『ルーヴル迷宮と、拾い食い暗殺者の完全復活』
【超合理主義のナビゲーターと、鉄壁の護衛陣】
午前十一時三十分。
賑やかなシャンゼリゼ通りのカフェを後にした極東の魔王一行は、パリ観光の目玉である『ルーヴル美術館』へと向かって歩き出していた。
「……現在時刻、11時32分。想定よりも2分の遅れが生じていますが、許容範囲内です」
先頭を歩く霞涼介が、銀縁眼鏡をクイッと中指で押し上げ、手元のタブレットを冷徹な目で見つめる。
「これよりルーヴル美術館を視察し、その後、シャンゼリゼ通りでショッピング。13時50分にはベアトリス殿と流星殿との合流地点へ到達します。私の計算した最短・最適ルートから、一歩たりとも外れないでください」
「ふははは! 頼もしいぞ霞! まるで優秀な軍師のようではないか!」
持子は上機嫌でふんぞり返り、パリの石畳を我が物顔で闊歩する。
リジュから渡された『限度額無制限のブラックカード』がポケットに入っているという事実が、魔王の足取りを最高に軽くしていた。
「おっ、持子。あそこに美味そうなジェラート屋があるぜ。食うか?」
スッ……。
いつの間にか、持子のすぐ右隣の『特等席』に、土御門朔夜が陣取っていた。色素の薄い美少女のガワを被りながら、その声色と態度は完全に「デート中の彼氏」のそれである。
「む? ジェラートだと? うむ、甘いものは別腹だ! さっそく――」
「ダーーッ!! ダメですダメです!」
バサァッ!
持子と朔夜の間に、ピンク色の髪を揺らして本多鮎が強引に割って入った。
「持子様の隣は、第一下僕である私の指定席です! 朔夜は下がってください!」
「そうだ! 朔夜殿、貴様のようなポッと出の陰陽師に持子様のエスコートなど百年早い! 持子様の隣は、この美しき吸血鬼エティエンヌが死守する!」
左隣には、金髪の絶世の美女(中身はドMの元男)エティエンヌが、鼻息を荒くしてピタリと張り付く。
「……チッ。どいつもこいつも、俺の邪魔ばっかしやがって」
朔夜は舌打ちをし、忌々しそうに鮎とエティエンヌを睨みつけた。
(せっかくのパリでのデートだってのに! なんで俺が、こんな面倒くさい下僕どものガードを突破しなきゃなんねーんだよ!)
「持子お姉さま! 私、手をつないでもいいですかっ!?」
さらにそこへ、先ほどのカフェで『妹』となった葉室鶴子が、満面の笑みで持子の腕にギュッと抱きついてきた。
「ふはは! もちろんだとも鶴子! 可愛い妹の頼みとあらば断れんからな!」
「えへへ〜! 持子お姉さま、大好き!」
「……おいおい。完全に俺の入る隙がねぇじゃねーか」
朔夜はガクリと肩を落とす。
「ふふっ。諦めるんですのね、朔夜」
少し後ろを歩いていたルージュが、優雅に日傘をクルクルと回しながらクスリと笑った。
「持子様は魔王にして、罪作りなミューズ(女神)。……あなた一人が独占するには、少々ハードルが高すぎますわよ?」
「うるせぇ。見てろよ、絶対俺がエスコートしてやるからな」
負けず嫌いの肉食系男子は、ギラリと黒い瞳を光らせ、虎視眈々と『持子の隣』を狙い続けていた。
【ルーヴルの迷宮と、ゾンビ暗殺者の完全回復】
正午。
巨大なガラスのピラミッドを抜け、極東の魔王一行は世界最大級の迷宮、『ルーヴル美術館』の内部へと足を踏み入れた。
ザワザワ、ガヤガヤ……!
