉……私も、お肉を持った絵を……」


足元で呻いている美羽には、特大のマンガ肉を両手で抱えて幸せそうに笑う姿を描いてやった。


「はぅぅ……絵の中の私、すごく幸せそうですぅ……」


「……私は結構ですよ。絵に描かれるのは恥ずかしいですから」


楓が少し離れた場所でツンとそっぽを向いていたが、持子は「遠慮するな妹よ!」と強引に描き上げた。


「ふはは! どうだ楓! お前のその氷のような冷たい表情の奥にある、年相応の可愛らしさを表現してやったぞ!」


「……っ! な、なんでそんなに……キラキラさせるんですか! 恥ずかしいじゃないですか!」


楓が珍しく顔を赤くして抗議するが、その絵をしっかりと自分のバッグにしまったのを、持子は見逃さなかった。


「よし! 最後は朔夜だ! ほら、こっちを向け!」


「お、おう……。なんか、マジで見つめられると恥ずかしいな……」


朔夜は、色素の薄い美少女の顔立ちを少し赤らめながら、照れくさそうに頭を掻いた。


(……ふむ。朔夜のやつ、見た目は可憐な小娘のくせに、中身は完全にゴリゴリの男だからな。そのギャップを表現してやるか)


持子は、朔夜の細い首筋や、鎖骨のライン、そして真っ直ぐな瞳の奥にある『男としての独占欲』を、鉛筆の濃淡でこれでもかと描き込んでいく。

シャシャシャシャシャッ!


「……よし、完成だ!」


「おおっ……! すっげー! これ、俺か!? なんか、めちゃくちゃカッコよく描かれてるじゃねーか!」


朔夜が目を輝かせてスケッチブックを受け取る。

絵の中の朔夜は、美少女のガワでありながらも、どこか危険な色気を放つイケメンヒーローのような顔つきに仕上がっていた。



魔王の違和感と、記憶の扉


「ふはははは! どうだ! わしの芸術的センスは最高であろう!」


全員の似顔絵を描き終え、持子はスケッチブックをパタンと閉じ、ベンチで大きくふんぞり返った。

仲間たちがそれぞれ自分の絵を見せ合い、「ご主人様天才です!」「持子ちゃんすごい!」と盛り上がっている。


(……ふむ。しかし、不思議なものだな)


持子は、自身の右手を見つめながら、ふと小首を傾げた。

三国志の時代を生きた魔王・董卓であった前世の記憶の中に、絵の修練を積んだ覚えなど一切ない。

剣を振り回し、暴虐の限りを尽くした記憶はあるが、こんな繊細なタッチで人物画を描いた記憶など皆無なのだ。

ということは。

この凄まじい画力は、今世の肉体の持ち主――つまり、『董卓の魂が覚醒する前の、オリジナルの恋問持子』が培ってきた技術スキルということになる。

持子は、朔夜からスケッチブックを少し借りて、自分が描いた霞や朔夜の似顔絵を、マジマジと見つめ直した。

瞳の描き込み方。

輪郭のシャープな線の引き方。

髪の毛のトーンの入れ方。

そして何より――男たちの『筋肉の筋』や『鎖骨の色気』『喉仏』を、なぜか異常なまでの執念とフェティシズムを持って描き込んでいる、この特徴的なアートスタイル(絵柄)。


「…………ん?」


持子の手が、ピタリと止まった。


(……待てよ。わし、この『絵柄』……)


どこかで。

強く、強烈に、見覚えがあるような。

いや、見覚えがあるどころではない。脳裏にこびりついて離れない、トラウマレベルの記憶と、完全にリンクしているような気がするのだ。

持子の脳細胞が、フル回転を始めた。

そして、記憶の扉が、ギギギ……と不吉な音を立てて開いたのだ。



封印されし禁書の記憶フラッシュバック


――それは、数ヶ月前の十一月。

代官山にある、持子の住む高級マンションのウォークインクローゼットの最奥での出来事だ。

季節は秋から冬へ。衣替えという名の「儀式」が行われる時期であった。


『持子さん、自分の服くらい自分で管理してください。あと、変なものが紛れてないかチェックして』


という、立花雪からの絶対的な命令により、持子は一人でクローゼットの整理をしていた。

その最深部。

「プラダ」や「グッチ」の高級な箱に埋もれるようにして、一つだけ、異質なオーラを放つダンボール(みかん箱)が鎮座していたのだ。

しかも、ガムテープで厳重に目張りされた上から、極太のマジックで、禍々しい文字が書かれていた。


『封印(絶対に開けるな)!!!』


持子自身の筆跡、董卓の記憶が蘇る前のオリジナル持子の物だ、魔王の傲慢さで「愚かな! わしに恐れるものなどないわ!」とその封印を解き……。

そして、中から大量の『薄い本(同人誌)』を発見したのだ。

その夜。

様子を見に来た雪が、その薄い本を手に取り、持子を徹底的にいたぶるという地獄の時間が始まった。


『……ふふふ。持子。これ、どういうことですか?』


雪が、ニヤニヤと笑いながら取り出した一冊目のタイトル。


『月下の蝶 ~呂布×貂蟬〜ノーマル!』


『な、なに……ッ!?』


『で、二冊目の「董卓×貂蟬」……。これを見て「素晴らしい」って喜んでましたけど、これってつまり、自分(董卓)が、自分(貂蟬の体)を愛でてるってことですよね? 究極のナルシストですか?』


『ぐぬっ……! そ、それは……!』


そして、雪がトドメとして持子の胸に突きつけた、三冊目の黒い表紙の同人誌。

タイトルは『猛獣の檻〜董卓 × 呂布〜』。


『ふふふ、どうなんです?』


『……は?』


『あなた、呂布を、やっちゃいたかったんですか? それとも……もう、やっちゃってたんですか?』


ズガァァァン!!