世界中から集まった観光客で、館内はすさまじい人口密度になっていた。
「……皆様、はぐれないように。まずは最短ルートで『モナ・リザ』と『サモトラケのニケ』を回収し、その後――」
先頭を歩く霞涼介がタブレットを片手に的確な指示を出そうとした、その時である。
「……お肉……あっちの絵から、美味しそうなお肉の匂いが、しますぅ……っ」
フラフラフラ……。
最後尾を歩いていた花園美羽が、虚ろな目をしたまま、ふらりと列を外れて立ち入り禁止エリアのロープへと歩き出した。
昨夜のパリ地下でのネズミと謎キノコの『拾い食い』による猛烈な食中毒。そのダメージは、いまだに彼女のHPと正気をゴリゴリと削り続けていたのだ。
ガシッ!!
「……どこへ行くつもりですか、美羽先輩」
氷のように冷たい声と共に、風間楓が美羽の首根っこを背後からガッチリと掴み上げた。
「ひぎぃっ!? か、楓ちゃん……っ! お腹が、お腹が痛くて……幻覚が……っ」
涙目で呻く美羽を見て、楓は「はぁ……」と、心底呆れたように深いため息を吐いた。
(……まったく。暗殺者としては一流になりつつあるというのに、この食い意地とサバイバル能力の低さは致命的ですね。見ていてあまりにも可哀想になってきます)
楓は、スッ……と自身の白く細い手を美羽のお腹に当てた。
「……少し、じっとしていてください」
ポォォォォンッ……!
楓の手のひらから、淡く温かい『神術』の浄化の光が溢れ出し、美羽の全身を優しく包み込んだ。
神の転生体である楓の圧倒的な治癒の力が、美羽の体内に巣食っていた猛毒と腹痛の元凶を一瞬にして完全に消し去っていく。
「あっ……! うそっ! お腹のギュルギュルが……治った! 完全に治りましたぁっ!」
美羽の顔に、パァッと健康的な赤みが戻った。
「か、楓ちゃぁぁんっ! ありがとうございますぅっ! やっぱり楓ちゃんは私の天使ですぅぅっ!」
美羽は感動のあまり大号泣し、ガバッと楓に抱きつこうと飛びかかった。
ピタッ。
「……汚いです。くっつかないでください」
しかし、楓は冷ややかな顔のまま、片手で美羽の顔面(頭)をガシッと押さえつけ、それ以上近づけないように完全にホールドした。
「はうぅっ! 楓ちゃんのツンデレ! でも好きっ!」
美羽が顔を押さえられたままジタバタと手足を動かす。
「……美羽先輩。これに懲りたら、もう二度と戦場での『拾い食い』はやめなさい」
「はいっ! もう絶対にしません! 誓いますぅ!」
泣きながらぶんぶんと頷く美羽。
だが、楓の氷のような瞳は、冷酷な光を放っていた。
「ええ、そうしてください。……ですから、日本に帰ったら、あなたには『戦い以外のサバイバル技術』も徹底的に叩き込むことに決めました」
「……へ?」
美羽の動きが、ピタリと止まった。
「TIAの下部組織に『風魔裏隠衆』という暗部があります。そこの頭である風魔三平という忍びに、あなたを紹介します。彼から、本物の忍びの技と、どんな環境でも毒を見極めて生き残るサバイバル術を学びなさい」
「ふ、ふうま……しのび……?」
美羽の顔が、ミルミルうちに引き攣っていく。
「あ、あの……楓ちゃん? それって、もしかして……すっごく厳しい修行だったり、します……?」
楓は、ニコリと、それはもう美しい極上の『営業スマイル』を浮かべた。
「大丈夫ですよ。短刀の二刀流を極めた今の美羽先輩なら、きっと乗り越えられます。……まあ、死なないでしょう。たぶん」
「たぶん!?」
「ええ、たぶんです。今回は完全に『預ける(丸投げする)』形になるので、私は助けに行けませんからね。どうか、死なないように頑張ってくださいね」
「いゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 殺されるぅぅぅっ! 助けて持子さまぁぁぁっ!!」
完全回復した美羽の悲痛な絶叫が、ルーヴル美術館の端っこに木霊した。
【美の化身たちと、完璧なる危機管理】
そんな美羽の悲鳴をBGMにしながら、持子たちは広大な展示室を進んでいた。
「ふむ……」
持子は、壁に掛けられた巨大な宗教画や、細密に描かれたルネサンス期の肖像画の前で立ち止まり、じっとその筆致を見上げていた。
前世の暴君・董卓であった頃、美術品の良し悪しなど『金に換算して高いか安いか』程度にしか興味がなく、王として周囲から舐められないために表面的な知識として嗜んだに過ぎなかった。
だが、今の『恋問持子』の肉体は違う。
神が創り出したような美の結晶たるこの体は、同時に『美しいものを愛でる』という極めて繊細で豊かな感受性を、その魂に刻み込んでいた。
「おお……この光の表現、人物の肉体美……なまら素晴らしいではないか……!」
持子は、吸い込まれるように次から次へと名画の前に立ち止まり、その黄金の瞳をキラキラと輝かせて魅入っていた。
(……まったく、面倒くさい身体だ。だが……この、美しいものを純粋に美しいと思える感情は、嫌いではないな)
「……持子様、本当に楽しそうですね」
「ええ。芸術を愛でるお姿も、一枚の絵画のように美しいですわ……」
少し後ろでは、エティエンヌとルージュが並んで歩きながら、穏やかな顔で持子を見つめていた。
普段はいがみ合うこともある元夫婦の二人だが、この美しい芸術の空間にあてられたのか、今日は不思議なほど仲良く、優雅に肩を並べて美術鑑賞を楽しんでいる。
しかし――持子が絵画の世界に没入している間に、周囲の状況は劇的に変化していた。
ザワッ……ザワザワッ……!
「……Hey, look at her.(おい、彼女を見ろよ)」
「Est-ce un mannequin ?(モデルじゃないか?)」
「Magnifique...(なんて美しいんだ……)」
持子が絵画を観ていると、周囲の外国人観光客たちもまた、絵画以上に圧倒的な美のオーラを放つ『持子』の存在に気がつき始めていたのだ。
しかも、彼女はつい先日、世界的ブランド「リュクス・アンペリアル」の広告塔としてパリの裏社会やVIPの間で話題を攫ったばかりの世界的トップモデルである。
さらに輪をかけて目立っていたのが、彼女を取り巻く『お供のメンバー』たちだった。
透き通るような銀髪美少女(中身は男)の朔夜。
冷徹なクールビューティーの楓。
ギャルファッションを着こなす大和撫子の鶴子。
洗練されたエリート眼鏡の霞。
ピンク髪でスタイル抜群の鮎。
そして、絶世の金髪美女(中身は元男)のエティエンヌと、真紅のドレスを着こなす吸血鬼の元女王ルージュ。
全員が全員、歩く彫刻のように美男美女揃いなのだ。
(((絶対に、どこかのスーパーモデルたちの集まりだ!!)))