その言葉は、方天画戟よりも鋭く、持子の精神メンタルを貫いた。


『い、いやだ! 違う! あの裏切り者など、わしは……!』


『でも、満更でもない顔して読んでたじゃないですか。「愛い奴よ」って。……やっぱり、愛憎は紙一重ってやつですか? 息子ほど年の離れた部下を、その松明で……』


『やめろぉぉぉぉぉッ!! 言うなぁぁぁぁッ!!』


持子の脳裏に、髭面の自分(董卓)が、筋骨隆々で無駄に色気のある美青年として描かれた呂布と、あんなことやこんなことをしているイラストが、鮮明に、あまりにも鮮明に焼き付いてしまったのだ。

――そう。あの時、表紙に描かれていた、あの特徴的なイラスト。

筋骨隆々の男たちの、無駄に色気のある首筋のライン。

シャープな顎の輪郭。

瞳の描き込み。



深すぎるカルマと、発狂する魔王


モンマルトルの広場の真ん中で。

持子の顔面から、スゥゥゥゥッ……と、すべての血の気が引き、真っ青になった。


(ま、まさか……嘘だろ……?)


持子は、ガタガタと震える手で、今自分がスケッチブックに描いた霞や朔夜の絵と、記憶の中にある『董卓×呂布』の同人誌の表紙の絵柄を、頭の中でピッタリと重ね合わせた。

骨格の取り方。

影の付け方。

無駄に色気のある筋肉の描写。

……完全一致。

一ミリの狂いもない、完全に同一人物のアートスタイル(絵柄)だった。


「ひっ…………!?」


持子の口から、カエルが潰されたような悲鳴が漏れた。


(わ、わしだ……っ!! あのクローゼットの奥に封印されていた、董卓と呂布のアブナイ同人誌を描いていた『サークル主』は……覚醒する前の、オリジナルのわし(恋問持子)だったのかぁぁぁぁぁっ!!!)


ズガァァァァァァァァァンッッ!!!!

持子の脳天に、エッフェル塔が真っ二つに折れて直撃したかのような、超ド級の衝撃が走った。


「持子様? どうされました? お顔が真っ白ですが……」


鮎が心配そうに覗き込んでくるが、持子の耳にはもう何も入ってこなかった。


(な、なんてことだ……っ!! 前世のわし(董卓)は、現世で絶世の美女(貂蝉)に転生しただけでなく……! その転生する前の肉体の持ち主は、あろうことか『自分(董卓)と裏切り者の息子(呂布)』の薄い本を自家発電で執筆し、コミックマーケットで頒布していた重度の腐女子だったというのかァァァァっ!!)


業が。

あまりにも、カルマが深すぎる。

宇宙のブラックホールよりも深く、暗く、そして救いようのない業の肯定。

自分が前世で殺された相手(呂布)とのBLを、自分の現世の肉体が嬉々として執筆し、壁サークルとして君臨していたという、タイムパラドックスも真っ青の猟奇的ホラー(黒歴史)。


「いやああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」


「びくぅっ!?」


「も、持子先輩!? 急に頭を抱えてどうしたんですか!?」


楓や霞が驚いて一歩後ずさる。


「わ、わしは……わしはなんという恐ろしい肉体に宿ってしまったのだ……っ! これが、これが魔王としての報いなのか! 呂布! 呂布のバカヤロー!! おのれ持子(オリジナル)ぉぉぉぉっ!!」


持子はスケッチブックを地面に叩きつけ、モンマルトルの石畳の上に両膝をつき、頭を抱えてゴロゴロとのたうち回り始めた。


「ちょ、持子! 落ち着けって! 腹でも痛いのか!?」


朔夜が慌てて抱き起こそうとするが、持子は「触るな! 貴様の鎖骨を見ると筋肉を描きたくなるだろうがぁっ!」と意味不明な叫びを上げて抵抗する。


「あああっ、持子様のご乱心ですわ! 急いで魔力を! 私のキスで魔力を!」


「どさくさに紛れてキスしようとするな鮎! とにかく、一度ホテルへ戻りますよ!」


霞が冷静に指示を出し、エティエンヌが「私が持子様をおんぶいたしますぅっ!」と鼻息を荒くする。

芸術の都、パリ・モンマルトルの丘。

美しい風景と和やかな似顔絵大会は一転し、己の深すぎる業(腐女子のカルマ)に気づいて完全に発狂した極東の魔王と、それを必死に取り押さえる化け物たちの、大パニックの修羅場へと変貌するのであった――。

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