周囲のギャラリーがそう勘違いするのは無理もないことだった。
あっという間に、持子たちの周囲には何十人もの人だかりができ、パシャパシャとスマートフォンのカメラが向けられ始めた。
「……ッ! マズいですね。完全に包囲されました」
いち早く事態に気づいた霞涼介が、鋭い視線を周囲に走らせる。
「おい霞! どうするのだ! ご主人様のプライベートな時間が邪魔されてしまいます!」
鮎が今にも大剣を抜きそうな勢いで吠える。
「落ち着いてください、本多殿。ここは私にお任せを」
霞は、銀縁眼鏡を指で押し上げると、一切の無駄のない洗練された動作で人混みの最前線へと進み出た。
「Excuse me, ladies and gentlemen. Please step back. No photos allowed, this is a private time.(皆様、下がってください。撮影は禁止です、プライベートな時間ですので)」
流暢な英語とフランス語を使い分けながら、霞は笑顔を一切見せない完璧な『SP』の顔になり、迫り来る群衆を的確に、かつ物理的な摩擦を生まない絶妙な体捌きで誘導していく。
「Please make way.(道を開けてください)」
霞のその洗練された身のこなしと、圧倒的なエリート官僚のオーラに気圧され、ギャラリーたちはモーセの十戒のようにスゥッと左右に道を開けていった。
「……現在時刻、13時10分。持子様、絵画の鑑賞はそろそろお時間です。これ以上の滞在は、パニックを招きます」
霞が、絵画に見入っていた持子に静かに声をかける。
「む? ……おお、もうそんな時間か。ふふっ、楽しかったぞ。パリにはまた来たいものだな!」
持子は名残惜しそうに絵画を振り返りながらも、満足げに笑って踵を返した。
【魔王の腐なる業と、発狂の予兆】
見事な危機管理で群衆を捌き切り、一行はルーヴル美術館を無事に脱出して、再びシャンゼリゼ通りへと戻ってきた。
「ふぅ……。見事な誘導だったぜ、霞。お前、SPの才能あるんじゃないか?」
「仕事ですから。合理的かつ迅速に動いただけのことです」
少し前を歩きながら、土御門朔夜と霞涼介が並んで言葉を交わしていた。
「でさ、あいつ(持子)、俺とのデートの時にあの時価五万のメロンパフェを10秒で平らげて……」
「ええ、知っています。私との国立博物館の予定も秒で破棄し、巨大なジャンクバーガーに齧り付いていましたからね。本当に、常識というものが通じないお方です」
「「ふっ……あはははっ」」
二人の間で、かつて持子を接待した際の『魔王のバカエピソード』が共有され、二人は和やかに(そしてどこか楽しげに)盛り上がっていた。
その、長身でクールなエリート眼鏡(霞)と、小柄で可憐な美少年(朔夜)が、肩を寄せて笑い合う姿を見た瞬間。
ピクッ。
持子の脳裏に、突如として『とあるビジュアル』が閃いた。
(……霞 × 朔夜)
「ぶふぅッ!?」
持子は、噴き出しかけた息を両手で必死に押さえた。
(な、なんだなんだ今の思考は!? ま、まさか、BLではないか!?)
自身のウォークインクローゼットの奥に封印されていた、前世(董卓×呂布)の薄い本を巡るトラウマが、フラッシュバックして心臓を鷲掴みにする。
あの時、董卓と呂布のアブナイ同人誌を見て発狂しかけた自分が、今、目の前の仲間二人を見て、無意識のうちに『掛け算』をしてしまったのだ。
(こ、怖っ! 違う違う! 朔夜の見た目が可愛い美少女にしか見えないから、霞と並ぶとそういう風(男女のカップル)に見えただけだ! 決して!)
持子は顔を真っ赤にして、プルプルと首を横に振って必死に現実逃避をした。
「……持子様? 大丈夫ですか? お顔が赤いようですが」
持子のただならぬ興奮(?)ぶりを見た霞が、不思議そうに尋ねてくる。
「ん? どうした持子。何に興奮してんだ? まさか、どっかにいい女でもいたか?」
朔夜も、無邪気に首を傾げながら近づいてくる。
その朔夜の可憐な顔立ちと、霞のクールな眼差しが並んでいるのを見て、持子の脳内で再び『パルプンテ』が起こりかける。
「な、なんでも無い! 気のせいだ! ほら、時間が押しておるのだろう! 次に行くぞ、次だーっ!」
持子は激しく動揺し、滝のような冷や汗を流しながら、二人の間を割るようにして慌ててシャンゼリゼ通りの奥へと猛ダッシュしていくのであった。




